第三章 『反天会』3

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 ワーツ=フゥシィは、命数術師としてごく平凡な男だった。

 大した命数を持って生まれたわけではない。一般平均と同程度か、あるいはそれにすら少し劣るかもしれない程度。学んでみたはいいものの、とても騎士には向いていない。

 しかし、ワーツはそこで折れず、ならばと考えてみたのだ。

 果たして才能のない自分が役立つには、どのようにすればいいのだろう、と。

 彼は南方の平凡な田舎に生まれ、ごく普通に育った。だが問題として、彼の住んでいた地方は片獣の発生が頻繁に起こっていたのだ。

 ──惑星命数が限界に近い。そう言われて長い。

 年を経るごとに片獣は数を増す。強さを増す。犠牲になった知人は数えきれない。

 ゆえにワーツは命数術を修め、だが戦う才能がないと知ってからは方向性を研究分野に切り替えた。全ては、片獣によって命を落とす人間を、少しでも減らすために。

 ──片獣とはそもそもなんなのか。

 全天教の経典にいわく、それは星に巣食う病原菌のようなものだという。星より生まれ、死に導くモノ。彼らは同時に、星の表面を覆う人類をも駆逐しようとしている──。

 要するに人間の敵であり、敵であるのなら戦うだけだ。言葉が通じるわけでもない。

 だが、そのせいで片獣に対する研究は、一切進んでいないも同然だった。

 生きていては危険で、殺してしまえば消える。遺体を研究することは不可能だし、通常の生物と違って生殖も行わない。どこからともなく発生し、滅ぼされるまでヒトを殺す。

 そんな存在を、研究しようというほうがちやだったのかもしれない。

 だからワーツは片獣の研究を始めた。

 誰もやっていないから。ならば、ほかでは役に立たない自分が、それを請け負うことにしよう。そう考え、そして実際に成果を上げた。

 あるいは、初めからそれがワーツの命数だったのか。この分野に彼は適性を発揮した。

 ──結果としては、その執念が実を結んだことになるのだろう。


「半年ほど前のことでしたかな」

 ワーツは語った。

 今、ラミたち三人は、ワーツの家を出て、鋼騎で海沿いを走り、あるところで崖を降りていた。この先で、彼はよくないものを見たのだという。

 港から離れた海岸線。この辺りはひと気がなく、どこか物寂しい雰囲気だった。

「片獣の発生には偏りがあります。どこにでも均一に現れるわけではなく、あるところでまとまって発生する──そして、そういった場所は共通して、土地や人心が枯れている」

「……枯れて」

 思わず呟いたラミに、ワーツは頷いて。

「ええ。作物が育ちにくかったり、何か動乱が起こった場所であったり。なんらかの負の要素と反応しているのでは、と考えていますが……厳密には」

「命数が少ない場所、って意味ですか」

「はい。もちろん絶対ではありませんが、傾向として人が少ない、つまりその場所にある命数の絶対量が少ない場所にこそ、片獣は現れる」

 片獣が、人里に突如として発生することがない、とは誰もが知っていることだ。

 深い山の奥や、あるいはへきの森林、人が住まない荒野や湿地帯、氷原、あるいは海上など。そういう場所で発生した片獣が移動してくることで、初めて発見される。

「土地の命数が少ない場所。ですが逆に、片獣が発生するためには命数が必要です。術師であるおふたりには言うまでもないことでしょうが──」

 片獣とは、いわば命火のひとつの発露だ。

 生きた命数術と言ってもいい。惑星命数をエネルギーとして発生する命数術。命火そのものが、ある種の生命的機能を持って発現したモノ。

「……星の意志が、関係している。まだ仮説段階ですが、ボクはそう考えています」

「星の意志、ですか……?」

「ええ。もちろん、そう呼ぶべきものの存在を仮定するなら、ですが」

 ラミの問いに、ワーツはそう答えた。

 自信なげな言葉だったが、彼はどこか確信を持っているようにも見える。ワーツなりの、それは研究者としてのきようなのかもしれない。

「この星は生きています。それを生物とは呼ばないにせよ、命数を持ち、それを消費して運営されている以上、ひとつの生命として仮定できます。星命流、つまり星を流れている膨大なエネルギーとしての命数。これが偏って、ある場所で足りなくなることを、土地が枯れると表現します」

 ロックの説明に、エイネが頷いて。

「星の命数は、あらゆる命の源だからね。どんな生き物も、己を器として、星から命数を借り受けることでいのちとして成立している──唯一、自在に惑星の命数を引き出せる神子でさえ、大本の命は星から借り受けているものであることに違いはない」

「はは、さすがは聖下、その通りです。んん……さて、その枯れた土地の話ですが。この命数が偏った状態というものは、星にとってもよくないものです。バランスが崩れているということですから。もし一部でも崩れれば、星は一気に瓦解しかねません」

