第一章 その2
***
それから数日後。
早朝、俺が三十分のランニングと五百回の斧の素振り、その他の筋力トレーニングなどを終えて宿に戻ってきたときのことだ。
宿の入り口の前に、三人の冒険者らしき人物が待っていた。
「おはようございます、ダグラスさん。聞きましたよ。若者たちに振られたそうですね。心中お察ししますよ」
そう声をかけてきたのは、神官衣をまとった三十歳ほどの男だった。
彼の後ろには、同年代の魔法使い姿の男と、それよりもかなり若いシーフ姿の獣人の少女がいた。
俺は顔をしかめつつ答える。
「ったく、誰が言いふらして回っているんだかな。それで何の用だ。わざわざ俺を嘲りに来たわけじゃないだろうな」
「そんな、とんでもない。いえね、私たちのパーティも先日、冒険の最中に戦士が命を落としてしまいまして。彼の代わりになる戦士を探しているところなんですよ」
「それで俺に声を掛けに来たってわけか」
「ええ。ダグラスさんもそろそろ、懐具合が心許なくなってきている頃かと思いまして」
「……まあな、図星だ」
俺は宿の裏手まで水を一杯もらいにいくと、その場で飲み干す。
それから宿の前に戻ってきて、神官衣の男に返事をした。
「分かった。ひとまず仮でパーティに参加しよう。だが正式にお前らと組むかどうかは、ひと仕事をこなしてから判断する。それでいいか?」
「ええ、構いません。ふふふ、良い関係を築けることを願っていますよ」
俺はその神官の笑い方を見て、嫌な顔だなと感じていた。
実のところ、この神官と魔法使いの二人には、俺は少し覚えがあった。
俺自身は直接パーティを組んだことはないが、あまり評判の良くない連中なのだ。
シーフ姿の獣人の少女に関しては、新入りなのか覚えがないが……。
いや、彼女のこともどこかで見たような気もするのだが、どこで見たのか思い浮かばない。多分、気のせいだろう。
いずれにせよ、評判の悪い二人がいる以上、普段ならばあまり関わり合いになりたくないパーティだ。
だが神官の男が言った通り、俺の懐具合も厳しくなってきており、どこかの冒険者パーティに参加して稼がないといけない状況であることも事実だ。
評判を鵜呑みにするのも良くないし、贅沢も言っていられない。
そういった事情を勘案して、俺は誘いを受けることに決めた。
一度同じパーティで一緒に仕事をしてみて、合わなければ別れればいいだろう。
このときの俺は、そう考えていたのだが——
***
後日、俺は新たに仲間となった三人の冒険者たちとともに、最初の仕事として古代遺跡の探索を行うことになった。
今よりもはるかに優れた魔法文明が発達していたとされる、古代文明。
その時代に造られた建築物が、現代に遺跡として発掘されたものが古代遺跡だ。
これらの遺跡は危険度こそ高いが、運が良ければ一生遊んで暮らせるほどの莫大な財宝が手に入ることもあるという、一獲千金のダンジョンである。
俺たちは襲い掛かってくる魔法生物を打ち倒し、危険な罠をかいくぐりながら、どうにか探索を進めていった。
だがその冒険中、俺は神官と魔法使いの男には、あまり良い印象を持たなかった。
神官は鎖かたびらとメイスで武装しているにもかかわらず、前衛に出て戦うことを嫌ったし、神聖魔法の能力も十分とは言えなかった。
魔法使いは必要なときにも魔法を出し渋ってパーティを危機に陥れるわりに、自分の身に危険が及びそうなときだけは惜しみなく魔法を使うし、実力もこれまた人並み以下。
俺はせめて姿勢だけでもと、途中で二人に苦言を呈したが、彼らは態度をあらためようとはしなかった。
