第二章 顔合わせ 4
今度は教室のある棟へと向かう。このはには、クララがどこにいるか目星がついているらしく、迷わなかった。
階段を上る。
あとは屋上だ。普段は閉じられたままの鉄の扉だが、今の時間は開け放たれている。これは昼休みの間だけで、終わると生徒がいなくなったのを確認してから施錠された。
屋上に上がり、雪人とこのはは周囲を見回した。
昼食を終えた生徒たちが、あちらこちらで会話に興じている。甲高い笑い声が頻繁に伝わってきた。
目当ての人物はすぐに見つかった。
金髪、褐色肌の女子生徒が柵に寄りかかっていた。友人らしき数名の生徒と話をしている。屋上では一番目立っており、声もよく聞こえた。
今度はこのはから近づいた。
「吉元さん」
青い瞳が動く。
「茜このは? 珍しー」
笑みが浮かぶ。彼女は手招きをした。
このはと雪人は近寄った。クララの友人たちは気を利かせて外してくれた。
吉元クララは六麗の序列四。父親が南米出身。そのため大きな瞳と彫りの深い顔立ちを持ち、エキゾチックな雰囲気を醸し出している。言葉遣いと発音に癖があるものの、むしろ魅力を引き立てていた。実家は南米各所に大規模な農園と鉱山をいくつも所有しており、鉄鉱石とコーヒー業界で主導的な役割を担っている。それもあって、入学してほとんどすぐ六麗に選ばれていた。
彼女もやはり二年生で、二組だ。なにしろ目立つので、雪人も姿を何度も見たことがある。ただクララがこっちを知っているとは限らないので、とりあえず自己紹介をした。
クララは「あー、四組のキミね」と言った。
「知ってるよ」
「俺、吉元さんみたいに有名じゃないぞ」
「ちょっと好みのタイプだから、覚えていた」
彼女は親指と人差し指で隙間を作り、「ほんのちょっと」と言った。
「ワタシに話? 家庭教師なら引き受けたよ」
「実は南紀島さんのことで」
「コーがどうしたの?」
「コーって……南紀島さんだよな」
「ワタシはコーって呼んでるよ。どうしたの?」
「えーっと、引き受けてくれたけど、吉元さんと一緒にしないでくれって……」
「やっぱり」
予想していたのか、驚いてはいなかった。
「コーはいつもワタシを目の敵にするから」
硬とクララは一組と二組なので、体育のときは女子同士一緒になる。そこではほとんど口を利かない。片やクールな黒髪少女、片やエキゾチックな褐色少女なので、二人が並ぶだけで絵になるのだが、口も利かなければ目も合わせないことは一部で有名であった。
「コーはしょうがないよねえ」
クララは笑う。
「ワタシのことが嫌いでも、もっと隠せばいいのに」
「南紀島さんは嫌いじゃないんだよな」
「まーね。……そうだ」
頭上の見えない電灯に明かりが灯った。
「ひとつお願いがあるんだけど、ワタシの家庭教師、コーと一緒にして」
聞いた二人は同時に「えっ!」と口にした。
聞き返すまでもない。クララは硬と一緒に家庭教師をしたいと言ったのだ。硬がつけた条件と正反対である。
「どうやって I」
思わず聞き返す雪人に、クララは返事をする。
「考えて欲しいなー。ワタシじゃ無理だから」
「なんで嫌われているのか、心当たりはあるかな」
クララは少しの間、首を傾げ、
「これかも」
クララは胸元をギリギリまで広げた。制服をかなり着崩している上にタイをつけていないから胸の谷間まで見えた。
このはが顔を赤くして両手をバタバタさせた。
「よ、吉元さん!」
「コーはこういうのを凄く嫌がるの。ワタシをふしだらだって怒る」
「当たり前!」
「別にいいと思うんだけど」
彼女はもののついでとばかり、ブラウスをぱたぱたさせている。性格によるものか、この手のことへの禁忌がなかった。
雪人は言う。
「あー、他に南紀島さんが嫌がることはしてないよな」
「そうねえ、こういうことも駄目かも!」
いきなり雪人に抱きついた。
大きな胸を思いっきり押しつけ、両腕で抱きしめていた。さすがに雪人は泡を食い、このはも慌てた。
「吉元さん! やめてってば!」
先ほどよりも大きな声に、クララはにやっとする。
「あはは。びっくりした?」
「早く離れて!」
「ちょっと好みなんだよねー」
それでも離そうとしないので、雪人が自分から逃れた。
クララは口を尖らせる。
「つまんない」
「誰かに見られたらどうすんだよ」
「みんな知ってるからへーき。コーはスキンシップも嫌いなんだよねー」
「南紀島さんに抱きついたことは?」
「ううん。小さい頃はしてたけど」
その台詞に、雪人は不思議そうな顔をした。クララは気づき、言った。
「ワタシとコーは幼なじみだから」
「……幼なじみなのに、仲良くないのか」
クララは「うん」と返事をした。
「他の六麗とは仲悪い?」
「ワタシはそんなつもりないけど、もう六麗は集まらなくなっちゃったからねえ」
「それ、なんで?」
答えず、彼女は今思いついたみたいな顔で言う。
「そーだ。ねえ、番号交換しよう」
「あ、ああ……。じゃあ俺から……」
「ワタシSNSやってないよ」
彼女はポケットから携帯電話を取り出す。いわゆるガラケーで、スマートフォンですらない。
さすがに雪人も驚いた。
「それいつのタイプだ? はじめて見るぞ」
「さあ、分かんない」
「なんでスマホじゃないんだよ」
「なんとなく」
クララはちろりと舌を出した。
珍しいことに、クララはテクノロジーを苦手にしている。嫌いというより、アナログなやり方を好むのだ。六麗の間だけではなく、華凰学園は電子化が進んでいるのだが、彼女はできるかぎり使わず、SNSにも触れずにいた。
「コーはスマホ、すごく使うよ」
「あの人の方が、スマホ使わないイメージある……」
つぶやいたのはこのはである。確かに真面目でお堅い雰囲気からして、インターネットカルチャーと縁が遠そうなのだ。
「コーはああいうの大好きなんだって」
クララと雪人はメールアドレスを交換した。ガラケーとはいえさすがにメール機能はある。
クララは満足そうに微笑む。
「なにかあったらメールして」
「それよりさっきの……」
雪人が話を戻そうとしたが、予鈴が鳴った。
クララは「行くね」と告げるとさっさと屋上から下に降りていく。
取り残された。雪人とこのは顔を見合わせる。
「……はぐらかされた気がしないか」
「うん。する」
「それに、吉元さんと南紀島さんって幼なじみだったのか」
このはも、信じられないという風に首を振った。
「はじめて聞いた。多分、知ってる人少ないと思う」
「なんで俺たちに言ったんだろう」
「……分かんない」
彼女は少しだけ口ごもる。午後の授業が近づいてきたので、二人は早足で教室へと向かっていった。