第1話 再会した、かつての親友

 そして現在。

 はやは山に囲まれた田舎でなく、そこから車で数時間離れた都会の大きな建物を目の前にしていた。

「でっけぇ……」

 目の前の高校を前にして嘆息する。

 引っ越し先の転入先の高校は、田舎のうらぶれた雨漏りする木造1階建てのものと比べると、3階建ての白亜の鉄筋コンクリートのそれは随分と大きくれいで、目を回しそうになってしまう。

 思わず現実逃避気味に、先のように懐かしいことを思い出していた。

 ともかく圧倒されたままではいけないと、気を取り直して職員室へと向かう。

 既に面倒な手続きなどは終えているようで、そのまま担任の先生と共に教室へと行く。

 扉の上には1─Aのプレート。ここが今日から隼人の教室らしい。

 ガラリと戸を開けた瞬間、入口からして興味の視線が突き刺さり、一瞬ビクリと肩を震わせ緊張する。当然だ。田舎の全校生徒より多い人数が一部屋に集められているのだから。

「き、きりしまはやです。つきという、道路で猿や鹿や猪と顔を合わせちゃうようなところからやって来た田舎者です。色々教えてくれるとありがたい……かな?」

 そんな自虐風の自己紹介。大うけされるほどではないが、周囲から思わず好意的なくすくす笑いがこぼれるようなリアクション。ここ数日、何度も練習したあいさつだった。

(ふぅ、よかった)

 転校初日の滑り出しの反応としては上々で、隼人はホッと息を吐く。

 ただでさえ田舎から都会への引っ越し、それも6月の半ばという中途半端な時期である。隼人としてもやはり、一抹の不安があったからだ。

 それでも、ワクワクしていることもあった。

 幼い頃に約束を交わした相手──かいどうはるきと同じ街に引っ越してきたのだ。再会できるかもしれない、そんな期待もある。記憶の中の幼いが、脳裏でニカッと笑う。

「席は……そうだな、二階堂の隣が空いているか」

「二階ど──え?」

「はい」

 一人の女子生徒が、ここですよとばかりに手を挙げた。

 とても綺麗な女の子だった。

 くりくりとした大きなひとみに、両サイドでひと房ずつ編み込まれた手入れの行き届いた長い髪。こちらに向かってニコリと微笑む様は、つぼみほころぶように愛らしい。大人しそうな感じの大和やまとなでしという言葉がよく似合う、せいれんな女の子だった。

 隼人は月野瀬の田舎ではまずお目にかかれない美少女にドキリとしてしまう一方で、『あぁ、このと同じ二階堂っていうんだ』などと、かつての悪友の顔を脳裏に浮かべていた。

(お調子者だったアイツのことだ、もし同じクラスとかだったなら、『同じ名字って運命だよな』と絡んで行って迷惑掛けているのかもな)

 そう思うと、くつくつと笑いが零れてのどが鳴る。

「よろしく、

 そんな隼人の反応に、彼女は目をぱちくりとさせ少し驚くような表情を見せるも一瞬、どこか人好きのする悪戯いたずらめいた笑顔に変えて返事をした。

「よろしくね、

(……え?)

 隼人は目を細める彼女に、何故か懐かしい気持ちを感じてしまった。

 ──あれ、何で懐かしいって思ったんだ?

 思わず首を傾げてしまうのだが、周囲は考える時間を与えてはくれない。

「ねね、霧島君、自己紹介で言ってたことって本当?」

「どんだけ田舎なんだよ、道路に鹿とか猿が出るって……マジで?」

「でも一体そんなところから、どうしてこっちに来ることになったんだ?」

 ショートホームルームが終わるや否や、隼人はクラスメイトに囲まれて、転校生に対する質問攻めという名の洗礼を浴びせられてしまう。

「あぁ、転校したのは急な親父の転勤なんだ。前に住んでた月野瀬はバスが1日4本しか無いような山奥でさ、人の数より家畜の数の方が多くて……正直ニワトリや羊以外にこんな風に囲まれたことが無くて、びっくりしてる」

 肩をすくめてそんなことを言ってみれば、「なにそれ」「マジかー」「ウケるー」といった笑い声が広がっていく。

 中々の好感触だった。思わずあんのため息が漏れる。それはクラスメイトたちも同じの様で、とっつきやすいと思われたのか、どんどんと質問が重ねられて行く。

「向こうで彼女とかいなかったの?」

「彼女どころか、そもそも同世代の人を探す方が難しいな」

「友達とかは? 遊びとかどうしてたんだ?」

「基本は1人でゲームか畑の手伝いかな……あ、でも1人だけ居た。すごく仲の良いやつだった。橋から一緒に川の中に飛び込まされたり、山で木に登っては降りられなくなって落っこちたり……あぁ、友達というより、アレはタチの悪い猿か何かのようかいだったんじゃ──」

 隼人はかつての親友こととの記憶を手繰り寄せながら、そんなことを話す。

 どちらかと言えば、いつも引っ張り回され振り回された思い出ばかりだった。ロクなものじゃないだろう。だけど、確かに楽しかった記憶でもある。今だって思い返せば口元が緩んでしまう。


 ベキッ!


