「異世界覚醒超絶クリエイトスキル たかた」

 『学園クリエイトスキル』




「あれっ?」

 ふと気づくと、名上隆也は自分の家にいた。

 といっても、いつもの光景である。祖母が大家をしている築三十年の古い二階建てのアパート。その一室で、六畳ほどの畳の部屋の1DK。そこが隆也の住まいだ。進学の関係で、実家から離れて一人暮らしをしている。

 前に張り替えてからどのくらい経ったかわからない染みだらけの畳の匂い、部屋にぶら下がった古い照明、ホームセンターで買ったこたつ用のテーブル。テレビは置いておらず、娯楽はポケットに収まっているスマホとパソコン、それから小さな本棚におさまっている古本屋で買った小説。後は、成人向けではない程度のきわどい描写・ストーリーの漫画。

 いつもの光景。いつもの日常の朝。

「――俺、なんでこんなところにいるんだろう?」

 だが、隆也はやはりそんなことを言っている。今の高校に進学してから一年と少し、変わり映えのない一日の始まりだが。

「……まあ、いいか」

 どこか判然としない状況に隆也が小首を傾げているところに、スマホからアラームが鳴る。出なければならない時間だが、なぜかすでに制服は着ているし、鞄にも必要なものは入っている。このまま出ても問題ないだろう。

「いってきま――っと、」

「うおおっ!?」

 玄関から出たところで、隆也はスーツを着た二人組の青年に遭遇した。

 同じアパートに住むご近所さんだ。

「びっくりした……なんだ、ダイクにロアーか。おはよう」

「ああ、おはよう」

「……おう」

「二人とも随分疲れた顔だね。特にダイクだけど、また飲みすぎ?」

「ああ。ったく、仕事とはいえ勘弁してほしい……うぷっ」

 青い顔で今にも吐きそうな顔をしている体格のいい男がダイクで、それを支えている背の高いほうがロアー。同じアパートに住んでいる。

 二人はここから少し遠い繁華街で夜の仕事、いわゆるホストをしていて、この時間に帰ってくることがほとんどだ。歳は隆也と多少離れているが、大事な友人である。

 いつからそうなかったかは……なぜか思い出せないのだが。

「そうだタカヤ、学校に行く前に胃薬を分けてくれないか? 前にもらったヤツ、後少ししかなくてさ」

「いいよ。ちょっと待ってて」

 そう言って、隆也は玄関脇の戸棚の上にあった小さな薬瓶をロアーに手渡す。

 中には緑色をした粉末が入っているて、これを飲ませれば、吐き気程度ならすぐ治まる。市販品ではなく、二人の体質に合うよう、≪あちらの世界≫から材料を持ち込んで、調合スキルによって作製したものだ。

「すまんなタカヤ……あ、そうだ。礼と言ってはなんだが、これをやるよ」

 息も絶え絶えと言った様子のダイクから手渡されたのは、ビニールの包装に入っている一枚のディスク。

「? なにこれ」

「俺が前に注文してたんだけどよ。【狙われた女子〇生、学園に潜む獣の――】むがっ!?」

「っ……い、言わなくていいから! ってか、今それ渡す必要ある!?」

「構うな構うな。せっかく手に入れた無修せ――うごっ!? 今、口の中に手を突っ込まれたら……」

「そっちが悪いんだろ!? ブツの内容は概ね把握したから、トイレに行くまでは口を閉じてなさい!」

 この世界に来てまだそれほど時は経っていないはずだが、ダイクは特に順応が早い。そういう繋がりができそうな職業ではあるが、いったいどこでそんなルートを開拓してくるのか。

 とりあえず、これは鞄の奥深くにしまっておくことにしよう。

「ごしゅじんさま!」

「タカヤ様、おはようっス!」

 ダイクとロアーに別れを告げ、急ぎ足で階段を降りると、今度は二人の制服少女に勢いよく抱き着かれた。

 角の生えた褐色肌の少女ムムルゥと、白いふわふわの髪の毛にぴょこんと立った犬耳が特徴の女の子のミケ。ファンタジー世界から飛び出てきたような二人だが、もちろん彼女らも、ダイクやロアーと同じく友人……のはずだが、呼ばれ方がおかしいような。

 しかし、妙にしっくりくるのも事実。

「ちょっと、二人ともリボンは?」

「ん~……ない」

「あ~……家に忘れたっスね」

「そんなことだろうと思った」

 そう言って、隆也は鞄から色分けされたリボンをそれぞれ取り出した。ムムルゥが赤で、ミケが青。角と犬耳にそれぞれ結んでやると、それまで圧倒的な存在感を主張していた二つが、まるで消えたように目立たなくなった。

