第三章 『反天会』1

第三章『反天会』


 1


「もうすぐ着くぞ。──おい、エイネ! そろそろ起きたほうがいい」

 鋼騎クルマを運転するラミが、助手席に向かってこえをかける。

「……ん? ああ……ラミ。わかったよ……おはよ」

 言葉に目を覚ましたエイネが、硬い座席にやられた関節をほぐすように伸びをする。

 ロックと別れ旅立ってからというもの、エイネは助手席で眠りながら時を過ごすことが多くなっていた。

「……っと、目が覚めたよ。ごめんね、ラミ。運転、任せきりにしちゃって」

「や、それは別にいいんだけどな」

 仮にも騎士が、に運転させて助手席で旅をするというのも格好がつかない。

 ラミ自身、せっかく大枚をはたいて購入した鋼騎なのだから、旅の運転を楽しみたいと思っているし、実際気に入っている。だから、それ自体を問題には思わなかったが。

「エイネなら意地でも起きてるかとは思ってたけど」

「……そのつもりだったんだけどねー。ほら、鋼騎の揺れって眠気を誘わない?」

「どうだろ。オレは運転してるからかな、あんまり感じないけど」

「あー、そっか。そういうものなんだ」

「さすがのエイネも、代わり映えしない海の景色には飽きが来たってことか」

「まさか。……世界を見ていて、飽きるなんてことはないよ」

 それこそ故郷の村にいた頃から、エイネは景色を眺めるのが好きだった。それは雄大な自然であったり、あるいは人々の生活であったり。

 その美しくあかそうぼうを通じて、彼女は世界を観察している。

 ティルア市に滞在中もそうだった。エイネはなんでもない平穏な営みというものを、街や住人の在り方を通じて見て取っていたように思う。それを、心から楽しんでいたのだろうと。

