第二章 顔合わせ 3
華凰学園には専用のクラブ棟がある。新旧の二つ。旧クラブ棟は校庭のすぐ脇に立っているため、運動部系が使っていることが多かった。
このはは新クラブ棟に向かった。一階にある、一番端の扉をノックする。
雪人は扉の上にかかっているプレートを見上げた。「通信部」と書いてある。
このははもう一度ノックした。室内から「どうぞ」と返事がある。
彼女はそっと扉を開けた。雪人が先に入る。
狭苦しい室内だった。広さ自体はそこそこだが、古くて大きな機材が置かれているためだ。ざっと見た感じ、無線関係の装置に見える。どれもこれも一抱え以上ありそうな大きさだった。
中央にテーブルと椅子が数脚あり、女子生徒が一人で弁当を広げていた。
彼女は雪人とこのはを見ることもせず、食事をしていた。
この女子生徒が南紀島硬かと雪人は思った。背筋を伸ばし、皺一つないブラウスのボタンは上まで留め、リボンはきちんと結ばれていた。真っ黒な髪の毛は頭の後ろで纏められている。顔立ちはきついものの整っており、いかにも同性にファンが多そうな印象があった。
硬の六麗での序列は三。実家の歴史は古く、かつては財閥として名を連ねていた。今も戦後の混乱期もうまく渡り歩いて資産を残すことに成功している。重工業を元に高度成長を支えた誇りは脈々と息づいていて、財界に大きな影響力を持っていた。
雪人は彼女のことを知っていた。と言っても、二年一組なので関係は遠い。知っているのは、自分のクラスの女子が噂しているのを小耳に挟んだからである。
彼女は黙々と食事を続けている。雪人は咳払いをした。
「えーと」
硬はゆっくり顔を上げる。
「外に座るところがないのか」
凜とした声音だ。「耳が幸せになった」とやられる生徒も多いと聞く。
彼女は箸をいったん置いた。
「だったら勝手に座って食べてくれ」
考えてみたら弁当の袋を提げたままだった。言われた通り、椅子を引き寄せて腰を下ろした。
硬は規則正しく、箸でごはんを口に運んでいた。一方、雪人はともかくこのはは居
心地が悪そうだった。
「茜」
硬の言葉に、このははびくっとした。
「は、はい」
「今日はどういう用件だ」
「その……用もあるんですけど、私たち、最近お話ししなくなりましたよね。だから……」
「前はしてたか?」
「いえ」
返事をしてから、このはは自己嫌悪に襲われたのかうつむいた。
代わりに雪人が喋る。
「俺は桐村雪人っていうんだけど」
「知ってる」
「え、知ってんの?」
「四組だろう。家庭教師の件か?」
「うん。あと、俺が六麗の雑用係になったんで」
「確かにかなり前、手伝いが必要だと言った記憶があるが……」
おや、と雪人は思った。必要性を口にしたのだから、六麗同士が集まっていたのである。恐らくはこのはが六麗になる以前だ。
やはりなにかあって六麗は分裂したのだろう。そんなことを考えているうちに、このはが喋り出した。
「私たち以外にも誰かいた方がいいよね」
「実質、なにも活動していないのと同じだろうに」
「でも、六麗の間が空っぽのままはよくないと思うから……。ちょうど雪人君が来てくれたし、皆で集まって……」
「意味がない」
それ以上の議論は不要とばかり、硬はぴしゃりと言い放った。一瞬言葉を詰まらせるこのはだが、それでも続けた。。
「でも……」
「そこまで言うなら反対はしない」
「え……」
「どうせ行かないんだから同じだ」
素っ気ない言葉だった。このはは小さくなり、もう一度雪人が代わった。
「このはさんは、六麗の仲間だと思って、南紀島さんのところに来たんだ。六麗の間も使ってもらいたいからって」
彼はあえて、自分が案内してもらったということを伏せた。
「なのに、ちょっと冷たいと思うけどな」
硬の箸の動きがぴたりと止まる。
「……確かに、少し素っ気なさすぎたようだ。謝罪する」
彼女は軽く頭を下げた。このはは驚き、両手を振って「別にいいよ」と言った。
硬は元の姿勢に戻った。
「それはそれとして、六麗の間に行くつもりはない。他のものに会う気もない」
「どうして」
「行きたくない事情があるんだ」
「どんな事情か訊いてもいいかな」
「駄目だ」
硬はそう告げた。
「それより、昼食を済ませたらどうだ。食べ終わったらここを閉めるぞ」
雪人とこのはは、急いで弁当を広げた。
三人は黙々と昼食を取る。元々硬は口数が多い方ではなく、このはは気を遣っているのかなるべく音を立てないようにしている。雪人だけはしきりと部室の内部を見回していた。
「……通信部?」
「華凰学園に昔からある部だ。向こうにあるのがモールス信号の受信機」
硬は一番奥にある、黒塗りの機械を示す。
「南紀島さんは、どうしてこの部に入ったんだ?」
「理由はない。誘われて入ったら三年生が一人だけで、卒業したら私だけになった」
「運動部に入っているんだと思ってた」
「皆そう言うが、助っ人に呼ばれる程度だ」
硬はスポーツ万能である。身体能力は女子の中でも抜きんでていた。そのため人手不足の部から大会のために呼ばれることが多い。そんな彼女が運動部系の部活に所属していないのは、大勢から不思議がられていた。
雪人はまた訊いた。
「確かうちの学校、パソコン部あるじゃないか。通信部よりそっちがよくないか」
「ここで十分だ」
「理由あんのか」
「それより」
硬の声がやや大きくなった。
「六麗のお手伝いの君は、どんな手伝いをするんだ」
「できることならなんでも。南紀島さんもなにかあったら」
「……そうだな」
彼女は弁当箱に蓋をしながら言う。
「だったらまず、私は理科系が得意だ。家庭教師はそっちにしてもらいたい」
「分かった」
「もう一つ、吉元とは顔を合わせたくない」
きょとんとする雪人。
「……は?」
「吉元……吉元クララと別にするのが条件だ」
「……なんで?」
「言わない」
彼女は稟果みたいなことを口にする。雪人は質問を変えた。
「じゃあ、六麗の他の女の子なら?」
「それも駄目だ」
「だからなんで」
「理由を訊くのなら引き受けない」
彼女は口を閉じた。
無言を通している。これ以上喋りたくないのか、二人と目を合わせようともしなかった。
これ以上ここにいても意味はなさそうだ。二人は立ち上がると場所を借りた礼を言い、通信部の部室から退出した。
新クラブ棟から十分離れたところを見はからい、雪人は言う。
「なんか緊張したな」
「うん……」
このはは大きく息を吐いていた。
「南紀島さんって、すごく冷たい感じがするんだよね……女子人気はあるんだけど、本人嫌がってるみたいだし」
「じゃあ通信部で飯食ってたのも、女子生徒から逃れるためか」
「それは分かんないけど」
二人は芝生のある中庭まで戻っていく。昼休みはまだ続いていた。
雪人はこのはの方を向く。
「吉元さんと南紀島さんって喧嘩中なのか?」
「そういうことじゃなくて、疎遠っていうか……」
このあたりも解決する必要がありそうだ。とすると、次やることは決まってくる。
「吉元さんのところにも行こう」
このはも同じことを考えていたらしく、すぐに了承した。