第二話 今日から俺は王女のヒモ? 1
「まさか、王女様だったとは……」
「王都に来て間もないならば、知らなくとも無理はありません」
意気揚々と、楽し気な笑みを添えて彼女――ライラックはフウタの隣を歩いていた。
フードを改めて被り直した彼女と共に路地裏を進んでいくと、共用墓地に出る。
一角に生える柳の下が、王城と王都を結ぶ隠し通路の一つなのだとか。部外者に教えていいのかと問えば、彼女は微笑むだけ。この程度の秘密であれば話しても問題ないとでも言いたげな、恐ろしい笑顔だった。
藪をつついて蛇を出す必要は全く無い。この話は止めにして、別の話を振ろうと考える。
「第一王女さまがこんな出歩いていて良いんですか?」
「ダメですね。ましてや貴方に非合法の依頼を出していたなどと知れたら、ふふっ」
フウタは微妙な笑顔で応えるにとどめた。これも不味い話題だった。
段々分かってきたことではあるが、このライラック王女はかなりの曲者であるようだ。
可憐な容姿、麗しい美貌。王女として素晴らしい素養を持っているのは分かる。
が、中々にアグレッシブでアクティブで、そして頭が回る。
フウタを罠に嵌めようと彼女が思おうものなら、翌日には処刑台に乗せられてそうだ。
「〈職業〉が〈教師〉でもない相手とわたしが城外で刃を交えた時点で、どんな言い訳を並べても厳罰でしょうし。なので、わたしと剣を交えたことは内緒ですよ?」
口元に人差し指を持ってきて、小さくウィンク。ふとした仕草が絵になる少女だ。
彼女は共用墓地の大樹の下にやってくるなり、木の表面に偽装した板を取り外すと、洞の中へと入っていく。そして手だけが伸びてきて、こいこいとばかりに手招きする。
「いきますよ」
洞の中はそのまま地下に降りる梯子になっており、ライラックはぴょんと飛び降りる。
生返事をしたフウタが続いて降りると、彼女は立てかけてあった松明を手に取った。
慣れた様子で歩き始めのは、真っ暗で狭い通路だった。
ひたすら暗闇が広がっている通路の、幾つもの曲がり角や階段がある中を、松明片手にさくさくと曲がったり下りたり上ったりして進んでいく。
道中、彼女は思案するように口元に指を当てた。
「――貴方が強い闘剣士であることの証明が急務ですか」
「証明、ですか」
「身なりを整え、わたしの食客だと紹介したとして。〈無職〉である以上、『どうして貴方が強いことを知っていたのか』という話になります」
「どこかで見た、とかではダメなんですか?」
「それは良い案ですが……わたしが単独で動いていることを悟られるのも嫌なのです」
「なるほど」
つまり、『王女だけが知っている凄腕の闘剣士』では弱い。
そうなると、とフウタは少し考えた。闘剣士のチャンピオンであったことを言えばいいのではないかと。だが、それはつまり八百長したような男を招致したということになる。
八百長だけを伏せても、いずれ露見するだろう。
――提案だけ、してみるべきだろうか。
そんなことをぐるぐるとフウタが考えていると、ライラックは軽く手を打つ。
「まあ、いいでしょう」
「王女様?」
「すぐに貴方の強さを証明する機会を作ります。それまで賓客としてお過ごしください」
何かを企んでいるような、そんな眉根の寄り方だった。
フウタに対して悪意はないのだろうが、若干の空恐ろしさを感じる。
あまり波風を立てるのは得意ではないフウタは、ふと気づいた。
「逆に、証明しなくても良いというのは? 貴女さえ、俺の腕を知っていてくれれば」
「――無いですね」
即答だった。
「単純に、ただの食客として置きすぎると外側への風聞が悪いのと……あと、貴方との鍛錬をこそこそ隠れてやらなければならないのは、面倒です」
「そ、そうですか」
では、どうしたものだろうか。何か彼女に協力できることはあるだろうか。
思案するフウタをその蒼の瞳で一瞥して、ライラックはくすりと微笑む。
「大丈夫です。貴方はゆるりとおくつろぎください。条件に変更はありません。わたしの方で、全部片づけておきますから」
わたしの方で全部片づけておく。この字面から感じる怖さは何だろうか。
とはいえ、フウタに何かが出来るわけでもない。
自分のことを全て任せる心苦しさはあるが、ここは甘えるほか無いだろう。
