第二話 今日から俺は王女のヒモ? 3
髪を切り、服装を整えた。そして。
「……美味しかった。ありがとう」
「あそこまで美味しそーに食べられたら、テーブルマナーがどうとか言いっこ無しですねーっ! 姫様と食べる時は気を付けろー?」
「あ、ああ」
「まったく、仕方ないやつめー」
部屋のサイドテーブルに所せましと置かれた食器。空になった鉄製の弁当箱をかちゃかちゃと片づけながら、コローナはけらけらと上機嫌に笑った。
昨日は、昨日の食事も最高だと思ったのだ。依頼の前金を全額払って、一月ぶりのまともな食事にありついたのだから、美味くないはずがなかった。
だが、今日の食事はまた格別だった。
「昨日と今日で、人生で一番おいしい食事の一、二位更新って感じだ……」
どんな人生だ、と自嘲するフウタだが、事実ではあった。
食べられることの幸せを、これほど実感したことはなかった。
「へー。ちなみにどっちが一位なんですかっ?」
気付けば、コローナの小さな顔がフウタを横から覗き込んでいた。
ぷらんぷらん、と彼女の二房の金糸が揺れる。
「今日のお弁当と昨日のご飯はどっちが一位なの? 場合によっては脛を蹴るぞっ?」
「なんで!? いや、難しいところだ」
「ほぉ?」
片眉を上げるコローナ。妙な強者感というか、貫禄を感じる表情。
「昨日の食事は……一月ぶりに食べたまともな飯だったんだ。王女様の依頼が無かったら食えなかったし、そのまま死んでたかもしれない」
「なるほど。で、今日のは?」
「今日のは、そうだな。うん。どう考えても味は今日の方が美味しかった。それに、その。別に一緒に食べたわけじゃないけど、コローナが居てくれたから、なんというか……」
「なんというか?」
「や、人と一緒のご飯って美味しいなと」
誰かと一緒に食べるご飯というものも、数年ぶりだった気がする。
コローナが目の前で食べていたわけではないにせよ。誰かと話しながら食事をするということそのものが、フウタにとっては幸せだった。
「――っ。そですか。ま、脛蹴るのは辞めてあげますねっ」
「ありがとう……?」
「ふむー。そうするとあれですね」
コローナは目の前で腕を組んだ。そして、やたら悪い顔で嗤った。
「また一月絶食させて、今日のお弁当をメイドと一緒に食べれば記録は更新出来ると」
「勘弁してください」
「冗談ですよっ! 今のところっ!」
「とこしえに冗談であって欲しいんだけど!」
好きで絶食していたわけではないのだ。
「ちなみに、好みの食べ物とかあれば言っておけー? 頭の隅っこに置いてあげないでもないですよっ」
「え? ……その言い方だと、コローナが作ってるのか?」
「そですけど。当たり前じゃないですかー。わざわざ姫様がコローナちゃんを呼びつけた意味忘れたかー?」
「見た目を整えるまでは伏せるため、か。そっか、じゃあ話を聞いてからわざわざ作ってきてくれたのか。……その、壁をよじのぼって」
「もっと手放しで褒めれー? 頑張ったのに、なんだその、ちょっとヒイた顔はー」
「風呂敷背負って壁を上ってきたメイドさんは、ちょっとインパクトが強すぎてな……」
でも、とフウタは首を振った。
「わざわざコローナが作ってくれたのか。ごめん、訂正する」
「何をですかーっ?」
「一位は今日の弁当だわ」
まごうことなき本心だった。目が合ったコローナは少し驚いたように目を丸くして、ついでちょっと頬を赤くして、それから勝ち誇ったように口角を上げた。
「ふっ」
そして一度、空っぽの弁当箱に目をやってから、嬉しそうに言った。
「作り甲斐のある奴めー。次からはちゃんと配膳台で持ってきてやることにしますよっ」
「ああ。ありがとう」
心からの笑顔に、コローナはふと気付いたように問いかけた。
「ちなみにフウタ様の好きな食べ物はっ?」
「食べられるものなら、なんでも好きだ」
「……作り甲斐のない奴めー」
「えっ」
ショックを受けたフウタだった。
「それにしても」
食事から少しして。てきぱきとシャワールームの掃除を終えたコローナに、フウタはぽつりと呟くように声をかけた。
「俺は、何をしてればいいんだろう」
「ベッドに飛び込み姫様の匂いに浸るとかっ」
「変態じゃないか!」
「タンスをまさぐって姫様の下着を漁るとかっ」
