【3巻試し読み】3年分の「ありがとう」だよ、先輩

第二章『七月六日(二回目)』その3

「いろいろ、確認しながら進みたいんだけど」

 揃って歩きながら、僕は隣の小織に言う。

 見たところ、外の様子も僕が知る流宮の街と変わらない。あまりにも差がなさすぎて、夢を見ているという感覚がなかった。ほとんど起きているのと同じというか。

 多くの人間が、街を普通に歩いているし、現実感がありすぎる。

「僕らって、こう……なんて言うんだ? 精神だけがこっちに来た的な状態なのか?」

「うーん、そうだね。もっと単純に、同じ夢を見ているだけ、って感じかなあ」

 問うてみると、小織は立てた指を頬に当てて答える。

 少し機嫌がよさそうだ。その理由には、思い至るものがなかったけれど。

「じゃあ現実の僕らは」

「今もあの病室で、手を繋いで眠っているはずだね」

「……ふと思ったんだが、それってタイムリミットがあるんじゃないか? 見つかったら普通に起こされるだろ。起こされるっていうか、まず騒ぎになりそうなもんだが」

「かもしれないけど」言ってから、小織は首を振って。「でも、たぶんそれはない。この世界と向こうの世界での時間が、同じように流れているわけじゃないからね」

「向こうとこっちで、時間の流れる速さが違う的な意味か?」

「というより、厳密にはこの夢の世界では時間なんて流れていない。一定の箇所でずっと止まっているだけだからね。いや、これも正確には、そのはずだったって話だけど……」

 どうやら僕らが来たことで、夢の世界の時間が進んでしまっている。

「……つまり?」

「結局、どうなるかはわからない。まあ、たぶん大丈夫だとは思うけどね」

 あっさりと小織は言った。

 どうにも小織は、意外と何も知らない割に、どこか確信的に動いている。

 何ひとつ証拠はない、けれどこの世界は僕たちを受け入れる。……そういう確信だ。

「……ま、わかった。現実のことは、とりあえず忘れよう」

「うん。で、この夢の中のことについてだけど──」

「──これと言って特徴がないな、何も」

 ごく普通の世界。

 ごく普通の流宮の街。

 それが、ここにも普通にあるだけだ。近所の街並みも、僕が知っているそれと目立った差はないように思う。今のところ、知り合いらしい知り合いには会えていなかったが。

「この世界も、基本的には現実と同じように運営されてるわけか」

「見方次第だろうね。道を歩いている人たちだって、結局のところ夢でしかない。現実にいる人たちとは違う──言ってみれば、動く背景みたいなものだろう。漫画のモブとか、ゲームのNPC……という風にたとえてもいい。それで伊織先輩には伝わるかな?」

「……いや、いまいち……」

「生原小織の認識外のものは、それ相応にしか意味を持たない。形だけだよ。そうだね、ちょっと見てて──すみません!」

 言うなり小織は、ちょうど反対側から歩いてきた人に声をかけた。

 サラリーマン風の、知らない男性だ。

「私たち、流宮小学校に行きたいんですけれど。道を知りませんか?」

 急いでいたのだろうか。足早に歩いていた男性は、小織に声をかけられると。

「流宮小学校ですか? すみません、わかりません」

 そう答えた。

 笑顔をしていた。

「…………」

 何かが、怪訝に感じられる。おかしいことなんて何もないのに。

 小織は特に構わず、「そうですか」と呟いて。それから、

「この辺りの方ですよね?」

「はい」

「家は近所?」

「はい」

「どこへ行くところですか?」

「会社です」

「お仕事は何を?」

「しがないサラリーマンですよ」

「お急ぎでしたよね」

「いえいえ、構いません」

「ところで明日の天気を知っていますか?」

「明日の天気は晴れだと聞いています」

「ご家族は何人ですか?」

「三人家族です」

「構成は?」

「嫁と、息子がひとり。小学生です」

「ご両親は?」

「実家には母がいます」

「お父様は?」

「早くに亡くなりました」

「死因は?」

「事故でした」

「悲しかったですか?」

「はい」

 ──矢継ぎ早に繰り出される質問と、返ってくる答え。

 おかしかった。何もおかしくないということが、何よりもおかしい光景だった。

 見知らぬ少女から、次々に繰り出される失礼な質問。それに気を悪くする様子もなく、ごく当たり前に笑顔で答え続ける、──それは、形だけの優しい人間。

 光景は続く。

「この世界についてどう思いますか?」「すみません、よくわかりません」「今の生活には満足していますか?」「はい」「たとえ夢だとしてもですか?」「すみません、よくわかりません」「私のことをどう思いますか?」「かわいらしいお嬢さんだと思いますよ」「もし今、急に私が貴方へ殴りかかったらどうしますか?」「すみません、よくわかりません」

 ──そこには、人間なんて、いなかった。

 いくつかの、中身なんて何ひとつないやり取りを終えたあと、小織は別れを告げる。

 その直後には、彼はもう今までの時間を全て忘れてしまったかのように「では」とだけ言って、まったく気を悪くした様子もなく、あっさりとこの場から立ち去ってしまった。

「と、いうわけだよ」

 振り返った小織が、僕に言う。

 あまり、気持ちのいい光景だったとは言いづらい。

「この世界は……全部、こうなのか?」

 訊ねると、小織は首を振る。

「いや、それは違う。彼は私が──生原小織が知らない人間だから、再現されていないというのが、たぶん近いかな。生原小織の知り合いや、認識している人間だったら、相応の人格がトレースされてこの世界に存在している。その人たちは、もう少し普通に話すよ」