「──へ?」

「…………ぁ」

 どうしたわけか、話すと同時に隣から何かがへし折られる音が響いてきた。皆も思わず、そちらの方に目を向けてしまう。

 音の発信源は、隣の席の二階堂さんだった。

 手には真ん中でポキリと折れたシャープペンシル。

 本人も驚いた表情をしている。

 大和撫子みたいな清楚可憐な美少女と折れたシャーペン。

 そのよくわからない組み合わせに、隼人を囲む皆の意識も、質問よりそちらの方が気になってしまうのも無理はない。

「二階堂さん?」

「え、それ、どうして……?」

「大丈夫? 怪我はない?」

「あ、あはは。大丈夫、これちょっと不良品だったみたいでして」

 注目を浴びた彼女は、慌てた様子でまくし立てた。顔に気まずい色を載せながら、まるで何かを誤魔化すように隼人へ質問を向けてくる。その顔は少し、批難の色を帯びていた。

「大切な友達だというのに、随分な言い方をするんですね」

「ははっ、そりゃ、大切な友達だからな」

「……へぇ、そうなんですか」

 隼人はのことを考えながら言葉を返す。

 そして彼女は、ぷいとばかりに顔をらすのだった。


    ◇◇◇


 どうやら先ほどの受け答えはまずかったらしい。

 その後の授業中も、隼人は隣の席の美少女から、どこか不満気な空気を感じ取っていた。

 もしかしたら勘違いかもしれない──だけど視線が合う度に目を逸らされてしまうと、その線は薄そうである。

(う、どうしたもんか……)

 そんな隼人の気持ちなどお構いなしに、授業は進められていく。

 当然ながら、以前の学校とは授業内容が違う。疑問はさておき、今は遅れまいと必死になって耳を傾ける。しかし、どうしようもないこともあった。

「すまん、悪いんだけど、この間のプリントって?」

「……」

 教材などで、どうしても隣の席の彼女に世話にならざるを得ないこともある。嫌でも彼女を意識してしまう。

「あーその、ええっと……」

「……これです。そこからじゃ遠いでしょう、机、近付けたらどうですか?」

「あぁ、ありがと」

「いいえ」

 幸いと言うべきか、なんだかんだと快く見せてもらえるので、完全に嫌われているというわけでは無いようだ。どちらかと言えばねているようにも見えた。

 彼女のことがよくわからなかった。

(うぅ、姫子なら、甘い物でもやれば機嫌が直るんだけどな……)

 田舎出身の隼人にとって同世代、それも異性となれば、妹くらいしか該当者は居ない。

 厳密にはもう1人妹の友達が居たのだが、どうしたわけか避けられていて交流はほぼ無い。

 いくら隼人でも、さすがに妹と同列に考えてはダメだというくらいの分別はある。

 ならばいっそ直接聞いた方が早いなと思い、次の休み時間になると同時に話しかけようと決意した。


「その、二階ど──」

「なぁなぁ霧島、今朝の質問の続きだけどさ」

「あーしも、ちょっと気になったところがあるんだけど!」

「向こうでのことだけどさ──」

 しかしそれも、クラスメイトの質問に遮られてしまう。

 学校にも慣れ始め、同じような日々に退屈を感じ始めていた彼らにとって、隼人はかつこうの餌食と言える。それを逃す彼らではない。

「……ふぅ」

 彼女はクラスメイトにみくちゃにされている隼人を見て、どこかあきれたようなため息を吐くのだった。


 質問攻めは休み時間の度に繰り返され、結局彼女と話す機会が無いままに昼休みを迎えた。

 さすがに昼休みともなれば、隼人より食事の方を優先するらしい。あちらこちらでグループを作って弁当を広げる様子が確認できる。チャンスだった。

(何とか話をしないとな)

 気にするほどのことではないかもしれない。だけど、何かが心に引っかかってしまっていた。できることならそれを取っ払いたいと思うし、二階堂は相当に可愛らしくもある。隼人も健全な男子として、嫌われたくはないという思いもあった。

