第4話 青春少女とお兄ちゃん
九月も終わりに近づいた頃。
私――
「お兄ちゃん、久しぶりだね」
園内に入ってとあるお墓の前で立ち止まると、私は小さい声でそう言った。
けれど、当然のように返事はない。
――だって、喋りかけている相手はもうこの世にはいないのだから。
小学生の頃。私にはお兄ちゃんがいた。
見た目はあんまりカッコよくはなかったけど、とても優しくて、私はそんなお兄ちゃんが大好きだった。
ある日。学校から帰ると、お兄ちゃんが見たことない本を読んでいた。
「それってなに?」と私が訊ねると「これはね、ライトノベルっていうんだよ」とお兄ちゃんは答えてくれた。
私も読みたいとたくさんお願いすると、お兄ちゃんは「しょうがないなぁ」と言って読んでいた本を貸してくれた。
ここで私は初めてライトノベルと出会い、とても好きになったのだ。
それからはお兄ちゃんにまたお願いして別の作品を貸してもらったり、お兄ちゃんと一緒に新刊を買いにいったり、読んだ原作の映画を一緒に見に行ったり。
そんな日々を送っていると、私はライトノベルがもっともっと好きになって、お兄ちゃんのことも大大大大大好きになっていった。
これがずっと続けばいいのにな、と私は思っていた。
それなのに、私が中学二年生の春――。
突然、お兄ちゃんは死んじゃった。
車道に飛び出した子供を助けようとして、車にはねられてしまったらしい。
その日、私は一晩中泣き続けた。
「お兄ちゃん、どうして死んじゃったの……」
ここに来ると毎回のように口にしてしまっている気がする。
こんなこと
……やめよう。せっかくお兄ちゃんに会いに来たんだから、もっと楽しい話をしよう。
「私ね、新しい友達ができたんだよ」
名前は
優しくて、ライトノベルが大好きな男の子。
まるでお兄ちゃんみたいだね。
見た目もちょっとお兄ちゃんに似てるし。
「こんなこと知ったら、才本くん怒るだろうなぁ」
才本くんには言ってないけど、実は彼のことは高校に入学した日に見かけてからずっと気になっていた。
理由は見た目がお兄ちゃんに似ていたから。ただそれだけ。
私は何度も彼に話しかけようとして、何度も止めた。
言葉を交わすにしても、挨拶程度にして深く関わることは決してしなかった。
動機が不純だからだ。
……でも、図書館で同じ本に手を伸ばして彼の手に触れた時、我慢が出来なかった。
才本くんもお兄ちゃんと同じでライトノベルが好きだってわかってしまったから。
もしかしたら彼ならまたあの楽しい日々を思い出させてくれるのではないかと期待してしまったから。
「……ダメだなぁ、私」
本当にダメだ。
才本くんにお兄ちゃんの姿を重ねてしまうなんて。
彼はお兄ちゃんに似ているけど、お兄ちゃんじゃないのに。
……けど本当に似てるんだもん。
彼にお兄ちゃんの魂が入っていたりしないかな。
そしたら次に会った時からはお兄ちゃんって呼べるのに……って、私は何を考えてるの! そんなのダメダメ!
才本くんにも、お兄ちゃんにも失礼だよ!
