第一章 悪役なんて聞いてません

 そもそものほつたんは、フェリシアがほかのきょうだいたちとただ一人母親がちがうことだった。

 四人いるきょうだいの中で、彼女だけは側室が産んだ子どもだったのだ。その側室も、病ですでにくなっている。

 異母きょうだいたちの数々の嫌がらせがそのせいだと知った彼女は、だからちゆうからはんこうをやめた。母親の身分などどうしようもない。

 それまではやられたらやり返すくらいの気の強さを持っていた彼女も、成長すればそれがいかに無意味だったのかをさとった。

 ようは、めんどうになったともいう。いつまでたってもきずに嫌がらせをしてくる、ようなきょうだいたちが。

 それからは、彼女は王族でありながら、城の小さな小さなれ果てたきゆうで暮らすことをいられた。じよなしメイドなし、その他使用人なしというオプション付きで。

「ふふふ。今日も元気よく育ってるわね。えらいわ、私のいとしい子たち」

 しかし、それを嘆くでもなく、むしろ楽しめるだけの図太い神経を持つのが、このフェリシアという王女である。

 どう見ても手入れの行き届いていない、すたれた離宮。ゆうれいうわさが出るほど、気味の悪いきゆう

 初めてここを目にしたとき、けれどフェリシアはかんした。目の前に広がる、雑草もどきたちに。もちろん、自分が歓喜していると知られればすぐにまた移動させられるので、その喜びはおくびにも出さなかったが。

 そうしてフェリシアの、忘れ去られた王女生活が始まったのである。当時、彼女はまだ十二歳だった。

「ヨモモちゃんとダミーはあいしようもいいし、今回はいつしよに売りましょう。エルディはふんしようが流行する今の時季、たくさん買ってもらえるわよ。アローは今後の生長に期待するとして……トリッキーは、薬用とおどし用、どっちに使おうかしら。ふふ」

 愛しい我が子を見るまなしで、十八歳になったフェリシアは庭で育てている薬草たちに語りかける。ちなみに、安直なあいしようをつけられた植物たちは、順にヨモギ、ドクダミ、エルダーフラワー、アロエとトリカブトである。愛情ゆえのこうだった。

 と、こんな感じに、彼女の庭にはたくさんの植物がある。なかにはフェリシアが植えたものもあるけれど、もともとここにえていたものも多い。初めてそれを見たフェリシアは、本気でここをほうもつだと思ったものだ。

 幼いころ、悪いじようだんを優にえ、異母姉あねに毒を盛られたフェリシア。なんとか死にはしなかったものの、かなりの苦痛を味わった。そのときから、彼女は姉にたいこうするため、毒の知識を身につけることにしたのだが。

 まさかそれが植物に愛称をつけるほどのじんを生むとは、彼女本人も予想外だ。おかげでこの魔宮にやってくる物好きは、さらに減った。

 しかも副産物として、彼女は自由を手に入れた。育てた薬草やハーブをせいで売りながら、貯金までできるようになったのだ。いつか自分のかせいだお金で、めずらしい薬草を買って育ててみたい。あわい夢である。

 しかし、この気ままな日々が続くと思っているフェリシアも、ある一つのねんはいつもあった──けつこんだ。

 そろそろあの意地悪な兄王子──アイゼンが、とんでもないえんだんを持ってくる頃だろう。好色家のじじいか、あいしようだらけの節操なしか。ああ、嗜虐趣味サデイストもありえる。

(国王陛下はいんきよなさるとの噂だし、アイゼンお兄様が即位されたら、いの一番に持ってきそうね)

 商品となる薬草たちをみながら、はぁと重たい息をき出した。

 もうフェリシアだって十八歳だ。むしろ今の今まで縁談の一つもなかったほうが不思議なくらいである。といっても、それが自分のせいだとはむろん彼女もわかっていた。

 自国で相手は見つけられない。きんりん諸国でも難しいだろう。だってそうなるよう、フェリシア自身が自分の噂を流したのだから。

 たまにかんに来る兄の護衛。薬草を売りに出た先の商人たち。

 時には土をいじる姿を見せ、時には第二王女じぶんの趣味をそれとなくバラす。あと、王女の容姿がみにくいことも、つつかくさずばくした。自分がいかにひどい顔立ちなのかは、姉や妹が教えてくれていたから。たまに見知らぬも教えてくれる。だから、これはちがいないのだろう。

