1 骨色の魔法 その3

「やっほぅ。二人とも来てたんだ、仲良くしてた?」

 この空気で仲良くしてたように見えるのか? 頭にユニセフきんでもまってるのかよ?

「お、カルミナ・ブラーナできてたの? りんちゃんいてみた? どうだった?」

「編曲者本人が目の前にいるからはっきりとは言わないでおきますけれど」とかのじよぼくを指さして前置きした。「これをかせた牛は牛乳の代わりにガソリンを垂れ流すと思います」

「はっきり言ってくれた方がましだよ!」意味わからんけど悪口だってことだけはわかる。ていうかさっきまで目の前ではっきり最悪とか言ってましたよね?

りんちゃんにそこまで言わせるとは大したもんだねえ」

「なんでめられたみたいに話を持っていこうとしてんですか。べつにいいですよフォローしなくても。自分でもゴミみたいなひどい編曲だってわかってますよ」

「わたしはそこまで言ってない。わたしが本気になったらあなたがこれまでおかしてきたかんとうさつの罪を残らず自白するくらいてつていてきむから」

おかしてねえよ! どっから出てきたのその犯罪者あつかいっ?」

「こんないやらしいがく書く人だからそれくらいやってると思って」

「いやらしいの意味がすりわってますけどっ?」

「じゃあわたしは帰るから。いやらしい人と同じ部屋にいたくないし、用事も済んだし」

 かのじよはそう言って音楽室のドアに足を向けた。

「ちょっと待ってりんちゃん、がく持ってってよ」とはなぞの先生がピアノのめん台に置いてあるぼくの『カルミナ・ブラーナ』アレンジを指さして言った。「いまコピーするから」

りません」とかのじよはにべもなく言った。「もうおぼえました」

「……おぼえた、って……」

 通して五分足らずの曲とはいえ、さっきはじめて見てちょっといただけだろ? さすがに無理のあるはったりだろうに。

 ぼくの疑わしげな視線に気づいたのか、かのじよはものすごくげんな顔になってもどってくると、めん台に置いたままのがくゆかはらとし、乱暴に両手をけんばんたたきつけた。

 はったりではなかった。たしかにかのじよかんぺきあんしていた。しかも(たぶん時間がしかったのだろう)三倍くらいの速さで最後までききってみせた。

 演奏を終えるとをがたつかせて立ち上がり、ぜんとするぼくの前を通り過ぎて音楽室を出ていってしまう。

 かのじよの後ろ姿がドアの向こうに消えると、ようやくぼくは息をつくことができた。

「あんだけおぼえがいいとほんと助かるなあ。さすがりんちゃん」

 はなぞの先生はのんきにそう言って、ゆかに散らばったがくを拾い上げる。

「……あれ、何者なんですか……」

 自分でもおどろくくらいつかった声でぼくいた。

「クラシック畑じゃちょっとした有名人だったんだけどね、さえじまりんちゃん。ムサオはそっち方面じゃないから知らないか」

「えっと……? プロのピアニストなんですか? めっちゃうまかったですけど」

「ううん。いずれプロになるだろうなって言われてはいたけどね。あれだよ、元神童ってやつ。小学生のころからコンクール総なめで」

「へえ……」

 ぼくはぴったりと閉じたドアを見やる。神童──か。あのうでまえならうなずける。

「でもなんでそんなやつがうちみたいなつう高校に来てんですか。音大ぞくとかに行けばいいのに」

「まあ、色々あんのよ。色々とね」先生は意味深に微笑ほほえんだ。「その色々につけんでばんそう役をやってもらってるんだけどね」

「あんたほんとのほんとに最低だな!」

「でもまあもったいないよね。うでが落ちたわけじゃないのに。こんなこけおどしまんさいめんも平然と初見で──」とがくに目をやった先生はすぐに気づく。「って、これれんだん用じゃん」

「あ、はあ、その」

 りんとのやりとりですっかり毒気をかれていたぼくは、先生を困らせてやろうという当初の目的がかなりどうでもよくなっていた。

「カール・オルフのげきれつでプリミティブなオーケストレーションを再現するには独奏じゃ足りないかなって思って……」

 それっぽい言葉を並べて言い訳する。

「ふうん。難しい方のパートをあたしにらせようってこと?」

「え、ええ、まあ……ぼくより先生の方がうまいし……」

 やばい、意図をかれたか。

「じゃ、いてみようか」とはなぞの先生は言って、ぼくをピアノのすわらせた。先生自身はなぜかぼくの背後に立つ。

「あの、先生のは?」

「あたしは立ってくよ。だって」と先生はがくを指さす。「難しい方があたしのパートなんでしょ?」

「はい、だから低音部の方を」

「いちばん難しいのが低音部の左手で次が高音部の右手でしょ? それをあたしがくとなるとこうするしかないでしょ」

 え? いや、あの?