「お~、耳きえた」

「隠蔽・認識阻害効果付きのリボン……相変わらずタカヤ様の作った便利道具はすごいっスね」

「感心するなら、出る前にちゃんとつけてきてよ、もう」

 ただでさえ容貌の整っている二人だから、おかしな突起物がついていると余計に目立つ。

 こうして一緒にいるのは悪い気はしないが、なるべくなら、平穏に日々を過ごしたいところである。

「メイリールさんとアカネさんは?」

「二人は先に行ったっスね。なんか、放課後に抜き打ちの検査? かなんかやるみたいで、その打ち合わせだって」

「……それ、他に言いふらさないようにね」

 しかし、事前に情報を入れておいてよかった……そう思いつつ、隆也は、もしものために、もう一つだけ用意しておいた予備のリボンを、しっかりと『ブツ』に巻き付けた。



「……ふう、疲れた。毎度毎度、いつものことだけど」

 朝、多少のゴタゴタはあったものの、無事時間通りに教室の席についた隆也は、ほっと一息ついた。ムムルゥとミケは違うクラスなので、授業中はひとまず平穏な時間を過ごすことができる――

「おっはよー、タカヤ! お姉ちゃんが会いに来たったよー!」

 と思ったところで、上級生を示すリボンタイを付けたメイリールが乱入してきた。

 ムムルゥやミケと一緒の家に住んでいるため、普段は一緒に登校しているのだが、今日は用事で別々だった。

「あの、先輩……みんな見てますから」

 透き通った碧眼をもつ金髪の少女に抱き着かれて、隆也は顔を赤くする。できればもう少し適切な距離を保っていたいところだが、ムムルゥやミケを含め、いまいちお願いを聞いてくれないのだ。特に三人が揃うと、対抗心が煽られるらしく。

 ちなみに、クラス中からの視線が痛いのは言うまでもない。

「むー! なんね、そんな他人行儀に『先輩』とか! そこは『お姉ちゃん』って言ってって、いつも言いようやん?」

「いや、だってここ学校ですし……というか、もうすぐ授業始まりますよ」

「大丈夫。チャイムがなるまで後186秒あるけん。それに、仮に時間切れでドアが閉まっとっても、そんぐらいなら『能力』つかって『すり抜け』て――いだいっ!?」

 と、メイリールが口を滑らせようといったところで、彼女の脳天に手刀が放たれた。

 メイリールの背後にいたのは、彼女と同学年の黒髪の少女。

「メイリール殿、一応言っておきますが、あんまり変なことを口走らないよう……ただでさえあなたは目立つのですから」

「そんなこと言って、どうせアカネちゃんもタカヤのことば独り占めしたいっちゃろ? 私は騙されんよ」

「んなっ……!? だ、誰がこんなヤツなんかと! 私はただあなたが心配なだけで、べ、別にコイツに会いたくてここにきたわけじゃ……おいタカヤ、そうだなっ!?」

(わかってます、わかってますから落ち着いてください! あと、ツノ、額のツノが出かかってますからっ――)

 鬼の血を引いているアカネは、興奮するとリミッターが外れて本来の姿が現れるという体質がある。普段は隠れているので、対策もしにくい。

「あんまり『これ』使いたくないんだけど――アカネさん、すいません!」

「むぐぐ……にゃ、にゃんだこれは……アメ?」

「そうです。ちょっとでいいんで、くわえていてください」

「む……」

 隆也が差し出したポップキャンディをアカネが口の中で転がしていると、ほんのりと朱に染まっていた肌が、ゆっくりと、いつもの雪のように白い肌に戻っていく。

 ツノのほうも、跡形もなく引っ込んだ。

「……落ち着きましたか?」

「ああ。鎮静作用が効いたみたいだが……まさかお前、このアメ、」

「今、作りました。能力を使って、自分の魔力を素材にして」

 こちらの世界でも、≪あちら≫で発現した生産・加工のスキルは健在なので、ちょっとした飴玉なら、自分の魔力を使って生成することはわけない。

 ただ、能力を使うと非常に疲れるので、そこがネックなところではある。

 ミケとムムルゥがいなくなってほっとしていたが、結局それ以上に消耗してしまった。

 結局授業開始のチャイムが鳴るぎりぎりまで滞在した先輩たちを追い払って、ようやく授業開始。……そう、もう放課後でもいいかと思うほどにイベントをこなした隆也だったが、これからようやく学校での一日が始まるのだ。