 そして、誰も変装した王女には気づかないから、しよう王宮の下働きが話すことをおもしろおかしくふいちようしてくれる。

 全ては、この離宮に残るため。それがかなわないなら、いっそ遠い国に追いやってもらうため。

 百か、ゼロか。

「──第二王女殿でん

 そのとき、めつに人のおとずれがないこの魔宮に、珍しく客人が現れた。

(彼は……アイゼンお兄様の騎士だったかしら)

 思い出そうとして彼をぎようしていれば、なぜか向こうがふいと視線をそらす。男性じんによくされる行動だ。だからフェリシアは、自分はそんなにも見るにえないしこなのかと、そのたびに思い知らされた。

 ふう、と息をつく。薬草摘みをいったんやめると、仕方なしに立ち上がる。

「わたくしに、何かようですの?」

 ついに来たか、という思いは微笑ほほえみの下に隠した。

 自分をきらう兄王子がわざわざおのれの騎士をつかわすときは、だいたい二通りの理由がある。一つは監視。もう一つは伝言だ。

 週に一回ある監視のときは、騎士もフェリシアに声をかけない。とくれば、今回はもう一つの理由だろう。それがどんな伝言なのか、察せないほど鹿じゃない。

「アイゼン殿下がお呼びです。格好は気にしなくていいとのことですので、すぐに参上なさいますようお願いいたします」

「そう。わかったわ。でもせめてこの子たちを置きに行かせてくださる? でないと、手がすべってあなたの口にトリッキーをほうり込んでしまいそうだわ」

 フェリシアはにっこりとトリッキーことトリカブトを差し出した。美しくはかなげなむらさきの花だ。

 国どころか世界でも有名なこの植物は、作り方さえちがえなければ薬にもなる。

 が、それを知らない兄の騎士は、

「わ、わかりました。それくらいの時間は取れますので、早く置いてきてください」

 少しだけ顔を青くして、一歩後ろに下がった。

「ありがとう。やさしいのね」

 その様子にごまんえつになる彼女は、まぎれもなく、自分をいじめるきょうだいたちと半分は同じ血が流れている。


 フェリシアが案内されたのは、アイゼンのしつ室だった。

 書類とにらめっこしているアイゼンは、視線をそこから上げることなく言い放つ。

「余のそくが決まった」

「まあ。それはおめでとうございます」

「ついでにそなたの縁談も決まった」

「急ですのね。どなたとです?」

 やはり、と内心でつぶやいたフェリシアは、少しもどうようすることなく返事をする。

 それが面白くなかったのか、ふと、アイゼンが視線を上げた。そのまゆげんそうに寄っている。

「なんだ、おどろかんのか? つまらんな。祝いの言葉もまるで心がこもっておらんし……まあいい。ちなみにくが、そなたはだれだと思う?」

「わたくしよりゆうしゆうなお兄様がお選びになった方ですもの。想像もつきませんわ」

「ふん。思ってもおらんくせに。では、どんな男がよかった?」

 たん、アイゼンが何かをたくらむようにこうかくを上げた。

 フェリシアとしては早くきゆうもどって薬草摘みの続きをしたかったので、アイゼンがきっと欲しがっているだろう答えをさっさと出してやる。

「そうですわね。わたくしをいちおもってくれる方ですとてきですわね」

 そんな相手にとつがされることなんて絶対にないとわかっていながら、フェリシアはあえてそう言った。これならアイゼンが満足すること間違いなしだ。

 案の定、いやがらせのためにそうでない相手を用意しただろうアイゼンは、楽しげにひとみを細める。

「そうかそうか。では、当日を楽しみにしておくといい。一途にまっすぐと、情熱的に愛されるといいな? シャンゼルの王太子に」

「……シャンゼル?」

「なんだ、小さすぎて知らないか?」

 馬鹿にされるが、今さらこんなこまかいちようはつに乗るようなフェリシアではない。たんたんとアイゼンを見返した。

 頭の中で、兄に告げられた国を思い出す。

 この世界に生きている者ならば、知らない者などいない国。グランカルストからは遠い、最果ての国である。もしくは始まりの国だったか。世界に伝わる神話において、神が最初に造った国とされている。フェリシアもそれくらいのことは知っていた。

