第一章 その4
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「お、おい、待て待て。俺に話しかけてきているお前は、この斧なのか?」
『いかにも。我は
「お、おう……? そ、そうか」
荘厳な響きの思念の声が、親しみを求めてきた。
俺の中にあったシリアスな空気が、一瞬でどこかに消し飛んだ。
——それにしても。
「……聖斧ロンバルディア、おそるべき力を持った武器だな。こんなもの、俺みたいな凡人が手に入れてしまっていいのか……?」
おそらくは
世界の危機を救うために必要になる武器とか、そういった感じのとてつもないアイテムなのではないだろうか。
だとするなら、俺のようなどこにでもいる十把一絡げの平凡な冒険者ではなく、もっと才能と力を持った英雄が手にするべきで——
などと考えていると、聖斧から思念会話で、大きなため息が聞こえてきた。
『はああぁぁぁっ……。おぬし、根っからの小市民じゃのう。——言っておくがの、いまさら我を余人に売り払ったりしても、我の真の力はおぬしにしか顕現せんぞ。もはやおぬし以外の者が手に取っても、我はただの頑丈な斧にすぎん』
「は……? え、マジか」
『マジもマジ、大マジじゃ。さっき言ったじゃろう、我はおぬしを主と認めたと。もはや我の真の力を発揮できるのは、この世でおぬしただ一人じゃ。主を変えることも叶わんし、これはおぬしが死んだところで変わりはせん』
「嘘だろ……責任重大じゃねぇか」
俺はがっくりとうなだれる。
どうするんだよ、俺なんかがこんなとんでもないものを手に入れちまって。
だが今度は、斧は思念で高らかに笑う。
『カカカッ。おぬし、小市民な上に無駄に責任感が強いの。我の力を悪用しようとか、考えもしないようじゃな』
「あー……。まあ、そりゃあな」
『ま、我もそのあたりの資質は見て、おぬしを主と認めたんじゃがな。それにしても、まさかここまで無欲だとは思わなんだわ。おぬしも男なら、わが力を使って成り上がり、金も地位も女も思いのままにしたいなどとは思わんのか?』
「……お前、自分で聖斧とか名乗ったが、実は邪悪な斧なんじゃねぇのか?」
使い手を誘惑してくる
だがそれにも、聖斧ロンバルディアは笑って返してくる。
『カカカッ、邪悪ときたか。人の欲の形が邪悪か。まああながち大外れでもないといったところじゃろうが——おぬし、ちょっと待っておれ。ひとつ我が化身になった姿を見せてやろう』
「化身……? って、なんだ⁉」
聖斧ロンバルディアが、まばゆい光を放つ。
光り輝く斧のシルエットは、やがてぐにゃりと形を変えて、人型になった。
光がやむと——
そこにはなんと、全裸の少女が立っていた。
褐色肌の少女で、黒髪黒目。背は低く、俺の胸ぐらいまでしかない。
少女は俺をからかうように、あどけない笑顔でにこっと笑いかけてくる。
「どうじゃ、わが主よ。これが我の化身としての姿じゃ」
思念会話ではなく、口を動かして普通に喋ってくる。
これまたあどけない、少女の声だ。
「お前、聖斧ロンバルディアなのか……⁉ ——ていうか、服を着ろ服を! どこかにないのか!」
俺は少女の姿が視界に入らないように、後ろを向く。
だがそれを見た少女の、楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
「くくくっ、初心じゃのう。というかおぬしのような歳で、その反応はどうなんじゃ? 女子と付き合うたことがないのか。であれば、娼館で女を買ったことは?」
「うるせぇな、ねぇよ。悪かったな。笑いたければ笑え」
「いや、普通の女子なら幻滅するところじゃろうが、あいにく我はおぬしの十倍は長く生きておる。むしろ気に入ったぞ? ……なんならこの姿の我が、筆おろしをしてやってもいい気分じゃ」
少女——聖斧ロンバルディアが、俺の背後から妖艶に抱きついてくる。
一糸まとわぬ姿で、だ。
「——っ! ——お、お前はだから、どこが聖斧なんだ! 離れろ! というか斧の姿に戻れ!」
「別に男女のまぐわいは、邪悪ではあるまい? ——しかし、からかいすぎておぬしに嫌われるのも、我の本意ではない。このぐらいにしておこう」
少女が俺から離れると、背後で先ほどと同じようにまばゆい光が起こった。
振り向けば少女の姿はなく、台座に立てかけるような形で聖斧ロンバルディアが横たわっていた。
「ったく……」
俺はあらためて、聖斧ロンバルディアを手に取る。
相変わらず、しっくりと手に馴染む斧だ。
ロンバルディアは再び、思念で俺に語り掛けてくる。
『ともあれ、我の力はおぬしのものじゃ、好きに使え。邪悪な目的に使うのでなければ、我は滅多にへそを曲げたりはせん。ほれ、我の力でおぬしの負傷もすべて治っておるじゃろう?』
