【第一章 砂漠に咲いた氷花みたいで】1-1
灼熱色の太陽が、大気中に舞う砂粒のベールに包まれる。嘘みたいに柔らかくなった陽光が、あまりに神々しく《宗教国家:アイリオ》へと降り注ぐ。
ここは国の
宝玉陽には、遥か昔に死した〝神”が宿っている──そう、信じられているからだ。
幻想的なスカイ・グラデーションに祝福され、ひとりの少女が、奥から姿を現した。
その少女は美しかった。常軌を逸して、美しかった。
年齢は十代半ばほど。どこか硝子細工を思わせる、繊細な印象の少女だった。
透き通った藍白の瞳は、冬湖を固めた純氷のよう。色素の薄いロングヘアが、ふわりと風に靡いて粒子を散らす。睫毛までもが純白で、瞬きのたびに輝きが生まれる。
──ガシャン、ガシャン。
少女が歩けば、金属質の音が響く。細い首に繋がれた、頑丈な鎖が擦れる音だ。
白き少女は囚われていた。縛られ、自由を奪われていた。
先導する青年が鎖を引き、少女はその眷属が如く、賑わう広場を進んでゆく。
裸足のまま、為す術もなく。
「はじめて君を見たときに──」
鎖を握る青年が、穏やかな口調で切り出した。
くすんだ金髪が目立つ、長身の青年だ。はためく純白の
「驚愕したよ。だって、あんまりだ! あまりにも……」
青年は言葉を詰まらせて、感極まったように目頭を擦る。
「あまりに人間離れしてるから。こんなに綺麗な生物が、この世に存在してるんだって……少し、怖いぐらいだった。事実震えてたんだよ、僕は。ガタガタ震えて、止まらなかった。だって純白は神様の色……君は生まれつき、ノル様に祝福されているに違いない」
「…………」
「その証拠に、ほら。君を迎える宝玉陽は、ああ……こんなにも美しい! 本当に、今日は最高の処刑日和じゃないか!」
両手を広げ、青年は微笑う。澄み切った残虐性を、少女は静かに見上げている。
二人が向かうは広場中央。天に向かって高く組まれた、処刑台の頂点だ。
「さあ……ともに向かおう!」
少女は罪深き「死刑囚」として、青年は罪人を送り届ける「葬送者」として──興奮しきった民衆たちに彩られた、死の花道を進んでゆく。
娯楽に乏しいこの国で、処刑とは一大エンターテインメントであるらしい。
非日常の空気に酔い、すっかり熱くなった民衆たちの口からは、ありとあらゆる罵詈雑言が流出し、少女に向かって降り注ぐ。
そのうち民衆のひとりが、少女に砂を投げつけた。
そこからは徐々にエスカレートしていって、小枝に石、しまいには貴重品である水までもが投げつけられて、残酷なお祭り騒ぎは加速してゆく。
民衆の手で、白き少女が汚されてゆく。それでも誇り高き内面は、こんな色には染まらない。だからこそ少女は、無抵抗で全ての誹りを受け入れた。
「……おい、テメェもやれよ。役立たずの無能野郎が」
「……嫌です。無理です、やりたくない」
ふと花道の左側から、コソコソと押し殺したような会話が聞こえてきた。粗暴な声と、気弱そうな声。少女は表情を変えぬまま、そちらの方向に意識を向ける。
「嫌だァ? ……テメェの意見なんて聞いてねェよ。さっさと行けや、カス以下がッ!」
どんっ。
大柄な男に小突かれて、飛び出してきたのは少年だった。
強引に花道へと押し出され、少年はよろめき倒れ込む。砂だらけになった少年は、困ったように少女を見上げた。
年齢は少女と同じほど。線が細く、自信なげで、いかにも貧弱そうな少年だった。
「……おや。我がチームの異物じゃないか」
鎖を引いていた青年が、わざとらしい声を上げて立ち止まる。ビクッと肩を震わせて、少年は怯えたように青年を見上げた。
「ヴェクタ、さん……」
「どうしたんだい? 珍しく、儀式に参加する気になったのかい?」
「……ちがう」
「違う? ……それじゃあ、困るんだよ」
唐突に厳しい口調になって、青年は少年の胸倉を掴む。やっちまえ、ヴェクタ──背後の男が嬉しそうに、金髪の青年を囃し立てた。
「いいかい? これはアイリオ国にとって、とても大切なことなんだよ」
金髪の青年──ヴェクタは少年の胸倉を掴んだまま、まるで聞き分けの悪い子供にするように、ゆっくりと噛んで含めるように言葉を続ける。
「この
これは全部、彼女のためなんだ。そう繰り返しながらヴェクタは少年の胸倉から手を離し、鉛のように冷え切った瞳で彼を見下ろす。この女を痛めつけろ、ありったけの屈辱を与えろ──無言の圧力が、俯き続ける少年を襲う。
ああ、なんて趣味の悪い。こんな、虫も殺せなそうな少年相手に……。
「……怖い?」
少女は訊いた。静かな少女の問いかけに、少年は答えず目を伏せる。
かと思うと少年は、まるで傷口を庇うかのように、自らの左腕をぎゅっと握った。見れば少年の左腕には、薄汚れた包帯がグルグルと巻きつけられている。
……乱暴な彼らに、ひどい暴力でも受けたのだろうか?
「君がこれ以上、我らが《
スッと目を細め、忠告をするようにヴェクタが言った。
「次に《神罰》が下るのは──君の番だろう」
──神罰。
その言葉を聞いた少年は、ハッと目を見開いた。夜闇のように暗い瞳が、鮮烈な恐怖に濡れている……そんな風に、少女は感じた。
(神罰……?)
