第二章 ヒロインは王太子ルートを選んだようです 第二話
舞踏会は、国王と
それが終わり、フェリシアは現在、ウィリアムに
(それで? 異世界から来たっていう聖女様はどこにいるのかしら?)
ステップを踏みながら、気づかれないよう周囲を見回す。ダンスホールではたくさんの
聖女のことで覚えているのは、
(聖女は瘴気を
フェリシアは、異様な熱を込めて聖女について語ったレベッカを思い出す。
『聖女様は、それはもう尊く清らかな方なのです。
どうやらレベッカ
『あと、女性が聖女様に憧れるのは、その
なるほど。フェリシアは、
だから、女性たちが憧れるのかと。前世で言うところの、シンデレラストーリー。
(あのあとも延々と続いて……レベッカは
もう一人の侍女ライラは、逆にひと言も口を開かなかったけれど。
(──っと。しまったわ、今……)
考え事をしていたせいで、フェリシアはステップを
「私とのダンス中に、考え事ですか?」
にっこりと
「い、いいえ。考え事ではなく、そう、あれですわ。わたくし、ダンスが少々苦手でして」
「おや、そうなのですか? なら私の足を踏んでも仕方ありませんね」
「……わたくし、踏みました?」
「はい」
それはそれはいい
顔から
「では、
「え、ちょっと!?」
いきなりターンを加えられる。準備していなかったフェリシアは、完全に振り回された形になった。でも、なんとか体勢は
「これでもう、
(そうですわねそんなことしたらまた合図なしのターンを入れますものね!)
アドリブのターンがどれほど危険か、フェリシアは今身をもって知った。むしろ体勢を崩さなかった自分を
「……殿下は」
「うん?」
「殿下は、少し、話に聞いていた方と
少しだけ、
彼はどこか楽しげだ。
「へぇ? 話って?」
「常に笑顔で、
「ああ、なるほど。それで、実際に会ってみてどうですか? 失望しました?」
こんなときでも、彼の笑みは崩れない。
(常に笑顔、というのは間違いなさそうだけど)
「残念ながら、失望するほど存じ上げません」
これが正直なところだ。
するとウィリアムは──笑顔自体は変わらなかったが──今度は声を上げて笑う。
「ははっ。そっか。そうなるのか。あなたはこの顔に、
「?」
「じゃあこれからでいいから、しっかりと私のことを知っていってくださいね?」
──フェリシア。
「っ!?」
最後、わざと耳元で
甘い顔。甘い声。それだけでは
なんて恐ろしい人だろう。この処世術に、勝てる人間なんているのだろうか。
「わたくし、さっそく学びましたわ」
真っ赤な顔をしたフェリシアは、意味がないとわかっていても、ヴェールの下からウィリアムを
「どうやら殿下は、とっても意地悪な方のようです」
案の定、彼はなんのダメージも受けずに、
「そう。それもまた、あなたから見た私なのでしょうね」
とても
自分の心臓が
ダンスが終わると、王太子とその婚約者である二人の
この
「やっと来たか」
フェリシアの
視線に気づいたウィリアムが、変わらない微笑みで見返してくる。
──ドクッ。
急に現実を思い出したように、
「私たちも挨拶に行きましょうか」
ウィリアムが腰に
フェリシアは、よくわからない
聖女をエスコートしていたのは、この国で一番
「やあ。先ほどぶりだね、聖女サラ」
「ウィリアム
「ウィリアムで構わないよ。あなたは聖女なのだから」
目の前で、いきなり良い雰囲気が展開される。サラと呼ばれた少女は、親しみのこもった
さて、ヒロインである彼女は、いったい誰を選ぶのだろう。我知らずきゅっと喉を
「サラ、私の
そっと背中を押されて、フェリシアは思考を中断させると、王女らしく堂々と胸を張った。
「お初にお目にかかりますわ、聖女様。わたくしはこことは別の国、グランカルスト王国の第二王女フェリシア・エマーレンスと申します」
「ええっ、お姫様ですか!? すごい初めて見た……っじゃなくて、こ、こちらこそ初めまして! 私は
「サラ様ですわね。これから仲良くしていただけると嬉しいですわ。わたくしのことも、ぜひフェリシアと呼んでくださいませ」
「い、いいんですか?」
「ええ、もちろん」