「だから変態じゃないか!」
「まあ、この部屋って普段使いの部屋ではないので、ベッドに飛び込んでも姫様の匂いはしないしタンスに姫様の下着もありませんがっ」
「じゃあなんで提案したんだよ……」
「本気で飛び込んだり漁ったら言おうかなって」
「しねーよ!!」
はあ、と小さくため息を吐くフウタ。
「このまま待ってるのは全然かまわないんだけど、コローナが仕事してるのに俺だけぼーっとしてるのも心苦しくてさ」
「金縛りごっことかしてればいいんじゃないですか?」
「暇すぎる人間の極致みたいな遊びだな……楽しいの?」
「メイドは幼い頃に一度だけやったことがあって」
「あって?」
「今、あまりにも暇そうなフウタ様を見て思い出しました」
「もういっそストレートにつまんなかったって言ってくれていいよ……」
フウタは泣きそうな顔で肩を落とした。
「仕方ないですねー。趣味とか無いんですかっ?」
モップを掛けながら、コローナは首を傾げた。
趣味。趣味と言われて、フウタは自分の半生を思い返す。
時間があれば鍛錬ばかりをしていた。強くなれば報われるかもしれない。強くなれば。今よりももっと強くなれば、コロッセオで歓声を浴びることだってあるかもしれない。
淡い期待を胸に、繰り返してきた。その鍛錬くらいしか、思いつくものが無い。
我ながらつまらない人間だと自嘲した。
「暇さえあれば鍛錬をしていたよ」
「ふーん。じゃあすれば良いんじゃないですか? 今、すんごい暇ですよ、フウタ様」
「すんごいとまで言われるとへこむな……。や、でも趣味ってもっと、料理だったり裁縫だったり釣りだったり、色々あるじゃん?」
「ありますねっ! 『さて、どう料理してやろうかぁ』とか、『その口を縫い付けてやるぜ!』とか、『ひゃっはー吊るし上げだー!』とか」
「コローナの周りの趣味人、凄い物騒だな……」
それぞれ、きちんと声をドスの利いたものに変えている辺り、芸が細かい少女だった。
「まあ、その中で鍛錬ってこう、無趣味な感じが凄いなと思ったんだけど……」
「思ったんだけど、なんです?」
頭にはてなを浮かべたコローナに、フウタは笑った。
「そうだよな。うん、鍛錬をしよう。させてくれ」
この少女は、随分と先入観の無い子だった。常識が無いとも言えてしまうが……そんな彼女の考え方にさっき救われたばかりだ。良いじゃないか、趣味が鍛錬であったって。
フウタにとって一番身近な時間の使い方が鍛錬なのだから、鍛錬をすればいい。
身体も長旅の飢えで衰えているのだ。しっかり戻したい。
なによりライラックはフウタに期待してくれている。恩人を失望させるようなことだけは、あってはならない。そう思い、身体を動かすべく部屋の中央に立った時。
ちょうど、扉が開いた。
「ライラック王女殿下の客人が居るというから来てみたが……」
扉の先には、十数人。目を瞬かせるフウタを置いて、先頭に立っていた青年が歩み寄る。
その後ろを、ぞろぞろと男たちが続く。先頭の彼ほど豪奢な服装ではないが、少なくとも上等な布を使った衣服を纏っていることは見れば分かった。
部下、或いは仲間。そう見るのが妥当なところだろう。
口を開いた青年は長身痩躯の緑髪碧眼。
フウタを上から下まで眺めてから、胡乱なものを見るような目で問いかけた。
「貴様、〈職業〉は?」
手に持ったステッキの石突をフウタに差し向けるさまは、警戒或いは探りの気配が感じられるものだった。警戒される理由に、心当たりは無い。
ならばフウタが何者かを特定したい、ということなのだろうか。
「〈無職〉ですが」
瞬間、どっ、と部屋が沸いた。出所は勿論、青年が引き連れてきた者たち。
おかしそうに腹を抱える者、フウタを指さす者、嘲りの言葉を並べ立てる者。共通しているのは、一様に〈無職〉を笑っていることだった。
「リヒター様。まさか殿下が無職を飼うとは思いませんでしたね」
「やはり杞憂です! 宮廷で誰にも相手にされないから平民を拾ってきただけですよ!」
「いやはや殿下も〈無職〉をわざわざ選ぶとは。奇特な方とは思っておりましたがね!」
す、とフウタの目が細まった。――不思議な感覚だった。
〈無職〉であることを虚仮にされたはずなのに、自分でも驚くほど傷ついていなかった。