 つまり、ここから本番なのだ。

「……あの人、また遅刻か……通学途中にメッセージは送ったはずだけど」

 チャイムが鳴っても一向に現れない一時限目の担当教師の姿を思い浮かべ、隆也はスマホに目を落とし、素早く操作する。


【師匠】

【おは】

【もしかして、まだ自宅ですか?】

【にどね。めんご】


「……」

 やはり予想通りであったか。隆也はがっくりとうなだれた。


【はやく来てください。一時限目、もう始まってますよ】

【りょ】


「げ……」

 瞬間、ブウン、という音とともに、新たに隆也のクラスの担任となった『森の賢者』エヴァーがさも常識かのように転移魔法を使って教卓の上に出現した。

 一度起きたときに着替えていたようで、ちゃんとスーツ姿なのだけは安心だったが……今はもうそういう次元の話ではない。おそらく少しでも何か食べておこうとしたのだろうか、口には食パンがくわられている。

 とりあえず、つっこみどころが多すぎる。

「むぐむぐ……おひゃひょう、わらえひ」

「……とりかえず飲み込んでから話しましょうか」

 どんなイリュージョンを使ったのか、と周囲がざわめく中、エヴァーはそんなことなど気に留めず、のんきに口に入れたパンを牛乳で流し込んだ。

「んぐ、っと。よし、では早速出席を――」

「いやいや、ちょっと」

 生徒名簿を開き、何事もなかったかのように出席を取り始めたエヴァーに、隆也はツッコミを入れる。

「? どうした、私のワイシャツからのぞく谷間がそんなに気になるのか? 朝から欲求不満とは、まったくしょうがない獣――」

「違うわ! そうじゃなくて、この状況をまずなんとかおさめろって意味の『ちょっと』!」

 エヴァーはさも当然のように転移魔法を使ったが、もちろんこちらの世界では、本来魔法など存在しないものだ。一応、誤魔化さなければならない。

「? ああ、そういうことか。なら――」

 パチン、とエヴァーが指を鳴らした瞬間、隆也以外の生徒たちの頭がかくん、と下を向いた。

「お前たちは何も見ていない。お前たちの前にいるのは、最近このクラスの担任になった、ちょっとおっちょこちょいの女教師……繰り返す……」

 そうして、エヴァーは催眠魔法で生徒たちの直前の記憶を綺麗さっぱり消去の上、情報の上書きしていく。

 パン、と手を叩いて生徒たちの催眠状態を解除すれば、それで普段の朝が出来上がるといった具合だ。

「ヨシ、証拠隠滅! ほれ、これで文句ないだろう?」

「文句だらけだよ!」

 モーニングコールではなく次からはきちんと起こしにいかないと――こうして、また一つ隆也の苦労の種がうまれた。


 ようやく午前の授業を乗り越えて、昼。昼食の時間である。

 朝一の様子からもわかる通り、休み時間になるとムムルゥやミケ、メイリールたちが隆也のもとに押しかけてくるのだが、今日ばかりは一人で平穏に過ごしたいと、チャイムが鳴った瞬間に教室から脱出したのである。

 おそらく今ごろ隆也のことを探しているだろうが、隆也とてそう簡単に見つかってやるつもりはない。

 なにせ、≪あちら≫に行く前までの隆也は筋金入りのお一人様――かくれんぼには関しては絶対の自信がある。……もちろん、悲しくなんてない。隆也は瞳に滲んだ雫を袖で軽くぬぐった。

「ふう……これでようやくゆっくりできるかな」

 追手から逃れつつ、購買で食料を手に入れた隆也は、ぼっち飯ポイントの一つである、とある校舎裏の花壇のそばに腰を下ろして息をついた。

 空に浮かぶ白い雲を眺めながら、隆也は購入した菓子パンを一口かじる。

 朝一からの慌ただしい展開で疲れ切った頭に、糖分がやさしくしみ込んでいく、気がする。

「みんなったら、俺の苦労も知らないで好き放題やって楽しんじゃって……」

 そうぼやく隆也ではあったが、それとは裏腹に表情のほうは柔らかい。

 生来の心配性もあって、余計な心配を重ねる隆也ではあるものの、総合的に見れば、今の生活に不満はなく、日々充実していると思う。

 やれやれなどと口にする隆也ではあるが、結局のところ、仲間に頼られることは嫌ではないし、これからも誰かが困ったときには、すぐに手を差し伸べることだろう。

 なので、たまに一人でふらっとどこかに消えることぐらいは許して欲しいところだ。

「ふあぁ……まあ、なにはともあれ、おやすみということで……」

 暖かい日差しと心地良いそよ風によって、隆也が眠気に誘われていると、

「――! やめ……!」

「…………、なに……、……ですけど?」

 ふと、複数の生徒たちの声が隆也の耳に届いた。

 どうやら、ここから少し離れたゴミ捨て場あたりにいるらしいが……こんな時間に、いったい何を、と言いたいところだが、隆也の経験上、校舎の目立たない場所でやることなんて、たかが知れている。

