女王の化粧師/千花鶏
※こちらはビーズログ文庫「女王の化粧師」の書き下ろしショートストーリーです。
-------------------------
タイトル『花を飾ろう』
《芸技の国》デルリゲイリア。現在、空の玉座をいただくこの国では、そこに座すべき女王を定める儀式のただ中にあった。上級貴族の娘たちの中から五人の女王候補を立て、玉座を争わせる《女王選出の儀》――通称、女王選と呼ばれる儀式である。
上級貴族の中で下の下の下であるミズウィーリ家が一女。通常ならまず選ばれないはずの女王候補になぜか選出されているマリアージュは、今日も女王選に向けて詰め込まれた課題に疲れ果てていた。半ば滑り落ちた状態で椅子にぐったりと腰掛け、円卓の上に積まれた書籍を忌々しく睨み据える。
「……もー……なんなの。なんでこんなこと勉強しなきゃならないの。勉強って何の役に立つの。しなくたって生きていけるんじゃないの」
「マリアージュ様……」
休憩用の茶を淹れる侍女のティティアンナが苦笑いを浮かべる。
「そういうことおっしゃっていると、リヴォート様が一から十まで勉学がいかに有益か説明しに来られますよ」
「やめて……本当にやりそうだから、そういうことを言うのはやめて……」
マリアージュは耳を塞いだ。
はぁ、と、ため息を吐いて、マリアージュは窓の外を見た。気分が少しでも晴れるようにと、窓際に寄せられた席からは、ミズウィーリ家の庭園が一望できる。花季とも呼ばれる一年で最も気候のよいこの季節。木々の緑は瑞々しく萌えていて、花々は遠目に見ても
と、その中をぽてぽてと歩く人の姿をマリアージュは見出した。
ティティアンナに開けさせた窓から顔を出して尋ねる。
「ダイ、あんたそんなところで何してんの?」
「あ、マリアージュ様」
呼び止められたダイは足を止めると、マリアージュを見上げてぱっと笑った。
ダイはマリアージュ専属の化粧師である。女王候補には歌手やら演奏家やら画家やらといった《職人》を傍に
この化粧師、マリアージュの傍にいないときは、あっちへちょろちょろ、こっちへちょろちょろと、ほかの使用人たちの仕事を手伝っている。庭にいてもおかしくはないのだが、なぜかその腕にわんさと花を抱えている。
マリアージュは眉間にしわを寄せて尋ねた。
「……何なのその花?」
「これですか?
ミズウィーリ家に仕えて長い庭師の老人から頂戴したらしい。マリアージュが知るかぎり、庭師は安易に花を切ってだれかに与えるような老爺ではないのだが。
ふむ、と、マリアージュは考えて、ダイに命じた。
「上がってきて」
「え? あ、はい。あの、ちょっと待っていただいていいですか。この花を置いてき」
「それは持ったままでいいわよ」
「えぇ……」
「いいから、早くしなさいよ」
しなびちゃわないかなぁ、と、ぼやくダイに強く命じてマリアージュは椅子に座り直した。
ダイを呼びつけたことに意味はない。
あえていうなら、気分転換が必要だったのである。
「バラ、ビバーナム、エルダーフラワー、デルフィニウム、ラーレ、ガーデニア」
抱えた花の名をダイが口ずさむ。庭師に教えられたばかりだという。
「花を見ていたら、切ってくださったんです。ちょうど剪定するところだったからって」
「何で花を見ていたの? 暇だったの?」
こちらがヒースから積み上げられた課題で、こんなにも苦しんでいたときに、この化粧師はのんびり花を
マリアージュの問いかけに潜む妬みを悟ったらしい。ダイはぶんぶんと首を横に振った。
「ち、違いますよ。化粧の参考に色を見ていたんです」
ダイが化粧に用いる色粉――目許などの彩に用いる粉には、花などに由来した名が付いているのだという。なんでも化粧品を作っている魔術師が、花から着想を得て色を作っているらしい。
なるほど。ダイが化粧をするとき、なんとかの花のよう、と表現することが多かったのはそういう理由か。
「実はわたし、花ってそれほど見たことがなくて」
「そうなの?」
「元居たところには
ダイの色板には濃淡の様々な色がある。その色が何の花を想起して作られたのか。確認をすべく庭へ出たのだとダイは言った。
マリアージュは納得に頷いた。
「なるほどね。……じゃあこの花はこれから色粉と見比べるために持って帰るのね?」
「いや、それが、実はですね……。ちょっと困っていまして」
と、ダイは告白した。
様々な種類の花をもらったはいいが、ここまでの量になるとダイの自室に飾れない。屋敷はすでに方々で花が活けられている。統一性のない花を置くことはできないだろう。
ダイの腕から零れる花を眺めながら、マリアージュは言った。
「ティティにでもあげればいいんじゃないの?」
「えっ、わたしですか?」
急に水を向けられたティティアンナが、追加の紅茶を注ぐ手を止めて叫んだ。
「いただいてもいいんでしょうか……」
「ダイがいいならいいでしょ」
「ティティがもらってくれると、わたしは助かります」
「えぇっ、じゃあいただきます……。わぁ、お花をいただけるなんて、どこに飾ろう……!」
ティティアンナが華やいだ声を上げる。思いがけず嬉しそうな彼女の様子にマリアージュは首をかしげた。
「花を飾れることが、そんなにうれしいの?」
「あ、申し訳ございません。はしゃいでしまって……」
「いいわよ」
「お花を飾るなんて、あまりしませんから」
ティティアンナに代わってダイが答える。
「それってわたしたちにとっては、ちょっとした贅沢なんです。ぱっと部屋の雰囲気を変えられますし、調度品が豪華じゃなくても、花があるだけでとっても華やぐ……。なにより、花ってわくわくしませんか。目の前につぼみの花なんてあったら、どういう風に花開くんだろうって。ね、マリアージュ様」
花なんてものはどこにでもあるものだと思っていた。
マリアージュの部屋にはいつも侍女が何かしらの花を活けていたし、屋敷のそこかしこでも同様だ。窓の外に目をやれば花はある。冬は異なるのかもしれないが、マリアージュはそこまで花に意識を向けたことがなかった。
マリアージュは円卓の上の一輪挿しに活けられたラーレを眺めた。マリアージュの勉強の慰めにダイが置いていったものである。
淡い紅色の花弁を持つこのラーレは、ばらの花よりも幾分か可憐な印象だ。びっしりと文字の詰まった紙面を読むことに疲れて顔を上げると、花がにっこりと笑いかけているような気がしてくる。花弁の色の醸す愛らしさが、ささくれた心を撫でていく。
それが何とも妙な感じで、しかし悪くないのだった。
花。それはきっと
マリアージュは頬杖を突いて、ラーレの花を指で弾いた。
「明日はあんたの色でも使ってもらおうかしらね」
それから今度は意識して別の花も飾らせよう。
そうすれば女王候補の責務やら課題やらに溺れるこの日々も、少しは晴れやかなものになるだろうから。