第2話『別にぼっちじゃないぞ?』

 ガヤガヤザワザワと賑やかな食堂。トレイを手に行きかう生徒達。

 昼休み、政近は友人二人と食堂にやって来ていた。入り口に貼られているメニューを見て、何を注文するか吟味する。

「お、新作の麺料理が出てる」

 政近が目を付けたのは、新作のタグが付けられた麻婆ラーメンだった。

 ラーメンに麻婆豆腐を載せるというその組み合わせが、無類のラーメン好きであり辛いもの好きである政近の好みにドストライクだったのだ。

「麻婆ラーメン? なんか中華に中華を重ね掛けしたみたいな料理だな」

 そう言って面白そうに笑ったのはまるやまたけし。政近よりも少し背の低い坊主頭の少年で、政近にとっては中等部の頃からの友人だ。

「毅、厳密に言うとラーメンは中華とはちょっと違うよ?」

「え、そうなのか?」

「うん、そもそもラーメンって名前自体が日本で生まれたものだし」

 そんな雑学を披露したのはきよみやひか。毅と同じく中等部の頃からの政近の友人で、若干色素が薄くて茶色がかった髪と瞳を持つ、線の細い中性的な美少年だ。

 学園でも五本の指に入るその美少年っぷりに、食堂に入っていく女子が彼にチラチラと熱い視線を送っている。

「二人共決まったか?」

「おう」

「うん」

 三人は頷き交わして食堂に入ると、空いている席にハンカチやポケットティッシュを置いて席を確保。各々料理を取りに行った。

 それぞれ料理を確保し、席に戻って食事を開始する。当然、注目を浴びたのは政近が持って来た麻婆ラーメンだった。

「うおぉ……実物見ると思ったより赤いな」

「辛くないの? それ」

「いや、全然? むしろ辛さが足りないくらいだ。味は美味しいけどな」

 政近の対面に座る毅と光瑠が、政近がすする麻婆ラーメンを見てうわぁという表情を浮かべるが、当人である政近は涼しい表情だった。

「ふぅん、ちょっと一口味見させてくれよ」

「あ、僕も」

「いいけど」

「ありがとよ……って、普通に辛いぞこれ!?」

「うっ、これ後から来るやつ……っ」

 興味を引かれた二人が箸を伸ばして一口麺をすするが、途端に顔をしかめてコップに手を伸ばした。そんな二人に、政近は諭すように言う。

「おいおい、湯気が目に沁みないものは辛いとは言わないぞ?」

「その基準はおかしい」

「ホントそれ」

「そもそも、本当に辛いラーメンって唇やられるからまともにすすれないし」

「それ、辛いと書いてつらいって読むやつだろ」

「唇やられるって……」

「当然胃袋もやられるぞ?」

「確定で腹壊すもん食うなよ」

 毅がツッコミを入れたところで、食堂の入り口がざわついた。政近達が反射的にそちらに目を向けると、ちょうど三人の少女が食堂に入ってくるところだった。

「お、生徒会メンバーだ。会長と副会長は……いないのか。それでも、三人もそろってるとなんかすっげぇなぁ」

 その姿を目にした毅が感嘆の声を漏らす。それと同様の反応が、食堂の各所で起こっていた。三人が通れば男子は色めき立ち、女子ですら憧れの視線を向ける。

 ちょっとしたアイドル状態だが、実際その三人の少女は、全員そんじょそこらのアイドルよりも遥かに整った容姿をしていた。

「ホント、すごい美人姉妹だよね。九条さんって」

 その銀色の髪で三人の中でもひときわ目立つアリサと、その前にいるアリサよりも少し小さな少女を見て、光瑠がしみじみと言う。

 そう、アリサの前にいるその少女は二年の生徒会書記で、名をマリヤ・ミハイロヴナ・九条。愛称をマーシャといい、アリサの一つ上の実の姉なのだ。

 しかし、その色彩と雰囲気は姉妹で全然違う。

 透けるような白い肌を持つアリサに対して、マリヤはたしかに白い肌だが、それは精々すごく色が白い日本人といった程度。

 肩まであるウェーブが掛かった髪は明るい茶色で、少し垂れ目気味な優しげな瞳も明るい茶色。容姿自体も、アリサと対照的にずっと日本人寄りの童顔だった。

