第三章 『反天会』2
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「いやあ、ありがとうございました! 歓迎しますよいらっしゃいませ!」
ワーツは、相変わらずのテンションでふたりを出迎えた。
町外れの微妙な立地だが、変わり者の研究者の屋敷としてそれなりに有名らしい。片獣研究家、という肩書きだけ聞くと怪しいものだが、本人の性格が受け入れられた模様。
「まあまあまあ、どうぞどうぞ上がってください! 鋼騎はどこに停めました? ああ、よろしければこの家の裏手にでも回していただければ! はいはい!」
「あはは。お邪魔します」
「……えーと、じゃあオレは
「いえいえそんなのあとで大丈夫ですともどうぞどうぞお疲れでしょう!」
「あ、はい」
この勢いに押され、なんだか
部屋の中を見渡しながら、言葉にせずにラミは思う。取り立てて目立つ何かが置かれているわけでもないが、壁際の本棚を
お茶を
「懐かしいね?」
「ああ」ラミは
「と言っても正直、研究系のことはほとんどわかんないからねー」
「まあ、オレたちは実践に寄ってるからね……術理研究のほうはどうにも。師匠も『いいからバカは体に使い方を刻めバカ』としか言わんかったし」
「……あの人、私には結構優しかったんだけどな」
「どうせ才能ないですよオレは。……実際、読むだけで頭痛くなりそうな本ばっかだ」
命数術師は何も、その全員が戦いに携わるわけではない。術理自体を分析する研究者もいれば、希鋼を材料に武器や道具を作る職人もいる。ほんの簡単な術だけを使えるという一般人も、いないわけではないだろう。
ラミとエイネは完全に戦闘型の命数術師だ。騎士と神子、という立場上もあるが、もともとそのタイプのほうが傾向としては多い。根本的に《火》を扱う術がゆえ、だろう。
わざわざ命数術を研究対象として見る人間は、数で言うなら少数派だ。
命数術は神の奇跡であり、その代行だ。研究するも何もない──というわけである。
「わざわざ
「片獣は、殺される前に殺せ──が全天教の教えだからな。間違っちゃないだろうけど」
命数術が実用面を見られた技術に寄り、研究が栄えない理由の一端がそれだった。
言い換えれば、王国政府と教会が、その有用性を独占したがっている。
「優れた術師なら、ほとんどがそのまま教会に取り込まれるからね。結局のところ、学ばなければ使えないわけだし、研究と実用に明確な線引きがあるわけじゃないけど」
「……なんかエイネ、昔よりそういう裏事情に詳しくなった?」
「そりゃ、神子だからね。中から結構、権力者のゴタゴタとか見せられたものだよ?」
「生々しい……」
「ていうか、にしたってラミは知らなすぎだと思うけど」
「う……いや、仕方ないだろ。ほとんど山奥で修行ばっかだったんだから」
「常識の
否定できなかったため、反論することはやめておいた。そもそもその余地もない。
ただ、神子でありながら──あるいは神子であるがゆえなのか──教会やその教義に、エイネは昔から、あまり肯定的ではない向きがある。
ユーティリアは宗教国家だ。つまり王都にいる教王は全天教総主であり、政治の中枢は大半が聖職者の兼任によって占められている。国民は全員が、全天教の信徒だった。
その最大の理由は、全天教に
教典によって語られる建国の歴史は紛れもなく歴史的事実であり、つまりこの国は神がその手で作り上げたものである。だから、そのことを誰も疑わないのだ。
神は実在し、その言葉を伝える教会は絶対的に正しい。
この点はラミですら疑わない。教えによって日常を縛られることを
事実、別に何か理不尽を強制されるようなことはない。
王国政府は、大陸を渡った他国と比較しても何ひとつ劣らず、ごく真っ当に運営されている。──惑星が滅ぼうとしているのは、それとはまた別の話なのだから。
