第二章 ヒロインは王太子ルートを選んだようです 第一話

 およそ数週間の行程を終え、やっと目前にまで来たシャンゼル王国は、ひと言で表すなら「やばい」だった。

 ちなみに「やばい」という言葉は、フェリシアでは知り得なかった言葉である。前世の自分が使っていたから使えるようになった言葉であり、王女としては相応ふさわしくない言葉だろう。

 それでも思わずつぶやいてしまったほど、そのひと言はたんてきに彼女の心情を表していた。

 シャンゼルの空に広がる真っ黒なモヤ。雲ではない。天気の良い今日は、白い雲が空にけるようにんでいる。それとは全く別の存在だ。

 さすが、たんとも言われる国である。

ちがうと思いたいけど、まさかあれがしようだったりするのかしら)

 確信できないのは、フェリシア自身が乙女ゲームをやっていないからだ。

(なんだかこれ、黒いおりの中に自ら入っていくようで……ちょっといやね)

 そう思っても馬車は進む。

 王女が乗っているとはとても思えないほど質素な馬車は、同行人もまたさびしいものだった。王女本人と、が二人。あとはぎよしやが一人の計四人。騎士のうちの一人が女性だったからまだよかったものの、メイドすらつけないとはさすがお兄様嫌がらせに余念がありませんねと言いたい。めちゃくちゃ地味な嫌がらせだけど。

 やがて、馬車はけんえつを終え、国境をえた。

 それが起きたのは、フェリシアがちょうど、窓から緑豊かな風景を楽しんでいるときだった。

 天から光の柱がずどんと落ちる。

(!? あれはまさか)

 ドクン、と心臓が嫌な音を立てた。

 前世のおくちがいがなければ、あの光の柱こそ、異世界から聖女が召喚されたあかし

(ここは、本当にあのゲームと同じ世界なんだわ)

 自然とそう思ったのは、どこか半信半疑なところがまだぬぐえていなかったからだ。

 でも、こうして聖女が来るところをの当たりにしてしまったら。

「……いよいよ本気でがんらないと」

 ぽそりと呟く。対面に座っている騎士がかたまゆを上げた。まるで「何か言ったか?」という顔だ。彼女は光の柱を見なかったのだろう。馬車の小窓にはカーテンがついていて、フェリシアだけがそれをめくって外をながめていたから。

 なんでもないわ。そう伝えるように微笑ほほえんで、また視線を外に向ける。

 光の柱が消えた空に、一羽の鷹を見つけた。

(あれは……ゼン!)

 少し前に、先にシャンゼルへと旅立ってもらった友人が、上空をせんかいしながら飛んでいる。

 その足にくくりつけた手紙はすでにない。どうやら無事に目的の人物とせつしよくできたらしい。たのもしい友人にはあとでたっぷりとお礼をするとして、フェリシアは満足気にカーテンを閉めた。

 ゲームは着実に進んでいる。でもフェリシアのほうも、着々と準備を整えている。

 もうすぐ王都に着くだろう。フェリシアは、準備のいつかんとして持ってきたヴェールを、ふわりと自分の頭にかぶせた。


 王都に着き、王宮に着き、フェリシアは騎士の手を借りながら馬車を降りた。

 他国の王女のとうちやくに、たくさんの人々がむかえに──来るはずもなく。

 王宮の大広間ホールには、数人の出迎え者だけがいた。予想のはんちゆうだ。だって今日は、この国の人々にとって待ち望んだ聖女が来たのだから。じゆうちんはもとより、王族だってそちらの対応にてんやわんやだろうと考えていた。

 シャンゼル側からすれば、政略目的の相手と待ち望んだ聖女など、比べるべくもなく後者のほうが大事である。

 だからフェリシアは、むしろこの場にウィリアムがいることにおどろきを禁じ得なかった。

「遠路はるばる我が国へようこそ、グランカルストのひめぎみ。私はこの国の王太子ウィリアム・フォン・シャンゼルです。半年後のけつこん式まではこんやく者ですが、あなたの夫としてこれからよろしくお願いします」

 前世で何度も聞かされた、春のひだまりのような声。妹には、興味ないからと散々プレイすることをこばんできたが、そのぼうと声は好きだった。

 それが今、目の前にある。

(って、れてる場合じゃないわ!)