それどころか、舌打ちをして俺を睨みつけてくる始末。
はっきり言って、背中を預ける仲間としては、まったく信頼できない連中だった。
しかし一方で、シーフである獣人族の少女だけは好印象だった。
彼女は普段はお気楽な性格で、あまり真面目そうな素振りは見せない。
だがいざシーフの仕事となればそつなく堅実で丁寧な仕事を行ったし、自分の役割に対する姿勢も申し分なかった。
俺は獣人族の少女ミィナ——彼女は人間に似た容姿だが、猫の耳や尻尾を持つという猫耳族だ——の仕事には信頼を寄せたし、ミィナのほうも俺に信を置いてくれているように見えた。
道中に少しだが、彼女と他愛のない会話もした。
ほかの二人は信用ならないが、この娘だけは仲間として信頼できるなと感じていた。
ところがそんな折に、事件が起きた。
遺跡の探索を進めていって、とある部屋に入ったときだ。
部屋の中ほどまで進んだときに、ギィィッと音を立てて、入り口の重厚な鉄扉がひとりでに閉まったのだ。
真っ先に慌てたのはミィナだった。
「にゃっ……⁉ ——しまった、罠にゃ!」
「なっ……⁉ 何をしていたんですミィナ! 罠を見つけるのはあなたの仕事でしょう! 何のためにあなたがいると思っているんです!」
「ご、ごめんにゃさい! でもこの遺跡の全部の罠を、一個のミスもなしに見つけるのは、どんな腕利きのシーフでも無理にゃよ! いくつかはどうしたって漏れるにゃ!」
「言い訳は許しませんよ! どうするんですかこの事態を! この役立たずの獣人が!」
「おいおいおい、どうやら言い争いをしている場合じゃねぇぞ……!」
俺はミィナと神官、二人のやり取りを遮って、前方を指さす。
俺たちが退路を断たれた部屋の奥には、細い通路が続いていたのだが——
その通路の奥の暗闇で、六つの目がギラリと光ったのだ。
やがて一体の大型魔獣が、通路の奥から悠然と姿を現す。
ライオンと山羊とドラゴンの首を同時に持ち、ライオンの前半身、山羊の後半身、ドラゴンの翼を備えたモンスター。
それを見た神官と魔法使いが、さらなる狼狽を見せる。
「なっ……キ、キマイラ⁉ Bランクのモンスターですよ⁉ 私たちが束になっても、敵う相手では……!」
「じょ、冗談じゃないぞ! ——おい獣人、どう責任を取ってくれるんだ!」
「そうですよミィナ! あなたがこの事態の責任を取るべきです!」
「そ、そんなことミィナに言われたって、どうしようも……!」
神官と魔法使いが、ギャーギャーとミィナを責め立てる。
ミィナはなんだかんだで責任を感じているのか、泣きそうな声を返していた。
確かに、罠に引っ掛かったのはシーフであるミィナの落ち度はあるだろうが、それを今責め立てても仕方がない。
俺は一つ舌打ちをしてから、荷物一式が入った背負い袋を下ろして身軽になる。
そして斧を手にキマイラを迎え撃つ姿勢を取りつつ、仲間たちに指示を出した。
「俺が少しの間、前衛で食い止める! ミィナはその間に、扉を開ける方法がないか何とか探し出してくれ! 残り二人は俺の援護だ! 魔法を全部使い切ってでも、この場を切り抜けるぞ!」
「う、うん! 分かったにゃ、ダグラス!」
ミィナは素直に、俺の指示に従ってくれた。
だが——
「ちょっとダグラスさん! 勝手な指示を出さないでもらえますかね!」
「そ、そうだそうだ! おおお、俺の魔法の使い方は、俺が決めるんだからな!」
残りの二人が無駄に反発する。
くそっ、こいつらこんなときにまで……!