 スラリと背が高く、大人びた容姿をしているアリサと並ぶと、一見どちらが姉なのか分からなくなりそうだが、しかし首から下はしっかりと姉の貫禄を見せていた。

 具体的に言うと、胸が大きい。お尻も大きい。アリサも十分日本人離れしたスタイルを持っているが、女性らしさという点ではマリヤはそれ以上だ。

 その豊満な肉体が、持ち前の優し気な容姿と柔らかな雰囲気も相まって、高校二年生とは思えない母性を放っている。

 事実、彼女は一部の生徒達から学園の聖母マドンナと呼ばれていた。

「いいよなぁ、九条先輩。お近付きになりたいぜ」

「でも、九条先輩って彼氏いるらしいよ」

「そうなんだよなぁ! くっそぉ、誰なんだよその幸運な男は!」

 デレっと締まりのない表情を浮かべていた毅は、光瑠の一言にギリギリと歯噛みをしそうな渋面になった。それを見て、政近が意外そうな顔をする。

「え? 誰なんだよって……毅でも知らないのか?」

「“オレでも”って言い方は気になるが……なんかロシア人らしいってことしか知らないな」

「ふぅん」

「遠距離なのかな? なんか九条先輩が日本とロシアを行ったり来たりしてるって話は聞いたことあるけど」

 光瑠の言う通り、九条姉妹は父親の仕事の都合で日本とロシアを行ったり来たりしていた。アリサの場合、五歳までをロシアで過ごし、小学一年生で日本に渡った。

 そして小学四年生でまたロシアに戻り、中学三年生で日本に戻ってきたのだ。

「つまり、遠距離で一年以上続いてるってことだもんなぁ……やっぱ無理かぁ」

「まあ、今まで告白した男子がことごとく彼氏を理由に断られてるみたいだからね……」

「それでなくとも毅じゃ無理だろ」

「うるせぇ! いくらアーリャ姫と仲がいいからって調子乗んなよ!?」

 容赦なく残酷な現実を突きつける政近に、毅が鼻息荒く叫ぶ。

「ん~仲いいっつっても、呆れられてばっかりだけどな」

「それでも、無関心よりはマシだろ。アーリャ姫って基本的に誰とも話さないし。話したとしても、事務的なことだけで無駄話とか一切しないし」

「それはまあ、もう一年以上隣の席だし……」

「にしてもだよ。そもそも、本人を前にしてアーリャ姫のことを愛称で呼んでんのなんて、お前くらいのもんじゃねーか」

「まあ、な……」

「くぅ~羨ましいぜまったく。あの孤高のお姫様に、愛称で呼ぶことを許してもらってるなんてよぉ」

「そう思うんなら積極的にアタックしたらいいじゃん。クラスメートなんだし」

 政近がそう言うと、毅は苦笑いを浮かべて顔の前でヒラヒラと手を振った。

「いやぁ無理無理。あまりに完璧超人過ぎて近寄りがたい」

「だからって盗撮はすんなよ」

「いや、あそこまで美人だと撮りたくなるだろ、普通」

 政近のジト目のツッコミに、悪びれた様子もなく開き直る毅。

 そう、何を隠そう毅は、午前中にアリサを盗撮していてスマホを没収された三人組の一人。というか、主犯格だった。

「ホンット、すんげえ眼福だよなぁ。もうずっと見てられる。あの顔をおかずに白飯五杯はいけるわ。九条先輩もセットなら十杯は堅いな」

「毅、それは普通にキモイぞ」

「うん、流石に引く」

 弛み切った表情でアリサ達の方を見る毅に、流石の親友二人もドン引くが、毅はむしろお前らの方がおかしいと言わんばかりの顔をする。

「なんでだよ、お前らも思うだろ? あんなに綺麗な女の子、他で見たことねーし」

「まあ、美人なのは認めるが……お前は少し神聖視し過ぎだ。アーリャもあれで、話してみると意外と愉快な奴だぞ? ……いろんな意味で」

「あぁ~出ました。俺は知ってるけどねアピール。自慢か? 自慢なのか?」

「違っげーよ」

「愉快な人、ね……九条さんをそんな風に呼べる辺り、政近って大物だよね。ある意味」

「それはどういう意味だ光瑠? 俺が身の程知らずだって言いたいのか? うん?」

「そうじゃなくて……毎日あれだけ注意されてて、よくその相手にそんなことが言えるなぁって、純粋な感心だよ」

「あぁ……」

 光瑠の言葉に、政近は視線を横に逸らしながら曖昧に頷く。

