2、二代目、襲名 1
襲名式終了後、四天会の身内のみで料亭に移動して二代目襲名を祝う宴が開かれた。
「……しかし、まさか四天会のボスが学生になるとはたまげさせられましたな」
レイジはお猪口で酒をチビチビやりながら、隣のマリンに話しかける。
「ええ、そうですわね……」
先程からこの話題がのぼるのは何度目になるだろうか。
さっきから何回も何回も同じことを話している……が、肝心なことが言えなくて、いや、触れられなくて、ふたりとも遠回しに話すことしかできず、酒ばかり進んだ……が。
「……いや、何でですの!?」
酔いが回ってついに我慢できなくなったのか、マリンが杯を机に叩きつけて叫んだ。
「あの方は魔王様なのでしょう!? 人類相手に大陸を二分して戦ったあの伝説の!?」
「まあまあ、落ち着いて。どうぞお水を」
「……スミマセン」
レイジに水を進められ、マリンはそれを一気飲みする。
「……まあ、別にいいんですのよ? 私はオルドさんみたいに戦争がしたいわけではありませんし? ただちょっとイメージが……」
「分かります。私もですから」
魔族なら誰でも子供の頃から寝物語りに数々の魔王伝説を聞いて育つ。
大きくなるにつれそれが脚色のついた話を気づいていったとしても、それでもやはり魔王とは過去に実在した魔族たちの王であり、畏敬の対象なのだ。
なのだが……実際に現れた『二代目』ときたら。
「何と言うか……普通? でしたね」
「見た目はまぁ、魔法で変えるとか、あと変身を何回残してるとかもありますから」
レイジはマリンの愚痴っぽい話を聞きつつ、彼女も意外と魔王に幻想を抱いていたのかもしれないと思っていた。
「まあ、まだ頭首もお若いですし、サラリサ様がこれからキチンと教育を……?」
「そうですわね、サラリサ様でしたら……?」
そこでふたりはふと気がついた。
いつもなら一番騒がしい奴がさっきからやけに静かだと。
「オルドの奴、どこ行った?」
「オルドさん、どこ行きました?」
ふたりがオルドの不在に気がついた頃、彼はとある人物を追いかけて廊下に出ていた。
「サラリサの姉御!」
「おや? オルドさん、どうかしたのかしら?」
オルドが呼び止めると、サラリサはたおやかな仕草でこちらを振り返った。
彼らがいるのは料亭の端っこで、ちょうど廊下の角となった密談に持って来いの場所だ。
「姉御、折り入ってお話が……」
「オーマ様のことですか?」
「……!」
用件を当てられオルドはドキリとさせられた。
機先を制された気分になり、彼はひとつ咳払いをしてから話し始めた。
「めでたい日にこんなこたぁ言いたかありませんが……姉御は二代目のことどう思ってるんですかい?」
「どう、とは?」
惚けるようにサラリサは小首を傾げる。
「そりゃもちろん襲名式の最後のことですよ。本当にガッコーになんか通わせるんで?」
「オルドさんはそれに問題があるとお思いですか?」
「当然でしょう。んなカタギのガキみたいな……俺らの稼業に学なんて必要ありやせん」
「その脳筋はいい加減直した方がよいですね」
サラリサは窘めるようにオルドの言を制した。
「それに学校に通いたいというのはオーマ様のご希望です」
「しかし……!」
「いいから聞きなさい」
サラリサはまっすぐオルドを見つめる。
「今の時代、この稼業も様々な深謀遠慮や搦手、時には表の人脈とのコネも必要になります。そこを考えれば、学校へ行きたいと仰ったオーマ様の意図も読めるでしょう?」
「どういうことです?」
意味が分からずオルドは尋ね返す。
「オルドさんも少しは自分で考えなさい。いいですか? 有力者とのコネというのは、若い頃から構築する方がスムーズなのです」
金と権力を持った大人と近づくのはそれ相応の見返りが必要になり、会うための手順なども踏まねばならず、手間がかかる。
一方、将来性が有望な若者と学生の内に友誼を結ぶのはそれよりはるかに容易い。
「オーマ様にはこの国で一番の名門に入っていただきます。そこで存分に品定めをして、いずれは将来に役立つ人間を懐柔、あるいは弱味を握り支配下に置くおつもりでしょう」
「……そう二代目が仰ったんで?」
「ですから言葉の裏を読みなさい。よき部下とは主の意図を汲み取るものですよ」
サラリサは少し嘆息しながらオルドを叱る。
まるで子供を諭す口調に、彼は昔に戻ってしまったような錯覚に陥って気恥ずかしくなるが、頭をブルブルと振って何とか持ち直す。
