【第一章 砂漠に咲いた氷花みたいで】2-2

 しばらく経って、ようやく頭が冷えてきた。

 二人は長椅子に腰掛け語り合い、改めて互いの置かれた状況を知る。

「え!? ……お前、大陸外の生まれなの!?」

 エヴィルが驚きの声を上げれば、シキは少し面倒くさそうに頷いた。

「……ああ、そうだよ。四年前に、この国に流れ着いたんだ」

「うわ、マジかすげえ! なあ、どんな感じなんだよ? 海の向こう側って?」

「……よく覚えてないや。でも、少なくとも魔法なんかは……おとぎばなしの、存在だったな」

 懐かしむように目を細め、シキはぼんやりと宙を仰ぐ。その言葉に、エヴィルは驚きを隠せなかった。

 ここルーラント大陸には、五つの国と、一つの独立都市が存在する。それぞれが異なる性質を持ち、異なる歴史を歩んではいるが……かつて魔法と共に発展し、その衰退と運命を共にしたという点で、いわば兄弟のような存在である。

 しかし海の向こう──ルーラント大陸の遥か東部に位置するリグレイ帝国とは、魔法を知らない世界だそうだ。大陸国家同士が兄弟なら、リグレイ帝国は赤の他人。

 常識も言葉も違う世界……シキ=カガリヤは、そこで生まれた。

「……何も分からないから、必死だったよ。得体の知れない戦闘集団に入ったのも、役立たずのふりをして暗殺者をしていたのも……全部、情報収集のためだった」

 少年は多くを語らなかったが、エヴィルは信じることにした。その珍しい髪色や、どうにも掴み所のない雰囲気が、全てを物語っているように感じたのだ。

 シキは軽く息を吐き、思い詰めたような表情で言葉を続ける。

「もちろん、自分でもいろいろ調べたんだよ。いつか、この国を出たいと思って。情報規制が厳しくて……結局、地図すらまともに手に入らなかったんだけど」

「へえ、でも凄いじゃん。言葉だって、ここに来てから覚えたんだろ?」

「言葉は──」

 シキの表情がわずかに揺れ、おもむろに左手を宙に掲げてみせる。その中指には、奇妙な紅玉の指輪が嵌められていた。

「……これのおかげで、初めから理解できたんだ。詳しいことは分からないけど……これも一種の《祝素体》なんだろうな」

 祝素体。それはかつて魔法時代に作られた、人間が魔法を使うための触媒だ。

 もっとも、ノルの消滅ロスト=ゼロから四〇〇年が経った今の時代には──かつてノルが吐き出していた魔法粒子祝素は消失し……魔法はごく限られた体質の、一部の人間だけのものに衰退してしまったワケだけれど。

「──とにかく、僕がどうしても知りたかったのは」

 調子を変えて、シキが切り出す。

「まさに《ノル》のことなんだ。この国で崇拝されている、神様のことが知りたかった」

 シキはそう断言して、礼拝堂の天井を仰ぐ。

 天井に描かれるは、アイリオ国に伝わる《ノル》の姿。美しく聡明な、少女の姿をした神様が──優しくこちらを見下ろしている。

「それから《死獣》のことも、知りたかった。四年間、どんなに必死に探しても……奴らが一体何者なのか、結局ほとんど分からなかった。この国では、不都合な事実が隠されてる──だからアイリオ国の外から来た、君に会いたかったんだ」

 夜のように深い瞳が、まっすぐにエヴィルの目を見つめている。

 エヴィルはしばらく考えて、探るようにシキに問う。

「……どこまで、知ってるんだよ?」

「……僕が四年をかけて、ガリラド大聖堂に教わったことは──」

 そう言ってシキは、眉根を寄せて言葉を続ける。

「ノルの素晴らしさ、それだけだ。遥か昔に、ノルが人類に魔法を授けてくれたこと……それによって人類が、飛躍的な発展を遂げたこと。それなのに四〇〇年前──祝素体を悪用した《六罪人》によってノルが殺されてしまったこと。この世紀の大事件──《ロスト=ゼロ》によって、魔法が衰退してしまったこと」

 死獣に関しては──そう前置きして、シキはまた一段と難しい顔をする。

「……もっと謎だらけだ。僕は一時期|偉大なる東十字《グランド・クロス》の研究部門で、死獣研究をしたことだってあったのに……奴らの繁殖行動すら、特定することが出来なかった」

 悔し気に顔をしかめ、シキはそう言葉を結んだ。

 見れば包帯の巻かれた左腕を、そわそわと落ち着きなく撫でている。もしかして、怪我の具合でも悪いのか?

