【第二章 はじめての自由は、蜂蜜と檸檬の味がした】2-3

「……逃げること、負けることは信念に反する。だから俺は、この店のナンバーワンを目指そうと思う」

 方向性のズレたエヴィルの覚悟に、シキは思わずむせ込んだ。

「ナンバーワン? 何言ってんだ、そこまでする必要──」

「いや、違う」

 シキの言葉を遮って、エヴィルは華奢なグラスに注がれたオレンジジュースをがぶ飲みする。これは先程、自腹で注文してやった高級ジュースだ。その代金の二十%が、彼の稼ぎになる仕組みらしい。

 九百リッツもしたんだから、もっと味わって飲んでほしいものだ──そんな事を思いながら、シキがちまちま白湯を飲んでいると。

「……気になるヤツがいるんだよ」

 そんな事を言って、エヴィルは声をひそめるのだった。

「……この店には、不動のナンバーワン嬢が存在する。サファイナって名の黒ウサギだ」

「へえ、そう……で、その子がどうした?」

「……それがさ、全然来ないんだよ。不思議に思って聞いてみれば、不定期に、月数回しか出勤しないとか。それでも不動のナンバーワン……な、おかしいだろ?」

 たしかに、それが本当なら奇妙な話だ。

 しかし、あり得ない話ではない。

 この店における独自のシステム。『注文したメニューの代金の二十%が、当人の稼ぎとして計算される』という仕組みから考えれば……。

「……そのサファイナって子だけが扱える、特別な高額商品がある?」

「そう! さすがだな、シキ。飲み込みが早いぜ」

 氷をガリガリと齧りながら、興奮したようにエヴィルは続ける。

「サファイナ=カレンシアは腕利きの占い師なんだよ。しかも専門に請け負ってるのが……《死予言》関連の相談らしくてさ」

「死予言専門の……占い師?」

 白湯を飲む手を止め、シキはわずかに眉をひそめる。

「何だそれ。どういう……」

「俺も詳細は知らないけどよ……死予言に触れれば、それだけで《ペイシェント・ゼロ》がどこに潜んでるか分かるらしいぜ」

「……本当かよ? なんか、嘘臭いな」

「いや、それがマジらしい。サファイナが働き始めてから、城塞都市での《死獣》発生件数がガクンと減って……風の噂を聞きつけた《厄死の子》たちが、世界中からこぞって彼女を訪ねるようになったって」

「それで不動のナンバーワン……か」

 サファイナへの依頼料は、なんと十万リッツを超すと言う。一度にそれだけ稼げれば、出勤回数が少なくてもナンバーワンを維持出来る……というわけだ。

「……一度、話を聞くのはアリだと思うんだ」

 そう言ってエヴィルは、シキが大事に取っておいた白湯までもゴクゴク飲み干した。

「シキも、どっかで働いてるんだろ? 俺の稼ぎと合わせて……一度、サファイナに相談してみないか? 今度出勤してきた時に、俺から声掛けてみるからさ」

 二人で十万リッツ。確かに、非現実的な数字ではない。

 サファイナの能力に対する疑念が、ないわけではないが……それでも死予言専門占い師を自称する少女が、何らかの情報を握っている可能性は低くない。

「……分かった。それじゃあ僕は、別方面から……死予言進行の時期でも、調べとくよ」

 刻まれた死予言と流星群との関連性、および星図を用いた流星群時期予想についてエヴィルに話す。すると彼は、素直に感心した様子で頷いた。

「へえ、なるほどなあ……考えもつかなかったぜ、俺」

 白湯を飲み干されたのは遺憾だったが、エヴィル=バグショットが彼なりに、死予言について考えてくれていることが分かり嬉しかった。

 結果から言えば、この店に来たことは正しい選択だったのかもしれない。

「……そういえばエヴィル、君はどこに泊まってるんだ?」

 何気ない調子でシキが問うと、エヴィルは当然のように言うのだった。

「いや、野宿だけど」

「野宿!? ……いや危ないだろ、普通に……」

 いくら内面がガサツでも、外見は可憐な美少女なのだ。危険な場所で野宿をして、怪我でもされたらこちらが困る。

 シキはしばらく考えて、エヴィルをカメリア・クローネに誘うことを決めた。

「……推薦しといてやるよ。空き部屋、まだ結構あったしさ」

「マジで!? いやー、助かる! やっぱり持つべきものは親友だな!」

 調子に乗って抱き着いてこようとしたので、シキはエヴィルの鼻頭を思い切り叩いた。

「ぎゃっ! おい馬鹿、何すんだよ……」

 痛そうにうずくまる少年に、シキはクローネ登録の方法、そして場所を口頭で伝える。

 うずくまったまま、エヴィルは親指を突き出し「……分かった」と小さく呟いた。


   ***


 もうすぐ、新メンバーがもう一人来る。しかも、かなり高い魔法適性を持っている。

 ……そのことを伝えると、ロティカはキラキラと目を輝かせた。

「ええっ、本当ですか! いやー、良いことは続くものですねえ!」

 そこは、窓に無骨な鉄格子の嵌められた、石造りの建物だった。

 色褪せた看板にはペンキで『カメリア・クローネ』と殴り書きがされているが、よく目を凝らして見てみると、うっすらと『カメリア独房棟』という古い文字が透けて見えるのだった。

