【1巻試し読み】せんぱい、ひとつお願いがあります

第二章『後輩のいる日常』 その2

おりくんせんぱい、お昼ですよっ!」

 昼休み。時報のとうちゃんが僕の教室に現れた。意外だ。胃が痛い。

 教室中の視線が一斉に僕へと向いた。

 なんで僕だ。せめて灯火を見ろ。ささくれ立った視線の感触に総毛立つ気分になる。

「おお、ふたはらちゃん!」

 こういうとき、僕が最も嫌がる対応を的確にできるのがとおという男だった。

 別のクラスの奴が来る程度ならともかく、一年生が、よりにもよってふゆつき伊織を訪ねてくるとなれば目立つことは避けらない。

 だが、その間に遠野かけるというクッションが挟まるなら話は別だ。彼を訪ねて誰かが来る分には日常のはんちゆうなのだから。何より厄介なのが、こうして場をしようあくされては、逃げるというコマンドが使えなくなってしまうこと。

 もし僕が逃げ出そうとしたら、遠野は大声で僕を呼び止めるだろう。普段は声もかけてこないくせに、こういうときばかりとして敵に回りやがる。なんて野郎だ。

「どうもですー」

 とてとてと教室に入ってくる灯火。

 仮にも上級生の教室に、こうも簡単に侵入してくるとは。意外と肝が据わっている。

 最後列窓際という幸運な席にいる僕も、こうなってはど真ん中と大差ない。

「いっしょにお昼を食べましょう!」

 灯火は言った。だってさ遠野、と役を振ってしまいたい。無理だろうが。

 とはいえ、だからといって僕がこの場で空気を読むと思ってもらっては困るのだ。

「断る」

 僕はひと言でバッサリ切った。「うえぇっ!?」ととうは慌てるが、知ったことじゃない。

 元より冷たい人間だと思われているのだ。この程度で下がる評判は持っていない。これ以上、どうやっても下がらないくらい最低だという意味で、だが。

 僕なりの抵抗だった。家に来られるより正直、教室に来られるほうが厄介だ。

 けれど、この場にとおがいたことが、僕の運の尽きだろう。

「まあまあ、いいじゃねえか。せっかくかわいい彼女が来てくれたんだぜ? 俺も今からふゆつきと食べる予定だったんだけど、いっしょでいいか?」

 そんな約束はもちろんしていない。

 そもそも高校に入ってから、遠野といっしょに昼を食べたこと自体がない。

 もうひとつ言えば、灯火は別に彼女じゃない。うそしかねえじゃねえか。

 だが灯火も、これで遠野が自分の味方だと──いな、僕の敵だとは気づいたらしい。

「はっ──もちろんですっ!」

 ところで、灯火は遠野にタメ口を利くのはやめたのだろうか。

「よし、決まりな。たまにゃこういうのもいい」

 あっという間に賛成多数で、三人での昼食が可決されてしまった。

「悪いな。本当はふたりきりがよかったんだろうけど、こいつ素直じゃねえから」

「まったくです! そんなに恥ずかしがることもないと思うんですけどねー」

 打ち合わせでもしていたかのように話を合わせる灯火と遠野。

 僕は椅子に、ふたりは窓枠に腰を下ろす。天敵に囲まれた状態で頂く食事は、果たしてしいものなのだろうか。食われている側になったかのような気分だ。

 辺りの様子を横目にうかがってみる。

 幸い、クラスメイトたちの興味はそろそろ他へ移り出しているようだ。まあ言うほど誰も、そこまで僕に興味はないのだろう。逆を言えば、ここから再び興味を集めるようなことはさすがにしにくい。……遠野がここまで狙っていたのだとしたら、かなり最悪だ。

