第二話 今日から俺は王女のヒモ? 4
「ふむー」
扉が閉まってからの沈黙を破ったのは、コローナの悩んだような呟きだった。
悩みにしては間が抜けていて、脱力感に襲われるフウタ。
「どうしたんだ?」
「姫様に限って、うっかりバレたってことはないのでー。多分もう出歩いて平気ですね」
「っていうと?」
「あいつらがフウタ様の存在を知ってるってことは、姫様が匂わせたってことですよっ」
「……つまり」
彼らがフウタの存在に気付いていたのではなく、ライラックがフウタの存在を匂わせた。
つまり、ライラックとしてはもうフウタが居ることを隠す必要がなくなった。
「あくまで王女様が主導でこうやった、と?」
「多分ねっ。あの貴族、誘導くらいはされてると思いますよっ」
「凄い信頼だな」
「まー、姫様ですしねー。……でも」
コローナはちらりとフウタの顔を見やった。
「そうなると結構全力根回ししてますね、姫様。どれだけ気に入られたんですかお前ー」
「そう、なのか?」
「あいつら動かしてるってことは、フウタ様を王城に認知させようとしてるってことですからねっ。姫様の愛情、受け取っていけー……いや、受け取らん方がいいかもだけど」
「よく分からないけど。でも気に入られたのだとしたら、ただただ嬉しいだけだよ」
「へー」
まるっきり興味がなさそうなコローナだった。
「てゆかフウタ様。〈無職〉めたくそに馬鹿にされましたけど、案外平気そうですねっ」
「そういえば、そうだな」
言われるまで気づかなかった。
どちらかと言えば、自分よりもライラックを笑われたことに怒りを覚えていたような。
「……まあ」
「ん? メイドの顔になんか付いてます? 目とか?」
「逆に付いてなかったら怖いよ。じゃなくてさ。王女様とコローナが認めてくれたから、なんかもう、それで十分幸せなんだろうなって」
「ははー。欲のないやつめー」
感心したようにコローナは頷く。
「そうか? 結構これでも欲張ってると思うよ。さっきもコローナがモップしてなかったら、全員殴ってたと思うしさ」
「そですか。じゃあメイド、お前の命の恩人ですねっ」
「えっ。なんで?」
「なんでって……流石にあの人数相手じゃぼこぼこのぼこにされますよー!」
「……あ、ああ。そうだな」
うっかりしていた。ぼこぼこのぼこにされるかどうかはさておき。
迂闊に手を上げた先で、王女の立場が悪くなることも避けなければならない。
そういう意味では確かに、コローナは今回もフウタの恩人に違いない。
とはいえだ。別にぼこぼこのぼこにされるつもりは無いとはいえ、この話題を続けると自分が剣を使えることがバレそうだと思ったフウタは、話題を変える。
「そういえばコローナは魔導術が使えるんだな」
「ほ? あー、メイドとしてのお仕事に使えそうなものは一通りって感じですよっ!」
たとえば、と言うや否や、彼女は部屋に用意されているベッドに飛び込んだ。
「んー、姫様の匂いー!」
「さっき、王女様の匂いなんてしないって言ってなかったか」
「憶えてやがったかこの野郎」
真顔に戻ってベッドから飛び降りた彼女は、ベッドに向けた指に光を灯し、振るった。
「おお……ぐちゃぐちゃになった布団が一瞬で元通り」
「これも、さっきの声を記録するのと変わらないんですけどねー」
「……ベッドの形を記録しておいて、再生してるってことか?」
「お、フウタ様賢い! 記念に姫様の可愛い寝顔をプレゼントっ」
「反応に困る……」
コローナが指を振ると、空中にライラックが現れた。といってもサイズは手のひらほどで、ベッドの中ですやすや眠っている――まさしく記録だ。
可愛かった。
「こ、これって貰ったりできるのか?」
「出来るわけないじゃないですか。メイドの魔導術ですよっ」
コローナが再度指を振ると、掻き消えた。
「そうか……」
「鼻息が荒くて最高に気持ち悪いですねっ。姫様ストーカー検定4級に認定しますっ」
「不名誉な! 鼻息も荒くねーよ!」
小馬鹿にしたような顔で笑うコローナ。
「ま、でもこれ撮った瞬間に姫様起きて、『何をしているのですか』とか言われてめためたに怒られましたけどねー。ちょっちちびった」
「言わなくていいから、そういうこと」
コローナが使える魔導術については理解が出来た。
しかしそもそも、魔導術とは限られた〈職業〉にのみ許される技のはず。
「コローナって〈侍従〉じゃないのか?」
メイドや秘書、或いは護衛など、誰かの為に働く〈職業〉の代表といえば〈侍従〉だが、〈侍従〉に魔導術は使えない。
そう思って問いかけたフウタに、コローナはけらけらと笑った。
「メイドが〈侍従〉に見えますかっ。メイドが、〈侍従〉に、見えますかっ。仕える主の客で遊ぶような〈侍従〉がどこに居るって言うんですかっ! あはははは!」
「それ自分で言うんだ」
「〈侍従〉ってのは、誰かに仕えることで自分の力を最大限に活かせる系の人ですよっ。人をモップで磨く〈侍従〉なんて居ないんじゃないですかねっ」
「さっきから自虐なのか自嘲なのか分かんないな……」
「メイド、全然自虐とか自嘲とかしてませんけどっ」
「じゃあ少しは悪びれろよ!」
お腹を抱えて笑い転げるコローナに、流石に頭を抱えて叫ぶ。