「二階堂さん、ちょ──」

「──すいません、二階堂さんはいますか!?」

「あ、はい。ここです」

 またしても失敗してしまう。

 今度は彼女の方が、小柄な女の子に呼び出されて教室を出ていった。

 突き出した手と言葉が空しく宙を舞う。

 そんな姿をさらした隼人に、何人かの男子生徒がニヤニヤしながら近付き肩をたたく。

「はは、早速二階堂さんに目を付けるとはやるな、転校生。気持ちはわかる」

「うんうん、あの容姿な上に気立ても良くて勉強もできる。更に運動部にだって引っ張りだこって話だ」

「今だってあれ、生徒会か部活関係の話じゃないかな?」

「俺はそういう──いやでも、すごいな」

 話を聞くに、まるで絵に描いたかのような優等生ぶりだった。

 なるほど、二階堂は確かに美少女だ。

 しかも文武両道で、性格も見た目通り謙虚で穏やかとなれば、一体天は彼女に何物を与えているというのだろうか。都会にはそんな漫画やアニメのような人が実際にいるのだと、感心してしまう。

(同じ二階堂でもとは大違いだな……て、そもそも性別からして違うか)

 そんなことを思い、思わず苦笑がこぼれた。

「狙うのはいいけど、あれはたかの花だぞ」

「中学の時も相当モテてたらしいが、誰一人として浮いた話が……あぁ、そういやお前、入学早々アプローチするも、まったく相手にされてなかったっけ?」

「うっせ! とにかく転校生──霧島も変な期待をしない方がいいぞ」

「別にそういうつもりじゃ……」

 案の定、相当にモテているようである。

 隼人は揶揄からかわれるものの、別に付き合いたいとかそういった感情を持ったわけではない。確かに可愛いと思うしそれは否定しない。しかし今日見知ったばかりであり、よくわからないな、というのが素直な感想だった。

 それは二階堂にとっても同じだろう。

 だからこそ、余計にわからなくなってしまう。

 そんな彼女がどうして、初対面のはずの自分に、不満気な空気を出して素っ気無い態度を取るのだろうか?

「うーん、わからん」

 首をいくらひねっても答えは出ない。

 疑問と共に早く話をしないと、という気持ちだけが募っていくのであった。


 さすがに朝から人に囲まれ続けていると、隼人も気疲れしてしまっていた。

(教室だけで、祭りの時くらいしか見ないような数なんだもんなぁ)

 一応クラスの男子から早速、お昼一緒にどうだと誘われはしたものの、散策がてらに購買を探すと断りを入れて教室を抜け出した。

「うっ……」

 周囲より遅れ気味にたどり着いた購買は人波のピークを迎えており、教室とは比較にならないけんそうと混雑具合にたじろいでしまう。

(……明日あしたからは弁当を用意した方がいいな)

 なんとか手にすることができたマーガリン付きコッペパンを見てため息を吐く。味気ないが育ち盛りにとって、ボリュームだけはあるのが幸いか。

 お昼くらいはひとのない所でゆっくりと食べたい──そう思った隼人は、校舎を彷徨さまよい歩きながら1人になれそうな場所を探していた。

 しかし、そんな場所はなかなか見当たらない。

 ここなら誰もいないだろうと思い校舎の裏手の方にまで回ってみるも、そこにも知らない女子生徒がいた。

「ん、あれは……?」

 立ち去ろうとしたものの、そこでひどく見慣れたものを発見する。それは都会では見かけないものであり、だからこそ強く興味を引く。

 更にはの前でひょこひょこと動く、癖っ毛の小柄な女子生徒は、隼人にを連想させる。

 だから、らしくないなと思いつつも、そこへと吸い寄せられてしまった。

「うぅ、うまく実がりません……肥料が悪いんでしょうか? それとも──」

「それ、ズッキーニ?」

「ぴゃああっ!?」

「あ、驚かせてごめん。でもその黄色い花、ズッキーニだよな? 隣の紫の花がナスで白い花がシシトウ……トウモロコシもあるのか」

「ふぇ!? は、はい、そうです合ってます!」

 そこは花壇だった。

 れんで周囲を細長く囲っているが、どうしたわけか中央に向かってこんもりと土を盛られてうねが作られており、そして野菜が植えられている。

 本来隼人は初対面で、しかも女子に積極的に話しかけるような性格ではない。

 むしろどんな話をすればいいかわからず、二階堂のように話す必要性がなければ通り過ぎていたことだろう。

 だけどついつい、声を掛けてしまっていた。

「受粉してる? ズッキーニは雌花に花粉付けてあげないと大きくならないぞ」

「え……あっ!」

「ナスも余分な花は切り落としたり、シシトウもいくつか枝を払った方が、たくさん実を付けるよ」

「はぅぅ……」

 隼人の指摘を受けた女子生徒は、慌ててスカートのポケットから手帳を取り出してパラパラとめくる。そして視線を花壇と手帳に行ったり来たりさせると共に、みるみる顔を赤く染めていく。

