第三章 笑顔と信頼はプライスレス④

 翌日、レナルドに連れて行かれた先は、この間と同じカフェだった。

 レナルドもこの店の常連なのか、にぎわっている店内を歩いているだけで、あちこちから声をかけられる。彼はその一人一人とあいさつわしながら奥へ進み、とあるテーブルの前で足を止めた。そこでは、いかにも目端のきそうな男たちが四人でテーブルを囲み、だんしようしていた。

「よっ、マチュー。元気してたか?」

 レナルドが声をかけると、中の一人が振り返り、彼を見て相好をくずした。

「レナードじゃないか。女連れとはめずらしいな。どうした?」

「あんたに相談したいことがあるんだけど、ちょっといいか?」

「おお、なんだい?」

 こういう飛び込みの商談はよくあることなのか、他の男たちが席を外す。レナルドは彼らにしやくをすると、マチューと呼んだ男の向かいに私と並んで座り、一気に話を切り出した。

「マチュー、知ってるか? コルト地方で、今年もぶたでんせんびよう流行はやるかもしれないんだ」

 ……は? 豚? 瓶詰めの話をしに来たはずなのに、急にどうしたの?

 私はレナルドの正気を疑って、彼の顔をまじまじと見てしまった。一方、向き合うマチューの顔からはさっきまでのみが消え、真顔になった。

「レナード、おまえはどこでその話を聞いたんだ? まだ商人の間でもうわさになってないのに」

「簡単なことだよ。毎年の天気を見ていれば、だいたい予想がつく」

 レナルドはニッと笑い、持ってきたノートをテーブルの上で開いた。横からのぞき込んだ私は軽く息をんだ。まさか昨夜のうちに一人で調べたのだろうか。そこには、過去五十年間のコルト地方における天候の変化や豚肉の生産量などが細かくさいされていたんだ。

「この記録からもわかるように、寒くかわいた冬をし、夏前にイナゴの増えた年は、豚の間で伝染病の流行る可能性が高い。今年も用心するに越したことはないだろう」

「で、コルト地方に強い商人の俺にそんな話をして、おまえは何が言いたいんだ?」

 半ばあきらめ気味に聞くマチューを見て、レナルドは満足そうに笑った。

「あんたさ、前にダミアンのところで作っているびんめに興味を示していただろう? 豚肉の生産量が落ちて代わりのタンパク源が求められる場合に備え、瓶詰めをあつかってみないか?」

「……悪くない話だな。だが、伝染病が流行らなかったら、どうする? 俺は大量の在庫をかかえて、路頭に迷うぞ」

 じようだんめかして言うマチューの前に、レナルドが今度は王国の地図を出してきた。

「あんたも知ってる通り、コルト地方には大きな港がある。長期の船旅にも、瓶詰めのような保存食は役に立つぜ」

「俺に瓶詰めを売り込めって言うのか? でも、魚だろう? 船旅にはちょっと……」

「あの、魚だけとは限りません」

 マチューとレナルドが、急に話に割り込んできた私に注目する。二人のじやをしては悪いと思い、今までだまっていたけど、ここはやっぱりちゃんと補足しておいた方がいい。

「私はダミアンといつしよに瓶詰めの生産を手がけている者で、ヴィオラと言います」

「へぇー、おじようちゃんがあの噂の」

 マチューがきようしんしんといった顔つきで私を見る。あの噂ってなんだろう? ダミアンがまた余計なことを言ってないといいけど……。気になるが、今大切なのはそこじゃない。

 私はコホンとせきばらいをして、真面目まじめな顔で話を続けた。

「私たちが今工場で生産を考えているのは魚の瓶詰めだけですが、ゆくゆくは肉や果物の瓶詰めも開発する予定でいます。そういったものは、船旅に向きませんか?」

「うーん、肉や果物の保存食なら需要はあると思うが……」

 やっぱりダメだろうか。しぶるマチューに、その時、レナルドがぼそっと耳打ちをした。

「マチュー、これはあんたの好きな先行投資ってやつだよ。今のうちからコルト地方に瓶詰めのはんを築いておいて、損はないだろう? まぁ、あんたが興味ないなら、他の連中に」

「待て待て! 俺はまだやらないとは言ってないだろう!」

 席を立とうとしたレナルドを、マチューがあわてて引き留める。

「多少の不安は残るが、おまえの持ってきた話なら間違いないだろう。明日あしたの午後、ダミアンも連れてうちの事務所に来てくれないか? 瓶詰めのしようさいについて、話を聞きたい」