「あ……そういえば」
左肩の火傷はいつの間にか完全に治癒されていた。
その他の細かな怪我もまた、傷ひとつ残らず癒されている。
『今のところ、我がおぬしに与えられるスキルは、既に与えた【才覚覚醒】と【治癒能力】の二つだけじゃ。それ以外のスキルは、おぬしが我とともに戦いをくぐり抜けてゆくにつれて、新たに獲得していくじゃろう』
「ってことは、これ以上まだ何かあるのかよ……」
『くくくっ、我の力を甘く見るなよ。そんじょそこらの力ある魔剣や魔槍では、我の足元にも及ばぬわ』
俺はつくづく、とんでもない武器を手に入れてしまったらしい。
が、それはいいとして——
「問題は、ここからどうやって出るかだな……」
俺はここにきて、現実の問題に直面する。
この場所には、落とし穴に落ちてきたのだ。
かなりの高さの落下だったし、物理的に登っていくのはおそらく不可能だろう。
どんなにすごい斧の力を手に入れたとて、この場所で水も食料もなく野たれ死んだのでは意味がない。
そう思っていたのだが、これに関してはすぐに正解が見つかった。
ロンバルディアが突き立っていた小部屋の壁を調べていったら、ある部分を触った時に壁が反応し、隠し扉が開いたのだ。
その先には、上りの階段が続いていた。俺はその階段を上っていった。
階段を上り切ると、まっすぐに通路が続く。
その通路を進んでいくと、見覚えのある場所に出た。
足元に落とし穴がある場所だ。
あのときはがむしゃらに走っていたとはいえ、印象が強かったので覚えていた。
靴先でその部分の床をつつくと、先刻と同じようにカパッと落し穴が開き、しばらく待つと床は戻って元通りになる。
「落とし穴の範囲は、だいたい三メートルってところか。跳び越えられるか……?」
俺が今いる場所は、魔獣キマイラと遭遇した部屋の側から見ると、落とし穴の向こう側の位置になる。
つまりこの落とし穴のある床をどうにかやり過ごして向こう側へ行かないと、この遺跡から出ることはできない。
今ならば重い荷物もないし、助走をつけてうまく跳べば、落とし穴の範囲を跳び越えて向こう側に届かなくはないかとは思うが……だがそれも、うまく跳べばの話だ。
ちょっとしたミスで、再び落とし穴の下に真っ逆さま。再度落ちても命に別状はないだろうとはいえ、堂々巡りをさせられるのは、あまり嬉しい話ではない。
だがそのとき、俺が手にしていた聖斧ロンバルディアが、こんなことを言ってきた。
『高々三メートルを跳び越えるぐらいなら、そんなに緊張することもないと思うがの』
「いや、そうは言うがな。斧使いの俺は、剣士やシーフのように身軽じゃないんだ。それに闘気で身体能力を爆発的に高められるような英雄でもない。凡人にはこんなのでも、わりとしんどいんだよ」
俺がそう答えると、ロンバルディアは呆れたような思念を返してきた。
『あのな、おぬし。我の話を聞いとったか? 我はおぬしの
ああ、そういえば、そんなことも言っていたような。
「いや、レアリティとは何だっていうところから、俺には分からないんだが。なんとなく才能を表す言葉なんだろうというのは分かるが、ホシゴとか何とか言われてもさっぱり分からん」
『ま、その辺はあまり気にせんでいい。とにかく今のおぬしは、我を手にする前のおぬしとは違うということじゃ。最初に我を手にしたとき、おぬしの体に力が流れ込むような感覚があったじゃろ? 己が中に宿る力を探ってみい』
「俺の中に宿る力……?」
俺はロンバルディアに言われたとおりに、意識を集中し、自分の中の力を探ってみる。
闘気の扱いに関しては、才能はなかったものの、基礎的な方法論は熟知している。
へその下の丹田と呼ばれる部位に、意識を集中していくと——
——あった。
「ていうか、なんだこれ……」
俺は呆れていた。
闘気って——こんな湯水のように、大量に湧いて出てくるものだったのか。
俺は闘気制御の技術指導で教わったとおりに、呼吸を意識して、自らの闘気を全身へと巡らせていく。
そして——俺の新たな身体能力が、完成した。
基礎的な運動能力だけ見ても、今までの比ではない。
「なるほどな。こりゃあ確かに、三メートルぐらいは造作もないか」
俺は特に大きく助走をつけることもなく、落とし穴の範囲を悠々と跳び越えた。
これまでの俺では絶対にありえない、信じられないぐらいの身体能力。
そしてなおも通路を進んでいくと——
俺は「そいつ」に出会った。
「ま、そりゃあ遭遇するよな。倒してもいない、落とし穴に落ちてもいないなら、ここにいなきゃおかしいってもんだ」
俺は苦笑しながら聖斧ロンバルディアを構え、そいつと対峙する。
魔獣、キマイラ。
ライオンと山羊とドラゴンを掛け合わせたような外見を持つ、Bランクのモンスター。
ここで会ったが百年目の相手であった。