第四章 ワガママを言うような後輩 10

 三月一日は天候にも恵まれ、右肩上がりの気温がしぶとい残雪を溶かし、田舎の風景を包み隠していた余白が消えつつあったため、住民の誰しもが春の訪れを実感していた。

 卒業式は大半の三年生にとって特別なもの。

 三年間に堆積した膨大な回想の海に沈み、青春の甘酸っぱさを笑顔や泣き顔で表現したり、味わった苦渋を今後への反骨心として燃焼させたり、一区切りを迎えた感傷を秘めて黄昏たそがれる……体育館に整列した百人以上の生き方が喜怒哀楽で渦巻く一日に、何も感じていない人間がまぎれ込んでいるとしたら、そいつ自身が異端さを最も理解している。

 いや、完全な無ではない。ごっそりと欠け落ちていることにすら、そいつは気付けない。

 あれだけ純白だった色素がくすみ、花びら全体が重力に引かれてしおれ、最期を迎えるのを待つばかりとなったスノードロップの姿を、現在の自分は模しているのだろうか。

 学校の花壇にも朽ちた花の残骸が折り重なっていたが、補習や就活で登校していた数日前は土壌しかなかった……はず。それ以上の関心はなく立ち止まらずに通り過ぎたけど。

 壇上に立つ校長の冗長な祝辞を聞き流す途中でも、虫食い状態だった穴が拡大していき、身体からだの中に散布されたホワイトの絵の具で焦燥の色味すらさらに塗り潰される。

 どうでもいい。もう終わったごとだろうから。

 それより、卒業後の進路はどうしようか。当面の間は実家の手伝いをしながら、やりたいことが見つかったら改めて考えればいいよな。

 恐ろしいほどへいたんな心は波風を一つも立てず、卒業生の代表が感動的なスピーチを述べても感情の僅かな飛沫しぶきすら跳ねない。抱いたはずの感情は白い風にさらわれ、期待や喜びを無遠慮に殺す。よく、分からない。ただ棒立ちしている間に、卒業式は閉幕してしまった。