「ラミも、そうは思わない?」

「そうだな……少なくとも、きちんと見ておこうとは思うようになった」

 ラミは、エイネがいつ、自身を神子であると認識したのか知らなかった。

 神の刻印たる《しやつこん》さえ見せなければ。あるいは、神子としか思えないほどのばくだいな命数値を表にしなければ、神子だという事実は隠すことができる。

 つまりエイネは、それほど幼い頃から、自身の灼痕を命数術によって隠していたということだ。自分が神子であると、誰にも気づかれることがないように。

 あるいはティルアで出会ったロック(仮名)も、そういった《後天的に灼痕が刻まれて神子になり、それを隠している者》のひとりなのかもしれない。

「……昔はよく、いっしょに風呂に入ったりしたよな?」

 思い出してたずねたラミに、エイネはほんのりほおを赤くして。

「な、なんだよ急に。そりゃ確かに、っちゃい頃はそんなこともしてたけど……!」

「い……いや、そんな露骨に照れるなよ! 恥ずかしくなってくるだろ!?」

 思わぬ反応に、ラミは頬を紅潮させる。

 隣に座る少女が異性であると、突然に強く意識させられた気分だ。

「別にそういうこと言ってんじゃなくて、だな……」

「そういうことってどういうこと!? ……いったい何考えてるの」

「いやっ、だから、その……あの頃から、灼痕を隠してたのかってこうとしたんだ!」

「……なんだ、そういう話か」

 拍子抜けしたように、あっさりとエイネは息をつく。

 それでも少しだけラミをにらみながら、

「それを言うなら、そうだね。いつからかなんて私も覚えてないけどさ、まだいっしょにお風呂に入ってるような年齢の頃からだったのは間違いないよ」

「……それもそれで傷つく話だ」

 灼痕とは要は火傷やけど痕のようなものであり、消すことはできなくとも、隠すだけなら命数術を用いれば容易たやすい。その偽装の術そのものは、大した技量を必要としない。

 だがそれは見た目に限った話だ。優れた術者ならば、めいの気配を察するだろう。

 恐ろしいのは、それほど幼い年齢から隠し続けられたことか。命数量も、隠そうと思考することそれ自体も、もちろん技量も──同じ年の自分では及びもつかなかった。

 たとえば幼い頃のラミであれば、おそらく自身に灼痕が浮かび上がってきたら隠さずに周囲の大人へ告げていたと思う。

「……」ということは、とラミは考えた。

 エイネは、自分がやがて神子としての責務に──天命に殉じなければならないことに、まだずっと幼い頃から自覚的だったということ。

 ラミはわかっていなかった。けれど、ようやくそれに追いつくことができた。

 だから青年は、いろいろな場所を見たいと思ったのだ。おさなみの少女とともに。

 そのエイネが眠っていた辺り、やはり疲労はまってきている。

 旅にはとうに慣れたが、それはそれだけの時間を旅してきたということで。移動速度は出るとはいえ、長距離移動は相応の疲労を蓄積させる。

 それくらいは何も言わずに気遣っておこう、と騎士らしくラミは考えた。

「傷つくのはこっちだよ……まったくっ」

 けれどエイネは、そんなラミの心境を知らずか、頬を膨らませて不満げにぼやく。運転中だから前を見ているラミにも、そんな光景がしっかり想像できる声音で。

「なんだよ。なんで怒ってんだ?」

「……うるさい、ばか。ラミのえっち」

「なんで!?」

 残念ながら青年では、少女の繊細な心の機微など理解できず。旅の過程で騎士としては鍛えられても、情緒のほうは少なくとも──少女が望むレベルにはたつしていなかった。

 ともあれ。

 ティルア市から北上を始めて、三か月近い時が流れている。

 あちらこちらを、転々とするような旅だった。まっすぐ北へ向かっていれば、これほど時間はかからなかっただろう。

 それでも、その紅い双眸にエイネは世界を映してきた。それ自体が、ひとつの旅の目的だとラミは思う。ようやく、新たな目的まで辿たどくことができた。

 取り立てて──少なくともティルアほどには──特徴のない平穏な田舎町である。

 町の外れに鋼騎をめ、ふたりはその足で村へと入った。

 のどかな場所だ。少しだけ、故郷の村に雰囲気が似ているかもしれない。

「……慣れてはきた、つもりなんだけどな」

 小さく、そうつぶやくラミ。

 この頃には機嫌も治っていたエイネは、いきなりの言葉に首をかしげて。

「なんの話?」

「神子の天命の話かな。今にして思えばの話だけど」

 ここへ訪れた唯一にして最大の目的は、以前出会った命数術師──ワーツ=フゥシィと再会すること。片獣フリツカーを研究しているという彼に、話を聞こうと考えたのだ。

 もちろんそれは、ティルアで起きた事件の調査を兼ねている。

「ティルアに着く前に助けた命数術師が片獣研究家で、いっしょにいるところを襲われたかと思えば、それは片獣を使った事件だった。そして彼はこの先に住んでいる……」

「──都合がよすぎる?」

「というより、もはや操られてるような気分にすらなる。神様のてのひらの上っていうかさ」

 もはやラミは、実感というより経験的に、ワーツからなんらかの情報が手に入るだろうということを疑っていなかった。疑えなかった。

 神子の道行きに、整備されたかのように設置されたポイント。

 それが、ふたりをこの旅の最終目的地まで誘導しているような感覚に陥ってしまう。

「上手くいきすぎると不安になるんだよな」

「ラミは面倒だなあ……いや、気持ちはわからなくもないんだけどさ」

 その《神の意志》とも言うべきものを、現実に直感として抱いているエイネのほうが、むしろ感じるものは多いだろう。彼女の場合、昔からずっとそうだったとしても。

「ね、ラミ?」

 エイネは言った。

「ん。なんだ?」

「いっしょに、がんばろうね」

「ああ……おう。それはもちろん。てかどうしたんだ、急に」

「べっつにー? そんなことよりワーツさんと会えるの楽しみだな! ほら行こ。確か、この町の外れのほうに住んでるって話だったよね」

「……? ああ」

 いつも通りの幼馴染みの姿。

 そこに、ラミは妙な違和感を覚えつつ──けれど言葉にはできなかった。

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