 僕は諦めて、総菜パンをかばんから取り出した。

「今日は時間がなかったですからねー」

 同じくビニール袋からコンビニのおにぎりを取り出しつつ、灯火はつぶやいた。朝のうちにコンビニへ寄って、買っておいたものなのだ。

 ああ、考えてなかった。家の近所のコンビニに、ふたりで寄ったことが遠野にバレる。

「しかし、やっぱりここはわたしが手料理など振る舞うのがお約束だったでしょうか」

ふたはらちゃん、料理とか得意なんだ? そいつは羨ましい。けるねえ、冬月」

「まあたしなむ程度ってヤツですが。どうです、おりくんせんぱい? 何か食べたいものとかありますか? お弁当のリクエストは、随時受けつけているわたしですっ!」

 僕は答えた。

「いらない」

「まあまあそう言わずに。もちろん、食べられないものがあったら言ってくだされば」

「じゃあ弁当アレルギーだから弁当は食えない」

「じゃあ、って! なんですかこの人、もう断り方すら適当なんですけどー!」

 ぷくっとほおを膨らませるとうは、けれどめげる様子もない。

「冷たいっていうか、もうただのツンデレにしか見えねえよなあ。今日のふゆつき先生は」

 挙句、とおにそんなことを言われてしまった。

 屈辱だ……なぜ僕がそんないわれのない罵倒を受けなくちゃいけないんだ……。

「……お前、明日もまた僕に絡んでくるつもりか?」

「そう言ったと思いますけどー」

 灯火はしれっとした様子で答える。

 なんのつもりなのか。《一年生の子を弄んでる》と言われる程度なら、僕にダメージは入らない。外堀を埋めようというのなら、残念ながら的外れだ。

 いや、まあ実際に弄ばれているのは僕のほうだから、そういう意味では悲しいけれど。

 というか実際問題、この攻撃は、別の意味で僕に効いている。

「……わかった。なら、せめて教室にまで押しかけてくるのはやめてくれ」

 もはや頭を下げて頼み込むほか手がなかった。

「それは──」

 と、灯火はつぶやき。ひと息、間を空けてからこう続けた。

「さっき、おりくんせんぱいを超にらみながら教室出てった人と関係がありますか?」

「……しろに気づいてたのか」

 僕も、遠野も、まったく気づいてない振りをしていたが。

 灯火は意外とざとく見ていたようだ。

 僕は遠野に視線を流す。だが遠野はこちらの会話など聞こえていないとばかりに、弁当箱に夢中な振りだ。本当にこいつはロクでもねえな。

「もしかして、なんですけど。実は彼女さんがいたとかですか? さっきの方がそうで、怒って出ていってしまったとか……」

 怒っているのは、まあ、そうだろうが。僕は首を振る。

「違うよ」

「ですよね。あーよかった」

「……なんか、納得の仕方に含みがないか?」

「いえ、そうだったら申し訳ないかもとは思いつつ、まさかそんな可能性はないだろうと高をくくっていたと言いますか。伊織くんせんぱいに彼女いるわけない的な思いが」

「地味に結構なこと言ってるよな、灯火」

「じゃあいらっしゃるんです?」

「いないけど、いないから言っていいわけじゃ……いや、いいや。もう。なんでも」

 怒る相手がいるとすれば、横でめっちゃ笑いをみ殺しているとおくらいだ。

 やっぱり聞き耳立ててんじゃねえか。いいけど。

「あれは素で嫌われてるだけだ。見てたんならお前もわかったろ?」

「……まあ、なんとなくは。というか、嫌われ者っていうのうそじゃなかったんですね。話盛ってると思ってました」

「別に評判悪いだけで嫌われ者とは言ってねえんだけど……」

 あいつはまた特殊というか、むしろあれがデフォルトになったというか……いや。

 もういいや。その辺りの微妙なニュアンスを伝えるのは面倒臭い。

「とにかく、もうこの教室までは来ないようにしてくれ。ぶっちゃけ普通に迷惑だ」

 この点をなあなあにする気はなかった。僕ははっきりそう告げる。

 遠野は無言だ。これは狙った。

 この空気に突っ込んでくるやつじゃないだろう。むしろ逃げたがっているはず。

「……わかりました」

 果たして、とうは言った。さらに重ねて、

「ではその代わりに、ひとつ、わたしのお願いを聞いてください」

 ……そう来たか。それは考えていなかった。

 まあいい。灯火の自由意志に逆らう頼みなのだ、こちらからも譲歩しなければ。

「内容によるぞ。交換条件として適当かどうかは判断させてもらう」

「……やっぱり優しいですよね、おりくんせんぱい。というか甘いというか、最終的にはたいていのことを『まあいいや』で流しちゃうというか」

「わかってて利用してくるんだから、お前はしたたかだよな……」

 まあいいやと言うことと、まあいいやと思うことの間には大きな溝があるんだが。

 ……まあ、いいや。

「で、お願いってなんだよ?」

「今日の放課後、わたしとデートしてください」

 僕は一度だけ天井を仰ぐ。これは予想外を突かれた気分だ。今この話を聞いてるのが、遠野だけで助かった。

 視線を灯火に戻して、僕は首を縦に振った。

「わかった。今日は火曜だからな」

「なんですか、それ?」

「毎週水曜日は予定があるってだけだ。お前も、明日はちょっと遠慮してくれ」

「はあ……まあ、えっと? それは、今日ならいいってことです、よね?」

 答える代わりに肩をすくめて、パンを口に押し込んだ。

 ぼうっとこちらを見ていたとうは、そこでなぜか噴き出すように笑い、ほおいた。

「やっぱりおりくんせんぱい、なんだかんだわたしのこと好きですよねー?」

「……否定肯定の前に、そういうこと自分で言うかね」

「いや、だって優しいって言うとなんか怒るじゃないですか。ツンデレだから。わたしも気を遣って表現を変えているわけです。むしろ感謝してほしいくらいですよ」

「今の一連の発言のどこに、なんの配慮があったってんだ」

「そんなことより伊織くんせんぱいっ! スマホ出してください、スマホ! 連絡先とか教えてほしいですわたし! ほら、後輩へのホットライン、手に入れるチャンスですよ!」