りようかい! マチュー、あんたが話のわかる男で助かったよ」

 レナルドが笑ってマチューのかたをたたく。それからほどなくして、私たちはカフェを出た。


「次はダミアンのところに行こう。軍関係でも進展があったから、報告をしておきたい」

 レナルドが港へ向かう道をそつせんして歩きながら、事もなげに言う。え、軍関係って……。

 私は一瞬言葉の意味が飲み込めずに、ポカンとしてしまった。あ、いけない。

「その話、本当なの? まさかもう軍にも話をつけたなんて言わないわよね?」

「そのまさかだ。こんなことでうそをついて、なんになる?」

 そりゃそうだけど、私はまさかのスピード展開に頭が追いつくのがやっとだった。地方への販路を昨日の今日で見つけただけでもすごいのに、軍の方も同時進行していたなんて……。

「すごいわね……。本当にすごい」

「何がだ?」

「あなたがよ」

 レナルドが足を止め、げんそうに私を振り返る。この様子、やっぱり気づいてなかったんだ。そう思ったら、なんだかもったいない気がして、私はなおに胸の内を告げた。

「最初に謝っておくわ。あなたが定期的におしのびで街を視察してるって聞いていても、まさかここまでの人脈と社交術をかくとくしてるとは思ってなかったの」

「別に……これくらいつうだろう?」

「そんなことないわ。単に街をぶらついていただけじゃ、マチューのような商人にあれほど信用してもらえないわよ。それにね、あなたが今日やったみたいに需要と供給のいつする相手を一発で引き合わせるのって、意外と難しいことなのよ。それができるなんて、あなたはそれだけ人をよく観察して、じようきようあくする能力にけてるのよ。すごい才能だわ」

「……君は本気でそう思っているのか?」

「ええ、もちろん!」

 両手をにぎりしめ、勢いよくうなずく。

 私はハッとした。まずい。つい熱く語りすぎたせいで、レナルドが引いているわ。

「あの、レナルド……」

 レナルドはあせる私を不思議そうに見下ろし、不意にその口元をフッとつり上げた。

「今の発言は少し……いや、かなり意外だった。王位けいしよう者でありながら平民とつき合う私のことを、君も内心ではけいべつしてると思っていたから」

 何それ? 瓶詰めプロジェクトを一緒にやってる間中、ずっとそんな誤解をしていたの?

 まぁ、身分制度の根付いたこの国では、レナルドのように様々な身分の人とつき合う人間のことを快く思わない貴族も多いけど。現に、前世を思い出す前の私は、平民との交流なんて天地がひっくり返ったって断っていたと思う。だけど、今はちがう。

「今の私はあなたと同じ気持ちよ。生まれついた身分に関係なく、気の合う人やゆうしゆうな人たちとつき合いたいと思ってる。だからこそ、私はりよう院の運営や瓶詰めの製造販売にもたずさわっているのよ。そんな人間が、あなたのことを軽蔑すると思う?」

「……それもそうだな」

 レナルドの顔に困ったような、それでいてうれしそうな、複雑な表情がかぶ。きっとこの感情は演技じゃない。少しは私の本音を認めてくれるようになったのかな?

 そう思うと、私も気持ちがちょっと楽になった気がして、自然と笑みがこぼれた。

「私、あなたと一緒に仕事ができてよかったわ。これからもよろしくね、レナルド」

「…………ヴィオレッタ、君は」

 レナルドが何か言いかけた、その時だった。私は驚いて足を止めた。

 今、悲鳴が聞こえたよね? それも女の子の。

 声のした方を向く。通りのなかほどに、つえをついた初老の男が立っていた。お忍びの貴族か、それともゆうふくな平民なのか、ふんぞり返った姿はすごくえらそうに見える。その前に、まだ十歳ほどの女の子が泣きながらしゃがんでいた。あの子、リーズじゃない! どうしたの?

「まだ幼いくせに、スリだってよ」

「うわー、危ないな。俺もさいに気をつけなきゃ」

 リーズを遠巻きにながめているうまの間で、ひそひそとささやく声が聞こえる。

「ヴィオラ、顔色が真っ青だぞ。どうした? まさかあの子、知り合いなのか?」

 レナルドに聞かれ、私はリーズの方を向いたままうなずいた。

「治療院に通ってるかんじやさんの子なのよ。いつも畑の手伝いをしてくれるいい子で……」

 それなのに、なぜスリに間違われているんだろう? このままほうっておけない。私が事情を聞きに行こうとした、まさにその時、男が半泣きのリーズに向かってヒステリックにさけんだ。

「いい加減にしろ! 今すぐった財布を返すんだ!」

「あ、あたし、何もぬすんでません! さっきは本当にぶつかっただけで」

「こいつ……! まだ言うか!」

 男がいかりで顔を真っ赤にしながら杖をり上げる。まずい!