 ちなみに隼人の知識は、田舎で畑を手伝っているなら子供でも知っている程度の知識である。別に自慢するほどのものではない。

「く、詳しいんですね」

「田舎でよく畑仕事を手伝っていたからな……これ、園芸部か何か?」

「は、はい、園芸部、です」

「園芸部なのに野菜?」

「その……やっぱりおかしい、ですか?」

「いや、いいんじゃないか? トマトだって元は観賞用だったっていうし、俺も野菜の花は好きだよ」

「……っ!」

 実際、隼人にとっては花屋で見かけるような花よりも、収穫の時季を告げる野菜の花の方がみ深くて好きだった。

(畑の手伝いしたら、バイト代として小遣いもらえたしな)

 そんなことを思いながらふふっと笑って答えれば、その返事が女子生徒にとって意外だったのか、目をぱちくりとさせて慌てふためく。

 その様子はどこか小動物じみており、ますます隼人にを連想させて頬を緩ませてしまう。


「……何をしているんですか?」


 突如、鈴を振るような声が、背中から聞こえた。

 しかしその声色は、若干の呆れの色を含んでおり、見つめるひとみもどこか冷ややかだ。

たけさん、部活棟の方に申請していた肥料が届きましたよ」

「え、あ、はい! 今行きます、ありがとうございます、二階堂さん!」

「あっ、えーとその……二階堂、さん」

 話しかけてきたのは隣の席の美少女──二階堂だった。

 園芸部の女子生徒は、二階堂の話を聞くや否やはじけるようにこの場を飛び出していく。

 そして2人して彼女を見送ったあと、二階堂は腰に手を当てジト目で隼人をにらみつけ、ぐぐいと顔を近付けてくる。

「ふぅん、転校初日からナンパ? まったく、ああいう子が好みなのかな、は!」

「い、いや、それはだな……っ」

 その非常に端整な顔を近付けられると、ドキリとしてしまう。それだけじゃなく、妙な迫力もあって後ずさってしまう。

 かぶっていた猫をいきなりかなぐり捨てた彼女のれ馴れしい言葉と態度は、隼人の困惑に、より一層の拍車をかけていく。

「ナンパじゃなくてその、似てたんだ……」

「似てた? 一体どこの誰に?」

「……げんじいさんとこの羊」

「あぁ、あの雑草食べてもらう為に飼い始めたけど、野菜の苗ばかりに興味もって怒られてばかりいた、あのメェメェたちに?」

「そうそう、あのクリクリってした癖っ毛とか、野菜の前でうろちょろしているところを見ているとつい……って──痛っ!」

「ぷっ……くっ……あは、あははははははははっ!!」

 かと思えばせきを切ったかのように笑い出し、そしてバンバンと隼人の背中をたたき始める。

「まったく、源さんの羊に似ていたから声を掛けるだなんて、ひどい奴だな、

「いててっ、ちょっとは加減してくれよ、はる……き……?」

 何故か、そんな言葉が飛び出してしまった。

 語尾の方は完全に疑問形だ。どうしてそんなことを口走ったのかはわからない。

 隼人は混乱する頭で、まじまじとを見つめてしまう。

「あ、二階堂さんこんなところに! ちょっといいですか!?」

 そんな時だった。

 彼女に用があるとおぼしき女子生徒がやって来て声を掛けてくる。

「はい、なんでしょうか?」

「ちょっ、おい!」

 そして二階堂は、再び猫を被りなおす。

「しーっ」

 そして去り際にこちらに振り向き、内緒とばかりに唇に人差し指を当てて、悪戯いたずらっぽく微笑んだ。

「……なんなんだよ、一体」

 様々な情報が一気に脳裏を駆け抜け、隼人の胸の内は荒れに荒れるのだった。


、か……)

 隼人は午後の授業中ひたすら、彼女の──のことを考えていた。

 月野瀬の田舎の山奥で、野山を駆け巡り一緒になって遊んだおさなじみ

 ──ああ、そういえば。


『あ、釣れた! ボクも釣れたぞ、はやと!』

『わかった、わかったから叩くな!』


 先ほどのように、はるは興奮するとバシバシと背中を叩く悪癖があったなと思い出す。

 交わす言葉のノリと当時と同じことをされれば、つい『はるき』と呼んでしまったのも無理はない。それだけ深く心に刻み込まれていることなのだから。

(……二階堂さんは、なのか?)

