〇暗躍
遡ること2か月ほど前の、2月某日。
東京都のとある施設のミーティングルームで40代と思われる男、
しかしその正体は単なる子供ではない。
ホワイトルームと呼ばれる極秘施設で育った、特殊な教育を施された人物。
「以上が、
月城は室内に映し出されたスクリーンで、学校が1年間をかけて集めた生徒たちの資料、それを全て開示する。名前や生年月日、出身校はもちろん、両親や兄弟、幼少期からの成績から友人関係まで。通常、担任の教師ですら見ることの出来ないありとあらゆる詳細な資料を交えての極秘ミーティング。
「分かっていると思いますが、重要なのは4月の内に綾小路くんを退学させ、ホワイトルームに連れ戻すことにあります。これ以上計画を遅延させるわけにはいきませんからね。ですがスマートに遂行してください。けして事を公にしてはいけない。もしも私たちの動きが政府の耳に入れば、あの方の……先生の名前に傷がつく恐れがありますからね」
月城からの説明を受け、ゆっくりとホワイトルームの生徒が手を挙げた。
「つまり不用意に目立ったことはするな、と?」
「そうです。だからこそ、学生として潜り込める者にか出来ないことなのです。私も可能な限りバックアップしますが、これから先は坂柳側も警戒心を強めるでしょうから、迂闊な行動はできなくなる」
全ての状況を把握した様子ではあったが、その表情には一定の不満が含まれていた。
それを月城が見逃すことはない。
「納得いかない、そんな顔をしていますね」
背後のスクリーンに映った綾小路の写真を一度見つめ、月城は再び視線を合わせる。
「彼が……綾小路くんが最高傑作だともてはやされるのが気に入らないですか? 私が送り込まれただけでなく、ついには再稼働していたホワイトルームの者までが実験を中断し駆り出された。実に贅沢で、手厚い対応だと言わざるを得ないことです。同じ施設で育ってきた者にとってこれほど屈辱的なことはないかも知れませんねえ」
その点を月城は強調しながら丁寧に説明を続けていく。
対抗心を燃やすことで実力以上のものを発揮させようと試みた、月城の考え。
綾小路清隆は最高傑作である。
そう言葉で説明されるたび、心の中に潜む感情に何かが注ぎ込まれていく。
完璧な立ち回りを見せる月城が、唯一読み違えていた感情の部分。
ホワイトルームで育った人間が嫌というほど教え込まれてきたこと。
『綾小路清隆を越える存在になれ』
あの施設で育ってこなかった第三者に分かるはずもない『憎悪』の感情。
それは時に、抑えが利かないほどに膨れ上がり、暴走を呼び起こしてしまう。
「舞台は用意しました。あとは存分に力を発揮して頂きたい。拝見したデータは申し分なかった。これだけの能力を有しているのであれば、彼を退学させることなど造作もないでしょう?」
説明と、そして歪曲してしまった挑発を終えた月城はスクリーンの電源を落とす。
一度暗闇に覆われた室内は、程なくして天井の明かりがつけられ光に包まれる。
「さて。質問がなければこれでお開きにしましょう。時間はとても貴重ですから」
その言葉を受け、何事もなかったかのように退室しようと背を向ける。
月城はその落ち着き払った態度に僅かな引っ掛かりを覚えた。
自らの説明の中に、誤った言葉があったのだと直感が呼びかけた。
しかし、既に発した言葉を引っ込めることは出来ない。
「ひとつ───確認を忘れていました」
退室しようとする者を呼び止め、月城はその背中に語りかける。
「私に隠し事なんてしていないでしょうね?」
同じ側の人間であっても、組織が一枚岩でないことを月城はよく理解している。
もし最初の考え方が一致していなければ、上手くいくこともいかなくなる。
そのための確認。
振り返ることなく、小さく頷くのみで静かに立ち去っていく。
退室が終わると、月城はもう一度室内を暗くしスクリーンに映像を映し出す。
それは『綾小路清隆』の、ホワイトルームで記録された全データ。
「簡単にこのような言葉を使うのは好きではありませんが……モンスターですねぇ」
学力の高さは言うに及ばず、身体能力の高さも大人顔負け。
正攻法で戦闘のプロとやり合っても呆気なく勝ちうるだけの経験、実績を積んでいる。
「ホワイトルーム生同士の戦い……まともにやり合えば、どんな結果になるか」
もちろん、月城は勝つための算段をしっかりと用意している。
それでも絶対ということはない。
「狩るか狩られるか。子供同士の遊びですが、面白くなりそうです」
大人である月城は慌てない。慌てず、与えられた任務を淡々とこなすだけ。