 惚れないと決めたくせに、なんとも簡単な女である。

 フェリシアは王女らしく、ゆうな一礼でもって応えた。

「初めまして、王太子殿でん。わたくしはフェリシア・エマーレンスと申します。こちらこそ殿下とは円満な関係を築きたいと思っておりますので、よろしくお願いいたしますわ」

 だから殺さないでね、とは内心にとどめておく。

 ここから、フェリシアのどくたたかいが始まった。

「ではさっそくですが、円満な関係を築くため、殿下にお願いがございますの」

「なんでしょう?」

「いつまでもヴェールを取らないわたくしを、きっと無礼と思われていることと存じます」

 少なくとも、ウィリアムとともに出迎えに来ている者たちは、わずかな不快感をにじませている。自国の王太子がかろんじられていると思っているのだろう。

「ですが、これは我が国の慣習ですの。こんの女性王族は結婚式までヴェールをかぶり、夫となる方にていしゆくさを示すのですわ。本来なら貴国の慣習に従うべきなのでしょうが……どうかこれだけは、かんだいなお心をちようだいできますと幸いです」

 そもそもの話、まずはこれが許されないと計画は何も始められない。この国でうれいなく平民になるためには、顔を覚えられてはまずいからだ。

 しかし、フェリシアのわずかなきんちようを、ウィリアムはあつなく解消してくれた。

「ああ、そんなことですか。それくらいなら構いませんよ。どうぞ、あなたの好きなように」

「本当ですか。ごはいりよいただき感謝しますわ」

 思わずほっと息をつくと。

「──それにそのほうが、あなたのりよくほかの男に知られることもありませんからね」

 まるで呼吸をするように甘い言葉をかけられて、フェリシアのみがガラッとくずれた。

(そういえば、妹が言ってたわね)

 ウィリアムという男は、幼少期の体験から常に笑顔を崩さないキャラだ。こうりやくしていないときにも甘い言葉をささやいてくるから、最初はなんだこの女たらし、と思ったらしい。

 でもプレイしていく中で、妹は気づいたのだとか。これは、彼にとっての処世術なのだと。

(敵は強敵ってわけね)

 そんなことを考えていると、ふと顔にかげがかかる。フェリシアがその正体を見破るより先に、さっきよりもずっと近くで彼の囁く声がした。

「これでやっと、ね」

「え?」

 思わず顔を上げる。ヴェールしに目が合った。でも、変わらない笑みをかべる彼からは、何かを読み取ることはできない。

 だから、フェリシアは何も答えられなかった。だって彼とは初めて会うはずなのだ。初対面の人間と、どうして約束の話になるのだろう。

 とうわくするフェリシアに気づいたのか、ウィリアムは笑顔のまま不思議そうに首をかしげる。気まずくて、そっと視線を外したら。

「……もしかして」

 彼がそのままだまり込む。しかしすぐに、ちんもくは終わった。

「このあとはによかん長に部屋までの案内を頼んでいます。陛下へのえつけんはありませんので、どうぞゆっくりしていてください。それでは、またのちほど」

 そうして急に去っていく背中を、フェリシアはぼうぜんと見送ることしかできなかった。


(なんだったのかしら、さっきの)

 フェリシアは女官長に案内されながら、先ほどのウィリアムについて考えていた。

(約束なんてだれかとした覚えはないし、そうでなくても、ウィリアム殿下とは初対面よね?)

 誰かとちがえたのだろうか。──ヴェールで顔がかくれているフェリシアを?

 訳がわからない。

(……まあいいわ。今はそれよりも、思ってたより聖女の価値が高いことに頭をかかえたいわ)

 少ない出迎え。省略された王との謁見。いかにこの国が、王太子の婚約者よりも聖女を優先しているのかがわかる。

 なるほど、と思った。

(悪役って、こんな感じなのね)

 孤独には慣れているつもりだったが、がい感がはんない。自国からいつしよに来たたちも、すでに帰国のについている。

 やがてフェリシアは、一つの部屋に案内されていた。

「どうぞ、こちらが王女殿下のお部屋です」

 女官長にうながされて、部屋の中に足をみ入れる。

 そのしゆんかん、フェリシアはかみなりに打たれたかと思った。ごうのなか大切な薬草たちを守ろうと必死に作業していたとき、間近で雷が落ちたことがある。そのときのしようげきと同じくらいの衝撃を、今胸に感じている。

