第二幕 夢と、居場所と、三匹の子トラ その7

 スサノオ医院の使われていない応接室を模様替えした、簡素な教室。

 かすみの三人が横一列に並び、長机を挟んでわかとらと向かい合う。

 竜医認定試験まで、残り219日。

 ここから歩み出す、最初の授業だ。

「きりーつ!」

 がたん、と元気よく立ち上がったを、かすみがぽかんと見つめる。

 多分、何の示し合わせもしていなかったのだろう。ほんの数秒、直立不動のを見つめてから、二人は同時に笑い、彼女に倣って起立した。

「れいっ!」

 机にぶつけそうなくらい、深く頭を下げる。

『よろしくお願いします!』

 朝の教室に、二人分……いや、二とほんのちょっと人分くらいの挨拶が響いた。

「よっ、よろしくお願いします」

「ちゃくせーき!」

 そしてまた、元の位置に座り直す。

 開始の号令を受けたわかとらは、言い知れない感動を覚えていた。

 昨日の夜からずっと、どんな風に何を教えていくべきか、最初は実力テストでもやってみようか、実技との兼ね合いは、スケジュールの足並みは……など、様々なシミュレーションを重ね、万全の態勢で臨んだ最初の授業ではあったが。

 なんのことはない、号令という儀式を経ただけで。そんな前準備の段階よりもはるかに強く、自分が「先生」としてそこに立っていることを実感させられる。

 教壇の景色。まっすぐに見つめる生徒たちの瞳。部屋の後ろに置かれた水槽で気持ち良さそうにぷかぷか漂うピュリィの姿も、『教室感』の増強に一役買っていた。

「それでは、本日の授業を始めます」

 いっそう気を引き締めながら、わかとらは授業開始を告げた。

「って言われても、教科書とか何もないんだけど」

「今日はそれで構いません。あとから必要だと思ったら用意しますし、皆さんもお手持ちの参考書などがあれば持ち寄ってください。ただ」

「ただ?」

「僕の目的は、皆さんを型に嵌めることではないので。教科書通りの授業をするつもりはないというのは、最初にお伝えしておきます」

 竜医というのは、知識だけを詰め込んでなれるものではない。そもそも子供の頭脳というのは大量の知識を詰め込むのには適していないし、現場で求められるのは知識そのものではなく、それをもとに何を考えどう応用するかという対応力だ。

 だからわかとらは、教科書通りの知識は試験の要点程度に抑え、自身の経験した症例や事故事例などを取り扱い、考える力を身につけさせる方針を立てた。

「とはいえ、何を教えるにも、まずは現状を知ることから。皆さんの力を軽くチェックさせていただくため、このようなものをご用意したのですが……」

 三部の小冊子を三人に配っていく。ノートの切れ端に手書きの拙い問題用紙。

「ふおおー……なんか学校っぽい!」

「実力テストってことね」

「はい。……ですが、時間制限は設けません。何を見て調べても構いませんし、皆さんで相談して解いていただいても結構です」

「え、そんなんでいいのっ?」

「制限時間なしってことは、解くスピードは問わないわけ?」

 無論、本番の認定試験には制限時間がある。しかし今は本番ではない。

「速度は経験でカバーしていくものです。初めのうちは、間違った知識を頭に入れないことの方が大事ですので。まずは、一問も間違わないことを意識してみてください」

「……わかったわ。で、がもう解き始めてるけど」

「あれっ!? あ、スタートって言うまでダメだった!?」

 相変わらずせっかちなに苦笑してから、改めてテストの開始を告げた。

 基本的に形式は「こうした症状の竜がいる、原因は何か?」の一問一答だ。そのほとんどはわかとらの実際の経験に基づき、また過去の試験問題とも照らし合わせてある。引っかけ問題のような意地悪も少なくし、シンプルな知識や思考を問うものばかりを用意した。