「ヴィオラ!」

 レナルドが私を止めようとして手をばす。その手をすりけ、私は飛び出していた。目を見開き固まっているリーズの上におおかぶさり、その小さな身体からだきしめる。

 するどい痛みが背中に走ったのは、その直後のことだった。辺りで悲鳴が上がる。

「……ヴィ、ヴィオラ様?」

だいじよう? はない?」

 痛みをこらえて聞くと、うでの中のリーズがこくりと小さくうなずいた。よかった、無事で。しかし、これでめでたしめでたしとはならなかった。

「おい、そこのむすめ。その子どもを置いて、今すぐ下がれ」

 不快感もあらわな声に顔を上げると、男と目が合った。リーズを打てなかったことで、逆ギレしたのかもしれない。その顔は怒りに引きつっている。

 これは、かなりまずい気がする。でも、ここで引き下がるわけにはいかない。

 私はおびえているリーズをかばいながら、努めて冷静に男に話しかけた。

「この場はどうかお引き取り願えないでしょうか? この状況で冷静な話し合いができるとは思えません。後日、改めてけいも交えた上で両者の言い分をかくにんして」

「何を言ってる? 警吏がおまえらのような平民を相手にすると思うのか?」

 男がフンッと鼻でわらう。私はいつしゆんきょとんとして、すぐに状況を理解した。

 前世の感覚が抜けきっていないせいで、間違えた。この国では、警吏は弱い者の味方じゃない。警吏の組織もバッチリはいしていて、おうこう貴族にしっぽを振ってばかりいるんだ。

「警吏が出るまでもないな。おまえたちのようなゴミは、私が直々にはいじよしてやる!」

 えっ!? ちょっ! この人、どうしてこんなに血気さかんなの!?

 私に反論のすきあたえず、男が杖を振り上げる。これじゃ、とうがらスプレーも間に合わない!

 私はきたるしようげきかくして身体をかたくした。が、先ほどのような痛みはおそってこなかった。

 何? どうしたの? 反射的に閉じていた目をおそる恐る開ける。私は息をんだ。レナルドが男の杖を横からうばい取っていたのだ。

「何をする!? 私がだれか知った上で、このような暴挙に出ているのか!?」

「暴挙と言うなら、あなたの行いこそがそうでしょう。どれほど身分の高い人であろうと、としのいかない少女に暴行を働いていい道理はありません。みなさんもそう思いますよね?」

 レナルドが周囲に問いかけた、そのたん、野次馬の間から次々に賛同の声が上がった。

「あの子がスリだとしても、子ども相手に杖はないよな!」

「お貴族様だからって、無関係な女の子までなぐるんじゃないよ!」

 ちょっとレナルド、これはあおりすぎじゃない? 私は辺りを満たすヤジに少し不安になった。案の定、じよくされたと感じた男の顔がみるみるうちに怒りでどす黒く染まっていく。

「平民ぜいが何を言う!? しやくの私にたてく気か!?」

 男が口角あわを飛ばしながら、レナルドに殴りかかる。その時だった。私は目を疑った。

 なんと野次馬の間から男に向かって石が投げつけられたのだ。見ると、まだ十歳くらいの男の子が険しい表情で男をにらんでいた。しかも、投石はその一発で終わらなかった。

「兄ちゃんを助けるんだ!」

「貴族なんか、死んじゃえ!」

 最初の子に続いて、周りにいた子どもたちが次々と男に向かって石を投げ始めた。周囲の大人たちはいかめしい顔つきをしていても、誰も止めようとしない。

 気づけば、男の顔はそうはくになっていた。石が当たったわけでなくとも、絶対に逆らわないと思っていた平民から石を投げられたこと自体が相当ショックだったらしい。

 私は息苦しくなって、腕の中のリーズを抱きしめた。こわかった。これはまさにゲームの中で見た光景そのものに思えたから。ゲームがシナリオ通りに進んだ場合、こうやって石を投げられる相手は悪役王女の私かもしれないんだ。

 私のふるえにも怯えにも、レナルドは気づいていない。彼は石を投げ続ける子どもたちに向かって軽く手を上げ、やめるように合図すると、氷のように冷たい目で男に語りかけた。