「いえいえ! そんな悠長なこと言ってられませんぜ。姉御もご存じでしょう? 近頃、竜王会の三下どもがウチの縄張りで好き勝手やってることを」
オルドはグッと身を乗り出してサラリサに訴える。
「ヤツらが調子に乗る前に一発ガツンとかましてやらないといけません。それには二代目にバシッと旗頭に立っていただいて、西の連中と戦争をしていただかないと!」
「オルドさん……ですから今後はそういう脳筋思考は控えて」
「姉御!」
叱るというよりむしろ呆れ気味のサラリサに、オルドはなおも詰め寄る。
感情が入りすぎたためか、赤髪は赤熱して炎となり、新調したスーツからの節々からまた黒煙がブスブスと立ちのぼり始める。
カッと目を見開いて凄むオルドの顔は、炎の恐ろしさと相まってまるで鬼の形相だった。
「オルドさん、熱いですよ」
普通の女性なら「襲われる」と思って悲鳴を上げる場面だが、流石四天会の女傑は炎を熱を軽く手で払う仕草をしただけだった。
それだけなら別によかっただろう。
「頼みますよ姉御! 姉御が号令出してくれりゃ他の連中だって覚悟決めて……!」
しかし、どうしても戦争がしたかったオルドは引き時を誤り、さらにサラリサに迫る。
「何してやがる……?」
そこへ、低く、重たい……重たい声がかかった。
「……ッ!?」
オルドは背筋を覆い尽くすような声の圧で息を止めた。
一瞬分からなかったが、今の声は間違いなくあの襲名式で聞いた新頭首の物……が、そこへ込められた殺気は、武闘派筆頭として数多の修羅場を潜り抜けた彼も味わったことのない重圧だった。
「そこで、母さんに何してんだ?」
「ッ!」
再びかけられた言葉にオルドは思わず振り返る。
それは自己防衛本能だったのだろうか……ともかく彼は、恐怖から身を守るために背後の『ソレ』と対峙し。
――そこから先の記憶がオルドにはない。
料亭中に轟いたそのドンッ!!という爆弾が爆発したような轟音は、当然のことながらレイジの耳にも届いた。
「な、何だ!?」
レイジを含む四天会の面々は慌てて宴会場を飛び出し、万が一に備えた戦闘態勢で音の響いた方角へ走っていた。
そこで見た光景に、先頭を走っていたレイジは目を丸くする。
「こりゃあ一体……」
彼の視線の先では、建物の一角が丸々爆ぜて粉々になったような有り様だった。
廊下や天井、壁に到るまで粉砕され、外の風が建物の中に入り込んでしまっている。
それはまるで……そう、体長五メートルはある巨人が突如現れて暴れた跡のような……とにかく凄まじい破壊の痕跡だけが残されていた。
「レイジさん」
「! サラリサ様、ご無事で」
不意に横の部屋から声をかけられ、レイジは声の主を知って安堵の息を吐く。
「サラリサ様、ここで一体何が?」
「さあ? 私もさっき来たところでね。それより」
サラリサはそう言いながら何かをレイジに向かって投げ出す。
それは気を失ったオルドの巨体だった。スーツの所々が破れているがケガはなく、どうやら気絶しているらしい。
「オルド!? 姿が見えないと思ったら……」
「そこの廊下で気絶していたのを見つけてね。悪いけれど、その辺の部屋で看病してもらえます?」
「は、はい。それはもちろん」
「頼みましたよ」
用件だけ告げて、サラリサはそのままレイジたちが来た廊下を逆に戻っていってしまった。
「……」
何か知っていそうだが、かといって呼び止めるわけにもいかず、仕方なくレイジは預かったオルドの体を揺すった。
「おいオルド……起きろ、おい」
「……う……うぅ……んん」
その時、ほんの少しオルドの瞼が開く。
「起きたか。ここで何が会った?」
「ナ、ニ……が……あ、俺は……さっき……」
覚束なくも何か思い出そうとしたオルドだったが、そこで急にカッと目を見開き。
「ひぎゃああああ!」
「お、おい!?」
「あっあばっあばばばばおだすげええええええ」
いきなり赤ん坊のように大泣きし始めたオルドは「おがあぢゃあああん」と叫んだあと、今度は白目を剥いて全身をビクンビクンと痙攣させ。
「おっおおおおぴっ!? あばばばばばひぎいいいいやめっあああああああああ!?」
と、意味不明な絶叫を上げ、その内またガクーッと力を失って再び気絶した。
まるで恐怖のあまり幼児退行を起こしたような有り様に、レイジたち一同は心配するよりもむしろ呆気に取られてしまう。
「こいつがこんな風になるなんて……一体何があったんだ」
オルドの勇猛さを知っているレイジは思わず生唾を飲み、ともあれ失神してしまった彼を介抱するため、部下とともに肩を貸して空き部屋へと運んだのだった。