「へえ……まあ確かに言われてみれば当然の話だな」

 星というひとつの塊ですのなら、一部が崩れれば無論、全てに影響する。

 ラミが知らないのも当然。そういった仕組みが、現実に研究されることはまずないからだ。あるがままを受け入れるのが、神を前提とする世界観であり──それ以前、人間ではどうやっても答えを出せないとされていた。

「だからこの惑星は、バランスを保つために命数が減った土地へ星の命を集めるんです」

「星命流……星の命数の流れだな」

「ええ。この星が星として成立するために当然備えている機能と言えるでしょう。ですがそれは星が自ら、命数の流れを偏らせる行いです。もちろん、そこで生じる誤差は最終的にはつじつまが合うはずのもので、本来なら問題はなかったのですが。残念ながら、そうして送り出した命数の余波……余った部分のちらつきは片獣に変わってしまう」

「なるほど、そういうことなのか」

 枯れた土地に補給として他所よそから回された命数。そのうち、あふれて飛び散ってしまった火花、水滴とでも呼べる部分が片獣としてカタチを持つということ。

「まあボクでは星命流の流れを正確には感じ取れませんが、それでも枯れた土地、片獣の出没しやすい場所は、経験と勘である程度わかります」

「長年の調査で培った知恵ってヤツだね。すごいよ、ワーツさん。私から教会に紹介してあげたいくらい」

 軽く言ったワーツに、エイネは本心からの称賛を述べる。

「神子様にそうおつしやっていただけるとは心強いですが、教会はいい顔をしないでしょう。とまあボクは、だから頻繁に、そういうひと気の少ない場所を歩いていたんですが……」

「危ないことするね、ワーツさんも」

「はは。まあ弱いですがボクも命数術師なので。逃げるくらいはなんとかやれますよ」

 軽く微笑ほほえむワーツ。

 この分だと、何度か危険な目には遭っていそうだ。

「そんな感じで各地を転々として、こちらに移り住んできたんですが……この先です」

 鋼機では進めない、海岸沿いの崖下を三人は歩いていた。

 そのしばらく先──ちょうど崖の裏側になり人目につかない場所──に、小さな洞窟を見つける。長い年月をかけて、海から寄せる波が少しずつ岩を削り取ったのだろう。

「この中です。気をつけてください、足元、滑りますんで」

 入口付近には海水も入り込んでおり、確かに歩きづらい場所だった。

 いその匂いが香る。さすがに、海を楽しめる気分にはなれないが。

「気休めだけど、術をかけとこっか」

 エイネが言うなり、三人の足元に深緋こきひ色の命火が走る。

 それは靴底に貼りつくようにとどまった。視線を向けたラミに、エイネは笑って。

「滑り止めだ」

「……そんな命数術、よく知ってたな?」

「使ったことはないけど、やろうと思えばね。命数術ってそういうものでしょ?」

「ったく、これだから天才は……」

 あきれ混じりに呟くラミ。言っていることは正しいが、それが可能なのは神子だからだ。

「移動の運命を補助するよ。足も速くなるし、脚力も上がる。だからって、ここを走って抜けるのはお勧めしないけどね」

「……視力も上げといたほうがいいかな、エイネ?」

「ラミさん、大丈夫です。この洞窟自体は、そんなに深くありませんよ。そこを折れればすぐ最奥ですから」

 ワーツの先導に従って、緩やかな下り坂の洞窟を進んだ。

 言葉通り、少し先で突き当たりにぶつかる。洞窟のいちばん低いところには、少しだけ海水が溜まっていたが、避けて通れそうだ。

 その先は入口からは死角になっているものの、右側へと折れるように続いている。ただそれも数メートルほどで行き止まりだ。

「自然の洞窟じゃないね。こんな直角に横には折れないでしょ、普通」

 エイネの言葉に、ラミは頷いて答える。

「たぶんな。正確には自然の洞窟のいちばん奥を、少しだけ横に掘ったって感じか?」

「……外から見えないようにした、ってことだね。念のため程度だろうけど……」

「もともと、この辺りには地元の人間もほとんど来ませんからね」

 人為が加わっていることは間違いなさそうだ。

 とはいえ、それ以外に目立つようなものは何もなかった。ただの洞窟、としか言いようがない光景である。

 疑問を込めて視線を向けると、ワーツはこう言った。

「ここに、片獣が出たんです。見つけたのは……正直たまたまでした」

「……はあ」

「正確には洞窟に入っていくところを見た、ですね。巣になっていたらマズいと思って、こっそり追って確認したんですが……ボクが入ったときには、消えていたんです」

「……消えた?」ラミは首を傾げ。「姿を見失った、ってことですか?」

「こんな一本道の洞窟で、どうやっても見失うはずがありませんからね。初めは、もしかして人影と見間違えたのかとも思いました。ですが見間違えにせよ何もいないというのはおかしい。だから調べてみたんですが……来てください、いちばん奥です」