罪人の少女は、その単語の意味をよく知らない。ただその言葉が、この国の人間にとって耐え難い恐怖であることだけは理解できた。
立ち尽くしたまま何かを思考していた少年が、ついに決意したように顔を上げる。
わなわなと震える手で取り出したのは、どうやら卵のようだった。丸くて、白くて、小さくて──あっと思った瞬間には、それはすでに、少女の顔面へと投げつけられていて。
「…………」
観衆がどっと沸き、実行者の少年を褒め称える。さすが、そうでなくちゃ、意外とやるな役立たず──賞賛の言葉を浴びながら、少年はさっと俯いた。
どろりとした中身が、首を伝って、服の内側へと落ちてゆく。ベタベタとして気持ちが悪い……長らく無表情だった少女は、ここに来てほんの僅かに眉をひそめた。
「……さあ、そろそろ行くとしようか」
満足そうに微笑んで、ヴェクタが少女の鎖を引く。視線の先に鎮座するは、天へと向かう処刑台。胸元で
「──
***
大聖堂聖歌隊によって、純正讃美歌第七番「再生の標」が歌われる。荘厳で華やかな讃美歌が、見事なハーモニーによって歌い上げられた。
処刑台には、白き少女。
その隣で、豪奢な聖衣を身に着けた大聖堂司祭と、斧を抱いた葬送者の青年が、
「これよりガリラド大聖堂聖典に則り、神聖なる
盛り上がってゆく讃美歌に包まれて、司祭は仰々しく少女の罪状を述べ始めた。
「──この者の罪は、神への反逆であるッ! 大聖堂の洗礼を受けぬ穢れた手で、神聖なる《
何百人もの民衆たちが、遥か下方で大歓声を上げている。
その光景を見下ろしながら、少女は今日ここに至るまでの出来事を思い出していた。
(……迂闊だった)
そう悔やまずにはいられない。
隣国ルミナータで生まれた少女が、ここアイリオ国に辿り着いたのは、今から数ヶ月ほど前のことになる。ガリラド大聖堂によって編成された、世界有数の
なぜなら少女も戦士なのだ。
幼い時から、この大陸中を汚染する《死獣》──死の具現化とも称される、醜悪な怪物どもと戦い続けて生きてきた。あの頃の自分は世界最強だと思っていたし、実際、負けたことなどなかったのだ。
そんな自信が崩れ去ったのは、少女が十三歳になった春のこと。自分から手合わせを申し込んだ、親戚のお姉さんに負けた。目も当てられないほどの惨敗だった。
(……悔しかったんだ。ほんと、もうメチャクチャに)
もっともっと戦いたい。限界を超えて強くなりたい。誰よりも、誰よりも──そう決意した少女は、その日のうちに家を出た。たった一人で旅をして、風の噂で知った
(……でも、ぜんぜん期待外れだったんだ)
心の中で溜息をつき、少女はゆっくりと首を振る。
命がけで辿り着いたアイリオ国は、まったく異様な国だった。そもそもあの醜悪な、薄気味悪い《死獣》──あれを「聖なる存在」と扱うなんて、正気の沙汰とは思えない。
しかも奴らが神聖視されているせいで、この国では死獣狩りが、ごく一部の聖職者にしか許されていない。エリート
だから少女は決めたのだ。
自分の手で、国中の死獣を殺し尽くしてみせようと。
それは決して善意や優しさの類ではなく、ライバルたちへの力の誇示、あるいは自分自身への挑戦……だったのだけれど。
しかし少女の想いとは裏腹に、その利己的な存在は、徐々に一部民衆たちの間で英雄視されていったのだ。
結果として少女は大聖堂から危険視されて、国を賑わす指名手配犯となったのだが。
「──これより、懺悔の機会を与えよう!」
司祭の声が、広場に響く。神々しい宝玉陽が、遥か上空で輝いている。
絶望的な現実に引き戻され、少女は眩しげに目を細めた。
「さあ罪人よ、神への誓いの言葉を口にせよ! 過去を悔い改め、未来永劫の信仰を誓うのだ。さすれば肉体死したとしても、汝の魂は救われるだろう!」
司祭の言葉を聞きながら、斧を抱いた青年ヴェクタが、少女に向かって微笑みかける。不気味なほど穏やかな瞳に、生理的な嫌悪感を覚えずにはいられない。
数週間前に少女を捕まえたのも、他ならぬこの青年だった。死した神への忠誠と、もはや狂気とも呼べる執念によって、潜伏先のオアシスを探し出されてしまったのだ。
拘束した少女に彼は語った。この神聖な
慈悲深い神は、罪人にすら赦しを与える。処刑台で神への忠誠を口にすれば、これ以上の苦痛を与えることはない──ただ穏やかに、神の元へ送ってもらえるのだと。
『──ただし。神は抵抗する者に、容赦はしない。誓いの言葉を拒むのなら、君には罰が与えられる。両目は抉られ、鼓膜は焼かれ、四肢はちぎられ殺される』
顔色も変えずにヴェクタは言った。
残酷な未来を想像せずにはいられなくて、ゾクゾクと胸の奥が震えたのを覚えている。
「さあ罪人よ! 今こそ誓いの言葉を口にするのだッ!」
厳しい口調で、司祭がそう繰り返す。鎮魂歌の盛り上がりが佳境を迎える。
少女は知っていた。これを拒めば、どんな未来が待っているのか。どれだけ残酷な仕打ちを受け、どれほど無残な死に方をするのか……それを全て、知っていた。
だからこそ少女は顔を上げ──迷うことなく口にする。
「──クソ喰らえ」