私が拠点にしている奇妙な名前の辺境都市ユキハナは、帝国西部一帯を表す辺境領の一都市だ。
最初に辿り着いた時は心底驚いた。
辺境領は帝国内でも田舎、と聞いていたのに、帝都と飛空艇で繋がっているわ、道路はきちんと舗装されているわ、人は多くて活気があるわ、冒険者関連のお店も多いわ……何より食事がとても美味しい。
王国が帝国に勝てないのはしょうがないと思う。帝都の賑わいはここの比じゃないらしいし。
私の住んでいた王国には田舎の一都市に空路を開いたり、道路を舗装する、という考え方はない。発展しているのは王都周辺だけだ。
多分、それはこれから先も変わらない。
王国を実質的に支配している大貴族達は、自分達以外の貴族や民衆が力を持つことを、殊の外恐れている。全て大貴族の中だけで物事を決めていたいのだ。
……ほんと、ろくでもない連中だと思う。
私は気分を無理矢理変え、独白する。
「とにかく、今は美味しい物を食べて、元気を出さないと!」
宿のある小道を抜け、大通りに出ると多くの冒険者達が歩いていた。
駆け出しから、中堅。少ないけれど熟練者もいる。それを客とする屋台も多く出て賑わっていて、食欲をそそる匂いが立ち込めている。
ジゼルから前に聞いた説明を思い出す。
『辺境都市は帝国内だと同じ西部にあって、『大迷宮』を抱えている迷都ラビリヤや、経済・政治の中心である西都トヨ、それに帝都ギルハと並んで、冒険者の数が多いんです。なので自然と商売も冒険者相手のものが盛んになっているわけです。……他の冒険者を擁する都市と比べると格としては、一番下なんですけどね』
確かにそれは分かる。辺境都市には、私も含めて若い冒険者がとても多い。
周囲にいる魔獣も、基本的には──時折、違う地方から流れて来た厄介なのもいるけれど──戦いやすい相手ばかりだ。
とにかく、まずはここで腕を磨き、名前を売る。
その後、迷都や西都、帝都へ移動していくのが、多くの冒険者達の辿る道らしい。
それが所謂、帝国にいる冒険者にとっての三大都市。
とにかく多くのお金を稼ぎたい人は『迷都』へ。
お金以上に人脈を築きたいならば『西都』へ。
社会的地位を得たいならば──最激戦区『帝都』へ。
冒険者の格付けとしては、帝都にいる人達が最上位。
次いで、西都。
迷都は二都程ではないものの、上位に君臨している冒険者の質では決して劣らない、と聞いている。
勿論、帝国には北や南、東にも大都市があるけれど、鉱山都市だったり、商都だったり、軍都だったりして、一般の冒険者の活動はそこまで活発じゃない。
なので、私も何れは三都市へ行き自分の腕を更に磨きたい、と思っている。
ただし、どの都市へ行くのにも、冒険者ギルドのお墨付きである推薦状は必須だから、結局、強くならないといけないのだけれど……。
私はまだ遭遇した経験はないものの、上位の魔獣の中には人を喰らい、力を向上させる個体もいるらしく、冒険者ギルドは大都市圏で仕事をするソロ冒険者を第五階位以上の猛者限定、としているのだ。
──強くならないと、先へは進めない。
若干、落ち込みつつ歩いていると、顔馴染の冒険者や店の主人から声がかかったので、手を振る。
ここに流れ着いて約二年、それなりに名前も知られるようになってきた。
美味しい行きつけのお店も出来たし、少ないけど友人がいない訳でもない。
今日は買取り金も手に入ったし、ちょっと高めの定食屋へ行こうと思う。
大通りから路地へ入って暫く歩くと、木製の大きな看板が見えてきた。
『定食屋カーラ』
内陸にある辺境都市で魚介類を食べられるお店は少ないのに、このお店の売りはなんと海鮮料理である。
輸送費用を考えれば、多少高くなるのも仕方ないというものだ。
夕食にはまだ少し早いせいか、私以外に客はいないようだ。
店先から中の様子を覗いていると、元気な声がかかった。
「いらっしゃいませ! あ、レベッカさん」
「こんばんは。大丈夫かしら?」
「はい、勿論です! ここ最近、来られないからどうしたんだろう、って、さっきお父さんと話してたんですよ」
「この通り無事よ」
「良かったぁ」
少し赤みを帯びている三つ編みの髪を揺らしているこの子はカーラ。お店の看板娘であり、店名の由来でもある。私と同い年で数少ない友人だ。
カウンターへ通されておまかせ定食を頼む。
「ロイドさん、何時もので」
「──ああ」
厨房内から素っ気ない返事。
