第二話 今日から俺は王女のヒモ? 2
颯爽とした背中を見送って、フウタはしばらくの間立ち尽くしていた。
一人になってようやく湧く実感とでも言おうか。むしろ、夢見心地と言うべきか。
去年の自分どころか、昨日の自分に言っても信じては貰えないだろうこの状況。
現実逃避というわけではないが、ぐるりと周囲を見渡して、ふと思った。
「……メイドさんが来るらしいとはいえ。俺をここに放置して良いんだろうか」
暖炉が通路になることは分かっていて、扉に見張りも居ない。調度品はどれも高価な印象。それも、コロッセオの経営者執務室よりも随分と上品だ。大物小物問わずいわゆる“金目のもの”しかないような場所に、浮浪者同然の男を一人ここに残したのは、セキュリティに自信があるからか、或いは。
「……別に、盗まれても構いません、ってことなのか?」
盗むつもりは無い。彼の中にライラックを害する考えは一切浮かばなかった。
内心で彼女が何を考えていたにせよ、彼女はフウタにとって恩人であり、欲しい言葉をくれた人であり、生まれて初めて模倣の力を知って尚フウタに期待してくれた人でもある。
そんな人に背を向ける行為は、何一つする気が起きなかった。だがそれはフウタの気持ちであり、ライラックから見て分かることではないはずだ。
だから、フウタは首をひねっていた。
その時だった。
「うちの姫様は、相手が信用に足るかどうかくらい一目でわかるってことですよー」
何故か窓から顔を覗かせる金髪の少女。
まず目に入るのは、くるくると巻かれたツインテールと、頭に付けたホワイトブリム。
ここは三階のはずなんだがとフウタが悩むよりも先に、パルクールのように窓枠を飛び越えて入ってくる――メイド。そういえば、メイドの癖が強いとか、なんとか言ってたな、とフウタはここでライラックの言葉を想い出した。
「何故窓から……?」
「そりゃ、怪しまれないようにですよっ」
「いえ、滅茶苦茶怪しいのですが」
よっこしょーっと、と、風呂敷を背負った姿はまるで泥棒か何かのようだ。
「午前中に掃除を終わらせているはずの、主人不在の部屋に入る可愛いメイド。そんなの誰かに見られたら怪しーでしょ? でしょでしょ?」
「な、なるほど?」
「スケジュール管理は王城管理側でやってますからねー。見咎められて、たとえば調度品の一つでも無くなってたら全部メイドのせいになりますよ、お前のせいでっ」
びし、と指を突き付けて彼女は言った。
「え、俺?」
「そりゃそーですよー。姫様が内密に招いた客人の世話ですよ?」
「ああ、じゃあ貴女が……」
満面の笑みに、Vサイン。ウィンクまでかまして、ぺろりと舌を出した彼女は言い放つ。
「はいっ。お騒がせお掃除メイドのコローナちゃんです、ぴっ!」
なるほど、とフウタは頷く。――確かにこれは、癖が強い。
何故か空中にジャブを打ちながら、コローナと名乗ったメイドは続ける。
「お前がここに一人放置されたのは、それでも大丈夫って思われてるってことですよっ。信頼の証、受け取っていけー?」
「そ、そうですか……」
「あ、敬語とか要らねーですよ。年下のメイド敬ってどーするのお客様。お前の世話をするために、メイドはひょっこりやってきたわけですっ」
「そ、そうか。じゃあそうさせてもらうよ」
歳の頃は十五、六程度。背負っていた風呂敷を絨毯の上に広げていく彼女に、フウタは圧倒されていた。プレッシャーは間違いなくライラックの方が強いはずなのに、何だろうか。この少女の自由な雰囲気は、生真面目なフウタにとっては毒だった。
「姫様には何か言われましたー?」
「何か、っていうと?」
「姫様が戻るまで部屋の隅でガタガタ震えて待ってろとか」
「いや言われてないけど……どんなお姫様なの、それ……」
「ツッコミが弱っちいぞっ。ま、何も言われてないならとりあえず、その悲しい見た目をどうにかするところからですかねー」
憐れむような目を向ける彼女。急に現れた彼女のテンションについていけず、フウタは困惑する。歳の差が幾つも離れていることもある。会話下手な自分に付けられたことへの申し訳なさも相まって、なんとなく居心地が悪かった。王女様に命じられたとはいえど、年頃の少女が浮浪者まがいの人間の世話をするなど、さぞかし苦痛ではないだろうかと。
「……俺は何をすればいいかな?」