「……」

 すぐさま無言で立ち上がり、隆也はすぐに現場へと向かった。


「あの……お願い、です。やめてください……」

「はあ? ならさっさと土下座して謝んなよ。ブスで根暗のくせして『人のオトコに色目つかってゴメンナサイ』ってさあっ」

「そんな、誤解ですっ……私は別に……」

「はあ? 何言ってっか聞こえないんですけど。そんなじゃ、一生そこから出られないよ?」

 予想通りだが、どうやらいじめ現場に出くわしてしまったらしい。掃除用具の入っている物置を、数人の男女が取り囲んでいる。用具箱の中から女の子の声が聞こえる。どうやら閉じこめられているようだ。一人の女の子に複数で寄ってたかって……恥ずかしいやつらだ。

 見つからないよう物陰にしっかりと隠れてから、隆也はすう、と大きく息を吸い込んだ。

「先生っ! ゴミ捨て場で煙草吸ってるやつらが! 煙が上がってる!」

「!? げっ、やっべ、誰かに気づかれた!」

「ちっ……おい、お前ら、さっさと逃げるぞ!」

 もちろんただのハッタリだが、多勢に無勢の状況なら、隆也ができる最適な選択肢はこれだ。古典的なやり方だが、程度の低い奴らなら、それで十分勘違いして逃げてくれる。今回は大成功だ。

「だーれもいないよ、バカだな」

 蜘蛛の子を散らすように逃げていった生徒たちに舌を出して、隆也はすぐさま女の子のいる用具箱へと向かった。

「助けに来たよ、大丈夫?」

「あ、あの……はい。あ、でも鍵が持っていかれてしまって……」

「ああ、それは心配しないで。開けるだけならそんなに時間はかからないから」

 そう言って、隆也は足元の土を握り、いったん泥状のスライムのような状態へとスキルで変化させる。あまり学校で能力の使用は控えたいところだが、今は非常時だ。人助けなら、神様もきっと許してくれるだろう。

「あの……」

「ごめん、ちょっとだけ静かにしてて」

「は、はい」

 古い用具箱なので、鍵の構造は単純なもののようだ。隙間なく鍵穴にスライムを流し込み、少しずつ固めていく。ピッキングの才能などがあればもう少しスマートなのだろうが、隆也はあいにく盗人シーフではない。まあ、鍵を壊すようなパワープレイでないだけマシだろう。