 しばらく、黙々と問題を解いていく一同。五分ほど経って、状況に変化が訪れる。

「んー……? ううーん……」

、どこかわからない所あった?」

「はーちゃん。これって何て読むんだっけ? サカサマサカナ……?」

「……それは、逆鱗ね。サカナじゃなくてウロコ」

「あー! これウロコかぁ! ありがとはーちゃん!」

 漢字の読み方とはいえ、が最初にコミュニケーションを図ったのである。

「ちなみに、逆鱗とは何のことでしょうか」

 そこで対話を終えようとした二人に、質問を投げかけてみる。

「えーっと、ゲキ、ゲキ……そう! ゲキおこ! ものっすごい怒ること!」

「……竜医学的には、竜の喉に一枚だけ生えている通常とは逆向きの鱗のこと」

 二人の性格がそのまま出たかのような回答だ。

「はい、どちらも間違いではありません」

「やったぁ!」

「……『逆鱗に触れる』って、ことわざみたいなものでしょ? そっちも正解なの?」

「まあ、実際の試験でゲキおこなんて答えたらバツになりますけど」

「あうっ」

「逆鱗が怒りの象徴だという自体は、竜医的には間違いでもないんですよ」

 テストを小休止し、小話程度の雑談を始める。

「竜は、たとえ子供相手であろうと、逆鱗に触れられることをひどく嫌います。それはもうゲキおこするほどにです。では一体なぜなのでしょう?」

「……? なぜって、その……び、敏感だから?」

「なぜ敏感なのでしょう」

「びっ、敏感な所は敏感なのよ! あんまビンカンビンカン言わせないでよね!?」

 何故か逆鱗に触れたようだ。

「では、さんはどう思いますか?」

「えっとね、喉のとこは他より痛いの。逆さまに生えてるからグサーッて刺さりやすいし、刺さっちゃうと血がいっぱい出て大変だから、触られるだけで危ないんだ」

 丁寧に彼女なりの言葉で解説してくれた所見は、ほぼほぼ正答。

「あ……! そっか、逆鱗直下には主要な動脈や神経が集中してるから!」

「その通り。お二人とも、正解です」

 逆鱗は、竜にとっての急所だからだ。特に火を噴ける竜などは咽部の火炎嚢が体温調節の役割も果たしている場合が多い。痛みに敏感なのも神経が多く通っているから。逆鱗に触れられると本能的に生命の危機を感じて、結果ゲキおこで拒絶するのである。

「このように、大抵の物事には理由があります。患者が苦しんでいるなら、必ずそこにも理由があるはずなんです。……それを考え続けることを忘れないでください」

「はいっ!」

「わかったわ」

 各々納得してテストに戻った。二人の今のやり取りだけでも、それぞれの能力や思考のパターン、長所短所が見て取れた。

 は、根本的な自信の無さの表れなのか、詰め込んだ知識ばかりを頼ろうとする傾向にある。知識量は最年長ゆえか随一で、ヒントさえ得れば冷静な思考で結論を導けるが、ひとつひとつの知識の結びつきが弱い。「知ってたのに答えられなかった」の典型だ。

 一方のは、下手な新米竜医よりもはるかに多くの竜と触れ合ってきた経験からか、知識は無くとも知恵として直感的に物事を捉えている。自身の経験だから疑いも迷いもせず、最短ルートで結論を出す。「よく知らないけどわかってた」といったところか。

 どちらが優れているという話ではない。知識量という元々の武器が多い子は経験を積むことで大きく伸びる余地があるし、直感に頼った思考は状況判断の正確さを欠く。

 それぞれが長所でもあり、短所でもあるのだ。

 ……とはいえ、で前の先生たちがこぞって匙を投げたというなら、早計にも程があるというもの。これで適性皆無なんてことは絶対にない。

「……? …………??」

「今度はどうしたの、

 再び手を止め無言で首を傾げるを目ざとく見つけ、が助け舟を出す。

「あ、はーちゃん。えっとね、これ何だろう……?」

「ず、随分先の方の問題まで進んでるのね? えっと、なになに……」

「…………(ちらちら)」

「……え、何これ。背中のこれ、こんなの見たことない……」

 ちらりと問題を覗き込んで、ああこれか、とわかとらも納得した。

 背中に金属質の板状器官が立ち並ぶ竜が、体力低下と四肢の痙攣で苦しんでいるという状況。わかとらの経験した珍しい症例を組み合わせて考えたオリジナル問題だ。

 背中の板は体温調節器官で、主成分は鉄。擦り合わせて熱を生み、身体全体を温めるための器官。背板の補強を目的とした鉄分補給の際、落ちていた強力磁石を誤飲し、背板の一部が着磁、摩擦運動をうまく行えず軽度の低体温症に陥った。これが正答。

