第一章 その3
「——ガゥウウウウッ! グルァアアアアッ!」
「くそっ……! そう簡単に殺されて、たまるかよ……!」
俺は右腕と斧と脚とを動く限りに駆使して、三つ首で次々噛みついてこようとする魔獣をどうにか牽制する。
一瞬でも、わずかでも気を抜けば、顔面や首筋の肉を食いちぎられてお終いだ。
俺は魔獣に殺されまいと、懸命に抵抗していた。
——そんなときだ。
「み、見つけたにゃ! これをこうやれば——ほら、開いたにゃ!」
ギィイイイッ……!
獣人の少女の歓喜の声に続いて、部屋の入り口の扉が開く音が聞こえてきた。
ミィナがうまくやって、脱出路の確保に成功したようだ。
あとはどうにかして、この俺にのしかかっている魔獣をやり過ごして逃げるだけだ。
「——うぉおおおおおおっ!」
火事場のバカ力というのは、こういうもののことを言うのだろう。
俺は全身の筋肉がちぎれるかと思うほどのパワーを発揮して、自分にのしかかっていた巨獣を押しのけることに成功した。
俺はなおも死に物狂いの力で立ち上がり、部屋の入り口の方へと向かおうとして——
そのとき、信じられないものを見た。
「な、なんで扉を閉めるにゃ⁉ まだダグラスが中にいるにゃ!」
「うるさいですよ獣人! 彼はもうダメです! 彼を待っていたら、私たちまであの魔獣に食われてしまいます! アーロン、その獣人を取り押さえておいてください!」
「分かった! おい、おとなしくしろ獣人が!」
「な、何をするにゃ、放せにゃ! ——ダグラスーッ!」
ギィイイイイッ……ズゴォン!
扉は神官の手で、再び閉じられてしまった。
それを止めようとしていたらしきミィナは、魔法使いによって羽交い絞めにされていたのが最後に見えた。
俺は慌てて扉に駆け寄ったが、押しても引いてもびくともしない。
この扉の向こう側にも扉を開く仕掛けがあって、それを操作しないと開かない仕組みになっているのだ。
この部屋のどこかにも、ミィナが操作して扉を開いた仕掛けはあるはずだが——
「おい、ミィナ! この扉、どこを操作すれば開く!」
「ダグラス! その扉の、んむぅーっ⁉」
「獣人! 教えるのではありません、黙っていなさい!」
「——んんぅうううううっ! ——んむぅううううっ!!!」
扉の向こうのミィナに聞こうとしたが、神官か魔法使いがミィナの口を塞いだようだ。
あいつら、どこまで腐ってやがる……!
そのとき——
「チッ——!」
「——ガルゥウウウウッ!」
俺はぞくっとした危機感を覚え、半ば反射的に、扉の前から横っ飛びに跳んでいた。
一瞬前まで俺がいた場所を、おそるべき炎が焼く。
鉄の扉は魔獣の炎を受けても溶けたりはしなかったが、俺があれの直撃を食らっていたら命はなかっただろう。
「くそっ! テメェら、化けて出てやるからな!」
俺は扉のほうに向かって叫んでから、その場から走り始める。
こうなったらもう一つの可能性にかけるしかない。
目指すはこの部屋の奥の通路だ。
「はははっ! ダグラスさん、いずれ地獄で会いましょう!」
「んむぅうううっ! んぅうううっ……!」
神官の声と、口を塞がれているのであろうミィナの声が、扉の向こうで遠ざかっていった。
あの神官の野郎、自分が地獄に落ちると分かっていやがるあたりタチが悪いなおい。
だが俺はそう簡単に、地獄に落ちたくはない。
死に物狂いで魔獣から逃げ惑いながら、奥の通路を目指した。
もちろん、それで助かる見込みなどない。
ただただ生き永らえたい、何か生きる道があるのではないかという一縷の望みだけを頼りに、俺は走り続けた。
二度か三度ほどの奇跡が起こって、俺はそのたびに魔獣の攻撃をやり過ごし、とうとう部屋を出て、奥の通路を走り始める。
魔獣はそれでも追いかけてくる。
