【第一章 砂漠に咲いた氷花みたいで】2-3
「シキお前、これ……!」
「これがノルの呪いだろ?」
取り乱したエヴィルとは対照的に、シキはあくまで冷静だった。
この呪いが進行すれば、いずれ《死獣》になり果てる事実を──きっと誰よりも、理解しているに違いないのに。
「呪いの名は……なんと言う?」
エヴィルはゆっくりと息を吐く。自分だけが、動揺している場合ではないのだ。
「……《
はっきりと言い切り、エヴィルはシキの瞳を見つめる。
「それが、この呪いの正体だ」
「死予言……なるほど」
噛みしめるように呟きながら、シキはエヴィルに質問を重ねる。
「……もう一つ、あるよな? この《死予言》と、例えば対になるような──」
「ある。でも……なんで、そんな事が分かるんだ? そこまで予想出来るもんかよ?」
訝しむようにエヴィルが訊けば、シキは少しだけ悲しそうな顔をする。
少年は、中指の指輪を見つめていた。その指輪を見つめながら、彼は絞り出すように言葉を紡ぐ。
「似たものを、昔……見たことがあってね」
「……ふうん」
拒絶にも似た雰囲気に、エヴィルは追及を止めて話題を戻す。
「……もう一つの呪いは《
「記された通りに行動すれば──多くの犠牲と引き替えに、願いが叶う?」
「ああ、そういう事だ。つまりシキの身体には……どこかにいる《死道標》の刻まれた人間──《
死予言を覆すための方法は明らかだ。
そして、その残酷な方法を──この黒髪の少年は、きっと冷静に理解している。
シキは立ち上がり、目を細めて宙を睨んだ。その表情に、迷いなんてどこにもない。
「──僕は《
……その時だった。
礼拝堂の外で、物音がした。混乱し、怒り狂った人々の声だ。
黙り込んで耳を澄ませば、周囲の状況が掴めてくる。どうやら逃亡に気付かれてしまったらしい。彼らは大聖堂の戦闘員で、この礼拝堂は取り囲まれているようだった。
シキはハッとしたように顔を上げ、わずかに焦ったような表情になる。
「……まずいな、予想よりも早い。しかも、この人数が相手となると……」
シキは独り言を呟きながら、自らの勝機を計算する。しかし結果は、あまり良くなかったのだろう。少年は僅かに眉根を寄せた。
それも仕方のないことだ。彼の武器が毒針ならば、大人数相手には分が悪い。
「……一応確認するけどさ。シキの目的地は《死の迷路》で良いんだよな?」
「……え?」
エヴィルの言葉に、シキは戸惑うように頷いた。
「まあ……うん。どうやら、そこに《ペイシェント・ゼロ》がいるみたいだし。でも、そんな場所どこに──って、何やってんだエヴィル!」
突如立ち上がり、素早く倉庫に駆け込んだエヴィルに、シキは困惑の声を上げる。
エヴィルが倉庫から取り出したのは、一本の旗だ。長さは身長を超すほどで、王冠を模った紋章に、殴り書きのバツ印を重ねている。
捕まったその日に取り上げられ、ずっと探していたものだった。
ここにあって、本当に良かった。傷だらけの柄を撫でてやれば、懐かしさに思わず笑顔が零れる。その様子を見たシキが、さらに不可解そうな表情をした。
「旗? 何だよ、これ」
そんなシキの手を引いて、強引に肩を掴ませる。
「何する気だよ、エヴィル? まさか、このまま突っ込むつもりじゃ──」
「いいから、絶対放すんじゃないぞッ!」
エヴィルが叫ぶとほぼ同時。武装集団が、一斉になだれ込んできた。
その瞬間──エヴィルが跳んだ。
旗を地面に突き立て、蹴り込めば──まるでバネでも入っているかのように。高く、高く、エヴィルは跳んで。
「────ッ!?」
ガシャンと、硝子の砕ける音がした。
ステンドグラスを突き破り、礼拝堂から飛び出したのだ。赤や青、黄色に白。様々な色の硝子片が飛び散って、キラキラと宝玉陽に輝いている。
「…………ッ!」
エヴィルとともに宙に浮いて、シキは目を丸くした。
大聖堂広場が、遥か足元に広がっている。人間たちが小さく見える。訓練された戦闘員すら、ぽかんとこちらの姿を見上げ、腰を抜かして固まっている。
エヴィルが大きく旗を振った。うねるような大気の流れが発生し、旗帆はまるで翅のように風を捉え、空中でくるりと方向転換。そのまま前方へと進んでゆく。