 教室に戻った友人たちは惜別の雰囲気に酔い、共通の思い出話や内輪ネタに花を咲かせながら、二度と戻らない高校生活を少しでも長引かせようと青春の残り香にすがりつく。

 うれしくも、悲しくもない。なぜか、興味がない。今朝起きた瞬間から少しずつ歯車が狂い始めたが、どう修正すればいいのだろうか。昨日までの自分に、手が届かなかった。

 気を利かせた友人が俺に話題を振っても、無関心のあいづちを打つだけ。一人話題にも入れず、友人たちのどうでもいいりが鼓膜を無遠慮に横断していった。

 寂しいとか、話題に入りたいといった疎外感みたいなものは皆無に等しく、案外すんなりと受け入れられた自分は『大人に近づいたのだ』と楽観的に解釈した。

「昨日は夜中まで遊んでたせいで、校長の祝辞んときはマジで寝るかと思った。じゆんも眠そうにボーっと突っ立ってたし、自分らの卒業式なのにごとみたいな感じで笑うわ」

 半笑いの友人にちやされる。卒業式では終始、興味なさそうに突っ立っていた様子を。

「昨日は……スノードロップすいせいを見に行ったんだよな、お前らと」

「星を見るのは集まる口実というか、卒業前に遊ぶための冗談交じりなノリだったじゃん。さんぼんでボウリングした後、俺の部屋でスマブラしただろ? えっ、もう忘れた?」

「昨晩……めちゃくちゃれいな流星群を学校で見た気がするんだよ……」

「え~、准汰って迷信とか真に受けるタイプ? あんなもんを信じてるのは小学生か本気で神頼みしたいやつだけだろ~」

 共通のようでわずの気持ち悪い会話が、さらに惑わす。

 二月二十九日は例年通りのヒマ潰しとして消費した……この世界の登場人物たちは、そう淡々と教えてくれる。疑問を持つはなびし准汰こそが異物、という顔を向けてくるのだ。

「このあとカラオケでクラス会があるけど、お前も行くんだよな?」

 友人たちはクラス会に心を躍らせながら、羽目を外すために続々と教室を後にしていく。

 参加者の頭数に含まれていた俺も一声かけられ、友人たちの背を追うように足を踏み出しかけたが……未知の心残りに後ろ髪を引かれ、教室前の廊下より先には進めなくなった。

「悪い……ちょっと寄り道があるから、先に行っててくれ」

 友人にそう言い残し、大勢の進行方向とは反対のほうへ歩み出す。帰宅部なので特に思い入れのない文化部の縄張りを、なぜか散策したいという欲求がいずりまわる。

 移動教室の経路にある廊下や階段。ここを制服姿で通り過ぎる風景は見納め。

 名残惜しくもないのに、校舎の隅々を見回しながら進む自分がそこにはいて、無駄に遠回りするルートへと身体からだれる。気が付けば、すでに夕方。部室棟へ続く日当たり抜群な廊下には沈みゆく夕日の射光が差し込んでおり、オレンジ色の花道が出迎えてくれた。

 デジャブだろうか。帰宅部には無縁な場所なのに、何度も往復したという見知らぬ記憶がかすみ、目の前の視界を遮ってくる。心待ちにした目的地。そこで待つ誰かのもとへ行こうとしている俺自身を知らないのに、全身の細胞がにわかに色めき立つ。反射的に背けた顔を右手で覆い、深呼吸をして心身を落ち着かせ、ゆっくりと顔を上げた。

 ──運命の歯車は、唐突に回り出す。

 対向より徒歩で近づいてくる女生徒。影に隠れていた全体像が夕暮れのスポットライトにあぶされ、燃え盛った色合いに染まる少女はヘッドホンで耳を覆い、スケッチブックを宝物のごとく胸元に抱き寄せ、二人の距離はさらに縮まっていく。

 十メートルが五メートルになり、一メートル以内……そして、歩みを止めないあかねいろの少女は、廊下の真ん中で立ち尽くした自分とれ違う。

 どちらも進行方向を見据えたまま、赤の他人として正反対の方向に立ち去っていくはずだったのに……胸の奥底がきりきりと痛み、無音の悲鳴をあげて収まらない。正体不明の激情がいずりまわり、思考回路が焼け焦げてしまう感覚に襲われた。

 思わず、少女が進んで行ったほうへきびすを返す。

 錯乱混じりの切望が宿る瞳の先。

 同様に振り返っていた少女が立ち止まり、無機質な廊下で両者のまなしが交差していた。

 どうして、俺は両足を静止させられたまま硬直しているのか。

 どうして、スケッチブックを持つ小柄な少女は身動きを放棄しているのか。

 お互いがお互いを見詰め合っていても無駄に時間が過ぎるだけで、そのあとに起こすべき行動の選択肢が見つからない。両者が動きを同時に止めるという奇怪な行動を即座にはめずに戸惑い、やや離れた距離を保つしか選択肢が思いつかないのだ。