「片獣を研究している、なんて教会もいい顔はしないだろうしね。個人でやるくらいなら止められることもないだろうけど、肝心な部分は、たぶん王国の研究機関で独占してる」
「そういう意味でも変わり者、ってわけだ」
「ワーツさんが私たちを私たちとして扱ってくれるのは、そういう研究をしてるからってこともあるのかもね? 私としては、頭下げられてばっかよりずーっといいんだけど」
エイネの言葉には、神子として丁重に扱われてきたことへの心労が
「肩身狭かったろ、神子として暮らしてる間は」
「だからってやめてとも言えないからね。……あ、てことはラミも?」
「オレはほんの数日だけど。何
思い返して苦笑する。
これでもラミは王国最強の──最低でも十三番目には強力な命数術師として認められているのだから。その辺りは、神子と変わらず敬われるに足る立場なのだ。
権限的には大半の騎士を超えている。実際的には各団長クラスと同等くらいか。多くの騎士は、ラミを自身より上位として扱わなければならない。
立場に見合うだけの実績さえ上げられれば、自分でも認められるようになるだろうか。
そんなことを思った辺りで、お待たせしました、とワーツが戻ってくる。
「安物の紅茶ですけれど。どうぞ」
「頂きます」
「ありがとう、ワーツさん」
ふたりで礼を告げ、それから紅茶に口をつける。
部屋の中央にあるテーブル。ワーツはラミたちの対面に腰を下ろして笑った。
「すみませんね。なにぶん、お客が来ることを想定していないものでして。……本当ならおふたりのような方に出せる代物ではないのですが」
「私たちは、ただの旅人に過ぎませんよ」
「……ええ、ええ。そうでしたね」
ワーツは楽しそうに笑った。
相手が許したとはいえ、こうして神子を相手に普通に話せる辺り、ワーツも意外と大物なのかもしれない。なんてことを考えるラミ。
喉を潤す茶の味は、確かに上等とは言えなかったが文句はない。修業時代まで遡れば、お茶なんてものが飲める時点で天国だ。
「──さて」
ひとしきり茶を
「ワーツさん。私たちを招いた理由、そろそろ教えてもらっても?」
押しかけてきたのは、あくまでエイネとラミの側。けれどそれはワーツに強く誘われたからでもある。神子ではないラミでも、何かがあると直感できるほどに。
「いやはや」ワーツは苦笑しながら頬を
「事情は知らないけど。でも、ちょっと強引ではあったかな」
どんな研究をしているのかは知らない。
けれどその内容を、結局は行きずりでしかないラミたちに開示はしないだろう。
「おふたりの名前を伺ったとき、ボクは初めて自分の命数に感謝しました。いえ、ボクのほうがおふたりの命数に巻き込まれたのかな──ええ。お頼みしたいことがひとつ」
ワーツは居住まいを正してそう言った。
その目には真剣な色が映る。何か伝えたいことがあったらしい。
「──神子エイネ=カタイスト聖下、とあえてお呼びします。ボクの想像が正しければ、聖下の旅の目的はひとつだけ。ならば、お力になっていただけるのではないかと」
「何か、神子の手が介在しなければならない事態がある、と?」
これはエイネに代わってラミが訊ねた。ワーツは静かに首肯する。
「あるいは。……実のところ、ボクが街を出て旅していた理由は、教会になんとか渡りをつけられないかと、応援を呼びに行っていたからなんです」
きな臭い話になってきた、とラミは思う。
なるだろうな、とも思っていたが。
「
「……何かはわかりませんが。オレたちなら信じると?」
「どうでしょう。ただ、あの場で出会ったことは、やはり神のお導きではないかと」
「聞かせてほしいな」エイネが言う。「いったい、ワーツさんは何を?」
ワーツは一度だけ目を伏せて。
それから、ラミたちに向き直ると──静かにこんなことを言った。
「──片獣が、人為によって操られているかもしれないんです」
「それは……」と、ラミが呟き。
「ビンゴだね」と、エイネが言った。
首を傾げるワーツだけが、その意味を理解していない。