「わあ、そう言ってもらえて嬉しいです! よろしくお願いしますね、フェリシアさん!」
花が
(なるほど。ウィリアム殿下は、この笑顔にやられるのね)
私でもやられるわ。そう思うくらい、思わず手を
「サラ様はすごいですわ。聖女様というのも
「ええっ。
(あ、今、女子高生って言おうとしたわ)
なんて
そう思うと、確かに彼女はただの小娘なのだろう。身分制度なんてなかった日本では──正しくは身分制度のない時代の日本では──天皇が
ヒロインも似たような時代で生きていたことはゲームで知っているので、彼女の言いたいことがよく理解できた。
けれど、それを言ったら、実はフェリシアだってただの小娘なのだ。
流れる血が絶対的であると言われながら、誰からも遠巻きにされた王女。
あの
自分は〝血〟以外は、本当にただの小娘なのだと。
それに比べて、右も左もわからない異世界で、これから多くの人々のために
彼女が、彼女自身の力で、意志で、多くの人を救うのだ。
聖女しか
前世を思い出した今だからこそ、そのすごさがよくわかる。
(だって、もし私が彼女の立場だったら、
知り合いもおらず、守りたい人もおらず。自分だったら、まず元の世界に帰りたいと願うだろう。
だから……。
「サラ様、そうご自分を
だから、そんな彼女とウィリアムが
「フェリシア、さん?」
「ふふ、いい機会だわ。せっかくの
「え、えっ?」
それが、なんだかおかしくって。ヴェールの下からつい
おかしな王女でいい。
型破りな婚約者でいい。
きっとそのほうが、
「ねぇ、サラ様。わたくし、こんなふうに笑うのは久しぶりで、とっても楽しいわ」
◆◆◆
シャンゼルという遠い国にやって来てから、早いものですでに一週間が
初日に行われた舞踏会では、ゲームのヒロインである聖女サラにも会えた。
フェリシアが男性パートを踊り、サラが女性パートを踊ったダンスは、
(でも、そんなことは正直どうでもいいのよ)
たとえそれがきっかけとなり、メイドや
(そんなことより大変なのは、そのあとのことよ。
はぁ、と
「フェリシアさん? どうしました? もしかして、お口に合わなかったですか?」
今フェリシアは、サラに誘われて
(……それにしても不思議なんだけど、どうして私、
そもそもこのお茶会に、フェリシアは誘われていなかった。そこをサラの思いつきで突然参入したものだから、他の令嬢たちから
「聖女様、そんなことはお聞きになるだけ
一人の令嬢が同意を求めると、残りの二人も大きく頷く。
そう、フェリシアたちが囲む丸テーブルにはたくさんのお
フェリシアは、もちろん
「そうですわね。とてもおいしくいただいておりますわ。空っぽの胃に
フェリシアは文字どおり、胃を空っぽにしていたからだ。
(嫌がらせはどうってことないけど、食事の
メイドからの嫌がらせの一つとして、食事が運ばれなくなった。
ただ、不幸中の幸いだったのが、過去に姉と妹に似たような嫌がらせをされたことのあったフェリシアは、それ以来非常食を常備していることだ。今はそれで食いつないでいる。
「本当ですか? ならよかった! フェリシアさんはおいしそうに食べてくれるから、ふふ、作ったかいがありました!」
サラが
(なんかもう、カオスだわ……)
フェリシアはただ本音を述べただけなのに、サラの好感度がまた上がる。フェリシアとしては、サラの好感度を上げるよりもやらなければならないことがあるはずなのに。
(そうよ。だってあの
フェリシアとサラのダンスが終わったあと、国王がこう言った。
『ウィリアム、次はおまえがどうかね? エマーレンス王女の言うとおり、せっかくの舞踏会なのだから』
ウィリアムはもちろん
(二人が踊る姿を、みんなが
サラも楽しそうで、だから、フェリシアは確信した。
──やっぱり、ウィリアムルートなのね。
二人のダンスが終わらないうちに、フェリシアはそっと
でもその前に、夜風にあたりたいと思った。
「それで話を
「えっ。それ、どんな噂ですか? 変な噂だったらどうしよう……」
「心配には
「ええっ。私なんてそんな……それに、私とウィリアムがですか?」
「はい。殿下と聖女様は同じ
「わかりますわ!