「私、ダメダメみたいだね」
こうやって落ち込んでる時、お兄ちゃんはよく頭を撫でてくれたなぁ。
あの時みたいにまた頭を撫でてくれないかな……無理だよね。
「……お兄ちゃん、寂しいよ」
思わずそんな言葉がこぼれ出てしまった。
さっき楽しい話をするって決めたばかりなのに……やっぱり私、お兄ちゃんがいないとダメみたい。
その時、ふとあることを思い出す。
お兄ちゃんが事故に遭う直前の出来事だ。
彼は自宅で私と話をしていた。
これが生前のお兄ちゃんと私の最後の会話だった。
その最中、お兄ちゃんは私にこんなことを言った。
「お前に一番いい本を見つけたんだ」
私が「その本ってなに?」って訊いても、お兄ちゃんは「それは後のお楽しみだ」と返して教えてくれなかった。
その後、出かけたお兄ちゃんが事故に遭ってしまって、もう知る機会を失ってしまったけれど。
「私に一番いい本って何だったんだろう」
自分でも色々と探してみたけど、見当もつかなかった。
お兄ちゃんはどんな本を私に紹介してくれるつもりだったんだろう。
それもこれもお兄ちゃんが戻ってきたら、全部わかるのに。
――お兄ちゃん、帰ってきてよ。
「おっ、やっぱ柴藤か」
不意に声を掛けられて振り返ると、そこには男の子が立っていた。
「……お兄ちゃん?」
彼のことが一瞬、お兄ちゃんに見えて、私はそう呟いてしまう。
だけど、すぐにお兄ちゃんじゃないことに気付いた。
男の子は才本くんだった。
「お兄ちゃん? って俺のこと?」
「ううん、違うの。いまのは気にしないで」
「もしかして柴藤、俺の妹になりたかったのか?」
「だから違うってば! これ以上言ったら怒っちゃうよ!」
「……すみません」
才本くんは謝ったあと「冗談で言ったつもりだったんだけどなぁ」とこぼしている。
……彼は悪気はなかったのに、言いすぎちゃったな。
「こんなところで何やってるんだ?」
「その……お墓参りだよ。お兄ちゃんの」
「えっ……」
才本くんは驚いたような声を出したあと「そうか」とだけ言って、何も訊かないでいてくれた。
もしかしたら色々と察してくれたのかな。相変わらず優しいね。
「才本くんの方こそ、こんなところで何やってるの?」
「俺も墓参りだよ。爺ちゃんのな。本当は先月に来るつもりだったんだけど、うちの両親が仕事忙しかったらしくて来られなくてな」
「そうなんだ……ちなみに才本くんのご両親の職業は?」
「言わない」
「即答⁉ も、もしかして他人には言えないようなお仕事なの……?」
「うーん、そうだな。深夜に奇声を発したり、全裸で踊り狂ったりする仕事だ」
「えぇ⁉ な、なんか大変そうだね……」
「そうなんだよ。息子の俺としても大変なんだよ」
才本くんは生気のない目で話す。
一体どんなお仕事なんだろう。とりあえずまともなお仕事じゃない気がするよ……。
「とまあこれは冗談なんだけど」
「えっ、冗談だったの?」
「いや、正確には冗談じゃないんだけど、奇声も全裸の舞もするんだけど」
「結局、それはやっちゃうんだね……」
「まあ俺の親の仕事はあれだよ……その、ラノベ作家だ」
「ラノベ作家って……えぇ⁉」
才本くんのご両親ってラノベ作家なんだ!
それってすごいことだよね!
こ、今度サインとか貰いにいっちゃってもいいかな……。
そんな風に私が心の中ではしゃいでいると、
「落ち着け柴藤。言っとくけど、ラノベ作家っていうのはお前が想像してるような存在じゃないぞ」
「? そ、そうなの……?」
「そうだ! さっきも言ったような奇行をいきなりしだすわ、締め切りが近いとロクに飯を作らんわ、挙句に締め切りに間に合わないと察すると息子のせいにしだすわ」
「さ、才本くん。目がどんどん死んでいってるよ」
話していくうちに魂がすり減っていく才本くん。
ほ、本当に大丈夫かな……?
「でもまあ、ラノベを好きになってからは尊敬してはいるけどな」
と思っていたけど、何だかんだ言って才本くんはご両親のことが大好きみたいです。
とりあえず彼とご両親の間に家族愛があることがわかって安心していると、
「で、どうだ? ちょっとは元気出たか?」
「え……?」
才本くんの言葉に、つい聞き返してしまった。
「さっきから柴藤が元気ないように見えたから。俺の話、面白かったか?」
「才本くん……」
こういうところ、本当にお兄ちゃんに似てるなぁ。
ずるい優しさって言うのかな。
「え、もしかして俺の話面白くなかったか? おかしいな、個人的には満点だった気がするんだけど……」
「ううん。ちゃんと元気出たよ。ありがと!」
「っ! そ、そっか! なら良かった!」
お礼を言うと、才本くんは顔を逸らしてしまう。
照れてるのかな。ふふっ、可愛い。
「お、俺はそろそろ戻るかな。墓参りも済ませたし、親も待ってるだろうし」
「そ、そっか。もう帰っちゃうんだね……」
なんか寂しいな。
明日また学校で会えるんだけど、その……いま一緒に居て欲しいというか。
「じゃあまた明日な」
「う、うん。また明日ね」
けれど、そんなやり取りを交わしたあと、才本くんは行ってしまった。
彼も用事とかあるかもしれないし。これ以上引き止めたらダメだよね。
「……私も帰ろうかな」
一人で呟く。
……やっぱり引き止めたら良かったかな?