「あの……」

 ようやく、自らの声が漏れだす。

 俺の唇が動きを示したのを悟ってか、声の侵入経路を塞ぐヘッドホンを外してくれて。

「……わたしになにか用ですか?」

 初めて聞いた少女の声。

 遠慮がちで聞き取りにくいものの、静かすぎる校内のおかげか淡白な返事は耳に届いた。

 脳内で反響する感覚は違和感の塊。

 元々の記憶領域に存在する既知の声と重なり、謎のいらちが降り積もっていく。

「キミと、どこかで……会ったことがある気がするんだ」

 古典的なナンパの手口と間違えられないだろうか。

 そんな懸念を上書きしたうそ偽りない欲求が、ありきたりで曖昧な台詞せりふを口走らせる。

「……同じ学校なので、この瞬間みたいに校舎のどこかで擦れ違ったりしてると思います」

「俺もそうだとは思うけど……」

「……わたしには上級生との接点がありません。たぶん、貴方あなたの勘違いですよ」

 沈着の仮面をまとった女生徒は、俺の勘違いだと切り捨てる。

「それじゃあ、キミが振り返った理由を教えてほしい」

 先ほど、俺と女生徒は擦れ違いざまに横目で視線を交わし、ほぼ同時に振り向いた。

 進めていた歩を止め、こちらへ身体からだを反転させたのは自らの意思によるものだろう。

「……貴方と〝同様の勘違い〟を抱いたから……かもしれません」

 少しだけうつむきながら、女生徒は戸惑いのつぶやきをこぼす。

「赤の他人同士が同じ勘違いをすることって……あるのかな」

「……少なくとも、わたしは貴方と校内で話したことはないです。それに──」

 女生徒は顔をしっかりと上げると、透き通った瞳をさらし、目の前に突っ立っている男を真正面から捉えた。

「わたしのことを気にかけてくれる生徒はいません。わたしは一人で絵を描き続けて、雑音を遮断してきましたので……と知り合う機会などあるはずがないです」

 双方の勘違いだという認識をはっきりと告げ、女生徒は背を向けた。

「……声を掛けようと思ったのに……やっぱり、無理でした……」

 女生徒は酸素を小さく吸い込み、聞こえるか聞こえないかのささやきに変える。

 俺に意味を分からせる気は毛頭ないと思われるひそかな独り言を。

「……三年生は、本日をもつて卒業ですね」

「あ、ああ……」

 襟の学年章で判断したのであろう女生徒が、進行方向へ足を踏み出し始める。


「……ご卒業おめでとうございます。二度と会うことはないでしょうけど、お元気で」


 ありえない。このまま離れ離れになってしまうのは。

 知らない。初めて声を交わした名も知らぬ後輩のはずだ。

 なんだよ、この胸騒ぎは。見知らぬ他人に対する気持ちとしてはあり得ない常軌を逸した焦燥のぐちがなく、喉にこびりついた言葉をく処理できない。

 引き留めたい衝動の所以ゆえんは一切不明だし、再び立ち止まってもらう関係性などではない。

 きやしやな後ろ姿が手の届かないところへ遠くなっていく。つながりのない相手を追いかける必要なんて絶対にないのに、棒立ちを求める身体からだの指令に反した記憶が思考を奪い取り、精神を内側から掘削される。

 痛みだけなら、まだよかった。

 呼び止めようにも名前が分からないから、二酸化炭素の白いもやしか吐き出せないんだ。

 廊下の突き当たりを曲がってしまえば、彼女は視界に映らなくなってしまう。

 地面に根が張ったままの両足はすくみ、今より前に踏み出されることはない。オレンジ色が夕闇に変貌しつつあり、影が薄くなった人気のない廊下で──

「どうして……赤の他人を『おひとし』だって言えるんだよ……」

 れつな渇きを潤せない最期を迎え、不完全燃焼の青春未満が幕を閉じる。

 どこに向かえばいいのかいまだに彷徨さまよったまま、二度と会うことはない後輩の後ろ姿が見えなくなってしまっても、ただただ立ち尽くすしかなかった。

 出会う前なのに、初対面なのに、自分の片隅へ潜んでいた未知の感情。

 それが恋心だと自覚する頃には制服を着る機会を失い、雪解けの初春とは逆行する塗り潰された心は焦燥も、痛みも、渇きも、涙も、そして人間には当たり前の表情すら道連れにして、自分が抱く感情のすべてを手放していた。


 桜が開花する頃。

 一方的に俺を苦しめていた後輩の残像が、恋心が、跡形もなく──消える。


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試し読みは以上です。


続きは好評発売中の『星降る夜になったら』でお楽しみください!

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