「だったらもっといい代案を出せ! そんなものがあるならな!」
「「くっ……!」」
俺の言葉に、声を詰まらせる神官と魔法使い。
まったく、実力がないのは仕方ないにせよ、当たり前のことは当たり前にやってくれよ頼むから。
だが俺にはそれ以上、そいつらに構っている余裕もなかった。
部屋の奥からゆっくりと歩み寄ってきていた魔獣が、ついにこちらに向かって駆け寄ってきたのだ。
「——ガルゥウウウウウッ!」
「チッ……!」
俺は愛用のバトルアックスを手に、魔獣の動きを注意深く見極める。
すると魔獣は、ある程度まで近付いてきたところで——
——ゴォオオオオオオッ!
三つの首のうちの一つ、ドラゴンの口が、灼熱の炎を放ってきた。
「そう来るとは思ってたけどよ……!」
俺は正面から迫りくる炎を回避するため、ありったけの脚力で横に跳んだ。
だがそれでも、完全な回避には及ばない。
舐めるように掃射されたおそるべき魔炎が、俺の左肩から左腕にかけてを焼いた。
「ぐぅううううっ……!」
ダメージは甚大で、左腕は麻痺して言うことを聞かなくなった。
火傷具合なんて確認したくもない。焼き尽くされたりはしていないが、まともな状態であろうはずもない。
俺は両手で支えていた戦斧を、右手一本に持ち変える。
「い、今あなたに倒れられては困ります! ——ヒール!」
神官が俺に治癒魔法をかけてきた。
少しだけ、左半身のダメージが治癒された感覚があった。
負った火傷を全治するにはまるで足りないが、ちゃんと仕事をしてくれるだけでもありがたい。
「く、来るなぁっ! ——ファイアボルト!」
魔法使いもまた、炎の魔法を放った。
一条の火炎弾が魔獣に直撃する。
だがその炎は、キマイラが放ってきた炎の吐息の威力には遠く及ばない上、魔獣が持つ闘気の膜によって大きく威力が削がれ、ろくなダメージを与えられなかったようだ。
魔獣はまるで怯んだ様子もない。
突進する足を緩めず、襲い掛かってくる。
「——ガルゥウウウウッ!」
「くそっ……!」
大型獣の飛び掛かり攻撃を、俺は再び横に跳んで、今度はかろうじて回避に成功した。
いや、本当は魔獣の前肢の爪が、俺の右脚のふくらはぎを浅く引き裂いていたのだが、たいした怪我じゃない。
「バケモノが! ——食らいやがれぇえええっ!」
俺は体勢を無理やり立て直すと、右腕一本でバトルアックスを振り下ろす。
それはドラゴンの首と、ライオンの首の間の付け根に命中。
だが——
「くそっ、硬ってぇ……!」
俺はすぐに斧を引き抜く。斧を振り下ろした俺の右腕は、ジンジンと痺れていた。
俺が渾身の力を込めて振り下ろした斧の刃は、わずかに指一本分ほども、キマイラの体に食い込まなかったのだ。
これは獣皮の防御力もあるが、何よりも「闘気」の影響力が大きいのだろう。
強大な力を持ったモンスターは「闘気」と呼ばれる力を身にまとい、その戦闘力を高めているという。
その力は防御力ばかりでなく、攻撃力や敏捷性にまで及ぶ。
人間の戦士も闘気は扱うのだが、俺のような凡人では体内に宿す闘気の量は極めて微量で、そのコントロールも下手くそだ。キマイラと互角に渡り合えるような練度の闘気は、到底持ち合わせていない。
才能のある戦士は、この闘気の潜在量と扱いの巧さがズバ抜けていると言われる。
人間離れした戦闘能力を得ることができるのは、闘気の扱いに長けたやつだけだ。
俺はどれだけ訓練しても、この能力がろくすっぽ伸びなかった。
どれだけ体を鍛えようが、経験を積もうが、どこまでいっても凡人は凡人だ。
だから凡人は凡人なりに、凡人にできることをするしかないのだが——
「ぐあっ……!」
俺は次の瞬間、魔獣にのしかかられ、地面に押し倒されていた。
斧の一撃で思いのほかダメージを与えられなかったことに加えて、驚くほどの敏捷性で再度飛び掛かってこられて、とても対応できなかった。