嘲笑われることには慣れてもいた。コロッセオでは、何度小馬鹿にされたか分からない。だが、コロッセオの闘剣士が客に手を上げることなどあってはならない。
だから耐えることには慣れていた。けれど自分を虚仮にされたことよりも、初めて自分を認めてくれた恩人を笑われたことに、憤る自分が居た。
拳を握り、目の前の男たちの顔面に叩き込んでやろうと――その時だった。
フウタが凍り付いた。男たちも笑顔のまま固まった。
「うぉっしゅうぉっしゅ」
ごしごしと、何かを擦る音がする。出所はフウタの正面。
フウタも怒りを忘れ、貴族たちも言葉を失い瞠目した。おそらくはリーダーであろう、フウタと向き合っていた青年の顔面に――泡立ったモップが擦りつけられていた。
「リヒター様!?」
「おのれ小娘、何を!!」
一瞬の間を置いて、怒号が響く。流石のフウタも言葉を零した。
「こ、コローナ!?」
こんなことをやらかす下手人は一人しか居ない。今もってなおモップの柄を上下させる少女を呼び止めると、彼女は普段通りの笑顔を崩さずにサムズアップした。
「姫様の客に汚い口を利いたので洗浄。あと挨拶。おっすおっすみたいな。激ウマギャグ。うぉっしゅうぉっしゅ、貴族の人」
「いやいやいやいや!!」
慌ててフウタがツッコむも、遅い。
リヒター様、と呼ばれた青年はモップの柄をむんずと掴むと、強引に横へ投げ捨てた。
手元からモップが消えた無手のコローナに、泡立った顔面のリヒターが迫る。
フウタは背後で、彼女に危害が及ぼうものならすぐさま庇えるように構えてはいたが、リヒターは怒りを押し殺すように言葉を吐いた。
「……僕だけは、別にこいつを笑ってなかったのに」
「そうでしたっけっ?」
「そうだよ!!!!」
怒り心頭で顔を拭うリヒター。
「リヒター様に向かって、ただのメイドが何たる無礼を!」
「貴様、この国の法は分かっているだろうな。目上の人間に対し――」
震えるリヒターの後ろで、男たちが騒ぐ。
が、彼らを遮ったのもまたリヒターだった。
「やめろ!!」
「リヒター様!?」
「……そのメイドは録術を使える。貴様らの発言は全て記録されているんだぞ」
「なっ、メイドが!? 〈侍従〉如きが魔導術を!?」
注目を浴びたコローナは、指先に光を灯らせた。そして、ゆっくりと空中をなぞる。
『リヒター様。まさか殿下が無職を飼うとは思いませんでしたね』
『やはり杞憂です! 宮廷で誰にも相手にされないから平民を拾ってきただけですよ!』
『いやはや殿下も〈無職〉をわざわざ選ぶとは。奇特な方とは思っておりましたがね!』
彼女の指先を起点に再生されるのは、先ほどの男たちの声。
「メイドさんは聞いている! これが動かぬ証拠だー! なんちて」
ふ、と指の光を吹き消して、コローナは首を傾げる。
「てゆか。知っててメイドの前に馬鹿引き連れてくるとか、アホでは?」
「……貴様は王女殿下が一番信頼しているメイドだ。そんな奴を平民の客に付けるとは思わなかった。……それに、この時間は王女の執務室に居るはずだろう」
「ですねーっ! 正解した貴方にはストーカー検定二級をプレゼントっ!」
「要らん」
コローナはくるりとフウタを振り返り、悪戯っぽく呟いた。
「誰にも見つからないように、壁をよじのぼった甲斐がありましたねっ」
彼女のピースサインに、フウタも毒気が抜かれて溜め息を吐く。
「あの。それで俺に何の用ですか」
「用というほどの用はない。ただ、王女殿下が平民の男を連れてきたという話を聞き、見に来たというだけの話だ」
「この人数で?」
「ただの平民なら脅せる。卑しければ飼いならせる。……どちらも不発ではあったが」
人数で威圧すれば動きを牽制出来る。媚びへつらうようなら自分たちの駒として使える。
そう言い捨てて、リヒターは背を向けた。
男たちも慌てて帰りの道を譲るように脇へと捌ける。
フウタは顔をしかめた。別に、自分が利用されそうになったから、というわけではない。
ただ、まるでこれは。
「貴方は、王女様の敵なんですか?」
「……そんな訳が無かろう。殿下は我々貴族の敬愛する王族。陛下の次に大切な方だ」
それだけ言うと、顔を拭いながらリヒターたちは部屋を出ていった。