第一話 『長くつ下のピッピ』の幸せな幸せな日 2

 とりあえず、ピッピさん(そう呼ぶことにした)から聞いた情報を、書き出してみる。


 名前は、ヒグチハナちゃん。

 年齢は中学一年生以上。

 ご両親とハナちゃんの三人家族で、私立の中学校に電車で通っていた。

 制服はグレーのブレザーにチェックのプリーツスカート、えんじのリボン。

 

 私立中学の制服を検索してピッピさんに見てもらったけれど、なかなかヒットしない。

「ハナちゃんの自宅の駅名だけでもわからないかな?」

『……ごめんなさい』

 うーん、これは難しそうだぞ。

 回転椅子で腕組みし、唸る。

 仕方がない。頼りになる先輩にお願いしてみるか。


 翌日、昼休みに会いにいってみると。

「え? またかい?」

 と先輩は目を見張った。

「むすぶは本当に本に優しいね。いっそ本相手の何でも屋を開業してみたらどうだい? 本と話せるを持った高校生はそうそういないから、繁盛しそうじゃないか?」

「本が依頼料を払ってくれるなら考えます」

「もっともだね」

 革張りのソファーなんかに座って、おかしそうに口元をゆるめているのは三年生のひめくらはるさん。

 長身で華やかなイケメンで、学園の王子様なんて呼ばれている。実際、悠人先輩の母親は学園の理事長で、日本有数の資産家姫倉家の総帥だったりする。悠人先輩はその長男という、ぴかぴかのサラブレッドだ。

 ド庶民で地味な眼鏡くんのぼくとは本来無縁な人だけれど、ぼくのこの“特技”がきっかけで言葉を交わすようになった。ぼくが本の声を聞けることを知っているのは、校内では悠人先輩だけだ。

 ぼくらが話している、やたら豪勢な部屋は学園の敷地にそびえる音楽ホールにある来賓室だった。屋根がドーム状になった近代的な建物は、オーケストラ部が所有している。せいじよう学園のオケ部はOBにプロの音楽家のみならず、政財界にも多数の著名人がいることで知られていて、悠人先輩は一年生のときからオケ部の指揮者を務めている。なんでもそれが姫倉の長子の伝統なのだとか。

 いつか悠人先輩が言っていた。

 母には、好きな部で、やりたいことをやればいいわって言われたけど、最初からここに決めていた。最上階に母のアトリエがあって子供のころから出入りしていて愛着があるし、演奏会もかかさず聴いていたから憧れもあってね——と。

 さらりと語る様子がカッコよかったけど、やっぱり異次元だなぁなんて思った。

 てゆーか受付のある“部室”というのがそもそもすごい。パートごとにレッスン室がわかれていて、極めつけがこの来賓室だ。

 革張りのソファーに大理石のテーブル、コンクールで獲得した盾をずらずら並べた飴色のサイドボードとか、ひょっとしたら校長室より立派なのでは。って、校長室入ったことないけど。

 そんな部屋でプライベートルームのようにくつろいでいる悠人先輩は、ぼくから見れば、なんでも持っていて、なんでもできる人でもある。

 家絡みで不自由なことも多いんだけどね、と本人は言うけれど、あちこちにコネを持っていて、部屋にいながら情報を集めることのできる人であることは間違いない。

 ヒグチハナちゃんの居場所も、悠人先輩なら調べられるんじゃないか?

 ちなみに、ヒグチハナちゃんで検索もしてみたけれど、それらしい女の子はヒットしなかった。

「そうだね、名前だけじゃ難しいかな。有名人や犯罪者ならともかく中学一年生の女の子というだけじゃね。『ハナ』にしても、ここ最近は新生児名付けベスト二十の常連の名前だし」

「そこをなんとか。悠人先輩のお力で」

 眼鏡がズリ落ちたまま手を合わせて懇願するぼくに、悠人先輩は女子がキュンとくるような華やいだ笑顔で言った。

「うん、じゃあ代わりにむすぶに頼みがあるんだけど」


 ◇ ◇ ◇


『それで最初は腕にさわったり肩を叩いたりしていたのじゃが、だんだんとこう背中を撫でたり腰に手をすべらせたりしてな』

『そうそう、どれも微妙な箇所だから、おさわりされている女子も振り払っていいのか迷うのだろうな』

『うむ、そのへんが実に巧妙で。だがあれはかぎりなく灰色に近い黒だ。エロ教師だ』

 放課後。ぼくは社会科資料室で、会議テーブルに並べた歴史の年表や用語集から話を聞いていた。


 ——日本史のたけかわ先生が、女子生徒にセクハラをしているという噂があってね。よく資料室で個人指導をしているそうだから、実際はどうなのか資料室に置いてある本に訊いてみてくれないかな。


 なにか頼むと、爽やかな顔で必ず見返りを要求してくるのが、悠人先輩という人なんだよなぁ。まぁ、ぼくも頼みっぱなしは気が引けるからいいんだけど。一斉にしゃべり出す彼らの相手をするのは結構大変だ。声が混じり合って、よくわからない。

「みなさん、順番に」

 と司会進行しようとしても、

『それならわしが!』

『いいや、わしの話を聞け』

『まずわしが』

 と、また一度にしゃべり出す。

『武川のやつは、身持ちの堅そうな女子が好みでな、そういう真面目な女子が教師にさわられてなにも言えずに耐えている姿に、ぞくぞくする変態だ』

『あやつの好みは、わかりやすい。連れ込むのは、肉がまったくついていないような細い女子ばかりで』

『もうちっとふっくらと肉付きが良いほうが、さわっていて楽しかろうにな』

『うむ、世界史の尾花先生のような、むっちり熟女のほうがそそる。しかも人妻。最高じゃろう』

『ああ、人妻はよいな。徳川家康の側室は人妻やバツイチぞろいだぞ。やはり天下を統一するような男はわかっておる』

『織田信長も未亡人の生駒の方やお鍋の方を寵愛して子供を産ませたぞ』

『それに比べて秀吉は若い生娘ばかりに手を出して。しかも上流好みとか。品のないことこの上ない』

『いや待て、秀吉の側室たちは人質という側面もあってだなぁ』

『やっぱり人妻だ』

『家康も晩年は若い娘に手を出して』

『信長といえば森蘭丸だろう』

 ああもう、どんどん話がズレてゆく。

「すみません、戦国武将の側室事情の討論会はまたの機会にして、武川先生のセクハラ疑惑の件に戻ってもいいですか?」

『だから黒だ!』

『エロエロのおさわり魔だ!』

『まず肩をぽんぽん叩いて、背中を撫で回して——』

「一度にしゃべらないでくださーい。メモをとるので、もっとゆっくりお願いしまーす」

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