「ここが、わたくしの部屋……?」

「そうでございます。お気にしませんでしたか?」

「いいえ、いいえ!」

 むしろその逆だ。最初に視界に入った応接室には、ゆったりと座れるベルベットのソファがあり、ウォールナットのテーブルがあり、みつなディテールが美しいじゆうたんがある。小さな小さなすたれたきゆうで過ごしていたフェリシアには、どこのきゆう殿でんかと思うほど。いや、ここは確かにシャンゼルの宮殿なのだが、とにかく気に入らないだなんてめつそうもない。

 次にとびら一枚をへだてたりんしつに案内されたが、どうやらそこはしんしつのようだ。てんがいがついたベッドなんて初めて見た。

(ダ、ダイブしていいかしら……!?)

 ふかふかそうで、何より大きくて、なんてわく的なベッドだろう。フェリシアの木板と布を集めて作ったベッドより、何百倍も心地ごこちがよさそうである。

(離宮にもともとあった家具類は全部お姉様たちが持っていってしまったから、自分で作るしかなかったのよね。それが、ここでは……)

 フェリシアの目は、もう宝物を買ってもらった子どものようにかがやいている。

 そんな彼女の興奮に気づかない女官長が、事務的に口を開く。

「王女殿下におかれましては、長旅でおつかれのことと存じます。ですが、本日は我が国にとって大切な日となりました。王女殿下は他国の方でありますのでご存じないかもしれませんが、本日ひるなか、我が国を救ってくださる聖女様がごこうりんあそばされたのです」

「あら、そうなの」

 自分でもたんぱくな返事だとは思ったが、それ以外に何と返せばよかったのだろう。女官長のまゆがぴくりと動いた。

「これは、歴史的瞬間と言ってもいい出来事です。他国の殿下には、わからないかもしれませんが」

 なんか二回言われた。大切なことだったらしい。

「それで? つまり何が言いたいの?」

「つまり今夜、その聖女様のご降臨を祝福して、王宮でとう会が開かれることとなりました」

(ええ、知ってるわ。でもそれ、本当は私のための舞踏会だったんでしょう?)

 これは前世からの知識だが、本来はフェリシアのために開かれるはずだった舞踏会が急に聖女ヒロインのためのものになり、悪役であるフェリシアが最初のげつこうを見せるのだ。おこっても仕方ないような気はするけれど、おかげで使用人たちからの好感度は下がり、悪いうわさが広まっていく。

 が、もちろん今のフェリシアは、そんなおかさない。目指すは円満なこんやくである。

(それにその舞踏会で、ヒロインが攻略しようとする相手がわかるのよね)

 そう思うと、少し緊張してきた。ゲームどおりに怒っている場合ではない。

「王女殿でんには、さっそくその舞踏会に参加していただきたく存じます」

「わかったわ」

「また、聖女様に失礼がないよう、聖女というものがどういうものか、これからしようかいするじよから学んでいただけると幸いです」

 王女に対するれいを先にあなたが学んでくれと思わないでもないが、これもゲームのえいきようなのだろうか。女官長は、先ほどからずっとそわそわしている。もしかすると、このあとに聖女のもとへ参上することになっているのかもしれない。

「わかったわ。しっかりと学ぶから、その侍女を紹介してくれるかしら?」

「かしこまりました」

 現れたのは、二人の若いむすめだった。一人は金に近いクリーム色のかみを持つ、ブラウンのひとみの女性だ。少しだけつり上がった目元が活発な印象をあたえる。

「初めまして、王女殿下。殿下付きの侍女に任命されましたレベッカと申します。これからよろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくね」

 次に、もう一人のがらな女性がしやくする。

「初めまして。同じく殿下付きの侍女となりました、ライラと申します。よろしくお願いいたします」

 彼女はくりいろの髪と水色の目を持っており、小動物をほう彿ふつとさせた。身長が低いせいだろうか。でも、小動物のように愛くるしさをりまくタイプではなさそうだ。レベッカがあいわらいを浮かべているのに対し、ライラは完全なる無表情である。

「ライラもよろしくね。じゃ、さっそく聖女様について教えてもらえるかしら」

 こうしてフェリシアは、舞踏会までの時間をつぶしたのだった。

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