なんてちょっぴり後悔しつつ歩き出そうとすると、どこからともなく足音が聞こえてきた。
別の人がお墓参りに来たのかな。
そう思い顔を上げると――そこには才本くんが立っていた。
「っ! ど、どうして! 帰ったんじゃなかったの?」
「いや、なんつーかさ、何となく柴藤が心配になっちゃって……っと、はいこれ」
そう言って彼が渡してくれたのは、缶のお茶だった。とても暖かい。
「今日は寒いかなと思って……」
「才本くん……」
ずるいなぁ。こんなことされて喜ばない女の子なんていないよ。
まるで私の心が全部見透かされてるみたい。
そんな彼にこれ以上隠し事は良くないよね。
「才本くん、話があるんだけど……少しいいかな?」
私は全てを彼に打ち明けることにした。
☆☆☆☆☆
「そっか。お兄さんが……」
近くのベンチに移動したあと、私は才本くんに全てを打ち明けた。
お兄ちゃんが死んじゃったこと、お兄ちゃんが最後に遺してくれた言葉のこと、お兄ちゃんが才本くんと似ていること。
「才本くんさ、前にどうして自分に優しくしてくれるの? って訊いたよね? これが全部ってわけじゃないんだけど才本くんはお兄ちゃんに似てるからっていう理由もあったんだ。その……ごめんね?」
「いいや、柴藤の話を聞いただけで、お前のお兄さんがすげぇ良い人ってのはわかったし、そんな人と似てるって言ってくれるなら有難いよ」
「で、でも……」
「そんな深く考えんなって! 俺は別に気にしてないし! つーか、お前のお兄さんと似てるだけでクラスのマドンナとこうして仲良くできたんなら、超ラッキーだわ!」
才本くんははにかむようにして笑う。
私はだいぶひどいことをしているのに、彼は本当に気にも留めてないようだった。
こんな良い人に、私はずっとなんてことをしていたんだろう。
ううん、良い人だからお兄ちゃんと重ねちゃったのか。
「つーか、お兄さんが最後に言った『お前に一番いい本』ってのはなんなんだろうな」
「それは私にもわからないの。調べたりもしたんだけど、見当もつかなくて」
私が答えると、才本くんは「そっかぁ」と残念そうな声を出す。
まるで自分のことみたいに。
「なあ柴藤、その『お前に一番いい本』ってやつ、俺も探すの手伝っても良いか?」
「え……そ、そんな! 悪いよ!」
「ただ俺が友達の悩みを解決したいだけなんだよ。ダメか?」
「で、でも私、今まで才本くんのこと騙してたし……」
「別に騙してねぇだろ。何なら逆に俺のことをお兄ちゃんだと思っていいんだぞ」
「そ、そんなこと思わないよ! 私のお兄ちゃんはお兄ちゃんだけだもん! って、ごめん。才本くんにお兄ちゃんを重ねてたのは私の方なのに……」
「気にすんなって。柴藤のブラコンの部分が見れて、ちょっと得した気分だ」
「……才本くんのばか」
言うと、才本くんはからかうように笑った。
まったくもう。この人は……。
才本くんがお兄ちゃんが最後に言った本を探してくれるって言ってくれた時は、すごく嬉しかった。
もしかしたら彼ならお兄ちゃんが私に読ませようとしてくれた本を見つけてくれるかもしれないと、そう思ったから。
「才本くん、本を探すの手伝ってくれるかな?」
「もちろんだよ。俺に任せろ」
笑顔で応えてくれた彼がとても頼もしく見えた。
でも、今までとは違って、そこにはお兄ちゃんは見えなくて。
……あれ?
鼓動が段々と速くなると同時に、私の中の彼が少しずつ変わっていく気がした。
~つづく~
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