「ああ、わかった。わかったよ……食事中はもうちょっと静かになさいっての……」

「……なんか伊織くんせんぱい、お母さんみたいですよね……」

「────────」わかったもう何も言わん。

 LINEの画面だけ出して机の上に放り、僕はペットボトルの緑茶で喉を潤す。それを手に取った灯火が、うかがうように上目でこちらを見たが、僕はうなずくだけであとは任せた。

「今日は、ずいぶんと楽しそうだな、ふゆつき先生」

 相変わらず嫌に皮肉っぽい笑みを浮かべて、とおは僕をからかってきた。

 だがそれには乗らない。というより僕は考え込んでしまう。

 どうだろう。果たして僕は、この状況を楽しいとのだろうか。

 もしも遠野の言う通りだとするのなら、それは歓迎できなかった。

 考えることが星の数ほどある。

「終わりました! ではまた放課後、連絡しますからね? 無視しちゃダメですよっ!」

 灯火の言葉に「ああ」と生返事をしつつ、僕は今後のことを考えてみた。

 昼食は食べ終わっていたが、あまり腹にまった気もしない。


 そんな感じで、何ごともなくとは言わずとも、おおむねつつがなく昼食が終わる。

 さすがに授業が始まれば、灯火もここにはいられない。ちらちら何かを言ってほしげに僕を窺ってくる灯火を「はよ行け」と手で追い払って、ようやく人心地ついた気分だ。

「……なあ冬月先生」

 同じく、しかして別のニュアンスで手を振っていた遠野が、そこで言う。

「なんだ」

 目を細めて僕は応じた。遠野は笑って、

「や、実際どうなのかと思ってな」

「……それは、どの件に関してだ?」

「そりゃ、まずはふたはらちゃんの件に関してだろよ」楽しそうだった。「かなり好かれてんじゃん。つっても、振るなら振るでちゃんと言うべきだと思うぜ、俺はな」

「それは、お前にだけは言われたくねえな。ていうか、そういう問題じゃないんだよ」

「はあん? 外からじゃ付き合ってるようにしか見えんがな。少なくとも好かれてるのは事実だろ。見え方として、だ」

「それは……まあ、それはそうか……」

 はたから見ればその通りだろう。実際にはともかく、見え方は否定のしようもない。

 とう自身、周囲からそういうふうに見られるよう振る舞っている節がある。もちろん、本当は違うのだが、それは僕らの会話を聞いてでもいない限りわからない。

「けどな、とお。ほとんど話してもないのに、いきなりグイグイ来るようなやつ、誰だって警戒くらいするだろ? 僕が言ってんのはそういう話だ」

「そうかね。誰もがふゆつきほど、自分の感情を出すことを怖がってばっかじゃないってだけだろ」

 遠野は言う。笑っているのはくちもとだけだった。

「恋愛なんてスピード勝負だしな。変に時間かけるものでもねえし、似たようなことなら俺だってするぞ?」

 いや、いくら遠野でも、アプローチのために朝六時半から人の家に来ないだろう。

 ──それに、

「別に僕だけって話でもない。自分の感情を、その熱量を他人に向けるのは、普通は怖いものだろ。それを乗り越えるなら相応の理由があるか──それか、乗り越えてないかだ」

 勇気を出して本心を言っているのか、本心ではないから言えているだけなのか。

 単純に可能性を見るなら、後者のほうが高いだろう。誰だって。

「そういうもんかね……同じ小学校だったんだし、初恋だったなんてパターンもあるかもしれんぜ? お前のほうが警戒しすぎなんじゃねえの?」

 窓枠をこつこつたたきながら遠野はつぶやく。いや、待て待て待て。

「なんで同じ小学校だったって知ってんだ?」

「いや、俺だって同じだったし。そりゃ中学は違ったけど」

「覚えてたのかよ……」

 今朝方は、さも初対面かのようにやり取りしていたくせに。

 いや。というか、名前を聞いたから思い出したわけか。

「……よく覚えてたな、遠野」

「そうでもねえよ。小学生の頃の記憶なんて、ほとんどあやふやだしな」

 軽く言う遠野だった。しかし、それは僕も同じだ。

 あの頃、僕は灯火や遠野とどんな話をしていたのだろう。まったく思い出せない。このふたりとは中学で離れてしまったからか。中学からいっしょになったしろとの思い出のほうが、確かに鮮明ではあった。こちらは今となっては、ほとんど会話もないけれど。

 小中高と、全てが同じとだって、すでに僕は縁がないのだ。よくも悪くも、時間の流れとは実に大きい。それを埋めようと思うなら、なるほどデートもアリかもしれない。

「なあとお

 とはいえ経験はほぼゼロに等しい。

 ここは先達に倣っておこう、と僕は試しに遠野に問う。

「デートって、いったいどこ行きゃいいもんなんだ?」

「は?」

 遠野は、なぜか馬鹿に向けるような目で僕を見て。

 それからひどくアホらしそうに、こう言った。

「……いや、知らんけど。適当にカラオケでも行ってくれば?」

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