 政近がいくらアリサに小言を言われても平気なのは、アリサが正論しか言わないのもあるが、それ以上に時々ロシア語で漏らす言葉があまりに微笑まし過ぎるからだった。

 そもそも、本気で嫌いな相手ならアリサは注意などせず無視するだろう。そうしない以上、恐らくアリサだってなんだかんだ自分とのやりとりを楽しんでいるのだ。

 そう思えば、小言を言われるのなんて別に気にならない。もっとも、そんな裏事情を誰かに明かすつもりはないが。

「とりあえず、普通に話しかけてみたらどうだ? 案外会話が続くかもしれないぞ?」

「つってもなぁ……去年のあの様子を見てるとどうも」

 毅の言葉に、政近はさもありなんと頷く。去年、突如彗星のごとく現れた美貌の転入生。

 当初、アリサは学園中の注目の的だった。

 そもそも征嶺学園では、転入生自体が非常に珍しい。理由は単純。転入試験の難易度が恐ろしく高いからだ。

 ただでさえ日本でも屈指の難関校であるところに、その転入試験は更に数段上の難易度に設定されている。学園生でも、合格ラインに達することが出来るのは一割いるかどうかといったレベルだ。

 そんな超高難易度の転入試験を突破し、更には一学期の中間試験でも学年一位を獲得したのだ。そこにあの容姿。注目を集めないはずがない。

 ただ、男女問わず多くの人がアリサと交流を持とうとしたが、アリサは常に一線を引いた態度を保ち、誰とも仲良くなろうとはしなかった。

 そして、いつからかアリサは、孤高のお姫様などと呼ばれるようになっていたのだ。

「やっぱりあの中でアタックするんなら……周防さんかな。消去法的に」

 毅が、注文の列に並んでいる一人の少女を見て言った。

 腰まである艶やかな長い黒髪と、小柄ながらも程よく女性らしさを主張する均整の取れた体躯。ぱっと見、アリサやマリヤほどの華やかさはない。

 しかし、その可愛らしさの中にも気品を感じさせる容姿は非常に整っており、遠目にもピシッと伸びた姿勢やおしとやかな所作からは、少女の育ちの良さが窺えた。

 彼女は生徒会広報を務める一年生で、名を周防有希という。元華族の家柄で、代々外交官を担ってきた周防家の長女であり、正真正銘のお嬢様である。

 その高い社交性と洗練された立ち居振る舞いから、生徒達の間ではアリサが孤高のお姫様と呼ばれるのに対して深窓のおひい様と呼ばれ、学年の二大美姫と並び称されている。

「まあ高嶺の花ってことには変わりないけど、話しやすい分、アーリャ姫よりはワンチャンありそうだよな」

 一人でうんうんと頷く毅に、光瑠が懐疑的な表情で首を傾げる。

「ワンチャン、あるかなぁ? 周防さん、男子の告白を断った回数では、九条さん以上らしいよ?」

「ぬ、ぐ……そうなんだよなぁ。恋愛に興味ないんかなぁ? それとも、お嬢様らしく実は婚約者いるとか? 政近、そこら辺どーなん?」

「なぜ俺に訊く」

「むしろ、お前以外の誰に訊くんだよ。なんせ、お・さ・な・な・じ・み、なんだからよ?」

 嫉妬に満ちた目で一音一音強調する毅に、政近は溜息を吐く。

「俺の知る限り、婚約者はいないよ。恋愛に興味あるかどうかは知らん」

「じゃあ興味あるかどうか本人に訊いてくれよ」

「やだ」

「なんでだよ! 協力してくれよ友達だろ?」

「本当の友達は友情を盾に何か要求したりしない」

「あ、そこは政近に同意」

「ぐっはぁ!」

 正面と隣からの十字砲火で毅が撃沈したところで、政近はなんとなく注文スペースの方を見た。

 すると、ちょうど生徒会の三人が料理を手に席を探し始めているところだった。どうやら三人で座れる場所がないらしい。

 しかしそこで、食堂の一角でひょいっと手が上がり、マリヤが残りの二人と何か話し合ってから、そちらに歩いて行った。

 恐らく、二年生の友人にでも呼ばれたのだろう。

 そして、残った二人が周囲を見回し……有希の視線が、政近の視線とバッチリ合った。

 その目が政近の顔を認識し、スッと横にスライドする。そこにはテーブル端の、ちょうど二人分空いている席が。

(あ、これ来るな)