 山奥の田舎である月野瀬に相当詳しくなければ、それこそ地元の者じゃなければ、源じいさんのことなどわかりはしないだろう。

 ジト目でを観察する。

 やはりと言うべきか、どうしたって隣の席の女の子が、このせいれんで大人しそうな女の子が、記憶の中にある猿のようかいじみた幼馴染はるきだとはにわかに信じられない。

「……む!」

「……っ!?」

 そんないぶかしむ隼人の視線に気付いた彼女は、千切った消しゴムをデコピンの要領でぶつけてきた。痛くはないのだが、その幼稚とも言える行動にびっくりしてしまう。

(子供か!)

 二階堂はるき──は、そんな隼人の驚く顔を満足気に眺めたあと、鼻を鳴らして前を向く。その際にちょこっとだけ見せたピンク色の舌先が、猿の妖怪と言われたことへの抗議のように思えた。


 そうこうしているうちに初日の授業が終わった。

 教室は瞬く間にけんそうを取り戻し、学生たちは退屈から解放される。夏至の近づく6月の空はどこまでも青く、まだまだ明るいつもりだと主張している。遊びに繰り出すには絶好の天気とも言えた。

「なぁ霧島、これから皆でカラオケに行くんだけど、一緒にどうだ?」

「そうそう、歓迎会も兼ねるしおごるぞー」

「転校生がどんなのうたうか気になるなー」

「いや、俺はその──」

 隼人は調子の良い、そして好奇心の強いグループに囲まれた。その中には先ほど質問攻めにしてきた顔もいくつか見える。彼らとしてはごく自然な誘いなのだろう。しかし田舎で同世代との交流が無かった隼人は、どうすれば良いのかわからず躊躇ためらってしまう。

(それに、カラオケ自体行ったことないし……)

 あやふやな態度でまごついていると、強引に肩に手を回され連れて行かれそうになった。

「てわけで、行くべー」

「ちょ、おいっ」


「ダメッ!」


 しかし、それに待ったと鋭い声が掛かる。

「え?」

「うん?」

「二階堂、さん……?」

「…………ぁ」

 彼らにしても意外な相手だったのか、彼女──二階堂春希に注目してしまう。

 そして春希本人も予想外な声だったのか、驚く顔も一瞬、コホンとせきばらいして向き直る。

「……えっと、その、こほん。ダメですよ、放課後案内してっているんです。ね、霧島くん?」

「そっかぁ、それじゃあ仕方ねぇな。二階堂さんが相手してくれるなんてうらやましいぞ、この!」

「え、いや、二階堂さん……っ!?」

 言うや否や羨ましそうにする男子たちの視線を背に、春希はいきなり隼人のかばんつかみ、強引に引っ張っていく。隼人を引っ張る力はその細腕からは信じられないほど強く、有無を言わせない。どちらかと言えば、引きずられていると言った方が良いかもしれない。

 そして、そんな調子で校舎を案内するわけでもなく、昇降口に直行して校外へと連れ出された。

「おい、一体どこへ連れて行く気だ?」

「いいから、いいから!」

 学校を飛び出した隼人は、春希に引っ張られる形で住宅街を小走りに進む。

 傍から見れば美少女に無理矢理連行されている図である。

 さすがに情けないやら恥ずかしいやらで、隼人の顔も熱を持つ。

 だが春希はそんなの知ったことかとばかりに前を駆ける。

 しかし、かつての子供時代をほう彿ふつとさせる構図でもあった。

(ははっ! ……まったく、変わらない、な!)