「宜しくお願いします」
ええ、と頷いた彼女は鼻歌交じりに、上機嫌さを隠そうともせず地下道を闊歩する。
「……そういえば」
思い出したように、ライラックは顔を上げた。隣り合う二人はそこそこの身長差だ。
自然と上目遣いになり、松明に照らされる美麗な相貌にフウタは息を飲む。
「今のうちにお聞きしたいのですが。わたしの剣を全部受けきったのはともかく……最後のは偶然ですか?」
「最後、というと」
「わたしの得意技なんですよ。あの刺突」
ライラックが指した最後とは、きっと《宮廷我流剣術:雷霆》のことだろう。
確かに彼女からしてみれば、偶然にも同じ技を使われたに等しい。
だが違う。軽く頭を掻いたフウタは、気まずそうに口を開いた。
「信じられないかもしれないんですが……俺、相手の戦い方は全部分かるんです」
ただ目を丸くするのみの少女に、フウタは続ける。
「どういう技を使えるのかとか、そのためにはどういう動きが必要かとか。で、再現できるので……コロッセオでも、相手と同じ武器で戦ってました」
彼女も、ずるいと言うだろうか。この戦い方だけが魑魅魍魎の跳梁跋扈するコロッセオで、フウタが唯一渡り合えた方法だった。結果として無敗のチャンピオンにまで到達したその実力は、しかしペテンだパクりだと唾を吐かれた。
「では、最後も。わたしが放ってもいない技を模倣したと?」
「そういうことになります」
「なるほど……」
思案するように、口元を人差し指でなぞるライラック。
フウタは、知れず生唾を飲み込んだ。
卑怯だ、要らない。などと言われてしまえば、結局放逐される。それが嫌だというわけではない。もう慣れた。ただ、一度は認めてくれた人に突き落とされるのは、辛かった。
考え事をするライラックの真剣な表情は、鋭い。フウタを賞賛していた時の天真爛漫な顔とは打って変わって、熟練の為政者のような風格を醸し出す彼女が熟考すればするほど、フウタの緊張は高まった。が、思考の終わりは唐突に訪れた。
「――え、最強では?」
鋭利な表情はどこへやら。
きょとんと目を瞬かせて、ライラックはフウタに目をやった。
「……信じてくれるんですか?」
「ここでわたしに嘘を吐くリスクを考えたら、真実一択です。そんなとぼけた返答が聞きたいのではありません」
「あ、はい」
ぴしゃりと彼女は言葉を切る。
「貴方はそんな力を持っていながら、闘剣士として放逐されたと?」
「……そう、なります」
ライラックは至極、胡乱なものを見るような瞳でフウタを見つめる。
「経営者は人間でしたか?」
「人であることすら疑われるんですか!?」
「控えめに言って理解が出来ませんね。少し頭をひねれば、貴方の強さを利用して幾らでもコロッセオを盛り上げることくらい……」
ぶつぶつと、ライラックは首を傾げて呟く。
「俺が、凄く弱かったとかは考えないんですか?」
「あり得ません。コロッセオで弱者であったなら、〈無職〉の貴方が腕に自信を持つことなど不可能なはずです」
「それは、おっしゃる通りで……」
それに、と彼女は続けた。
「貴方は強かった。剣に、たゆまぬ鍛錬の跡が見られた。どんなに模倣の力があったとて、自らの力量が追い付いていなければ、ああもわたしの技を真似することなど出来ません」
「――っ」
「剣を交えたわたしの言葉です。胸を張り、己を誇りなさいフウタ。コロッセオが貴方をどう思おうと、わたしは貴方の研鑽に敬意を表しています」
最後に、ふわりと微笑んで、ライラックは「もうじき王城です」と背を向け歩き出した。
一瞬、フウタは動けなかった。否定されなかったこと、ずるいとも、卑怯とも言われなかったこと。そしてなにより。生まれて初めて、人に努力を認めて貰えたことが。
心から、嬉しかった。
「……フウタ?」
「す、すみません、ぼうっとして」
足を止めていたことを訝しがられたらしい。振り向いたライラックが首を傾げる。
「満足な食事も取れていないと言っていましたね。城に着いたら手配しましょう。さあ、ここを登れば王城ですよ」
何やら勘違いされたが、流石に恥ずかしくて訂正は出来なかった。
最後に彼女が指し示した長い梯子を上り切ると、豪奢な部屋の暖炉に繋がっていた。