 政近がそう予感した直後、果たしてアリサに声を掛けた有希が、真っ直ぐ政近の方へと歩いてきた。間もなく毅もそれに気付き、慌てて居住まいを正す。

「政近君。こちらの席、よろしいでしょうか?」

 有希がそう言った瞬間、その後ろを付いてきていたアリサの眉間にピシッとしわが入った。しかし、政近を含む三人の視線は有希に集中していたため、誰もその表情の変化に気付くことはなかった。

「ああ、まあいいけど。お前らもいいよな?」

「あ、お、おお」

「うん、いいよ」

「ありがとうございます」

 ニコッと綺麗な笑みを浮かべながら三人にお礼を言うと、有希はテーブルを回り込んで政近の隣に座った。一拍遅れて、アリサも毅の隣、政近の右斜め前に座る。

「ああ、やっぱり政近君も同じものを頼まれたのですね」

 その言葉通り有希のトレイには、政近と同じく麻婆ラーメンのどんぶりが。

 お嬢様然とした有希と、いかにもB級グルメといった感じの料理が実に不釣り合いだ。

「周防さんでも……そういう料理って食べるんすね」

 どこか緊張した様子で言う毅に、有希はポケットからヘアゴムを取り出し、髪を首の後ろでまとめながら微苦笑を浮かべた。

「そんなに畏まらなくて結構ですよ? 知らない仲でもありませんし、同級生なんですから」

「いや、まあ……はい」

「それに、わたくしもラーメンくらい食べますよ? 家では出ませんけれど、休日にはよく外へラーメンを食べに行ったりもしますし」

「へ、へぇ~意外っすね」

 学園で淑女の鑑のように扱われている有希の庶民的な発言に、毅と光瑠が心底意外そうな顔をする。その反応に少し苦笑を深めながら、有希は丁寧にいただきますをすると、上品にラーメンをすすった。その横で、政近は毅にアイコンタクトをする。

『お前、緊張し過ぎだろ』

『うっせぇ、お前と一緒にすんな』

『お近づきになりたいんだろ? こんくらいで緊張しててどうすんだ』

『すんません、オレにはやっぱり高嶺の花でした』

『諦め早っ!』

 政近と毅がアイコンタクトでそんな会話をしていると、ラーメンを一通り味わった有希がほうっと息を吐いた。

「おいしいですね。辛さはもう少しあってもいいと思いますけれど」

「だよな。ラー油をもっと追加したいわ」

「ここにはお塩やお醤油はありますけれど、ラー油はありませんものね。今度の生徒会の議題で検討してみてもいいかもしれません」

「いや、公私混同甚だしいなオイ」

 政近のツッコミにくすくすと笑みをこぼしながら、「冗談です」と言う有希。

 二人の親し気な会話に、黙々とA定食を口に運んでいたアリサの眉間に二本目のしわが入るが、やはり政近達がそれに気付くことはなかった。

 そのことにますます眉間のしわを深くしつつも、アリサは一瞬瞑目して表情を改めると、何気ない口調で問い掛けた。

「二人は、仲がいいのかしら?」

 アリサのその質問に、有希は正面に向き直ると、ニコッと笑って答える。

「わたくしたち、幼馴染みなんです」

「幼馴染み……」

「はい、幼稚園からずっと同じ学校なんですよ? 残念ながら、クラスは一度も同じになったことがないのですけれど」

「そう、なの」

 納得したようなしていないような、なんとも中途半端な頷き方をするアリサに、今度は政近が問い掛けた。

「そういう二人は仲がいいのか?」

 その質問に答えたのは有希だった。答えに窮するアリサに優しい笑みを向けたまま、小首を傾げる。

「仲良くしようとしている最中、でしょうか? 少なくともわたくしは、アリサさんとお友達になりたいと思っていますけれど」

 有希の真っ直ぐな言葉に、アリサは目を見開くと、少し困ったように視線を彷徨わせた。

「……私と友達になっても、楽しくないと思うわ」

 目を逸らしつつ告げられた奇妙な断り文句に、有希は数度瞬きをしてから、再び笑みを浮かべた。

「つまり、アリサさんはわたくしとお友達になること自体は嫌ではないということですよね?」

「え…………まあ、そう、ね?」

「では、お友達になりましょう! せっかく同じ生徒会、同じ一年生なんですもの。ああ、そうです! よろしければ、アーリャさんとお呼びしてもいいですか? マーシャ先輩や政近君が呼んでいるのを聞いてて、素敵な呼び方だと思っていたんです!」

