第二幕 夢と、居場所と、三匹の子トラ その6
夏の夜空は、蒼い。
波間に浮かぶ月も、また蒼い。
潮風に濡れて月明かりに煌めく鱗も、劣らず蒼い。
「──♪────♪──」
虫も寝静まった時間帯。
さざなみの寄せ返す音を伴奏に。
一匹の竜と、一人の幼女が、歌っていた。
「♪──♪──────」
それは詞なき竜の歌。
青海に臨む崖で、波打ち際の浜辺で、月光そそぐ洞穴で。
憩いを求めて羽を休める竜たちを、心地良い眠りへと誘う優しい子守唄。
「────♪────♪」
見上げるほどの巨体を持った、翼のない海竜。
その巨体のほんの鱗一枚分ほどのスペースに収まるサイズの幼女。
芸術作品の一幕と見紛うほどに、神秘的な光景だった。
幼女の名は、
竜に育てられた子供である。
「……きょうは、みんな、なかなかねつけなかった」
ふたりの歌に癒されに集まった竜たちが、ようやくみんな寝静まった頃。
歌を止め、
原因は、何となくわかっている。
「……ル、ルゥ。ゥルルゥ……」
「ししょう。かすみのこと、そんなに、しんぱい?」
寂しそうな声を上げた「ししょう」に、
彼女は、
種族は違えど、歌で心を通わせ、我が子のように寄り添って過ごしてきた。
その
当然、歌の最中によそ事を考えるくらいに、寂しくもなる。
以前にも、この海辺にほど近い病院で、見習いとして取り立ててもらったことがあったようだが、その時はすぐに落ち込んで帰ってきたものだ。
「だいじょうぶ」
そんな親心を察したように、
「こんどは、みんなが……いるから」
その心安らかな笑顔に、ししょうは思い出す。
先刻、
彼らはかつて、自分を治療してくれたことのある人間だった。
そして、一緒にいた
あの人間たちと一緒の場所なら、きっとこの子も寂しくはないのかもしれない。
「……ルゥ」
自分は寂しいけど。
「ししょう。かすみは、おんがえしが、したい」
覚えたての単語を使うように拙く、
「ししょうがいなかったら、かすみは、うみがこわかった。かすみがここに、いられるのは、ししょうのおかげ」
今よりもっと小さい頃、海難事故に遭い船から投げ出された
「いままで、いっぱい、いっぱい、もらったもの……かえしに、またもどってくるから」
新たな居場所を見つけた
けれど、帰ってくるふるさとはいつだってこの海だ。
「だから、よふかしは、だめ」
「……ル?」
「すききらいも、だめ。でも、へんなものもたべちゃだめ」
「……ル、ルウ」
「けがしちゃうから、けんかもだめ」
どちらが母親かわからなくなるような言いつけの数々。
「からだを、おだいじにして。ながいきしてね。ししょう」
聖母のような微笑。それから、スイッチが切れたようにとろんと目を細める。
「ウルゥ」
「ん……おやすみ、ししょう」
背中の小さな温もりに。
「────♪────」
しばらくおあずけになるであろう、「娘への子守唄」を、歌ってあげた。
◇
「おはようございます、院長。改めて、今日からよろしくお願いします」
「よろしくお願いしまーすっ!」
「…………(ぺこり)」
そして、迎えた『合宿』初日。
「おう……よく……よく来たな、ん」
大荷物を持って朝のスサノオ医院に集まった
「ちょっと、お父さん……初日くらいしっかりしてよ、恥ずかしい」
「あはは、いんちょー、おねぼうさんだ? よーしっ」
院長とは対照的に朝から元気いっぱいな
「ひゃっ……!」
驚いて声を上げた
「……んあ……? ……っ、り、竜かッ!?」
「ぴゅいっ! ぷぴーっ」
気づくのが一瞬遅く、帽子の中から顔を出した水竜の水鉄砲は見事院長の顔面をスナイプした。
「ぶわっぷ! おう気が利くじゃねえか最高に涼しいぜ目も覚めたぜありがとな!」
「ぴゅーいっ」
一気に目を覚ました院長の半ばヤケクソじみた感謝に、水竜は嬉しそうな声を上げた。
「えへへ、よかったね、ピュリィ。これから毎朝の目覚まし係はキミの仕事だね」
「ぴゅい!」
「おう……そりゃ、いいや、期待しちゃうぜ……」
げんなりしつつも笑顔は絶やさないプロの父親っぷりに感心しつつ、ふと耳慣れない響きを思い返して呟く。
「ピュリィ……?」
「ぴゅいっ」
復唱する形で呟いた言葉にも、水竜は反応して首を向けた。
「この子の名前だよ。せんせー、今まで名前つけてなかったでしょ」
「えっ。……ええ。別段、僕の飼い竜というわけでもなかったので……」
これまで、考えたこともなかった。
医者が患者に、名前など授けない。その意識が先行していたためだろうか。
「ダメだよ、家族なんだから。ちゃんと名前で呼んであげないと!」
「家族……そう、ですね」
口にしたのは、随分と久しぶりな気がする言葉だった。
「キミも、今日からよろしく。ピュリィ」
「ぴゅいっ!」
仲良く微笑み合う竜と人とを眺めて、院長は溜め息交じりにこぼす。
「竜が家族の生活ね……また随分、楽しくなりそうじゃねえか。なあ
「……それ、皮肉で言ってるの?」
さあな、と空返事しながら手癖でポケットをまさぐる院長の口に、