 十三の独房が環状に並び、その中央に、広めの看守室が存在する。独房は個室に改造され、看守室は共用の談話室に改造されていた。

 談話室にはテーブルと椅子が並んでいて、ちょっとした棚なんかも設置されている。

 家具や布で隠された部分から、錆びついた鉄格子、古びた血痕、収監されてからの日数を刻んだ生々しい落書き……などがひょっこり顔を覗かせていることを無視すれば、なかなかに居心地の良い空間と言えるだろう。

「……ここを登れば温泉があります。好きに使って良いですよ!」

 談話室中央──ちょうどテーブルの中心から、まっすぐ天井に伸びる梯子を指差してロティカが言った。かなり奇妙な間取りだが、今さらこの程度のことでは驚かない。

「おすすめは夜ですね。吹き抜けになってて、星が綺麗に見えますので」

 ……なんと。露天風呂とは意外だった。

 思わぬ幸運の訪れに、シキは人知れず胸を躍らせる。

「……さて、ぼくは内職でもしますかね。セントラル・クローネから引き受けた、宛名書きの仕事が……たしか山ほど残っていましたので」

 そう言いながら椅子に腰かけ、ロティカはせっせと作業を始める。かなり地味だが、これも裏から城塞都市の流通を支える、大切な任務の一つに違いない。

 そんな少年の首筋には、漆黒の刺青が刻まれている。

 捻じれたイバラをモチーフとした、禍々しさすら感じさせる紋様だ。それが何となく、明るいロティカのキャラクターとは噛み合っていない感じがして、妙に気になって……。

「……気になりますか?」

 視線に気づいたのだろう。ロティカは顔を上げ、少し困ったように微笑んだ。

「あ、いや。ごめん……見たことない、紋様だったから」

「え? ……ああ、そっか。外から来たから、これ知らないんだ」

 意外そうな声を上げると、ロティカは首元の刺青に触れ。

「城塞生まれ──って、聞いたことないです?」

「城塞生まれ? ……なんだ、それ」

「魔法時代に、大監獄に閉じ込められてた凶悪犯の……その子孫に当たる人間を指す言葉です。先祖代々、ずっと城塞都市で暮らしているから“城塞生まれ”──まあ、あまり良い意味ではないですよね」

 その刺青は、かつての囚人に刻まれていたものであると言う。

 魔法で刻まれたイバラの刺青は、末代まで遺伝する。永遠に、永遠に、その身に刻まれ続けてしまうのだと。

 迷惑ですよねえ、とロティカは笑った。

「いまだに大陸の、ほとんどの国では……この印があるだけで、まともな人間扱いされないんです。だからぼくは、この都市でしか生きられない」

「……そうだったのか。悪いな、なんか変なこと聞いて」

「いいえー。全然、だいじょぶです!」

 刺青のモチーフとなっているのは「ミチツバキ」という、城塞都市固有種の花であると教えてくれた。石畳を割って亀裂から生えるほど、強い花であるのだと。

「……ああ、それ何度か見た。白い、綺麗な花だよな」

 何の気なしにシキが言うと、ロティカは心なしか嬉しそうに微笑んだ。

「そうですか? ふふ、ありがとうございます……あ、サタ。長かったね!」

 柔らかなロティカの声が、談話室にほのぼのと響く。

 天井の梯子からするすると少女が降りてきた。髪は濡れたまま、ほかほかと湯気が立っている。なかなかファンシーな登場シーンだ。

 ぺこり。床に降り立った少女は、こちらに向かってほんの小さな会釈をした。

 俯いたまま、髪に覆われて表情も見えない。そのままサタは、逃げるように自室へと消えて行く。

 残されたロティカが、少し困ったように肩をすくめてシキを見た。

「……悪い子じゃ、ないんですよ? 人とのコミュニケーションが、ほんの少し苦手なだけなんです」

 二年前。ロティカは、城塞都市で行き倒れになっていたサタを拾ったそうだ。

「一緒に暮らしてても、ほんとに謎の多い子なんですよ。まあ、そこが楽しいんですけどね……このままじゃ心配だから、少しぐらい内職でもしてくれたら嬉しいんですが」

 やれば出来る子だと思うんですよねえ……ロティカはまるで保護者のような顔で、サタの部屋へと視線を向けた。

 そんなアットホームな空間にエヴィルが到着したのは、それから数分後のことだった。

 風呂上りのサタが絡まれたら可哀そうなので、とりあえず独房にぶち込んでおいた。抵抗するかと思いきや、案外疲れていたようで、部屋からはすぐに寝息が聞こえてきた。

「……あいつも、悪いヤツじゃないんだよ。ちょっと困ったヤツだけど」

「うん。なんだか……ぼくも、そんな気がする」

 ロティカは少し笑って内職へと戻り、シキも椅子へと腰かけた。テーブルに借りてきた本を積み上げて、さっそく一冊、表紙を捲る。

(……城塞都市周辺で観測される定期流星群は、二年に一度か。夜が更けたら星空を見上げて、この星図と照らし合わせれば……時期の予測は出来そうだな)