 だから彼女が訊き返したのは、兄の言う「小さすぎて」が理由ではない。

 たとえ自国よりも格下の、小さな国だとしても。

 シャンゼルは、ただの小国ではない。

「では兄からかわいい妹に、最後の優しさとして教えてやろう」

 一度もそんな優しさなど見せられたことはないけれど、フェリシアはだまって兄の言葉の続きを待つことにした。

「シャンゼルは大陸のさいとうたんにあり、最果ての国であり、始まりの国でもある。おとぎばなしようせいが存在し、ものが存在し、しようとやらが存在する」

「まあ、こわいですわね」

 もちろんそれも知っていたが、適当にあいづちを打った。

 気をよくしたアイゼンがさらにじようぜつになる。

「ここ最近は魔物とやらのがいが多く、たみは不安な日々を送っているらしい。そなたも、気をつけないといけないな?」

「まあ……」

 なるほど、とフェリシアはなつとくした。

(だから私をシャンゼルに嫁がせることにしたのね)

 好色家の爺ではなく、愛妾だらけの節操なしでもなく。ましてや、サディストでもなく。そもそも、生きていけるかあやういところ。

(さすがお兄様。最後の最後に、なかなかめんどうな嫌がらせをけてきたわね)

 むしろよくそんな相手をつくろってきたものだ。ある意味感心する。

(でも、せずして第二希望が叶いそうだわ)

 離宮に居続けられないなら、彼女はひそかにえんごくを希望していた。遠ければ、きょうだいたちからはなれられる。

「わかりましたわ。お相手は、シャンゼルの王太子殿下ですね?」

「ああ。ウィリアム・フォン・シャンゼル殿どのだ。……やけに聞き分けがよいな?」

「あら。きよすれば白紙に戻してくださいますの?」

「まさか」

「でしょう?」

 それくらいお見通しだ。何年兄とたたかい続けてきたと思っている。敵をたおすならまず敵を知れ。でなければ、相手に有効な仕返しもわからない。そのためフェリシアはアイゼンを、アイゼンはフェリシアを、よく知っている。

「お話はこれで終わりですか? でしたらわたくし、もう戻らせていただきますわ」

 返事を待たずに執務室を出る。バタンととびらを閉めると、肺の中の空気を一気にき出した。

「ウィリアム殿下……か」

 街で少しだけ聞いたことがあるのは、大変優秀で、人望の厚い王太子だということ。遠いグランカルストにまで届くうわさなのだから、しんぴようせいは高いだろう。

 そんな、まだ見ぬこんやく者に思いをせてみる。

 好色家でも、節操なしでも、ましてやサディストでもないならば。

(私も、愛し愛される家庭を作れるかしら……?)

 本当はそれが夢だったなんて、ずかしくて誰にも言えない。どうせまともなえんだんなんてもらえないだろうと思っていたから、なかばあきらめていた夢。

 それが、もしかしたらかなうかもしれない。

(ああ、少しだけ楽しみになってきたわ)

 なんて、フェリシアが夢を見ていられたのは、このたった十数時間だけだった。


 というのも、翌日。

 なんと昨日聞いたばかりのそくしきとフェリシアの出発が、今日だというのだ。

 あまりに急すぎて文句も言えなかったが、自分にだけ情報を止めていたのだろう。なんて地味な嫌がらせだ。最後まで油断ならない敵である。

 そうして、みんなが即位式に参加するなか、フェリシアだけは自室で荷物をまとめていた。彼女はそこで、初めて婚約者との対面を果たす。婚約者ウィリアム──の、姿絵と。

 見たしゆんかん、脳に強いしようげきが走った。

「どういうことよ、これ……!」

 姿絵のウィリアムは、それはそれは美しい青年だ。やわらかそうなくろかみに、ヴァイオレットサファイアの瞳。かべられた甘い微笑ほほえみは、誰もがこいに落ちてしまうやくのよう。

 実際、恋に落ちてしまった。フェリシアは。

「待って。落ち着いて。ここどこよ。ゲーム、そう、ゲーム。ゲームってなに」

 はたから見れば乱心を疑われる。それくらい、フェリシアは取り乱していた。ほかに誰もいないのをいいことに、彼女は部屋の中をうろうろと歩き回り、時に頭をかかえ、時に頭をたたいた。

 が、いっこうに現状は変わらない。

 目の前にはウィリアムの姿絵があり、おくの中にはそのウィリアムと幸せそうに微笑む女性ヒロインがいる。

「ヒロイン……ゲーム……おとめゲーム……」

 ちょっと前のフェリシアでは知らなかった単語が、次々と口から出てくる。

 なんの悪夢だと思った。むしろ悪夢であれと願う。

 だって、もしこれが現実なら、フェリシアは──。

おと、ゲーム。~~って、私、死んじゃうじゃないの!!」

 乙女ゲーム『最果ての聖女~私は異世界で恋をする~』

 世界の最果ての国で、異世界からしようかんされた聖女が、こうりやく対象者たちと瘴気をじようしながら恋をはぐくれんあいゲーム。

 そこにフェリシアは、悪役として登場する。ベストエンドであんさつ、ノーマルエンドでどくさつ、バッドエンドでさつである。おかしい。結局殺されている。

(そりゃそうよねだってウィリアムって実はちくだものね!)