「こいつは《
エヴィルは旗を振りながら、そんな言葉を口にした。
全身がまたふわりと浮かび、太陽がまた一段と近くなる。
「クロイツェル家の紋章旗に──六英雄バランドの所有オブジェクト《
エヴィルの叫びが、自由な空にこだまする。叫びに呼応するように、バツ印の付けられた紋章旗が、力強くはためいた。
「ん……何だ? ……あいつら、まだやってんのかよ」
ふいにエヴィルが、呆れたような声を出す。
広場を見下ろせば、先程の死獣の姿があった。ヌラヌラとしたゲル状の肉体。オイルの臭気。破壊の限りを尽くす腕は不気味なことに、どこか人間だった頃の面影がある。
荒れ狂う死獣を前に、誰も手を出すことが出来ず、被害は拡大し続けていた。
「こいつら死獣専門の戦闘集団じゃなかったのか? 何で、あんなやつに苦戦して……」
「目の位置だ」
シキの呟きに、エヴィルは怪訝な顔をする。
「目?」
「あのタイプの死獣は、皮膚が極めて強靭で……直接目を狙わないと、斬撃では倒すことが出来ないんだ。だけど……見てみろよ」
シキはエヴィルに掴まったまま、死獣の方向を顎でしゃくる。
「あいつ、目がテッペンに付いてるんだ。あの位置を狙えるような戦闘員は、そんなに多くはいないはず。たぶん今頃遠征中の戦闘員に、応援要請している所だろう」
「へぇ……なるほど。お前、案外詳しいな」
「まあ……伊達に何年も、研究部門にいたわけじゃないよ」
白く濁った死獣の瞳が、ぎょろりと動いてこちらを見た。
きっと、このまま首都は壊滅する。
被害は拡大し、多くの人間が犠牲になって……そしてようやく、遅すぎる応援が駆けつけ、鎮静化する。
「……こうなったら、どうしようもない。ただ必死に逃げることしか出来ないよ」
シキの話を聞いたエヴィルは、しばらくの間、無言で地上を見下ろしていたが。
「……まあ……この国の人間どもを、助ける義理はないんだけどよ」
そんな事を言いながら、エヴィルは空中で一回転。同時に持ち手を操作すれば、内側に仕込まれた槍先がギュンと姿を現した。その切っ先を、白く濁った瞳に向けて──。
「見捨てる理由も、無いんだよなッ!」
急降下。叫ぶことすら忘れ、シキはエヴィルにしがみ付いて目を閉じた。
──ザシュン。
濡れた音が、あっけなく響く。
目を開ければ、そこは死獣の内側だった。半透明の肉体から、ぼんやりと外の景色が透けて見える。傷つけられた肉体から、純白の血が噴き出ている。
「わ……」
エヴィルの旗は、死獣の〝核”を──体内に封じ込まれた、奴らの命の源を──的確に突き刺しているのだった。
顔中に血を浴びながら──エヴィルは再び、空へと跳んだ。
「覚えておけよ! 俺は世界最強の旗士──エヴィル=バグショットだッ!」
こびりついた体液を、舌で舐め取りエヴィルは叫ぶ。
「……めちゃくちゃだよ、君は。ドン引きだ。付いて行けない」
「何言ってんだお前……笑ってるくせにさ」
「……当たり前だろ。僕は、今……楽しいんだ」
顔を上げれば、隠されていた世界が見えた。
高く高く跳ねてしまえば、まるで誰よりも強くなったように思えるから──エヴィルはこの武器を愛し、エヴィル=バグショットを名乗っている。
「なあ……結局、どこを目指してるんだよ?」
背中の少年に応えるように、エヴィルは前方を指差した。
瞳に映るは、世界の向こう。舞い散る砂塵の遥か奥──ゆらりと蜃気楼のようにそびえる、巨大な城壁。
「《立体城塞都市レジナリオ》──別名を、死の迷路。ルーラント大陸中央に存在する、大陸唯一の独立都市だ」
「君は、あそこに行ったことがあるのか?」
「いや、ねえな。あそこは魔法時代に、凶悪犯ばかりを収監してた元・巨大監獄だ。危険だらけの無法地帯だが……覚悟はいいか?」
「……ああ。覚悟はとうに、出来てるさ」
「よし、その調子だッ!」
笑いながら、エヴィルは旗で風を切る。
恐ろしい場所であるはずなのに、不思議と心が弾んでしまう。
頬を撫でる砂漠の風が──今まで感じたこともないほどに、爽やかで心地が良かったから。