「……まあ、とりあえず同情するぜ。この国に流れ着いたのが、不幸だったな」

 エヴィルは小さく肩をすくめ、どこから話そうかと思案した。

 昔から勉強は苦手だけれど、歴史のことなら、少しだけわかる。エヴィルは脳内を整理して、ぽつりぽつりと話し始めた。

「シキが今、話したことは……たぶん、そこまで間違ってない。ノルはたしかに《祝素》を吐いて、ルーラント大陸に奇跡をもたらした存在だよ。ただ、その話だと……一番大事なとこが、ごっそり抜け落ちてるんだよな」

「……一番、大事なとこ?」

したんだ。ある日突然、ノルは恐ろしい怪物になった。それで大陸中に、高濃度の《死素》を撒き散らした。そのせいで、たくさんの人が死んだんだ」

 それは、まさに暗黒の時代。

 生まれつき《死素》に耐性を持たない人間は、その時点でほとんどが死んだ。

 運よく《死素》に耐性を持っていた人間も、巨大化したノルの圧倒的な力を前に、ただ虐殺されることしか出来なかった。

 シキはハッと息を呑み、前のめりになってエヴィルに問う。

「じゃあ……《ロスト=ゼロ》でノルを殺した《六罪人》って──」

「罪人なんてとんでもない。あいつらは、世界を救った《六英雄》だぜ!」

 エヴィルは少しムッとしながら、シキの言葉に噛みついた。

「エルムント、ライラ、ジョウ、ヒイラギ、ルギー、バランド……ノルを倒すため大陸各地から集結した、世界最強の六人だ! 不名誉な罪人呼ばわりは許さな──」

「分かった、分かったよ。僕の言い方が悪かった」

 熱くなったエヴィルを宥めるように、シキは両手を軽く振った。

 深呼吸、深呼吸。シキに促されるまま息をすれば、不思議と気持ちが落ち着いてくる。エヴィルは改めてシキを見据え、話の続きを切り出した。

「……どこからともなく《死獣》が現れたのは、それから二十年後のことらしい」

 彼らが何者で、どこから来たのか──はじめは誰も、分からなかった。

 突如として出現した脅威に、世界は大混乱に陥った。それでも人々は、がむしゃらに抵抗を続けてゆく。武器を取る者、逃げる者、そして──地道な研究を、行う者。

 エヴィルはシキの瞳を見据え、衝撃的な事実を口にする。

「《死獣》どもは──ヒトの死体から作られる」

「…………」

「ノルが呪いを遺したんだ。ヒトの身体に刻まれる……恐ろしい呪いを」

 秘匿され続けた、衝撃的事実──そのはずなのに、シキの反応はいまいちだった。

「……まあ、うん。なるほど……」

「なんだよ、びっくりしないのかよ」

「え? ……ああ、ごめん。何となく、予想はついてたから」

「ちぇ。何も分からないって言ったくせに」

 拗ねたようにエヴィルが言うと、シキは困ったように肩をすくめる。

「予想はしてたけど、確信はどこにも無かったんだよ。でも……ありがとう。今の話で、ようやく覚悟が決まったよ」

「はあ? 覚悟……?」

 その時だった。彼がずっと気にしていた、左腕の包帯を剥ぎ取ったのは。

 細い腕が剥き出しになって──そこに深く刻まれた、抉れた傷跡が露わになる。

「…………ッ!」

 予想外の光景に、エヴィルは思わず立ち上がる。ギョッと目を見張って立ち尽くし、少年の腕に刻まれた禍々しい文字列を凝視した。


 ──悲劇の夜、都市は《死獣》に侵される。全ては壊れ、ゼロに帰す。

 我に魂を売りし人間──《悪の死源ペイシエント・ゼロ》の手によって。

 かつて“死の迷路”と呼ばれし大都市は、再び土に還るのだ。

 ……さあ悲劇を止めたくば、全ての始まり──《悪の死源ペイシエント・ゼロ》を見つけ出し、その心臓を止めるのだ。

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