『僕だけは、別にこいつを笑ってなかったのに』
あの台詞を聴いた時だけは、彼に同情したことを思い出したフウタだった。
「……じゃあ、コローナの〈職業〉ってなんなんだ?」
その問いに、んー、と少し悩むように結んだ金髪を弄った彼女は、悪戯っぽく言った。
「メイドの好感度がもう少し上がったら教えてあげますねっ」
「なんだそりゃ」
「ヒントだけあげますよ。人で遊ぶことでしか人生楽しめない可哀想な〈職業〉ですっ」
「それはコローナの素だろ……」
「ぺろりんっ」
あざとく舌を出したコローナに嘆息して、フウタは頭を掻く。
「でもなんか、あの人はきみのことを凄く警戒してたな」
「あの人って……ああ、モッピー?」
「モップしたのはコローナだし、最高に不名誉だからやめてあげような、その渾名。ええっと名前なんだっけ。リヒターさんか。彼は何なんだ?」
「モッピーはねえ」
「モッピー言うなっつの」
「……まあ、いわゆる貴族派の筆頭ですよっ。結構偉いっ」
「貴族派ってことは、他にも色んな派閥があったりするのか」
「王宮に限らずどの世界もそうだと思いますけどねー。モップされた人は姫様ともバチバチにやり合ってますよっ」
「そんな人にモップしたのかよ」
「ぺろりんっ」
コローナの無礼講が許されるのは、ひとえに魔導術のおかげだろう。
フウタも、彼女が魔導術を使えるなどとは知らなかったし、あのタイミングで気配を消して、彼らの暴言をすかさず記録する辺りは抜け目ない。
『貴方に付けるのは、わたしが一番信頼しているメイドです。彼女を通じて、他の王城関係者からちょっかいを掛けられるようなことは無いはずですからご安心ください』
ライラックが信頼している理由が、少し分かった気がするフウタだった。
「姫様も敵が多いので、結構大変だと思いますよっ。特に今、国王陛下が不在だし」
「どこかに出かけているのか?」
「なんかどっかの国の偉い人とお喋りみたいですよーっ」
「会談ってことか……」
「その説もある」
「それしかなくない?」
王国の細かな事情は、フウタには分からない。派閥、利権、多くの思惑が絡む戦場には、フウタの出る幕はないだろう。ここはコロッセオではないのだから。
「俺に出来ることはないのかな」
「無いと思いますよーっ。少なくとも今のところはー、余計なことすればするほど悪影響じゃないですかねっ。ほら、男飼ってるとか、絶対そういう噂立ちますし」
「……」
「かと言って、城を出てくとなると姫様の本意じゃありませんしねっ」
「そうか。歯痒いな、少し」
「お前は真面目ですねーっ! 何もしなくていいバンザーイ! でダメなの?」
そう問われて、フウタは少し考えた。コロッセオでは、頑張れば頑張るほど酷い目にあった。今回も、頑張ったところで空回りになるかもしれない。
自分の恩人に迷惑はかけたくない。
「でも、恩は返したいんだよな……」
「じゃあ、そんな迷える子羊にラムチョップ!」
「アドバイスな。それ子羊死んじゃうから」
「姫様に恩返しをしたいなら、期待に応えることですよっ」
「期待?」
おほん、とコローナは咳払い。
「すんごいぶっちゃけると、姫様は助けなんて要らないんですよねっ」
「そうなのか?」
「そりゃ一人で城作るとか無理ですけどっ。でも例えば姫様が城作ろうって思った時には、もう城の材料集め終わってて、部下に『やって』って言うだけで済む感じなんですよっ」
「なるほど。計画力が凄いんだな」
「そそそ。目的が出来た時には計画が終わってる、みたいな。そういうおっかない人なんですよっ。だから、姫様に恩返しがしたいなら――」
「王女様に頼まれたことを全力でやる、と」
「そゆことです、よくわかりましたねっ」
「目的が出来た時には計画が終わってる。そんな王女様が、俺に何かを頼んでくれたってことは、王女様一人じゃ手が届かないからってことか」
「そーゆー時しか、お手伝いさせてくれないんですよねー、あの人っ」
腰に手を当てて、やれやれとコローナは首を振る。
「でもそれだけに、姫様のお願いってやる気出るんですよねっ」
なるほど、とフウタも理解した。思い出すのは、ライラックの言葉の数々。
こちらで全てやっておく、という彼女の言葉はつまり、本当に〈〉全部〈〉のロードマップが彼女の中で構築されているということで。
そんな彼女に、手合わせだけは強く求められているのだ。貴方が良い、とまで言って。
コローナと話をした後だと、余計にライラックの言葉が響いてくる。
「だからお前も話すだけなんて、とか思わずに全力で姫様の話し相手全うしていけー?」
「あ、……そうだな」
そういえば、話し相手ということになっていた。
「これだけ話して、その軽い反応は何事か。謎を解明するためメイドは厨房へ飛んだっ」
「いや、軽くは――ってどこ行くんだ?」
だ、と部屋を出ていこうとするコローナを呼び止める。
すると彼女は呆れるように振り向いた。
「厨房って言ったじゃないですかっ! お前の美味しいご飯記録、すぐに更新してやるから震えて待っておけー?」
「あ、ああ。ありがとう」
「てひひ」
最後にはにかんで、コローナは部屋を出ていく。