 星図を頭に叩き込み、続けてシキは、六英雄に関する本を手に取った。

 四〇〇年前──破滅に瀕した世界を救った、勇敢な六人の英雄譚だ。

 統率者:エルムント、観測者:ライラ、錬成者:ジョウ、代弁者:ヒイラギ、狂戦者:ルギー、犠牲者:バランド。大陸各地から集結した六人は、それぞれが所有する《第一種祝素体》の能力を駆使して、悪性化したノルを打倒した。

 何百年も語り継がれる、六人の偉大な英雄たち。そのうちシキが殊更興味を引かれたのは、ルーラント大陸最西・ガラ共和国出身の科学者錬成者:ジョウの存在だった。

(食事のマナーすら分からない、変わり者の天才科学者……か)

 そんな彼が操っていたのは《錬金フラスコ》と呼ばれる第一種祝素体。

 それはありとあらゆる薬品を、一瞬で作り出してしまう魔法の道具。

 ……どこまでが史実で、どこからが創作かは分からない。だけれど錬金フラスコや錬成者:ジョウに関する逸話の数々は、シキの心を掴んで離さなかった。

(ジョウの最高傑作は、伝説のミストレラ──四〇〇年前に、強靭な神の肉体を滅ぼした毒薬……)

 神殺しの毒、ミストレラ。言うなれば、それは《ロスト=ゼロ》の原点だ。

 どんな武器を使っても、どれだけ屈強な勇者が挑んでも、傷一つ付けられなかった恐ろしい《ノル》の肉体に──致命傷を与えたのは、毒だったのだ。

 その事実に、シキは奇妙な誇らしさを覚えていた。

 毒は暗殺の道具に過ぎず、ひっそりと暗闇を歩き続けるような存在だけれど……そうかロスト=ゼロの瞬間だけは、紛れもない主役だったのか。

(……第一種祝素体・錬金フラスコ。これって……今は、どこにあるんだろう?)

 ふいに浮かんだ疑問の答えは、次のページに載っていた。

 それに描かれていたのは、とある男の肖像画だった。

 ガラ共和国の紋章が刺繍された、特別製の白衣を身に着けている。屈強な体格で、顔立ちは精悍そのものだ。

 彼の隣に描かれた巨大なフラスコこそ……きっと《錬金フラスコ》に違いない。

(──ダクティル=ダルク=ダマスカス)

 それが男の名前だった。

 ダクティル=ダルク=ダマスカスは、ガラの中枢機関|国立研究機関《ノーブル・ラボ》に所属する若き天才研究者であるという。

 いずれガラ共和国の、最高権力者として君臨が約束された存在だ。

(……錬成者:ジョウの末裔で、極めて適性範囲の狭い《錬金フラスコ》の起動を、およそ四〇〇年ぶりに……わずか六歳で成功させた天才……か)

 その本は隅から隅まで、ダクティルの偉業や逸話で溢れていた。

 生後五日で歩いたとか、生まれて初めて喋った言葉が「証明完了」だったとか、猛獣を素手でねじ伏せたとか、革命レベルの大発見を毎日繰り返したとか……そういう類の、逸話たちだ。

 性格は気難しく、あらゆる物事にストイック。仕事面はもちろん、プライベートにおける厳しさも非常に有名であると言う。

 とりわけ女性には厳しくて、過去に百人以上から求婚された絶世の美女ですら、彼を射止めることは出来なかったと。

 そんなこんなでガラ共和国は、絶賛跡継ぎ問題進行中……だそうだ。

 なぜなら魔法適性とは、明確に遺伝することが知られている。才能豊かなダクティル=ダルク=ダマスカスには、その素晴らしい才能を末代まで繋ぐ義務があるのだ。

 ゆえにダクティルの従者たちは、現在もひどく頭を悩ませている。彼に相応しい女性をどうにか探し出したくて、世界中を飛び回っている……らしい。

 知れば知るほど面白い、なんとも興味深い存在だ。

「……ん、もうこんな時間か」

 ふと思い立ち、シキは本から顔を上げる。

 気付けば夜が更けていて、ロティカの姿も消えていた。読書に夢中になりすぎて、彼が部屋に戻ったことすら気づかなかった。

「そろそろ……行くか」

 椅子を立ち、シキはゆっくりと伸びをした。

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