 考え抜けば正解に到達できなくはないものの、それでも超難問。これを難なく解けるようなら、ともすれば知識面では合格者のレベルに追いついているとまで言える代物だ。

「ど、どうしよう。わかんないわ」

「どうしてもわからなければ空欄にするか、もしくはその考えに至った理由を順序立てて説明すること。当てずっぽうで答えてはダメです。偶然正解しても身につきませんから」

 せっかくの助け舟も難問の重さに沈みかけ、二人してうんうん唸る

「むむむむむむぅ……! はいせんせー!」

「はい、さん」

「頭を! 冷やします!!」

 勢いよく挙手し立ち上がると、背後の水槽に目配せ。アイコンタクトで通じ合ったピュリィが、水槽から首を伸ばしてに水を噴きかけた。

「……さん?」

「ぷはっ! すっごく頭がスッキリした気がする! これが竜と一緒に暮らすってことなんだねせんせー……!」

「……違うと思います。あとそれ、当然試験本番ではできないので癖にしないように」

「はい……」

 しょんぼりするに、わかとらは心ばかりのフォローを入れる。

「けど頭を冷やすというのは良い線行ってると思います」

 ヒントにもなる含みを込めた言葉。はフクロウみたいに「?」と首を傾げていたが、は鋭く気づいたようで再び問題文に目を走らせていた。

「…………(おろおろ)」

 そして、そんな様子の二人に、さっきからしきりに視線を送っているかすみ

「…………(ふいっ)」

 と思ったら、声をかけずに俯いてしまった。

 かすみの短所は、おそらくここ。三人の中で一番わかりやすい。

 極度な無口ゆえのコミュニケーションの欠如。とは違う理由で、自分に自信が持てないタイプ。おそらくチーム医療においては最も大きい足枷になってしまう部分だ。

 考えに自信が持てなくても、まずは仲間に発信することが大事なのに、と思いつつかすみの答案をこっそりと覗き込む。

「………………、ッ!?」

 そこには、「じしゃくをたべた」と書かれていた。

「か、かすみさんッ!」

「!?!?!?!?(びくびくびくーっ)」

 天敵に遭遇した小動物のように、かすみの小さな身体が思い切り跳ねて椅子から転げ落ちた。

「どわぁ、みーちゃん!?」

「あ、す、すみません急に! お怪我はありませんか……?」

「…………(ふるふる)」

「何やってんのよこのロ……先生!」

 酷い言いがかりをつけられそうになったが黙っておく。

「あれ? みーちゃんの答え……もしかしてこの問題わかったの!?」

「…………(こくり)」

「えっ、すごいじゃないかすみ!」

「……で、では、お二人にどうしてその解答になったのか教えてあげてください。正解だけ教えてもお二人のためになりませんので」

「あ、てことはやっぱりこれで正解なのね」

「そっ……それはどうでしょうね」

 しまった。が、この際それはもういいだろう。わかとらの興味は完全にかすみに移っていた。

「…………(おろおろ)」

「それとも、僕がいると話しづらいのでしたら、しばらく退室していましょうか?」

「…………!(ふるふる!)」

 がんばって話してくれるらしい。

 それからかすみは、たどたどしくも一生懸命に、解答のプロセスを教えてくれた。

「……せなかの、いた。てつで、できてて……」

「鉄……なのねこれ。骨だと思ってたわ」

「ちが、とびだしてる、の」

 驚くべきことに、それも正解だ。血中の鉄分から形成された塊が体外に露出しているため、背板による発熱は血管を巡って全身にスムーズに行き渡りやすい。

「じしゃくを、たべて……せなかが、じしゃくになった」

「背中がくっついちゃったんだ!」

「……でも、それと衰弱、痙攣に何の関係があるの?」

「いたを、こすって、からだを、あっためるから……できなくなって、さむくなった」

「低体温症……! 確かに、身体の震えと衰弱はその症状だわ!」

「みーちゃん、ホントにすごいっ! なんでわかったの?」

「……しってた、から」

 今日何度目かわからない驚愕に、わかとらは言葉を失った。

 知ってたはずがない。この問題はわかとらが自分の経験を組み合わせて考えたオリジナル問題。現実に起こりうる症状ではあるが、丸っきり同じケースは記録にないはず。

 つまりかすみは、わかとらが問題のベースにした症例の全てをどこかで閲覧し、それぞれを知識として記憶していて、それらを組み合わせて結論を導き出したということになる。

 まるで彼女自身が既にどこかで最先端医療に従事したことがあるかのような、圧倒的な知識量、気づきと応用力。候補生を数日経験しただけで身につくようなものではない。

 一体どれほどの情熱を、この小さな身体に秘めているのだろう。ほど表には出さなくとも、かすみも「絶対に竜医になる」という固い決意をもってここにいる。

 ……だからこそ、わかとらは歯痒くてならなかった。

 彼女が「知ってたのに答えなかった」ことが。

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