プロローグ ロールプレイングゲームの素晴らしさについて。
RPG【ロールプレイングゲーム】というものをご存じだろうか?
主人公が仲間とともに冒険を繰り広げ、レベルを上げ、多くの試練の末に強大な敵を倒したり世界の危機を救ったりする、俺の大好きなゲームジャンルだ。
このゲームの何がいいって、他人と関わらなくていいこと。
生身の人間を相手にする対戦型ゲームと違い、努力は必ず報われるし、いちいちマウントの取り合いになることもない。
俺のための冒険。俺のための物語。そして俺のためだけの世界。
その世界で、俺は違う自分になりきって生き続ける。
そう、役割演技【ロールプレイ】の名の通り、違う自分になれるのだ。
人が読書をするのは人生が一度しかないことへの抵抗だ、なんて言葉もあるが、RPGもまさしくそれ。
RPGをやることは、人の人生が一度しかないこと、そして人生を構成する要素の大半を自分自身で選べないことへの抵抗である。
ここまで言葉を尽くせば、このジャンルの素晴らしさを分かってもらえるだろうか?
――ただ、この素晴らしきゲームにも、たった一つだけ瑕疵がある。
単純な話、違う自分になるなんて、わざわざゲームの世界に入り込まずとも誰もが現実でやっていることだったりするということだ。
たとえば、つまらない話に興味深げに相槌を打つ時。
たとえば、嫌いな相手に愛想笑いを見せる時。
たとえば、間違っていると思うことから目を背ける時。
そこに『自分』という人間はいない。『自分』という人間の意思はない。
いるのはそう、ただの『クラスメイトA』であり『通行人A』だ。
誰もがそういう役割を演じて、不条理な世界の不具合から自分を守っている。
だから、俺は思うのだ。
青春なんてロールプレイ。みんな誰かを演じてる。
素晴らしい青春という物語を進めるため、みんな何かを演じてる――。