「え、ええ……それは、構わないけれど」

「ふふっ、嬉しいです。改めてよろしくお願いしますね? アーリャさん。わたくしのことは是非、有希とお呼びください」

「ええ……よろしく、有希さん」

 両手を合わせながら嬉しそうに笑う有希に、珍しくアリサがたじろぐ。

「友情を深めるのは結構だが、早く食べないとラーメン伸びるぞ」

「ああ! そうでした!」

 政近の忠告に、慌てて食事を再開する有希。それをどこか困惑した表情で眺めていたアリサだが、そんな自分を政近が見ていることに気付き、どこか気まずそうにむっとした表情をした。

「それにしても久世君、普段す……有希さんに、私のことをどんな風に言ってるのかしら?」

「え~? いや、別に……いっつも怒られてるとか、そんぐらい」

「人を怒りっぽいみたいに言わないで。全部久世君の自業自得でしょ?」

 キリキリと眉尻を吊り上げながらピシャリと言い放つアリサに、政近は「へへぇ、ごもっともで」と首を縮め、有希がくすくすと笑みを漏らした。

「政近君ったら、恥ずかしがらなくてもよろしいではないですか」

「あ?」

「アーリャさん。政近君はアーリャさんのことをいつも、すごい努力家で尊敬するって言ってるんですよ?」

「え……?」

「いや、尊敬するなんて言ってねーし」

「でも政近君、努力する人には無条件で敬意を払うじゃないですか」

「……」

 全て見透かしたように言う有希に、政近は気まずそうに視線を逸らした。そして、正面に座る毅と、その隣に座る光瑠に「お前らなんか言えよ」とアイコンタクトを送る。すると、二人は顔を見合わせて軽く頷くと、トレイを持って同時に立ち上がった。

「それじゃあ、オレらもう食べ終わったんで」

「お先に」

 サラッと裏切った二人に、政近はアイコンタクトで抗議する。

『おい!』

『いや、なんかちょっとキラキラし過ぎてもう無理』

『僕、女の子苦手』

 政近の抗議も虚しく、二人はさっさと視線を切るとそそくさと食堂を出て行ってしまう。その背を恨みがましい目で見送る政近の耳に、アリサのロシア語が飛び込んできた。

【なによ、もう】

 振り返ると、アリサは拗ねているような、それでいてどこか嬉しそうな、何とも言えない表情を浮かべていた。振り返った政近をチラリと見て、すぐに視線を手元に移すと、黙々と食事を続ける。

 既に、自分のラーメンをスープ一滴残さず胃袋に収めていた政近は、なんとなくその姿を眺める。すると、再びチラリと上目づかいで政近を見たアリサが、ロシア語でもにょもにょと呟いた。

【こっち見んな、バカ】

 そして、ますます顔を俯けて食事に没頭するアリサに、政近はなんだか優しい気持ちになった。

(そっかぁ、尊敬してるって言われて照れちゃったんだねぇ。うんうん、そっかそっか)

 ただし、見るのはやめない。ロシア語が分からないわけでも別に鈍感なわけでもないが、ここはあえて必殺「え? なんだって?」を使わせてもらう。

 すると、状況は分からないながらもなにやら妙な空気を察したらしい有希が、「ところで」と政近に話を振った。

「政近君、生徒会に入るという話は検討してくださいましたか?」

 有希の言葉に、政近が「またか」とうんざりした表情になり、アリサがピタリと箸を止めた。

「何度も言ったろ? 入る気はないって。それに、この前新しい役員入れたって言ってなかったか?」

「入れたのですが……やはり、長続きしなくて……」

 新生徒会が発足したのは六月の頭。約一カ月前だ。

 この学園の生徒会は少し特殊で、生徒会長と副会長がペアで立候補し、他の役員は当選した会長と副会長が任命する形式になっている。

 そのため、役員の数はその年によって変動するのだが、現在決まっている役職は、会長と副会長の他に書記のマリヤ、会計のアリサ、広報の有希。計五人だけで、庶務が一人もいない状態なのだ。