 それは隼人にとって、土手やあぜ道の代わりにアスファルトをばしている、ただそれだけの違いだった。

「どこに向かってるかは知らねぇけどさ、おせぇよ」

「むっ!?」

 隼人はあの時と同じように、早足を競って春希を追い抜こうとする。

 するとあの時と同じように、春希も負けじと足を速める。

 隼人が前へ、春希が前へ、抜いて抜かれて全力疾走。2人の顔には不敵な笑み。互いの手はつながれたまま。

「あはっ!」

「ははっ!」

 意味がわからなかった。

 だけど一緒に走る、ただそれだけで楽しくなった。

 かつての出来事と感情を思い起こされ、理屈を飛び越えて目の前の女の子がなのだと、はっきりと認識させられる。

 昔と姿形は変わってしまっているかもしれない。だけど、確かに変わらないものがある──それがなんだか無性にうれしくなってしまった。

「さ、着いた。ここだよ」

「え、ここって……」

 住宅街にある、さほど珍しくもない一軒家。これといった特徴もない。

 だけどここがどこかだなんて、聞くまでもなくわかる。

 それに互いの家に遊びに行くなんて、かつてならよくあることだった。

「うん? どうしたのさ、隼人?」

「……なんでも」

 背中まで伸びた長い髪、少し冷たい小さな手、かつてと違うれいな顔立ち。

 だというのに、隼人に振り向き機嫌よさそうにケラケラ笑う顔が、今は少し恨めしい。

 しかしここで帰ってしまうと、なんだかおくして負けたような気がして──そんな幼稚じみた想いで「お邪魔します」とつぶやいた。

「おかまいなく、ってボクしかいないから、遠慮しなくていいよ」

「……マジかよ」

 隼人が少し緊張気味にあいさつすれば、返ってきたのはそんな、なんてことない風に言う春希の言葉だった。

 今の春希の見た目は完全に清楚可憐な美少女である。

 かつてのガキ大将とも言えるそのままな反応をされると色々と困ってしまう。

 そんなことを思っていると、春希が突然、「あ!」と何かに気付いた様な声を上げた。

「ちょおーっとそこで待ってて! いいから! ね!?」

「おい!」

 慌てた様子でスカートを翻しながら階段を駆け上ったと思えば、ドタバタガッシャン、騒がしい音が聞こえてきた。部屋でも片付けているのだろう。

「……ったく、どうしろと」

 見知らぬ家の玄関に取り残され、思わずため息を吐いてしまう。

 それだけでなく、あまりの勢いで駆け上るものだから、スカートの奥の色気もへったくれもないボクサータイプのそれがチラリと見えてしまったというのもあった。奇妙な罪悪感が隼人をさいなむ。

「おまたせ!」

「……へぇ」

 ややあって、息を切らせた春希に部屋に招き入れられる。大方クローゼットにでも無理矢理放り込んだだけなのだろうが、部屋は一見して整理されていた。

 黒やダークブラウンに統一された家具に、漫画の多い本棚にプラモデル。そして各種ゲーム機。にも成長したらしい部屋だった。

 机の上に申し訳程度に置かれた鏡とコスメさえなければ、隼人の部屋とさほど変わりはないだろう。

「その辺適当に……よっと」

「おぅ。って、春希」

「うん? 隼人も遠慮せず脱いだら? 暑いでしょ、靴下」

「……そうだけどさ」

 春希はクッションを投げ寄越したかと思えば、いきなり靴下を脱ぎ始めた。昔と違い、不意打ち気味に白く肉付きの良い女性らしさを感じさせられる素足がさらけ出されれば、相手がだとわかっていても動揺してしまうのも無理はない。

 そしてドカッと勢いよくクッションに座ったかと思えば胡坐あぐらをかき、ぐいぐいとこちらに身を寄せられれば、どうしたって当時のと重なってしまう。そして色気もどこかへと霧散してしまい、くくっっと隼人ののど奥に笑いが込み上げてきた。

 しかし、そんな隼人を見る春希は、とがめるような目をしている。

「で、誰が猿の妖怪だって?」

「いや、それは……」

 どうやら春希は、隼人の今朝の言葉を根に持っている様だった。

 本気というだけでなく、どちらかと言えばねていると言った方が正しい。

 だけどそのぷっくりとした唇をとがらせて、ジト目でにじり寄られれば、背筋に変な汗が流れてしまう。

「その、悪かったよ。悪かった。アレだ、〝貸し〟な。貸しにしといてくれ」

「ふーん、〝貸し〟ね。そっか、ならいいけど」

 隼人の返事に満足したのか、たちまち春希はその不機嫌そうな顔を引っ込めた。そして〝貸し〟という言葉をかみしめるように呟いて、ニヤニヤしだす。

〝貸し〟、それは2人にとってお互い特別な意味を持つ。

 この貸しは片方から与えられたことにするもので、借りになることは決してない。そして相殺されることもない。隼人と春希の間でだけのルールである。

「貸しかぁ、懐かしいよね。隼人はこれで一体ボクにいくつの貸しがあるかな?」

「それはこっちの台詞せりふだ。春希だって俺にいくつもの貸しがあるだろ」

「あは、違いないや」

「……くくっ」

「……あはっ」

 2人顔を見合わせて笑いがこぼれる。

 そんな空気の中、隼人は気になっていたことを投げかけた。

「ていうか春希の、反則だろう?」

「ボクの顔?」

 隼人の示す先にあるのは、以前のガキ大将からは程遠い、春希のせいれん大和やまとなでしな姿である。残念ながら今は本性が現れ、堂々と素足をさらして胡坐という残念な姿だ。

