第一話.探偵と象③

「けじめときたか。こえーねマリー。そんなに悔しかったのかな」

「そりゃ……ただの友達じゃなくて彼氏なんだし、だまされたら頭にもくるだろ」

「そんなもんかね」

 やま雨恵にはどうも、がピンとこないようだった。

あめは何事もいい加減ですから」

 妹からの寸評は、冷たいというよりあきれているようだった。雨恵は人間関係も適当ってことか。弁当箱を閉じながら眠たそうに目をしばたたいている姿を見ると、まぁそんな感じではある。

「二人の浮気相手……琴ノ橋さんを含めるとさんまたですね。いとぐち先輩という人は、とんでもないプレイボーイなんでしょうか」

 そして、ゆきの方は人間関係に淡白ではないようだった。口調は落ち着いているが、声の低音部分が怒りと非難にこわっている。

 そんな雪音に釣り込まれたわけでもないが、俺は深刻に頭を振った。

「……ところがもう一人、目撃されてるんだ。見たのは糸口先輩の友達で、映像研究会の人って話なんだけど──」


『あれは先週の日曜日。服を買いに街へ行ったら、駅の改札で女の人が財布からなにか落としたんだ。

 気付いてないみたいだったから拾ってみたら、マイナンバーカードでさ。急いで追って返したよ。ハンドバッグに目立つお守りが付いてたから、混み合っててもなんとか見失わずに済んだ。なんか変わったお守りだったな。「おもう」と「あに」が混じったような、見たことない漢字が縫ってあって。

 で、カードにあった名前ははしもと……なにさんだったかな? 名前とか誕生日は覚えてないんだ、あわててたから。ともかくはしもとさんはすごく丁寧にお礼を言ってくれて──メイクひかえめで、なんかやたらテンションの高い人だったなー──、もう落とさないようにってカードを後生大事にしまい込んでた。

 その時はそれで別れたんだけど、気に入る服が見つからなくて街をぶらぶらしてる途中にまた見かけたんだ。

 最初に見つけたのはいとぐちだった。あいつ、派手な帽子かぶってるから街中でもやたら目立つんだよな。あいつがバイトしてるレンタル屋のある通りだったから、いるのは別に普通だ。

 でも、女連れだった。最初は糸口の妹かと思ったんだ。糸口より一〇センチくらい低くて妹と同じくらいの背だったし、同じような服を着てるのも見たことあったから。僕は糸口の家にもよく遊びに行くから知ってるんだけど、運動部なのに普段はルーズな格好が好きなんだよね、あの妹。髪の色も乾いた黒でよく似てた。

 ……けど、遠目にもすぐ違うってわかった。セミロングにしてる糸口の妹と違って髪を短く切りそろえてたし、ちょっと前に見た人だったから。

 ──さっきの橋本さんだ。糸口が彼女を案内してる感じだったんだけど、入ったのが、こともあろうにランジェリーショップ。

 そりゃ驚いたよ。ことはしさんと付き合ってるのは知ってたし、いつ見てもすごく仲良さそうだったからさ。なにやってんだあいつって。まぁ、糸口はすぐ外に出てきて橋本さんが買い物を終わるのを待ってたみたいだから、それだけじゃ付き合ってるかは判ンなかったけどね。

 でも、店から出てきて二人仲良く帰っていく姿は、ただならぬ関係に見えたよ』


 琴ノ橋さんはわざわざボイスレコーダーのアプリを使って、この証言をっていた。そのデータもまた俺のスマホに転送されている。

「その女性の顔は判らないんですね」

 その証言を要約した話を聞き終えて、まず口を開いたのはゆきだった。

「さっきの、先輩の家から出てきた人と同じ人かもしれません」

 俺が応える前に──意外と言うべきか──あまが否定した。

「うんにゃ。身長たつぱが違うよ。朝帰りの女は浮気先輩と同じくらいの背だけど、下着買ってたハシモトさんは先輩より背が低かったんだから」

 ……適当に聞き流してるようで、思いのほか注意深い指摘だ。

「じゃあ……やっぱり、糸口先輩という人は三人の女性とふしだらな関係を持っているわけですか。度し難いですね!」

 たぶん無意識にだろう、雪音は拳を握り込んで憤慨している。案外に感情表現が豊かで見てて面白い。……まぁ、こういう問題についてでなければ。

 俺はなんとなくいたたまれない気持ちになりながら、彼女をなだめた。

「いやまぁ、証拠はないわけだから」

 傘の女性の写真はあるが、それだってただの状況証拠だ。ことはしさんの危惧する通り、すっとぼけられたらそれまでだし、その後は用心されて尻尾がつかみにくくなるだろう。

 そんなことを思って憂鬱にうつむくと、顔をのぞきこまれた。いたずらっぽい笑みを口に乗せた、やまあまだ。

「なに? むらくんは浮気先輩の肩を持つわけ?」

 妹と違い怒気はうかがえない。完全に面白がっている顔だった。

「おとなしそうな顔して、案外やらしー人なのかな」

「そ、そうじゃないけど……」

 声が上擦ってしまうのは雨恵の顔が微妙に近かったからであって、図星を指されたからでは決してない。

 食後いつの間にかリップを塗り直していた雨恵の唇から目をそらし、うめく。

「俺が言いたいのは……あらためて情報を思い返してみても、いとぐち先輩が会ってた女の人たちを探すのは大変だってことだよ。傘のと朝帰りのは正体不明だし、はしもとさんも名字しかわからない」

 橋本さん、だけでは市内に何人いるか知れたものじゃない。

「見つけろったって、どうしたもんやら……」

 うっすらと艶めく唇に人差し指を当てて、雨恵はころりと首をかしげた。

「張り込みとか? 先輩のヤサわかってんだから、一日中見張ってれば女に会いに行ったり、女が会いに来たりするんじゃない?」

 実際、それくらいしか方法が思い浮かばなかった。琴ノ橋さんたちが言っていたように、本職の父さんなら山ほどのからめ手を知っているだろうけど、相談するつもりはない。父さんだって職業倫理というものがあるから、高校生に個人情報の調査方法なんて教えたりしないだろう。

「……でも、よく知らない人を見張るなんて一歩間違えれば犯罪だろ。さすがにそこまで付き合う義理はないし」

「まぁ、そりゃそうだ」

 雨恵はあくまでお気楽だ。でも腹は立たない。彼女にだって、僕のために心を痛める義理はないのだから。気持ちいいくらいの無責任さに、いっそ笑いたくなった。

 こんな風にテキトーな相手だから、難題の相談ができる。解決できなくても重荷を背負わせずに済むからだ。最初から雨恵に打開策を期待していたわけじゃなく、ただ話すだけ話して不可能を確認したいだけだった。

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