「男だと色ボケして仕事にならないから、今度は女子入れるって話じゃなかったか? 三人くらい入ったって言ってたけど、まさか全員辞めたのか?」

「それが……皆さん、自分では力不足だったと……」

「ああ……」

 その言葉で、政近はなんとなく事情を察した。

 そもそも、現生徒会の女性陣がいろんな意味で凄すぎるのだ。副会長と書記のマリヤは二年生の二大美女だし、アリサと有希は一年生の二大美姫。

 それだけでも同性としては気後れしてしまうだろうに、同じ一年生であるアリサは学年一の才女。そして、有希は何を隠そう元中等部生徒会長である。

 容姿でも実務でも格の違いを見せつけられ続ければ、並の女子では心が持たないだろう。

 かと言って、男子は男子でほとんどが美少女とお近づきになりたいという下心ありきだし、ちゃんと仕事してくれる人は女性陣の実務能力の高さに心が折れてしまう。

「その点、政近君なら実務能力に問題はないですし、わたくしやアーリャさんとも上手くやれると思うんです。なにしろ、元生徒会副会長なんですから」

「えっ?」

 有希の言葉に、アリサが目を丸くして驚く。その視線を受けて、政近は嫌そうに渋面を作った。

「久世君、副会長だったの?」

「そうですよ? 二年前の中等部生徒会は、わたくしが会長で政近君が副会長だったんです」

「そう、だったの……」

「昔の話だよ。もう二度とやりたくねぇ」

 心底嫌そうな顔でヒラヒラと手を振る政近に、有希は少し困ったような笑みを浮かべる。

 そして、驚きに満ちた目で政近を見つめるアリサに向かって小首を傾げた。

「アーリャさんは意外に思われるかもしれませんが、政近君はこれでもやる時はやる人なんですよ? 普段はこんな感じですけれど」

「こんな感じってなんだ、こんな感じって」

「ふふっ、さあ? どんな感じでしょう?」

 有希の言葉を受け、アリサがむっとした表情を浮かべた。そして、対面で親しげに言い合いをする二人を、どこか不満そうに見つめる。

【知ってるわよ、そのくらい】

 ボソッと漏らしたそのロシア語が、二人の耳に届くことはなかった。


   ◇


「それでは、わたくしは少し生徒会室に寄っていきますので」

「そう、ならまた放課後に」

「はい、ではまた」

「じゃな」

「はい。生徒会加入の件、考えておいてくださいね?」

「だから入らねーって」

「ふふ」

「おい、なんだその『分かってますよ』みたいな顔は」

「いえいえ、それでは」

 食堂を出て少ししたところで、有希と別れる。ぺこりと綺麗なお辞儀をして去るその背に、ヒラヒラとぞんざいに手を振る政近。

 そこにアリサの、いつもの二割増しで冷たい声が突き刺さった。

「本当に、仲がいいのね」

「意外か?」

「ええ、意外だわ。まさかあなたに女友達がいたなんて」

 辛辣な口調でピシャリと言い放つアリサに、政近は片眉を上げた。

「え? そこ?」

「なによ」

「いや、だって……」

 そして、「お前何言ってんだ?」と言いたげな表情で、ピッとアリサの顔を指差した。

「女友達」

「……」

 当然のことのように告げられた言葉に、アリサは真顔でゆっくりと瞬きをすると、わずかに首を傾げた。

「……私達って、友達なの?」

「え? 違うの?」

「……」

 心底意外そうに問い掛けられたアリサは、しばし沈黙したかと思うと、唐突に身を翻した。政近に背を向け、何かを抑え込んだような平坦な声で答える。

「そうね、私達は友達だわ」

 そして、それだけを言い置くと、有希が去った方向へと歩き始めた。

「お~い、どこ行くんだ~?」

「私も生徒会室に用事があったのを思い出しただけよ。……付いてこないで」

 振り返ることなくはっきりと拒絶を示すと、アリサはそのまま歩き去ってしまった。

「なんだあれ……ま、いっか。そうだ、逃げたあいつらをシメないとな」

 残された政近はそんな不吉なことを独り言ちると、一人で教室へと戻った。

 その日の午後。一部の生徒達の間で、アーリャ姫が鼻歌を歌いながら廊下を歩いていたという噂が駆け巡ったが、幸か不幸かその話が政近の耳に入ることはなかった。

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