「よし、っと。意外に簡単だったな」

 すんなり空いてくれた鍵に感謝しつつ隆也は扉を開けて、中の子を解放する。

 中にいたのは、とても小柄な女の子だった。制服を着ていなければ、小学生あたりと勘違いしていまうかもしれない。身長だけならミケよりも低いだろう。

「あの……ありがとう、ございます……」

 ゆっくりと出てきた女の子が、ぺこりと頭を下げる。前髪で顔が半分隠れているが、とても綺麗な顔立ちをしている。

「気にしないで。俺が勝手にやったことだし……それより、大丈夫?」

「はい、あの……腕を掴まれたり、とかは、やっぱりしましたけど……腫れたりとかも、その、ないですし……」

 初対面の子だが、どこか他人とは思えない雰囲気。

 どことなく、≪あちら≫へ行く以前の隆也に似ている。自分に自信がなく、いつも何かに怯えているような。

 こうなると、やはり見捨ててはおけない。そんな気持ちが隆也の中に芽生える。

 もう自分は以前の自分でない。今度はこちらから手を差し伸べるほうだ。

「……あのさ、君が良ければ、俺と友だちにならない?」

「えっ? あ、あの……私が、その、先輩、とですか?」

「うん。もし今みたいに何かあった時には、力になれると思って。もし、頼れる人がいないんだったらでいいんだけど」

「頼れる人……は、いない、ですけど……」

 伏し目がちに彼女は答える。助けがいないのならと思っての行動だったが、さすがにいきなりすぎたかもしれない。

「まあ、今すぐにじゃなくていいから、一応、考えておいて。俺、名上隆也。君は?」

「っと、私、私は――」

「おい、ちょっと待てや」

 彼女が名前を名乗ろうと口を開いたところで、野蛮な声が隆也たちへと浴びせかけられる。

 よく見ると、さきほど逃げたグループのようだ。どうやら途中でまんまと騙されたことに気づいたらしい。制服を見る限り、彼女と同級生のようだ。

「よう、お前か? 適当なことふかしてオレら騙したのは」

「なんだ、戻ってきたの。……さっさと尻尾撒いて巣に戻ったとばかり思ったのに」

「は? なにコイツ、弱そうなクセしてエラそうに先輩ヅラしてさ、ムカつく。……ねえ、コイツやっちゃってよ」

 煽りにつられた男子生徒が、隆也たち二人を取り囲む。

 下級生とはいえ、隆也一人ではさすがに相手は難しい。体は丈夫だが、喧嘩はからっきしだ。

 しかし、だからと言って後ろの子を置いて逃げるわけにもいかない。

 と、なると――。

「……君、どこでもいいから、俺にしっかりつかまってて!」

「えっ、えっ……?」

「掛け声の後、花壇に向かって一直線に走ってね――せー、のっ!!」

 少年たちが殴りかかろうとした動いた瞬間、隆也は手に持っていた何かを、地面に向かって思い切り投げつけた。

 直後、ボフンッ、という音とともに、白い煙があたりに立ち込めた。

「!? な、なんだよこれ……えほっ、げほごほっ!」

「咳が、目が……な、なにこれ」

「さあ、今のうちに!」

「……は、はいっ」

 直前にハンカチで顔を覆ったおかげで煙から逃れた隆也と少女は、二人手を取り合ってその場から逃げ出した。

 待てだのクソヤロウだのという声が隆也たちを追いかけてくるが、誰が素直に応じるものか。

「こほっ……あの、今のは」

「秘密のスパイスを調合した煙玉ってとこかな。いつものクセで、ポケットにいくつか忍ばせてるんだ」

「は、はあ……」

 コショウや粉からしなど、こちらの世界のものを素材にしたものなので、もし見つかってもただのいたずらにしか思われないだろう。これなら魔法と違って記憶を消す必要もない。

「あ、ごしゅじんさま、いた!」

「タカヤ様、もう逃がさないっスよ~!」

 花壇のほうまで走っていったところで、隆也のことを探していたムムルゥとミケと鉢合わせした。もうすぐ来るだろうなとは思っていたが、ちょうどいいタイミングである。

「あれ? ごしゅじんさま、それだれ? あたらしいともだち? ねえねえ、あなただれ?」

「あ、そうっスよ! ちょっとアンタ、さっきからなにずっと私のご主人様に慣れ慣れしく触れてんスか! は、な、れ、ろ~!」

「え、ええっ……!?」

 いきなり距離を詰めてくるムムルゥとミケに、少女は目を白黒させて戸惑う。

 隆也の時と同じだ。彼女たち仲間が≪あっち≫で手を引いてくれたおかげで、隆也は今、こうして名も知らぬ少女の手を取ることができている。

「二人とも、事情は後で説明するから今は屋上までダッシュってことで。そこでお昼にしよう」

「? おっかけっこ? なら、ミケ、だれにもまけないよ」

「なんかよく話が見えないっスけど……まあ、タカヤ様がそう言うなら」

 ミケとムムルゥ、二人と合流した隆也たちは、勢いそのままに校舎内を駆けていく。

「あ、こらっ! お前ら廊下は走るなといつも口を酸っぱく言って……メイリール殿も、笑ってないでアイツらを注意してやってください」

「タカヤ、はっちゃけるのもほどほどにしとかんとね~」

 すれ違ったアカネが口酸っぱく注意し、その隣のメイリールが楽しそうに笑う。

 やはり平穏通りとはいかず、いつも面倒ばかりを背負い込みがちの隆也の日常だが。

 それでも今は、それがすごく楽しい。

「あ、あのっ……!」

 隆也たちのすぐ後ろで、まだ名前も聞いていない少女が言う。躊躇いがちではあるが、前髪からのぞく澄んだ瞳は、しっかりと隆也の顔を映していた。

「私にも、できると思いますか……?」

「え?」

「私、ずっと独りぼっちでっ……仲の良いひととか、頼れる人とかも、そんなの全然いなくて……いじめられてばっかりで。そんな私でも、友だちとか……できると思いますか?」