「うーん、色々あってね。だからボクもこんなをしてるってわけ」

「擬態、ねぇ。やっぱりようか──」

「隼人ーっ!」

「はは、ごめんって。これも貸しで」

「……まったく、隼人ってば」

 昔からこうした、ちょっとしたいさかいや不満、ケンカをいくつもしてきた。その度に貸しにして水に流してきた。それは思い出の積み重ねでもあった。

 それは隼人と春希の間にのみ通じる、謝罪の言葉に近い。

 またかつての続きのように、互いに貸しを積み重ねられるのだと思うと、可笑おかしくもあり照れ臭くもある。

 隼人はそんな気持ちを悟られるのが何だかしやくに感じ、何か話題が無いかと部屋を見回して、懐かしいものに目を留めた。

「それ、まだあったんだ」

「ソフトもあるよ。入ったままだと思う」

「懐かしいな」

「よし、久々に対戦しよう。負けたら貸し1ね」

「安い貸しだな」

「じゃあ5本勝負で」

「オッケー」

 子供の頃によく遊んだ、2世代は古いハードのゲーム機である。キノコや亀に模したキャラの乗るカートゲームで、当時も随分熱中したものだった。

 そしてそれは、現在でも同じだった。

「え、ずるいずるい! 何でこのタイミングでそのアイテムを引くわけ!?」

「普段の俺の行いがいいからかな?」

「うそつけー、ボクをようかい扱いしたくせに!」

「ははっ」

 久しぶりに会ったというのに、ロクに会話もせずに肩先並べてゲームに興じる。他にも色々聞きたいことがあるはずなのに、口を開いても目の前のゲームに関することばかり。

 だけどそれで十分だった。

 互いに離れていた距離が埋まっていくようなものを感じていた。

 気付けば初夏の日差しが傾きかけて、随分といい時間になっていることを知らせている。

「ん、そろそろ帰るわ」

「あ、うん……そっか」

 楽しい時間だった。過ぎるのも早かった。

 それだけに終わりとなると、一抹の寂しさを感じてしまう。

 頭では理解している。

 かつて、いつまでも続くと思っていた時間があった。

 だけどそれは唐突に崩壊した。

 春希はまるで駄々をこねる子供みたいな顔で、靴を履く隼人の背中を眺める。

 その視線は隼人も感じていた。その心境も十分理解できた。自分も同じだからだ。

 だから、そんな不安を振り払うかのようにつとめて明るい声を出す。

「またな」

「……ぁ」

 それは別れの挨拶だった。

 そこに、全ての想いが込められていた。それがわからない春希ではない。

 だから春希にとっての再会の挨拶は──

「うん、またね……それから、おかえり!」

「おかえり?」

「ボクにとってはおかえりなんだよ」

「はは、なんだよそれ」

 春希は、大輪の花が咲くような笑顔を見せる。それは隼人が見た、今日一番の笑顔だった。


    ◇◇◇


 隼人の引っ越してきた場所は、春希の家からもさほど離れていない10階建てのファミリー向けマンションである。

 木造平屋の一戸建て、鉄筋コンクリートの集合住宅。

 不用心に開けっ放しの玄関先、オートロックが施されたエントランス。

 田舎と都会、違いは多く戸惑うことも多い。まだまだ慣れるには時間がかかりそうだ。

「ただいま」

「おかえりー、おにぃ」

「……ひめ、色々見えてるぞ」

「んー、見たいの?」

「見たくないから言ってんだ」

「じゃあ見なきゃいいじゃん」

「……ったく」

 6階にある自宅のリビングで、妹がやる気のない声で出迎えてくれた。

 勝気そうなひとみ、明るく染めてゆるふわにパーマのかけられた髪、下品にならない程度に短くされた制服のスカート。

 いかにもオシャレに気を遣う今時の女の子──それが隼人の妹、姫子である。

 隼人も妹ながら結構可愛らしいとは思うのだが、今はだらしなくソファーの上で寝そべっており、短い丈のスカートもめくれ上がってしまっている。そんな非常に残念な姿を晒していた。さすがの隼人もまゆをひそめてしまう。

(はぁ、まったく、春希といい姫子といい……)

 思わず先ほどのおさなじみの姿と目の前の妹の姿を重ねて、ため息を吐いてしまう。

 きっと彼女たちのこうした姿は、自分だからこそ見られるものでもあるのだろう。

 そう思えば、やれやれしょうがないなと思ってしまう隼人であった。

「姫子、父さんは?」

「病院。母さんのところに寄るって」

「……そうか。夕飯は?」

「おにぃお願い。あたし今、手が離せない」

「はいはい」

 姫子はせっせとスマホをいじっていた。時折「う~ん」といううなり声が聞こえてくる。引っ越す前から田舎者だと思われたくないと、息巻いていたのを思い出す。

 きっと、隼人と同じく転校生の洗礼を浴びせられたに違いない。変なボロを出さないよう、必死に色々と調べているのだろう。

「最初から田舎者だって言っておけばいいのに」

「おにぃ、うるさい!」

 姫子は、ちょっとっ張りなところがあった。それで失敗したことも何度かあった。

 隼人はそんな妹を眺めながら、冷蔵庫の中を確認する。

(特売の残りの豚ブロックに、白ネギ、ピーマン、白菜にしいたけ……)