 彼がそのゲームのメインヒーローであるとは、前世でこのゲームを散々すすめてきた妹の言だ。

 そう、つまり前世のフェリシアは、プレイまではしていない。それでも、妹のおかげである程度の知識はある。

(おち、落ち着くのよ、私。だいじよう、深呼吸して)

 言い聞かせながら息を吸う。ゆっくりと吐いた。

(これはあれよね。ようは、転生しちゃったってやつよね)

 フェリシアと、前世の彼女が混ざり合う。本人ですら変な感覚だ。今までの自分を忘れたわけじゃないのに、今までの自分じゃない自分を知っている。でも、不思議とそれがしっくりきた。昔からあった小さなかんが、やっとすべて消えたような。

 だからか、完全に目が覚めた。そう、覚めたのだ。

(この人に恋とか、しちゃダメだわ)

 ゲームの中のフェリシアは、言ってしまえばひとれ。

 そして、昨日フェリシア自身が思ったように、ゲームの中の彼女は期待した。家族はだれも愛してくれなかったけれど、婚約者のこの人なら──と。

 期待して、裏切られて、しつして、ヒロインをいじめて。そうやって、こんやくを言いわたされる。

 フェリシア・エマーレンス王女の末路は、必ず王太子に殺されるというもの。仮にも大国の王女であるフェリシアと、婚約破棄などできなかったからである。

 今のフェリシアは思う。

(そんなところにリアリティなんていらないわよ!)

 そこはゲームらしく、婚約破棄だけで終わっていてほしかった。

(とにかく、今さら白紙にできないなら、ようはヒロインをいじめなければいいのよね。あと、殿でんに円満な婚約破棄をしてもらえばかんぺきだわ)

 まさか自分の縁談にこんな落とし穴があったなんて。知るはずのないアイゼンをうらみたい。

「ヒロインが異世界から来るのは、ちょうど私が入国する日と同じだったかしら」

 そして、その夜に開かれる舞踏会イベントで、ヒロインが誰を攻略するかがわかるはずだ。できれば悪役にもやさしいルートを選んでほしい。

(でも、もしヒロインが殿下を選んだ場合、いじめないのと破棄は絶対でしょ。あと、破棄したあとどうするかも問題よね)

 自国になんてもどれない。というか戻りたくない。いっそその地で平民として生きようか。

(それだわ!)

 幸いなことに、今のフェリシアには平民としての記憶がある。そもそも身分制度のなかった日本という国で生きていたし、何よりも、今だって一人で生活しているようなものなのだ。難しくないように思えた。

(お金は貯金があるし、薬屋としてお店を開けば、経済的にも困らない!)

 これならみんながハッピー。ばんばんざい

「それにこれなら、お兄様に最後の仕返しもできるわね。ふふ」

 せいぜいきらいな妹の幸せを、遠い国グランカルストから見守るといい。不幸になれと願った妹が幸せになったと知ったら、兄はさぞくやしがることだろう。その未来を想像しただけで、フェリシアは笑いを止められない。

 やることは、決まった。

「まず、平民になる準備をする」

 自分の指を一つ折った。

「次に、聖女をいじめない」

 二つ目の指を折る。

「でもって、平民になる準備が整ったら、殿下に婚約破棄を申し出る」

 三つ目の指を折りたたんで、フェリシアはウィリアムの姿絵をえた。

「だから私は、あなたにだけは惚れないわ、殿下」

 人差し指をき出す。これはいわば、せんせんこくだ。

 惚れない。惚れれば自分がみじめになるとわかっていて、どうしてその相手を好きになれよう。じやものはさっさと消えるに限る。

「そして、絶対幸せになってみせるわ」

 さっそくフェリシアは、とある人物とれんらくを取ろうと考えた。他国で薬屋をいとなむ上で、とてもたよりになる人だ。

 窓を開ける。空に向かって口笛をく。こたえるようにばさりと降りてきたのは、一たかだ。

「ゼン。あなたにお願いがあるの。かなり遠いけれど、ゆっくりでいいから飛んでくれる?」

 ──任せておけ。

 そう言うように、ゆうそうな鷹がかたよくを広げた。

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