「できるよ。勇気さえ出せれば。……だって、」

 隆也は少女の手を強く握りしめて言う。

「ほら、これ」

「え?」

「自発的に俺からこうしたのって、なにげに君が初めてだからさ」

 今でこそ賑やかな隆也の周囲だが、そのきっかけのほとんどは、≪あちら≫で一人孤独だった隆也に、今の仲間たちが手を差し伸べてくれたおかげ。

 だから、今度は自分が誰かの手を引く番なのだ。

 ≪あちら≫だろうが≪こちら≫だろうが、世界の次元の違いは関係ない。繋がろうと思えばいつだって繋がることができる。

「それじゃあ、あの……先輩、一つお願いがあるんですけど」

「うん。なに?」

「もし、よかったら、その私と、友だちに――」

 少女が言い終わる前に、屋上への扉が開かれ、吹き込んできた風によって少女の前髪が後ろへ流れ、素顔があらわになり。

「私、私の、名前は――」



 ――ゴツンッ!

「んんがっ……!?」

 目の前に火花が散ろうかというほどの強い衝撃を頭部に感じ、隆也は目を覚ました。

「いってて……なに? なにが起こったの?」

 眼前に転がっていたのは、各種魔法薬のストックを作っておくための大きなガラス瓶。

 作業棚の上に置いていたはずだが、どうやら何かの拍子に落下し、たまたま居眠りをしていた隆也の頭上にクリーンヒットしてしまったらしい。

「……うん?」

 修理中の金属部品、素材合成用の金属窯、武具製作のための炉など――自分の作業部屋にある設備類一式等を見渡しつつ、隆也は首を傾げた。

 夢を見ていた気がする。

 目を覚ました瞬間、夢の記憶はあっという間に消えてしまったが、とても滅茶苦茶な内容だったことだけは、なんとなく頭の片隅に残っている。

 ≪こちら≫の世界に転移し、生活にも馴染みつつある今となってはありえないことだ。隆也が元の世界に帰って、そして――。

「タカヤ、大丈夫? なんか、おっきい音したみたいやけど」

「ごしゅじんさま、だいじょうぶ?」

 やはり盛大な物音がしたのだろう、心配したメイリールとミケが、扉の隙間からひょっこりと顔をのぞかせた。

「制服……」

「え? 制服?」

「あ、いや。なんでもないです」

 一瞬、メイリールが高校の制服を着ていたように空目して、隆也は首を振った。

 先輩姿のメイリール……似合うだろうが、ありえないことだ。どうやら、まだ意識が完全に元に戻っていないらしい。

「ふうん……あ、そうだ。タカヤ、お昼まだやろ? これからミケちゃんと一緒にご飯いくつもりなんやけど、タカヤもどう?」

「えっと、もうちょっとだけ仕事が残ってるので――」

 ぐううう。

「……あの、」

 断ろうとしたところで、盛大に腹の虫が鳴る。普段は空腹でもこんなことはそうそう起きないのだが、途中で居眠りをして夢を見たり、腹が鳴ったりと調子がおかしい。

 今日は本当にどうしたのだろうか。

「ごしゅじんさまもいこ? わたし、ごしゅじんさまといっしょのほうがいい」

「ほら、ミケちゃんもこう言いようことやし。ね?」

「……ですね。空腹で仕事に集中できなかったら意味ないですし」

 お腹を満たして少し休めば元に戻るかもしれない。たまには外に出るのも気分転換にいいだろう。

「じゃあ、いこ?」

 メイリールが差し出した手を取って椅子から立とうとしたところで、隆也の動きが一瞬静止する。

 脳裏に何か、ぼんやりとした少女の人影がよぎったような気がする――が、やはり思い出せない。

「? タカヤ?」

「……いえ、」

 先程まで見ていた夢の名残だろうが、まあ、あまり深く考えてしょうがないだろう。自分だけなぜか服を着ていなかったり、もしくは当たり前のように魔法やスキルを使えたりと、色々と状況がおかしいのが夢の世界の常だし、それに、ぼんやりとした記憶だが、内容はそう悪くないものだったような気がする。

 唯一悪かったのは、棚から落ちてきた目覚めの一撃だけだ。

「――大丈夫です。それじゃあ、改めて行きましょうか」

 昼食から帰ったらまず棚の改造をしよう――そう思う隆也の≪こちら≫での日常は、まだまだ始まったばかりだ。

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