「背丈が2メレト無いくらいか。でけぇですねー。じゃあこれとこれ持って、シャワーにお入りなさいませー。髭剃りと爪切りも渡しておくから、お前の考える限り最高の美男子になって、この部屋戻って来ると良いですねっ」
フウタが色々気を遣っていることなど、メイドは全く気付いていないようで。
ぽんぽんぽん、と服やら下着やら石鹸やらを両手に乗せられ、そのままフウタは部屋の隅にある扉まで押し込まれた。
「え、ここ王女様のシャワールームじゃないの!?」
「わざわざシャワーしに、今の格好のフウタ様が王城うろちょろする方がリスキーです。いってら。手取り足取りメイドが洗ってあげてもいいけど」
「分かった分かった、入る入る。一人で」
「そですかー。残念。メイド結構好きなんですけどね。錆びた包丁をぴかぴかにするの」
「そのメンタルで一緒に入られたら何されるか分からないから……」
全身の毛を剃ってぴかぴかにされかねない。
押し込まれたフウタは、服を脱いでシャワーを浴び始めた。脱衣所とバスタブがカーテンで遮られた、そこそこ広い贅沢なシャワールームだった。
ポンプを動かせば、ざーっと音がして水が流れる。勿体なく思ってしまうのは、自分の今までの生活を振り返れば仕方のないこと。久々に身体を洗い流す感覚が心地よく、お姫様のシャワールームを使わせて貰っている罪悪感と相まってとても複雑な気持ちだった。
瞬間、カーテンが勢いよく開いた。
「脱いだ服は捨てるつもりですけど、思い入れあったりするー?」
「どぅわびっくりした!? シャワー中だよ!?」
「知ってますけど。シャワー中は無言の戒律でもある宗派?」
「いや、うん。もういいや。……捨ててくれて構いません、はい」
「ほいほーい」
「あ、でも待ってくれ」
「んー?」
カーテンを閉めようとしたコローナが振り向く。
「俺が捨てておくよ。こう言っちゃなんだけど、凄く臭うし」
「いーですよ別に。お前はお客様で、メイドはメイドですし。あとこういうクッサいの、何か変な気分にハマれて案外嫌いじゃないですよっ」
ちょっと頬を染めてコローナが言った。
「はぁ!?」
「冗談ですよっ。何照れてんですか」
すぐさまジトっとした目で見つめてくる彼女に、フウタは空を仰いだ。
女の子にからかわれる耐性がまるでなかったのだ。
「……冗談ですからねっ?」
「何で念を押したんだ!? 逆にちょっと、おい!」
しゃ、とカーテンを閉められる。
感情がしっちゃかめっちゃかにされて、大きく息を吐いたフウタ。色々気を遣っているこちらの気も知らないで、と思った矢先に、また勢いよくカーテンが開く。
ひょっこりと顔を出したコローナが、人好きのする屈託のない笑顔で言った。
「そのくらいのテンションの方が、メイドとは付き合いやすくて良いですよっ!」
言うや否や、閉ざされるカーテン。
シャワーの水音だけが響く中、フウタはもう一度溜め息を吐いた。
――どうやら。気を遣うどころか、気遣われていたらしい。
「情けないな、俺は」
癖の強いメイドさんではあるけれど。仲良くなれると、仲良くなりたいと思えた。
髭を剃り、爪を切り、垢を洗い流して。全身を清潔にしたフウタは、与えられた上品なパンツと上着を纏って、シャワールームを出た。
「おー、微妙に美男子っ」
コローナは開口一番、そう言って拍手した。
「微妙にって言うなよ」
だからフウタはツッコミを入れた。
するとコローナは少し目を丸くして、ついで満開の笑顔とともに拳を振り上げる。
「いいぞー! 楽しくなってきやがったぜー、結構コローナちゃんもお前のこと見直しましたよ。見た目も一新したし。今日からニューフウタを名乗るとさらに良いですね!」
「やだよ、なんか凄いアホっぽいじゃないか」
にゅーふーた。伸ばし棒にすると余計にアホっぽかった。
「じゃ、まずその使い古した箒みたいなボサ頭をどうにかしていきますねー。座れー?」
ちょいちょい、と手招きした先には、風呂敷の上に置かれた椅子。
フウタが風呂に入っている間に散髪の準備を整えてくれたらしい。
言われるがままに腰かけると、上から散髪用の布を被せられた。
「さて、今日はどうしますかー? メイドとお揃いにする?」
「ツインドリルはちょっと……。王女様に恥をかかせない感じにお願いします」
「おっとー、予防線の貼り方がプロかー? 姫様引き合いに出されたら、メイド、真面目にやるしかないやつー」
ちょきちょきちょき、と慣れた手つきで散髪を始めるコローナ。
