第一話 『長くつ下のピッピ』の幸せな幸せな日 12
ぼくが廊下でのぞき見していたあげく泣いていたことは、ぼくが鼻をすする音を聞きつけた妻科さんに、あっさりバレてしまった。
「姫倉先輩まで巻き込んで、信じられない。しかもなんで榎木が泣いてんの」
文句を浴びせてくる妻科さんのほうもなかなか涙が止まらず、しばらく二人でぽろぽろ泣き続けていた。
「ピッピさんは最後に、また読んでくれてありがとう、って言ってたよ。ハナちゃんがずっと大好きだって」
ぼくの言葉を聞いても、妻科さんはもう怒ったり、顔をしかめたりしなかった。
「……本の声が聞こえるなんて、今でも信じられないけど……。でも、ピッピが本当にそう言ってくれたんなら嬉しい。あたし、ピッピを置いてきたことをずっと後悔していたの……。だから、あたしもピッピを最後に読めて嬉しかった……」
ありがとう、と妻科さんはほどけたページを入れた書類袋を抱えて、ぼくに向かって深々と頭を下げた。
「読んでいるあいだ、やっぱりピッピのことが好きって思ったし。あたしが大好きだったピッピはバラバラになっちゃったけれど、ピッピの形見だと思って大切に持っているね。それで、ピッピの続きを買って読んでみる」
新しいピッピも、あたしのこと好きになってくれたらいいなぁ……と口元をほころばせてつぶやいた顔がやけに素直で可愛くて、こっちまでにっこりしてしまったら、妻科さんは、頬をちょっと赤くして慌てて横を向いていた。
そして、別れ際に決意のこもる口調で言った。
「わたしのこと、しんぱいしないで! わたしは、ちゃんとやっていけるから!」
それは、ピッピの中の台詞だった。
またほんのりと顔を赤らめて、恥ずかしそうに背を向けて駆け出していった妻科さんを、爽やかな気持ちで見送る。
ピッピさん、ハナちゃんは大丈夫そうだよ。
さて、ぼくは家に帰って夜長姫のご機嫌をとらなきゃなぁ。また留守番させてしまったから怒って口をきいてくれないかもしれないけれど。それを懐柔するのも、きっと楽しいだろうと思いながら——ぼくも軽い足取りで歩き出した。
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試し読みは以上です。
『むすぶと本。『外科室』の一途』(ファミ通文庫)
著者:野村美月/イラスト:竹岡美穂
ISBN:9784047361607
※本ページ内の文章は制作中のものです。実際の商品と一部異なる場合があります。
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