 三人は、おそらくつけ足されたのであろう、横道の奥まで進んだ。

 やはり目に留まるようなものはこれといって見当たらない。

 だが、命数術師ならば、感じ取れる違和感がある。

「……命火の残り火の熱がある。何かの術が、たぶんこの壁にはかかってるんだ」

 エイネが言った。ラミも同感だ。

 洞窟の行き止まりには、おそらくなんらかの仕掛けがある。

 発見者のワーツも、そこまでは気づいたらしい。

「とにかく危険だと思って、ボクはここで引き返しました。いずれにせよボクの実力じゃ術の内容を判断することも無理でしょうし、だから教会に伝えたんですが──」

「相手にされなかった、と」

「そうなりますな。ただの見間違いだろうと笑い飛ばされましたよ、はっはっは!」

 それを元気に言うワーツも変わってはいるだろうが。

 彼は言葉を重ねる。

「……ともあれ、これは問題です。元からあった何かの仕掛けを、たまたま片獣が使っているというのならいい。ですが──」

「──誰かが片獣をここに送り込んでいるかもしれない」

 ラミが言葉を引き継いだ。ワーツは頷く。

「エイネ。わかるか?」

「調べてみよう。術者が神子でもない限りは、私なら読み解けると思う」

 彼女のみぎに命火がともる。

 しばらく辺りを見回したところで、うん、とエイネは呟き。

「──《空間接続ダブルゲート》だ……初めて見る」

「なんだって?」

「この壁が、どこか別の場所へとつながってるってこと。通り抜けることで、離れた位置と位置を繋いで一瞬で移動できるゲートを作れるんだ。かなり高度な命数術だよ」

「オレには使えそうもないな。……それで?」

「うん。──意図的に片獣を送り込むための出入り口として作られた可能性があるね」

 ラミは、思わず押し黙った。

 考えたくない可能性であることは間違いなかった。だが彼はもう知ってしまっている。

 人類の天敵を、意図的に利用せんとする者が存在する事実を。

「だとしたらマズいな。どうする、エイネ? オレたちから教会に報告するか?」

「いや、それは遅い。術はとっくに消されてるんだ、今のは余熱を辿ったに過ぎないし、それすら消されたら打つ手がなくなる。こちらからの干渉に気づかれるからね」

 命数術は、使用に際して必ず痕跡を残してしまう。

 命火の名残──余熱を感じ取ることで、術を解析できるのだ。

「なら」

「これは門を作る術なんだ。対になるどこかと繋がってる扉みたいなものだと思えばいいかな。辺りの状況から言って、こっちが送り込まれる側だろうから──」

「──こっちから乗り込んで向こうの状況をつかむ、か」

「それがいいと思う」

「わかった」

 端的に頷くラミ。そのままワーツに向き直って、彼は言う。

「ってことになりましたんで、ワーツさん。オレたちは、このまま向こうを見てきます。ワーツさんは、悪いですけどここで待ってるか、一度戻ってもらったほうが──」

「いえ、ボクも行きます」ワーツは短くそう言った。「ボクの知識が役に立つことがあるかもしれませんしね。ここまで連れてきておいて、先に帰るというのも、ちょっと」

「……エイネ?」

 こういう場合の選択は、彼女に任せたほうがいい。ラミは隣に目をやった。

「まあ、場合によると思うけど」エイネはワーツを見て、言う。「私とラミがいれば、そうめつなことにはならないはずですが……ただ、絶対に安全とは言えません」

「そうだな。むしろ絶対に危険だと思ってもらうくらいがいいです。構いませんか?」

 他を巻き込むエイネの命数。

 それが、どういう目を出すかはわからない。いずれにせよ、波乱が起きることは間違いなく、それが神子の運命さだめというものだ。

 ならばラミの仕事は、その命数からエイネを守り通すことである。

「気をつけてくださいね。エイネといると、危険な目に遭うこと請け負いですから」

「むぅ。なんか、そう言われると私が悪いみたいで釈然としないけど」

「はは……心得てますとも。ぜひ同行させてください。何かお役に立てるかもしれない」

「──それじゃあ」

 エイネが、洞窟の奥に手をついて、命数術を発動する。

 深緋色の命火が走り、それが壁面にぐるりと大きく円を描いた。

 これが門だ。中に入ることで別の場所へと通じる。

「オレが先に行こう。危険があるようだったらすぐに知らせる」

 告げて、初めにラミが扉を通り抜けて奥へ。

 エイネとワーツが待っていると、しばらくしてラミが再び顔をのぞかせる。

「ひとまず危険はなさそうだよ。というか……いや、いいや。とりあえずこっちに」

「わかった。ところでラミ」

「ん?」

「そうやって、壁から顔だけ覗かせているとシュールだね?」

「……うっさいわ」

 少し頬を赤くしたラミが顔を引っ込ませる。

 エイネとワーツは苦笑して、それから追うように扉をくぐった。

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