「私も同じことを思いました。──王女殿下も、そう思いませんこと?」
もぐもぐと上品にクッキーを
「ええ、わたくしも、みなさんと全く同じ意見ですわ」
力強く
(おあいにく様。こっちは最初からわかってるのよ、そんなこと。だからこそ、
打っても
お
◆◆◆
フェリシアは、かねてより
そして、茶会から二日後の今日。
今日は、一日中
世話に来る使用人は、もうここ何日も見ていない。
(
フェリシアはいつもかぶっているヴェールを外し、動きにくいドレスを
これは、フェリシアのお守りのようなものである。中には薬を入れている。一見
準備を整えたフェリシアは、自室の窓を開けた。
「ゼン!」
空に向かって名前を呼ぶと、ばさりと
「いつもありがとう。今日もよろしくね」
そう言うと、ゼンは
彼はフェリシアの友人だ。ある日、庭で植物の世話をしていたら、苦しそうに暴れる鷹がいた。まるで何か悪いものでも食べてしまって、それを吐き出そうともがくように。あるいは自分を苦しめる何かを、必死に追い出そうとするように。
そんなふうに暴れる鷹──ゼンを助けたことで、二人の友人関係は始まったのだ。
フェリシアは友人の背を追うように、目の前にある大木に飛び移る。運動は得意だ。もしこの木がなかったら、フェリシアはシーツでも
慣れた調子で木から下りると、フェリシアはにんまりと笑う。城を抜け出すことは、祖国にいた
そうして彼女は、ゼンの案内のもと、無事に王宮からの
「すごいわ……」
目の前に広がる光景に、フェリシアは思わずといったふうに
どこを見ても人、人、人だらけ。初日に同じ道を通ったはずの王都は、今日はなぜか
この中を自分も進んでいかなければならないなんて、考えただけで引き返したくなる。が、上空を飛ぶ友人は、この先の道を指し示していた。
(仕方ないわ。行くしかないんだから)
ごくり、と
いくら祖国で何度も平民のふりをしてきたフェリシアといえど、さすがにこうも人がひしめき合う場所は初めてだ。だからか。
(あ、あら? なんか、流されてない……!?)
自分の行きたい方向に進めない。
どうやらみんな、一つの場所に向かって人波を形成しているらしい。
大勢にたった一人の力が
「待って。私、向こうに行きた──きゃっ」
誰かが助けてくれたのだろうか。おかげで
「
「え、ええ。助かりましたわ。ありが……──!?」
お礼を伝えようと思ったのに、顔を上げて
「
幼子に言い聞かせるように
そんな人が、どうしてこんなところに。その疑問でいっぱいになったフェリシアは、ウィリアムに
「どうしたんだい? やっぱりどこか怪我を?」
「い、いえ! ただその、なんで──」
なんで、あなたがこんなところにいるんですか。と
そういえば今、自分がヴェールを外していることを思い出したからだ。ウィリアムにとっては、今のフェリシアはただの
だから、疑問を口にはできなかった。
「その、なんで、こ、こんなに人が……?」
苦し
しかしウィリアムは、特に
「ああ。今日は聖女のパレードだからね。みんな新しい聖女の顔を見たくて、こうして
「パレード、ですか?」
「そう。新しい聖女が現れたら行う
ウィリアムの目元が
フェリシアは、ああだから彼はずっと
「それより、ここは少し危ないね。また
「え、ですが」
フェリシアは
すると、そんなフェリシアの
「もしかして、私のことを気にしてくれているの?
「ご、護衛?」
「そう、護衛騎士。それも下っ
そんな
その先には
そして、その横で馬に
生命力溢れる赤茶色の
(あれが、フレデリク・アーデン)
なんとはなしに思って、フェリシアはハッとした。
ウィリアムの説明に流されそうになったけど、そもそも彼が護衛騎士というのはおかしな話だ。だって彼は、王太子なのだから。
周りは
(ああでも、
それを逆手に取っているのか。かくいうフェリシアも、同じ手を使って薬草を売りに行っていた。
改めてウィリアムを見る。
まあ、彼がなぜ騎士を
とりあえず、幸いにも彼がフェリシアに気づいた気配はないので、今のうちにさっさと
「失礼ですが、いくら下っ端でも、そして私を助けてくれたのだとしても、仕事を
そのために持ち場に
「これは耳が痛いね。でも、君の言うとおりだ。ただ私としては、君のことも気になる。簡単に人混みに流されてしまう君が、無事に帰れるか心配なんだ。今日はどうして街に?」
「用事がありまして」
「どこに行く用事かな」
「えっと……プライベートなことなので」
なんでこんなに食い下がるのだろうと思いながら、いかにこの場を離れられるかを考える。
目的地を教えて、まさかそこに来られたら
いっそのこと力ずくで
「プライベートか。そう言われると強く出られないね。わかった。手を離そう」
ほっと胸を
「では、私はここで失礼します。助けてくださってありがとうございました」
「気にしないで。ただ、くれぐれも気をつけてね。君に何かあったら悲しむ人がいるということを、忘れてはいけないよ」
「それは……少し大げさな気もしますけれど」
しかしウィリアムは
「わ、わかりましたわ。
「うん、
それからフェリシアは、ウィリアムに見送られてその場をあとにした。
人々の歓声は続いている。ウィリアムはそちらをちらりとも見ない。
フェリシアが去っていく姿から目を離さず、彼は微笑みを保ったまま命令した。
「
短く、ひと言。
誰を、なんて訊き返さない。心得ている王太子の護衛は、
人々の熱気が、ここだけぽっかりと消えたようだった。