 先生はぼくの背中にのしかかるようにしてけんばんひだりはし(最低音部)とみぎはし(最高音部)に向かって両手を広げた。ぼくが中声域──低音パートの右手と高音パートの左手を担当しろってこと? そりゃあ、そんな変な分担ならこうするしかないですけど、つうに並んですわってそれぞれのパートをつうに分担すれば──

「はい1、2、3」

 先生はカウントをとってき始めた。ぼくもあわてて合わせる。

 しかし演奏どころではない。ぼくかたに先生のあごが乗っかっているし、いきが耳の裏にかかるし、ちょっと音域がせばまると先生のうでぼくの首に巻きつくし、あとなんかやわらかいかんしよくけんこうこつにしょっちゅうしつけられてぼくはもうおんを追うどころではなくなっていた。

 ドアが開いた。

 ぼくはびっくりして手を止めてしまい、先生だけがき続けたせいで中声域のすっぽり消えたけな演奏がむなしく進行していく。部屋に入ってきたりんぼくらを見てかすかに顔をしかめ、けれど無言でピアノまで近づいてくると、どうやら置き忘れたらしいスマホを回収し、きびすかえしてドアに向かった。

 部屋を出しなに冷たいけいべつの視線をかたしにぼくへと向けてくる。

「そういういやらしいことするためにれんだんアレンジにしたわけ? ほんとに最低」

「……い、いや、これはちがっ──」

 ぼくに言い訳するひまをあたえずドアはたたきつけられるように閉じた。

「ちょっとムサオ、立ち上がろうとしないでよ。きづらいよ」

「なんでこんな事態でもまだいてんですか!」

「どんなにつらくかなしいことがあっても音楽を止めてはいけないんだよ。ノーミュージック・ノーライフ」

ぼくはとっくにノーライフですけど社会的にっ! ポエムなこと言ってる場合ですか、めっちゃ誤解されたじゃないですかっ」

「誤解じゃなくない? ムサオがいやらしい変態なのは事実でしょ」

「どこがっ」

「女装」

「ああ、いやあのそれは」

 事実なので強く否定できないが、しかし。

「やってるのは事実ですけどやりたくてやってるわけではなく見てもらいたいからで、あ、あの、見てもらいたいってのは動画をって意味で」

「だから女装動画を見てもらいたくて女装してんでしょ」

「ち、ちがッ、……ちがわなくもなくもないですけどっ、そういう動機じゃなくじゆんすいに」

じゆんすいな自己けん欲のために女装してんだよね?」

「言い方ッ」

 これ以上この方向で話を続けていてもいじくられるだけなのでぼくはあきらめた。

「だいたい学校でその話をしないでくださいよ、バラさないからっていう約束で授業を手伝ってるんじゃないですか。ムサオって呼ぶのもやめてくれって何度も」

「えええー」

 先生は不満そうに口をとがらせた。

「ムサオって呼びやすくていいのに。じゃあ他の活用形にする?」

「なんですか活用形って」

「虫けら」

「五段活用かよ。しかもなんのひねりもなく悪口じゃないですか」

「むすっとしてる」

「当たり前だろ! だれのせいですか!」

「無節操」

「ちょっ、なにが? これまで十五年間つつしぶかく生きてきましたよ!」

「ムソルグスキー」

「だれが禿はげやまの一夜だ! うちの家系はみんなふっさふさだよッ」

「あれえ、ムソルグスキーは悪口のつもりで言ったんじゃないんだけど、むらくんちょっとひどすぎない?」

「え、あっ……そ、そうですよね。失礼な発言でした。ムソルグスキーにあやまります」

「あたしは『一生女にえんがない上にアル中』って意味で言ったんだけど」

「ど直球で悪口じゃねえか! あんたがムソルグスキーにあやまれよ!」

「どう? あたしの言いっぷりに比べればりんちゃんの口の悪さなんてなんともないでしょ。だから仲良くしてあげてね」

「どんな話のつなぎ方ですか」

 はなぞの先生に比べればたいがいの人間がましに見えるだろうに。

「だいたい、仲良くったって、とくに接点ないですよ。クラスはちがうし音楽の授業だってべつべつなんだし」

「あたしっていう接点があるでしょ」と先生は自分の胸を指さした。「弱みをにぎられてこき使われてる者どうし共感し合えるんじゃない?」

「こき使ってる当人がよくもまあ平然とそんなこと言えるもんですね……」

 あなたたちのためを思って言ってるんだよ、みたいな顔されるのしんけんに腹立たしいんで自重していただけませんかね?

 とはいえ、ぼくとしてもりんとはもう一度だけ接点を持ちたかった。

 めん台にだらしなく広げられたがくを見やる。

 あれだけのピアニストに、こんなきよしよくだらけのめんしつけておしまいにしたくなかった。むらことがこういうクソ編曲しかできないやつだと思われたままにしたくなかったのだ。

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