 隼人のお昼はコッペパンのみと非常にわびしいものだったので、がっつりとしたものを食べたい気分だった。

 まずは豚肉を細切りにし、しように砂糖やみりんを加えたタレに漬けこみ、片栗粉とごま油を加えてませる。

 その間に野菜各種を刻んでいく。冷蔵庫の掃除を兼ねているので割合は結構いい加減だ。オイスターソースにトウバンジヤン、醤油や酒を加えた合わせ調味料を作るのも忘れない。

 それらをいため頃合いを見て合わせ調味料を投入すれば、なんちゃってチンジャオロースの完成である。ご飯にインスタントのみそ汁でも加えたら、彩り的にも悪くないだろう。

「姫子、できたぞ」

「はーい……て、うわ」

「なんだよ?」

「相変わらず、お酒のつまみみたいなものを作るのね、おにぃ」

「いやでもこれは普通の料理のはんちゆうだろう?」

「そうですねー」

 娯楽の少ない田舎では、事あるごとに誰かのところに集まっては宴会が行われていた。

 隼人はその度に呼ばれておつまみを作らされると共に、小遣いももらっていたのである。手持ちのレパートリーがそうしたものに偏ってしまうのは必然であった。

「いただきまーす」

「どうぞ」

「ん~、やっぱりご飯にも合う、やばい太っちゃう! あ、そうそう、おにぃ知ってる?」

「うん?」

「今日学校で初めて知ったんだけどさ……この辺、コイン精米所が存在しないんだって」

「なん、だと……?」

「しかもね、10分も歩けば大体最寄り駅に行けるんだってさ」

「それ、本当に最寄り駅じゃないか!」

 月野瀬の田舎とは違った都会具合に、せんりつする霧島兄妹きようだい。どうやら隼人だけじゃなく、妹の姫子も転校早々それらのギャップに大変な目に遭っている様だった。

「で、どうなの?」

「何が?」

「良いことあったんでしょ?」

「どうして?」

「ニヤニヤしてる」

「……へ?」

 姫子に指摘され、初めて隼人は自分の頬が緩んでいることに気付く。

 何だかんだと言って春希幼馴染との再会は、顔に表れてしまうほどうれしかったらしい。

 だから自然と笑顔になってしまっていた。

「学校でさ、に会ったんだ」

「はるちゃん……え、うそ、はるちゃん!?」

「何と驚け、席も隣だ」

「うわ、すご! はるちゃん、どんな風になってた?」

「そうだな……」

 隼人は今日再会した幼馴染のことを思い浮かべる。

 昔はいつだって短パンにシャツに帽子、服だっていつも泥だらけで身体のあちこちに擦り傷を作り、ガキ大将や悪ガキ然とした姿。

 それが今や背中まで伸びたつややかな髪に、擦り傷どころかシミ一つない白い肌。たおやかな印象の、一見すればせいれん大和やまとなでし

 だけど悪戯いたずらっぽく笑う顔は、どうしたって当時のものと重なってしまっていた。

「変わってなかったよ、は春希だった。早速〝貸し〟を作っちゃうくらいにな」

「へぇ、そっかぁ。あたしも会いたいなぁ」

「むしろあれは昔より力も強くなって強引になったし、猿からゴリラへと進化しているのかもしれん」

「あはは、何それ」

 そしてお互いの、共通のかつての幼馴染の話題に花を咲かす。色々な思い出がよみがえってくる。

 いくつもの貸しを作ってきた。

 半分に分けたアイスの大きさがぞろいだった時。

 セミ採りで捕まえた数を競った時。

 今日みたいにゲームで勝負をした時。

 お互いにいくつもの思い出を積み重ねてきた。

 あの日。夏の終わり。

 いつまでも続くと思っていた日々が崩れてしまった時。

 その時に交わした小さな約束が、今も確かに息づいていた。

 並んでいた背丈は頭1つ分。

 つないでいた手は一回り。

 駆ける速さは同じでも、差ができてしまった歩幅。

 そんな、離れていた間にできてしまった違い。

 それでもきっと、気にならなくなると思えてしまう違い。

 終わったと思っていた関係が、夏と共に再び始まろうとしていた。

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