その時だった、店内に大声が響き渡った。
「お! レベッカじゃねぇかぁ」
……嫌な奴の声が聞こえた。
粗野だった父を思い出してしまい、身体が少しだけ震える。無視を決め込む。
「おい! 無視すんじゃねぇよ! 聞こえてんだろ!」
「……うるさいわね。お店の迷惑になるでしょ」
「やっぱり聞こえてんじゃねぇか」
店先から、ニヤニヤといやらしい笑いを浮かべこっちを見ていたのは、野卑で嫌悪感を抱かせる雰囲気を纏った髭面の大男だった。……貴族の出、っていう噂、絶対嘘ね。名前はダイソン。
両腰には片手斧を下げ、分厚い金属鎧を身に纏い、鎧の中央には耐火の赤い魔石がついている。
こんな男でも私と同じ第八階位の冒険者だ。……つい先日まで第九階位だったけど。
──同時期に辺境都市へ流れ着いた当初、ダイソンは私を露骨に見下していた。
その為か、私があっという間に差をつけたのを随分と根に持ち、今は追いついたことを自慢したくて仕方ないようで、こうして絡んで来るのだ。
ダイソンはにやつきながら近寄ってくると、私の許可なしに隣へ座り、しかも椅子を寄せてきた。嫌悪感で肌が粟立つ。
「ギルドで聞いたぜぇ? そろそろ第七階位かと思えば、まだ上がってないみたいだなぁ、レベッカ。ええ?」
「……あんたには全く関係ないでしょう?」
「はん! 俺は知ってんだぜ?」
「……何をよ?」
「お前は、この半年、足踏みしているらしいなぁ?」
「…………」
どうしてこいつが知ってるんだろうか?
ギルドが漏らした?
いや、それは考え辛いわね。わざわざ、信頼を崩壊させる意味がないし。
ダイソンが気持ち悪い猫撫で声を出す。
「諦めてうちのパーティに入ればいいんじゃねぇか? 俺様が、夜も含めて可愛がってやるよ。どうせ、お前まだ生娘だろう? なぁ? っ!」
手を伸ばし太ももに触れて来ようとしたので、小さな火球を生み出し牽制する。
けれど、鎧の赤石が明滅し火球が消えた。……うざったいっ。
少しだけ焦ったダイソンだったが、すぐにニヤつく。
私は声の震えを悟られないように、冷たく吐き捨てる。
「…………鏡で自分の顔を見て言えば?」
「あぁ? つけあがるんじゃねぇぞ。俺様の階位が上になった時、泣いてパーティ入りを懇願しても──」
「小僧。うちの店で何してやがるんだ?」
静か。それでいて、絶対的な問いかけ。
お店の主人であり、カーラのお父さんでもあるロイドさんが、料理の手を止め、ダイソンを鋭い眼光で睨みつけていた。
手には巨大な包丁。浅黒い肌をした腕は丸太のように太く、傷跡だらけ。
頭は丸刈りで頬にもかつての戦闘で受けた、深い傷跡。
「ちっ……俺は客だぞ? 幾らかつて高位冒険者だったからって、そんな態度をとって良いと思ってんのか?」
視線に気圧され、ダイソンは忌々しそうにしながらも立ち上がる。
対してロイドさんは包丁を容赦なく放り投げた。
超高速でダイソンの耳元を掠め、壁に突き刺さる。一喝。
「出て行きやがれっ! 次は当てるぞっ!!!」
ダイソンが少しだけ青褪めた。
「……ちっ。おい、レベッカ覚えておけよ。お前は必ず俺様のモノになる。そいつは決定事項だからなっ!」
そう言い捨ててダイソンは店を出て行った。ほっと、する。
「大丈夫か?」
さっきとはうって変わって、ロイドさんが気遣ってくれる。
私は頷くと謝罪と礼を口にする。
「……すいません、ありがとうございました。流石は元第三階位。威圧感が違いますね」
「レベッカさん!」
カーラが飛びついてきた。大きく震えている。……私の身体も同じだ。
「ごめんなさい。止めようとしたんですけど、あの人、強引に……」
「うん、大丈夫よ。ありがとう」
「嬢ちゃん、一ついいか」
ロイドさんの目が此方を見据える。そこにあるのは──憂い。
この人からは辺境都市に来て以来、助言を受けたりしているのだ。私も背筋を伸ばす。
「お前さんは何時も気負い過ぎだし焦り過ぎだ。そんなじゃ足をすくわれるぞ。いい加減、ソロもキツいだろう? パーティを組んだ方がいいんじゃねぇのか?」
私は両手を握りしめる。顔もきっと引き攣っているだろう。
「……はい。そうなのかも、しれません……。ごめん、カーラ。今日はもう帰るわね……」
「レベッカさん……」
ロイドさんに図星を指され、私は項垂れる。
居たたまれず席を立ち、店を出た。
──その夜はまるで眠れなかった。