【3巻試し読み】3年分の「ありがとう」だよ、先輩

第二章『七月六日(二回目)』その1

 ふと気づけば僕は、自室のベッドで目を覚ましていた。

「──あ……?」

 ピピピ、とアラームの電子音が高く響く。

 そこは見慣れた自分の部屋。意識することもなく目覚ましを止める僕だったが、思考は別の場所で混乱していた。自分が、自分の部屋にいるという状況が、今はおかしい。

「…………」

 頬を強めに自分で抓ってみる。

 大して痛くもない。だが現実と変わらない感触はあった。

「成功した、のか? ここが夢の世界……?」

 だとすれば、現実と何が違うのか。

 いきなり空を飛んだり、片腕が義手の海賊に襲われるような気配はなかった。

 ベッドから起き上がって、試しにジャンプしてみるが、当然の如く重力に従って床へと着地。空を飛べるような気配もない。なんだか狐にでも化かされた気分だ。

 とりあえず、僕は着替えた。普段通りに身支度をして、顔を洗いに階下へ降りる。

 時刻は……アラームの設定が朝六時で、それから三十分弱。身支度を終えて、そのまま僕はリビングに向かった。

「…………」

 誰もいない。それ自体は見慣れた光景だ。僕の家は両親とも朝が早い。だが……。

 僕はスマホを取り出し、再びしっかりと表示を見る。

 日付は──七月六日。

 その表示は最後の記憶と同じ日付。だが、だとすれば朝であることがおかしかった。

「おいおい……。時間が戻った、とか言わないだろうな……?」

 誰に対してかわからない突っ込みを呟きつつ、僕は続けてスマホを操作。連絡先の一覧から《生原小織》の項目をタップして、アプリで通話をかけた。

 三度のコール音。それから、

『うぅん……もしもし?』

「……小織か?」

『そうだよー? どしたの伊織くん……ふわあっ。おはよう……、早いねえ。むにゃ』

「────────」

 小織の声だった。

 小織だ、と自分でも名乗った。

 ──だが決定的に違う。予感ではなく、これはもう確信だ。

「その、ええと……おはよう」

『ん? んふふー、おはよっ。うぇへぇ、なんだか嬉しいねえ。伊織くんから、こんな朝早くに電話が来るなんて、どうしたのさー? うゅう……』

 もぞもぞと布の擦れる音がする。起き抜けで、ベッドから抜け出している雰囲気だが、そんなことより。

 ──誰だ、こいつは。

 とは、僕は思わなかった。覚えていないのに確信がある。

 彼女こそが、僕の知っていた──今は病室で眠っている生原小織なのだ。

『うぃうぃ、ごめんよー。頭回ってきた。で? どしたのさ伊織くん。何用ー?』

「あ、──いや、その……ええとだな」

 何を言えばいいのか、さっぱり思い浮かばない。

 想像していなかった展開だ。わかるのは、通話の相手が夢を見ている生原小織で、その彼女は《冬月伊織から早朝に電話が来る》ことを、珍しくも驚くほどではないと認識していること。それくらいだ。──つまり何もわからない。

『あ、そうだそうだ。アレだよね、夏休みの件。伊織くんいつもいきなりだから面食らうよ、まったく。あ、いや責めてるとかじゃないんだけど。本当。むしろ嬉しい。ごめんね、ちょっと浮かれちゃった。えへへ。なんか、こういうのもちょっといいな、って。もっと電話とかしてみない? まあ、どうせ学校で会うけど。あ、でもでも、夜とか、ほら』

「小織、……その」

『あ、ごめんね。私ばっか話しすぎだよね。失敗失敗。まだ寝起きってことでひとつね。そうだよね、用事あるんだもんね。えと、そうそう、夏休みの件だったら大丈夫そうかなって感じ。どこに行こうね? まあ中学生だし、あんまり遠出もできないとは思うけど』

「そ……、あの、ちょっと待っ、」

『あ、あれ? もしかして違う話だったかな? うひゃあー、私これ先走っちゃった? わー恥ずかしー……、楽しみにしてるのバレバレすぎ……。てか冷静に考えて、そんな夏休みどこ行くとか、朝から訊かないよねそうだよねー。えっへへ、今のはジョークです』

「…………ええと」

 く、口数、多いなあ……。

 すごい喋るじゃん。しかもひとりで。前言撤回したい。誰これ?

 元の小織、こういうキャラだったの? なんか、なんだろう……見てはいけないものを見てしまったような、そんな気分になってる。常に焦って喋ってる気配がする。何?

『あ、あれえ。伊織くーん? 返事が聞こえなくなってる気がするんだけど……?』

 なんて答えればいいのか、さきほどまでとは違う意味でわからない。とりあえず、話が毎回「あ、」から始まることだけは、この一瞬で掴めたけれど。その情報いる?

 ──そのときだった。

 玄関のほうで、ドアが開かれる音がした。

「うおっ」

『え、なになに? どしたの?』

 普通に考えれば、この家に入ってくる人間は両親だけだ。

 だが妙に慌てたような物音は違和感で。直後、足音がリビングに飛び込んできた。

「はあ、は……っ。お、遅かった……!」

「え、こ、小織……?」

 息を切らせて、生原小織──起きているほうの小織がリビングに現れる。

『ええ? 何? 小織だけど……?』

「え? ああ、いや、そっちじゃなくて……」

『そっち?』

「──伊織先輩!」

 いきなり現れた小織が、赤らんだ表情で僕を見上げた。

 どうする? 朝から自宅に押し掛けてくる女子記録が更新されてるんですけど。

 いや、そういう話じゃない。

 面食らっていると、小織は僕に近づくなりスマホを奪い、そのまま通話を切断して──、

「……っ、本当にもう……!」

 そう悔しげに呻くと、現れた小織が僕に振り返る。

 僕の家まで走ってきたらしい。荒れた吐息と赤らんだ耳が、ここまでの全力疾走を強く訴えていたが、──いや、もしかすると耳が赤い理由は、疲れだけではなくて。

「ど、どれくらい、話した……!?」

 僕の知る小織にしてみれば、あまりにも珍しく焦った様子で。

 そんなことを問われ、だから僕は、こう答える。

「その、まあ、……なんというか」

「……っ!」

「どっちの小織も、僕は嫌いじゃないけど」

 残念ながら、僕のフォローは完全に的を外していたらしく。

「────…………~~~~~~~~っ!!」

 小織は涙目になり、耳まで真っ赤に紅潮させて、恥ずかしそうに俯いてしまった。

 もっとも。その様子は嘘偽りなく、とてもかわいらしかったが。

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