「…………」

「もっともどちらにしたところで、であることに変わりはないけどね。あるいはこれ以上リアルな再現には、払った対価が足りなかったのかもしれないけど。とにかく、この夢という舞台は基本的に、現実世界をかたどったものなんだ」

 つまりこの夢とは、生原小織が現実を下敷きに作った物語みたいなものなのだと思う。

 舞台そのものを創り出したのは、厳密に言えば生原小織ではなく、星の涙なのだ。その創られた舞台上で、生原小織が浸っているしあわせな生活……それが彼女の願いだった。

 ゆえに彼女の世界観に不可欠でない人々は、ただ《親切な他人》としてしか設定されておらず、それ以上の役割を、この夢という世界ぶたいにおいて所有していない。

 必要ないからだ。背景情報だけ現実から写し取って、人格を放棄させられた。あるいは単に、再現するだけの対価が足りなかった。

 それは、星の涙らしい尺度だった。

 人間ひとりでは、世界ひとつと釣り合わない。だから再現されたのは、人間ひとり分が持つ──自己が認識できる範囲の世界観。理にかなった単純計算。

「伊織先輩にも、この世界のいびつさがわかったと思う」

「今の人、現実にも存在してる人なんだよな?」

「だと思う。少なくとも元になった人物は、この街のどこかにいたんだろう。その誰かの立場や状況はコピーできても、中身は無理だったってことだろうね」

「……僕は? この夢の中には、この夢の中の僕がいたんじゃないのか?」

 ふと気づいて訊ねると、小織は僕の胸に指を差す。

「いたよ。だけど、今はもういない。本体が夢に来たから、ここに存在していたコピーの伊織先輩に上書きされたってところだね。だから先輩は家で目を覚ましたんだよ」

「コピー元があそこで寝てたから、か。じゃあ、電話が向こうの小織に繋がったのは」

「こちらの世界の先輩にとって、生原小織は向こうのほうだ。連絡先を知っているのも、当然そっちということになる。ああ、なるほど……これはちょっと面白いね」

「面白い?」

 何がだ、と僕は視線を向ける。小織は胸を指していた人差し指を立てて、

「伊織先輩のスマホは、伊織先輩の機種だった。けれど、通じた先は生原小織のほう」

「ああ。まあ言われてみれば、おかしいっちゃおかしいけど」

 もともと普通じゃない世界だから、そういうこともあるのだろうとしか思わなかった。

「混ざってるんだね、たぶん」

「混ざってる?」

「そう。さっき言った、止まってたはずの夢の世界の時間が、進んだ理由。たぶん、この世界に私たちが入ったからじゃないかな」

「……いや、それはそうだろ。ほかにないし」

 僕らが来たタイミングで変化が起きたのだから、原因も当然、僕らにある。そう捉えるのが自然だし、小織もわかっていたはずだ。

「そうだけどね」と小織は頷いてから。「私たちが来たことで、どうして時間が進んだのか。それはきっと、この世界を観測する視点が、ひとつじゃなくなったせいだ」

 少し、理解するのに時間が必要だった。

 この世界を観測する視点。それはもともと生原小織だけだった。

 だが今、この世界には分化した側の小織と、そして僕という異物がいる。視点が三つに増えているわけだ。

「僕らがこの世界に来たから……この世界を見ているから、僕らにとって自然なように、この夢の在り方自体が変化したってことか?」

「うん。私たちは生原小織の夢に干渉する形でこの世界に入っているわけだからね。その影響が夢の世界そのものにも出ているんだと思う。だから、見えている形が変わった」

「なるほどな……僕らが見ている世界と、生原小織が見ている世界。それが混ざり合ってしまった、みたいな話か」

「そうだね。たぶん、時間が二〇一九年まで進んだわけじゃないんだ。見ている人間次第で、──って感じなんだと思う」

 観測者の認識によって在り方を変える世界。

 まるで難しい学問みたいだ。軽く肩を竦めてから、僕は小織に訊ねた。

「だとしたら、このまま僕らがここにいるだけで、世界が現実と同じになるのか?」

「どうかな。それはないと思う。甘く見積もっても影響力の度合いは人数で頭割りだし、それにたぶん、主導権はあくまで生原小織が持っているはずだ」

「まあ、……それもそうか」

 僕らはあくまで、生原小織が見ている夢の中へ紛れ込んだに過ぎないのだから。

 なんだか難儀な話になってきた。

 とはいえ、そこまで気にしなくてもいいのかもしれない。

 結局のところ、僕らの最終目標は生原小織の覚醒にあるわけで、この世界がどんな性質だろうと、いずれ消してしまうことに変わりはないのだから。

 だとすれば僕らは、この世界を滅ぼしに来た《侵略者》というわけだ。


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試し読みは以上です。


続きは2020年10月24日(土)発売

『今はまだ「幼馴染の妹」ですけど。3 3年分の「ありがとう」だよ、先輩』

でお楽しみください!


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