「ところで、どんな口説き方したんですー?」
ある程度、伸び放題の髪が整えられてきた頃に、コローナは言った。
一瞬何のことなのか分からず、フウタは首を傾げる。
「おい頭動くなー? ぐさっと行きますよ、何がとは言わないけど。……ほら、フウタ様って姫様の依頼でお話をして、気に入られたから来たんでしょー?」
そう言われて気が付いた。ライラックは彼女にも、剣を交えたことは伏せていると。
「姫様好みの気の利いた台詞が出てくるわけでもなさそうだし? 〈職業〉が〈癒師〉系統のカウンセラーってわけでもなさそうだし。フウタ様の〈職業〉は何ですかー?」
「〈職業〉、か」
彼女にとっては、ただの世間話のつもりなのだろう。だが、フウタにとっては違った。
――職業が無いというのは、この世界では身分証明が無いことと同義だ。
発展途上のこの世界において、劣等種を救済するほどの余裕は未だ無かった。
弱者救済よりも、明日の発展。
人間が歯車として消費されていく社会において、既製品に当てはまらないパーツは排除した方が手っ取り早かった。そうして、〈無職〉は排除され続けた。
曰く。人間は目に見える異端を攻撃し、種を守る為に彼らを排除する習性があるという。
劣等種を後の世に残さないという本能なのか、或いは自らよりも下に居る人間を見て安堵したいという精神欲求なのか、いずれにせよ。放浪の果てに現れた小汚い〈無職〉など、人々にとっては羽虫か玩具かのどちらかに過ぎなかった。
フウタが思い返すのは、これまでの人生で何度となく交わしたやり取り。
『〈無職〉に渡せるような仕事はここには無いよ』
『ご職業は? ……〈職業〉が無いんじゃ斡旋は無理だねえ』
『〈職業〉も無いのに何しに来たんだ? 冷やかしなら帰んな』
当たり前のことだと受け入れて諦めて、王都まで這う這うの体で辿り着いたのだ。
そして今彼女に問われた。職業は何か、と。
少し仲良くなりかけたこの少女が、どんな反応をするのか分からない。
ただ、ライラックと彼女の関係が深い以上、いずれ露見する話ではある。
フウタは素直に答えることにした。
「〈無職〉だよ」
排斥の対象、人間としての底辺。そういう意味で捉える人間が普通の世の中だが、ライラックといい、コローナといい、普通ではないらしい。
「んー。じゃあ分かんないや。ヒント無いんですか、ヒント」
「え、ヒント?」
「姫様が気に入る要素が見当たらないじゃないですかー。〈職業〉じゃない、見た目じゃない、なら性格がドンピシャで好みだったとかー?」
さらりと、それなりに勇気の要る言葉を流されたフウタ。どんな扱いを受けるか分からないからこそ語気を強めたのにも関わらず。コローナは、全く以て気にしていなかった。
「どしたんですかー? ハトポッポが螺旋魔導弾食らいまくったみたいな顔して」
「ハトポッポ跡形も残らないよ、それ……。いや、キミは、〈無職〉如きが王女様の客になるなんて許さない、みたいなこと思ったりしないのか?」
「しないけど」
「しないのかー」
「しないなー」
ちょきちょきちょき。
「フウタ様が自分の〈職業〉のことどう思ってるかとか、実際どんな感じの人生歩んできたかなんて、メイドは知りもしないし興味もないですし」
先ほどまでと同じ、自由気ままなテンションのまま、コローナは言う。
「単純に、フウタ様は姫様の認めた客人ってだけですよ」
ふぁさり、と髪の束が落ちる。
「無職に会ったことはあるけど――メイド、フウタ様に会ったのは初めてなんで。よくわかんないけど、見た目とか職業で人を決めつけんのって、なんか違うでしょ」
「……そうか。ありがと」
「何で御礼言われるのか分かんないけど、メイドは言葉よりモノが好きです。感謝してるならご飯奢れー?」
「俺が稼いだら奢る奢る」
「お、約束ですよー。……ほれ、終わり」
渡された手鏡を見れば、コロッセオの頃と同じ、フウタの精悍な顔がそこにあった。
後ろから覗き込むコローナが、鏡越しに楽し気な笑みを見せる。
「最初会った時のひでぇ格好で遠ざけてたら、メイドはこのイケメンには会えてないわけですよっ。分かるかなー?」
「……ああ」
イケメンがどうこう、は、さておいて。
コローナが言いたいことは痛いほどよくわかったし、嬉しかった。
「やっぱり、ひでぇ格好だと思った?」
「あれでまともな格好だと思ってるなら、フウタ様はナルシストが過ぎますねっ!」