第三章『日常イベント大量発生中』その2
学校が終わって、それから僕はひとり、繁華街へと繰り出した。
遠野と話したから、というわけじゃないが、小織の顔を見たくなったのだ。
灯火の一件が済んだあと、僕はまだ小織と会っていない。思い出してくれたはずだが、できれば、きちんと顔を合わせて確認しておきたくなった──なんて。
我ながら女々しいかもしれないけれど。
それでも。
「やあ、伊織先輩。ここで買っていったプレゼント、気に入ってもらえたかな?」
笑みを湛えた小織の言葉を聞くと、やっぱり安心してしまう。
少しだけ肩の力を抜き、僕はこう答える。
「プレゼントって?」
「おっと、これはまた伊織先輩らしくもない態度だね。あのチョーカーだよ」
「……なるほど」
僕がチョーカーを購入したとき、小織は僕のことを認識できなかったはずなのに。
今、彼女は僕が目の前で買っていったかのような態度を見せている。
──星の涙がもたらした、都合のいい認識改変、ってヤツか。
見えない僕を、無意識下で認識していたのだろうか。何ごともなく購入していったかのような態度を見せる小織。嫌だなあ……、小織の目の前でアレ買ったことになんの……。
「お陰様で、気に入ってもらえたみたいだよ」
僕が言うと、小織はへらっと笑って。
「うわあ、本当に? それは彼女、だいぶ変わった趣味だと言わざるを得ないね」
「…………」
おい、めっちゃ恥ずかしいぞコレ。
思わず黙りこくった僕に、小織は生暖かい視線を向けて。
「冗談だよ。伊織先輩がかわいい反応するから、ついからかいたくなるんだ」
「勘弁してくれ……」
小悪魔って表現は本来、こういうのを指すべきだろう。
どうにも僕は、生原小織には敵う気がしない。
「あははっ。まあまあ。突飛だけど悪いセンスじゃないさ。モノはいいんだよ?」
「それ、フォローのつもりか? 僕は無難を狙って暴投したんだよ……」
「うーん、ちょっとからかいすぎたかな? 別にフォローじゃないよ。ちゃんと本心」
「本当かよ……」
「少なくとも私は、伊織先輩から貰えたら嬉しいから」
そんなことを上目遣いに言うもんだから、嘘か本当かわかりゃしない。
「……本気か?」
「さあ? まあ正気ではあるかな。──実際、女の子にはね、先輩。ちょっと所有されてみたいなんて願望が、あったりなかったりするかも、だよ?」
「わかった、僕が悪かった。……それを、正気で言ってるとは思いたくないな、小織」
「ふふ、ざーんねんっ。今のは私も、何かプレゼントしてほしいってアピールだったんだけど。どうやら朴念仁の先輩には伝わらなかったみたいだ。……ちょっと、悲しいな」
「……いやその、」
「さて、つきましては伊織先輩。新商品のご紹介をさせていただいてもよろしいかな?」
悪戯を成功させた、悪童の瞳が揺れていた。
オーケー、僕の負けだ。完敗。諸手を挙げて、降参を示しながら訊ねる。
「で、何を買えって?」
小織はくつくつと笑いを噛み殺し、言った。
「冗談だよ。伊織先輩に頼らなきゃいけないほど、売り上げには困ってないさ」
「……お気遣いありがとうよ」
「どういたしまして。──うん、やっぱり先輩が来てくれると楽しいな」
楽しい──。
楽しい、か……僕といて。
今となっては、割と思うところのある言葉だが。
「ああ、ところで伊織先輩」
少し考え込んだ僕に、そこでふと、小織が手招きをする。
顔を近づけると、彼女は僕の耳元に口を寄せ、小声でこんなことを言った。
「これは、伊織先輩をからかわせてくれたお礼ってわけじゃないんだけど」
「ああ。それは、本当にそうじゃないことを祈ってる」
「──ナナさんからの伝言があるよ」
たったそれだけのひと言で、僕が一気に緊張したことは小織にも伝わっただろうか。
全身の筋肉が強張る。
それを、深く息をつきながら解した。
あの歩く不審者──また、何か意味深なことを言うつもりだろうか。
「聞くかい?」
「……ああ。頼む」
訊ねる小織に頷いて、伝言の再生を促した。
小織は、では、と咳払いをして、それから耳元で口にする──。
「──『友達のことを忘れるなんて、まったく君は途轍もなく酷い男だよなあ』──」
「…………」
「一言一句違わず、だ。確かに伝えたよ、伊織先輩」
「ああ。……ありがとう、小織。確かに聞いた」
あるいは『効いた』と言うべきだろうか。
まったく、あの男は。そんな言葉を、よりにもよって小織の声帯から聞かせやがるとは。
「……な、小織。ひとつ、聞いてもいいか?」
顔を離して、それから僕は小織に言った。
小織はすぐに頷いてくれる。
「うん、いいよ。何かな?」
「友達のことを忘れるのと、友達に忘れられること。いったい、どっちが酷いと思う?」
少しだけ間があって。
それから、小織はこう答えた。
「その質問はね、伊織先輩。前提が間違ってると私は思う。まったく先輩は優しいね」
「……どういう意味だ?」
「決まってる。いいかい、先輩。──そんなもの、どっちも酷く、つらい話さ」
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