部屋を出たら追いかけてこなくなるなんて、淡い望みも消え去った。
走る、走る、走る。
俺はみっともなく、何度も転びそうになりながらも、死に物狂いで走った。
俺はもともと足が速い方ではないし、四足獣であるキマイラは当然ながら足が速い。
一本道だ、すぐに追いつかれる。
そして振り向いて攻撃を仕掛けようにも、斧はいつの間にか俺の手元にはない。
一体どこで放り捨てたんだったか。
いずれにせよ、奇跡ももう品切れってことか。
俺の往生際の悪さも、これまでらしい。
そう思ったとき——
「うぉおっ……⁉ お、落とし穴だとぉ⁉」
踏んだり蹴ったりとはこのことだ。
足元でカチッと音がしたかと思うと、床がパカッと開いて、俺はその下へと真っ逆さまに落ちていった。
「痛っつぅ……」
結構な高さを落ちた気がするが、どういうわけかたいした落下ダメージはなかった。
途中から
真っ暗闇の中で、俺はよろりと立ち上がる。
「どうすんだよこれ……。どうやらキマイラは下りてこないみたいだが……」
助かったのか、そうでないのか。
何しろ周りが真っ暗闇で何も見えないし、分からない。
元いた遺跡の一階では、魔法的な仕掛けによって、通路や部屋そのものに照明が確保されていたのだが。
灯りをつけようにも、探索道具一式その他もろもろを詰めた背負い袋は、キマイラと遭遇した部屋に置いてきてしまった。
だが、そのとき——
ボッ、ボッ、ボッ、ボッ……!
壁掛けのランプに、次々と炎が灯った。
俺がいる場所はどうやら石造りの通路のようで、前方へとまっすぐに続いている。
手前から順番に炎が灯ったランプは、通路の壁に等間隔に設置されていた。
その通路を、俺はふらふらと歩いていく。
俺の意志で動いているのか、そうでないのかも、今の俺にはよく分からなかった。
やがて通路は、ひとつの小部屋へとたどり着く。
その小部屋の中央には石の台座があり——
そこには、淡い輝きを放つ両刃のバトルアックスが、斜めに突き立っていた。
そう、突き立っているのだ。
斧の刃を石の台座に叩きつけたら、そのまま台座に食い込んで抜けなくなってしまったというように。
俺はその姿を見て、「聖剣」という言葉を思い浮かべていた。
封印の大地に突き刺さった聖剣を引き抜いた者が、勇者となる。
そんなありきたりな英雄物語は、古今東西、枚挙にいとまがないほどだ。
だが突き立っているのが斧だったという話は、寡聞にして知らない。
勇者の剣が「聖剣」だというなら、これはさしずめ「聖斧」だろうか。
そう呼びたくなるような印象が、その斧にはあった。
俺は斧まで歩み寄っていって、柄をつかむ。
罠だとか何とか、そういう考えはまったくなかった。
というか、そんな些事を気にかけていられる状況ではなかった。
左半身の火傷がひどい。このまま何もしなくても、俺は死ぬだろう。
まして武器一つ持たずに、生きてこの遺跡から出られる気はまったくしない。
もう何でもいいから縋ってやる——俺はそういう気持ちで、台座から斧を引き抜いた。
斧は思いのほかあっさりと抜けた。
まるで俺に引き抜かれるのを待っていたかのように。
そして、斧を手に取った俺は——
「なっ……⁉ 力が、あふれてくる……!」
力の奔流が、斧から俺の体の中に入り込んできた。
危険なものではないと直感する。
それどころか——
「治癒能力……⁉ 火傷が治っていく……」
その斧を手にしたときから、ゆっくりとだが、左半身の火傷が治癒されていくのを感じていた。
手にしているだけで傷を癒してくれる武器など、古代遺跡から発掘される魔法の武器にしても、滅多にありはしないだろう。
そして——声が聞こえた。
『戦士ダグラス、おぬしをわが主と認めよう。わが力で、おぬしの
それは頭の中に直接すべり込んでくるような、思念による声だった。