「あなたの行いがどう評価されるものであったか、ここにいる皆の反応こそがその答えです。それでもまだ続けるつもりですか?」

「……財布に入っていたのは、たいした金でもない。くれてやるわ!」

 男は真っ青な顔でき捨てると、足の悪さが信じられないスピードで去って行った。その途端、さっきまでの張りめていた空気がうそのように、辺りがあんいきで満たされた。

「ヴィオラ様、お背中、大丈夫?」

 リーズが心配そうに聞いてくる。われに返った私はうなずこうとして、思わず顔をしかめた。さっきまできんちようしていたせいで気づかなかったけど、けんこうこつの辺りが地味に痛い。

 とりあえず現状を確認するため、背中に手を伸ばす。そこへレナルドが近づいてきた。

「あ、レナード。さっきはあり……」

 私はお礼の言葉を途中で吞み込んだ。なんかレナルド、すごくおこってない? どうして?

「ヴィオラ、君というやつは……!」

 レナルドが苦々しげにこぼす。その時だった。

「そこにいらっしゃるのは、お姉様ですか? それに、リーズも?」

 急に後ろから話しかけられ、私は心臓が止まりそうになった。この声はまさか……。

 恐る恐る振り返る。ああ、やっぱり! そこにいたのはアナリーとラルスの二人連れだった。

 ちょっと待ってよ! 今、私のとなりにはレナルドがいるわけで、このじようきようはもしかして……。

「お姉様もリーズも道の真ん中に座り込んで、どうなさったのですか?」

 近づいてきたアナリーが不思議そうに聞いてくる。それに答えたのはリーズだった。

「ヴィオラ様ね、あたしをかばって、貴族のおじいさんにぶたれたの」

「えっ!? お姉様、どこを殴られたんです!? 痛みはありませんか!?」

「……え、ええ。背中を少し杖でつつかれただけだから大丈夫よ、たぶん」

「早く手当てをしないと! 万が一、あとが残ったら大変です!」

「え、でも……」

 私はレナルドのことをどうしたらいいか迷って、彼に視線を向けた。アナリーはこの時になって初めて彼の存在に気づいたらしい。

「そちらの方は、お姉様のお知り合いですか?」

 心臓がドクンとね上がる。どうしよう? こういう時はどう答えるのが正解なの?

 フリーズする私に構うことなく、レナルドがさつそうとアナリーの前に進み出る。彼はそのたんせいな顔に王子様らしいよそ行きのみをかべて言った。

「はじめまして。私はヴィオラの友人で、レナードと申します」

「まぁ、お姉様の! 私は下町のりよう院で働いているくすのアナリーです。お姉様にはいつも仕事を助けていただいています」

「治療院ですか……ヴィオラは本当に治療院の手伝いをしていたのですね」

「ええ! 今やお姉様なくして、治療院の仕事は回りません」

 アナリーは治療院のことを聞かれてうれしかったらしい。私との出会いをとしてレナルドに話している。横で聞いている私は内心おだやかでいられなかった。

 ゲームの中では、街中で怪我したレナルドのことを、ぐうぜん通りかかったアナリーが治療院に連れて行って手当てをしたはずだ。でも、今実際に怪我をしてるのは私の方だし、せっかく出会った二人の態度はよそよそしいし、どうなってるの?

 内心で首をひねる。私はハッとした。私だけじゃない。ラルスもまた厳しい表情でアナリーとレナルドの二人を見ていることに気づいたんだ。

 なんでラルスが?……あ、彼はアナリーの護衛だものね。知らない人──それも王女である私の友人を名乗る男がアナリーに近づいたら、けいかいするか。

 私が観察していると、視線に気づいたアナリーがハッとした様子でこちらを向いた。

「つい話し込んでしまい、失礼しました。早く治療院にもどって、お姉様の手当てをしないと」

「どうか彼女のことをお願いします。ヴィオラ、私はこれからダミアンのところへ行く。話し合いの結果はあとでまとめて報告するから、君は怪我の治療に専念してくれ」

「へ? あの……!」

 私が止める間もない。レナルドは颯爽と身をひるがえすと、港のある方に向かって歩き始めた。

 まさかこれで出会いイベントはしゆうりよう? こんなにあっけなくていいの?

 疑問に思っても、答えてくれる人はこの場にいない。この時の私には、モヤモヤとした疑問をかかえたまま、アナリーたちといつしよに治療院へ行くせんたくしか残されていなかった。

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