ライラック曰く、既にここは王城の三階にある部屋の一つ。
流石は王城というべきか。手入れが行き届き、装飾も美麗な部屋だった。
「とりあえず貴方には客室を与えたうえで、身の回りの世話が出来るよう、メイドを付けようと思いますが……」
そう言ってライラックは一度フウタを上から下まで眺め、困ったように微笑んだ。
「客人として招くにあたり、少し身だしなみを整えて貰いましょうか」
「……すみません」
王女ともあろう人が、今まで表情一つ変えず共に居てくれたことの方が奇跡だった。
伸び放題の髪と髭。纏うボロ布は異臭を放っている。自分は鼻が麻痺してしまっているが、本来こんな部屋に居て良い装いではないと、フウタは肩身の狭い思いだった。
「服装も含めて、考えなければなりませんね」
「お手数をおかけします……」
「いえ。貴方を滞在させる対価としては、些細なことです」
あっけらかんと、美しい髪を払って彼女は言う。随分とフウタを買ったような台詞に、流石の彼もそろそろ歓喜より困惑が勝ってくる。
「嬉しい話ではあるのですが……何のために俺にここまでしてくれるんですか」
「ああ。ごめんなさい。条件ばかりを口にして、目的を伝え忘れていましたか。確かに、不審に思われるのも無理はありませんね」
くす、とライラックは笑う。
「――本当にただ、頻繁に手合わせを願うだけです。ちょっと最強(・・)最強(・・)になりたくて」
「強くなるために……。職業教師の人間ではなく、俺を?」
「ええ、貴方が良い」
真正面から『貴方が良い』と言われて、一瞬フウタはたじろいだ。
安心してください、とライラックは続ける。
「貴方に求めるのはわたしとの手合わせのみ。“契約”を交わしてもいい。期限は貴方が城を出たいと望むまで。わたしとしては、そんな日は来ない方が好ましくはありますが」
噴水広場での打診と変わらない。より具体的になった条件提示。
ただ、フウタにとって疑問なのはそこではなかった。
「どうして、貴女は最強になりたいのですか?」
「――」
問いに対する返答は、ただの微笑みだった。それはもう、にっこりと。語らずとも瞳が言っていた。――聞くな、と。
「……ああえっと。俺が、何か力になれたらと」
決して彼女の機嫌を損ねたいわけではないフウタは、さっと言葉を濁した。
「フウタに求めるのは、わたしとの手合わせのみ。詮索は不要です」
「……分かりました」
踏み込み過ぎたか、と自戒していると、ライラックは優しく諭すように告げる。
「いずれ、お話することもあるかもしれません。ただ、それは今ではない」
そうですね、と、思いついたように指を立て、悪戯っぽく彼女は続けた。
「貴方に出来ることは、そう。わたしがわたしの全てを話したくなるくらい、ずっと期待させてください」
「期待、ですか。……貴女は、俺に何か期待をしていると?」
彼女はフウタの問いに頷いて、一度目を閉じた。胸に手を当て、謡うように紡ぐ。
「――人間は〈職業〉の奴隷ではない。貴方は身をもってそれを魅せつけてくれました」
その言葉に、フウタの息が詰まる。
「今後も、そうあって欲しいと……わたしは期待しています」
最後にフウタに微笑み、彼女は柱時計に目をやった。――時刻は昼を回ろうとしていた。
「わたしは午後から政務がありますので、その間は自由に寛いでいてください。身の回りの世話はメイドに頼んでおきますので」
「この部屋に居れば良いですか?」
「ええ。外出を止めたりはしません。ただ城に戻れなくなると厄介なので、その際は必ずメイドを付けて、という形でお願いすることにはなりますが」
「分かりました」
「ありがとうございます。それでは――ああ、そうそう」
ライラックは部屋を出ようと豪奢な両開きの扉に手をかけ、想い出したように言う。
「貴方に付けるのは、わたしが一番信頼しているメイドです。彼女を通じて、他の王城関係者からちょっかいを掛けられるようなことは無いはずですからご安心ください。ただ」
そう少し思案したのち、彼女は困ったように眉を下げた。
「そう、ただ。ちょっぴり癖の強い子なので、寛大な心で相手をして下さると幸いです」
その言葉を最後に、ライラックは部屋を出ていった。