第一章 元スパイは三姉妹に苦戦する。 5

「『男性Aが自宅で横になっていると、突然、窓ガラスが何者かによって割られました。けれど男性Aは怒らず、むしろ割った人物に感謝していました。さて、それはなぜ?』」

「……なるほど」

 水平思考パズルは、解答者が出題者に対して質問していき、推理して、外堀を埋めるようにして答えを導き出すものだ。出題者はそれに対し、イエスかノーだけで答えていく。

 秋樹はその質問を見た上でも、答えにたどりつけていない、ということなのだろう。

 この程度なら、質問を見ずともわかりそうなものだけれど。

「答えは『部屋にガスが充満していて、男性Aは死にかけていたから』、じゃないか?」

「……え?」

 呆気に取られたような顔をしたあと、秋樹は素早く答えを確認し始める。

 数秒後。静かに上げられた秋樹の表情は、驚愕のソレに変わっていた。

「せ、正解です……く、クロウさん、すごいです!」

「よかった。なんとか面子メンツは保てたみたいだな」

「頭がやわらかいんですね! わたしは、昔から頭が固いので羨ましいです……どうしたらそんな風に柔軟な発想ができるようになるんですか?」

「企業秘密だ」

「そんな、教えてくださいよ! すこしだけでいいですから——、あ」

 と。無邪気に教えを乞い、秋樹が俺のほうにさらに詰め寄った、その瞬間。

 むにゅ、と、ふたつのやわらかな感触が俺の腹部に当たった。

「ひぅ」息を吸うような声をもらし、秋樹が慌てて後ずさった。

 細かく身体を震わせながら、パクパク、となにか弁解しようと口を開閉している。

 その顔は、病的なまでに赤く染まっていた。

 ほんのわずかな接触でこうなってしまうとは。秋樹は極度の照れ屋らしい。

「あー……大丈夫だ、秋樹。落ち着け」

「あ、ああ、あの、わたし……す、すみませんでしたッ!!」

 俺がフォローするよりも早く、とんでもない速度で書斎を後にする秋樹。

 先ほどの熱弁から根っからの読書家だと思っていたが、運動もそれなりに得意なようだ。

 いや、そんな分析はどうでもよくて!

「またやってしまった……」

 まさかまさかの、三度目の失敗。

 考えたくないが、三姉妹と俺は相性が悪いのだろうか……?



 秋樹が走り去ったあと。これはもう、明日にでも解雇されてもおかしくないのでは……、とすこし焦燥感に駆られながら書斎を後にすると。

「——あ、クロウ!」

 廊下で、寝巻き姿の桜に声をかけられた。

 お風呂上りであることを示すように、その頬はほんのりピンク色になっている。

「やっと見つけた。こんなところにいたのね。なにしてたのよ?」

「えっと……そう、これから泊まる部屋を探そうとしていたら、偶然にも書斎を見つけてな。すこし見学していたところだったんだ」

 秋樹が俺に胸を押し当てたことで照れてしまい、逃げ去ったところだ、なんて言えるはずがない。

「そうなんだ。約束の部屋案内してあげようと思ったのに、無駄になっちゃった?」

「案内してくれるのか? 桜をあんなビショビショに濡らしてしまったのに?」

「だから、語弊がある言い方しないで! ——さっきも言ったけど、誰でも失敗はあるものだし、気にしてないわよ。私のほうこそ、お尻蹴っちゃってゴメンなさい」

「そんな、謝らないでくれ。元はと言えば、濡らした俺が悪いのだから」

「そう? それじゃあ、おあいこにしよ?」

 そう言って、にへら、と桜は頬を緩ませる。

 こんな憎めない顔をされたら、誰だって口にする答えは決まっている。

「ああ、もちろんそれでいいさ。ありがとうな」

「えへへ、こちらこそ。ささ、お部屋に案内しますわよー」

 おどけながら、踵を返して部屋案内を開始する桜。俺も遅れて、その後を追う。

 その中途でのことだった。

「そういえばさ、クロウ」

「どうした?」

「さっき、秋樹が胸を押さえながら涙目で書斎のほうから走ってきて、そのまま二階にあがっていったんだけど……原因、なにか知ってる?」

「ッ……、い、いや……俺は、なにも……?」

「ふーん……そう、知らないんだ。へえ……」

 暗殺者もかくやといった冷徹な眼差しで、俺を睥睨してくる桜。

 あまりの重圧に堪え切れずに俺が自白を始めたのは、それから数分後のことだった。



 秋樹に関する誤解をしっかりと解いたあと。桜に案内された部屋は、一階の奥まった場所にある八畳ほどの和室だった。

 まったく出入りしていなかったのだろう。襖を開けて明かりを点けた瞬間、大量の埃が視界中に舞った。

「ンン……これは、なんというか、なかなか年季の入った部屋だな」

「まさかここまでひどいだなんて……ゴメン、クロウ。この部屋の掃除はまた明日するとして、とりあえず今日はリビングで寝てもらえる? お布団とかは、リビングの向かいの部屋に置いてあるから」

「了解した。すまない、なにからなにまで」

「いいって、このくらい——それじゃあ、私はもう寝るわね。明日から学校だし」

「学校……ああ、そうか」

 桜と秋樹は高校生だったな。それも同じ高校。

 依頼書によると、たしかかな高等学校とかいう名前だったか。

 学校がどんな機関かは知識として知っているが、自分が学生生活を一度も過ごしたことがない人間なので、いまいち学校という存在にピンと来ない。

「それなら、早く寝ないといけないな」

「そうなのよねー……あー、ダルい。もういっそズル休みしちゃおうかしら。お昼ご飯もパンばっかで飽きたしさー」

「桜の学校は給食制なのか?」

「ううん。そうじゃなくって、私がコンビニか購買でいつもパンばっか買ってるって話。ほんとはお弁当作っていきたいんだけど、朝はそんな余裕もないしねー」

 どうしたもんかねー、とつぶやいて遠い目をする桜。

 そうか、弁当が必要なのか。弁当……弁当ね。

 これは、今日の三連続失敗を払拭するチャンスなのでは?

「どうしたの? クロウ。なんかあくどい顔してるけど……」

「桜。明日を楽しみにしておけ」

「? な、なんか怖いけど、わかった。楽しみにしておく」

「ああ、楽しみにしておくがいい」

 いぶかしげに「?」と首をかしげる桜を横目に、俺は含み笑いをこぼす。

 さて。そうと決まれば、まずは冷蔵庫の中身を確認だ!

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