接続章 『夜のこと/旅の途中』2

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 たとえばこれは、ラミが十二さいのときの記憶。

 この頃には、彼の住む村に遠方からの来客が多く訪れるようになっていた。エイネとの悪巧みを成功させたラミは、近隣でいちばん大きなリスリアの街と、故郷の村とを行き来する案内人としての役割に就いたのだ。

 もっとも、そう頻繁に仕事があるというわけでもない。

 おおむね雑用として手間賃をもらう程度の役割に明け暮れていたが、重要なのは村と街の行き来が自由になったことのほう。

 どうせ将来的には村を出る気でいる以上、それ以外のことは大して気にしていない。

「あ、おにいちゃん! もう、またサボってるでしょ!」

 そのせいで、妹分から受ける説教の数が多くなったことは、笑い話のはんちゆうだろう。

 農業の手伝いを放って方々を飛び回るラミは、よく叱られる。それでも回るから仕事を任せているだけだ、というのがラミの言い分ではあるのだが。

 その日も、街の書店を物色しているところを、アウリ=カタイストに見つかった。

「──アウリか。いや、別にサボってるわけじゃないんだけど」

「同じだよ。暇なら畑仕事も手伝ってほしいんだけどなー」

「これは勉強だから暇じゃないの。つーか、アウリだってそんなにやってないだろ」

「だってやることないし」

「……なら、どうして怒られたんだ、オレは……?」

「ごめんごめん」ぺろ、と舌を出すアウリ。「おにいちゃんを見ると、ついね」

 エイネとは対照的な赤の髪を、短く切りそろえている。よく似た姉妹だが、妹のアウリは姉に輪をかけて活動的で活発な印象の少女だ。

 やはり姉妹だけあって、アウリも姉と似た鋭い理知をときおりのぞかせるが、基本的には考えるより先にまず体が動くタイプと言っていい。

 そして、違う点がもうひとつある。ひとみの色だ。

 姉が強い熱量を感じさせるあかであるのに比べ、妹のアウリは深い海のようなあおだ。この点も好対照だと言えよう。

「……てか、この店まで来てる時点で、アウリも言えた義理じゃないよな」

 少しかびくさく、ほこりっぽい書店。印刷技術の向上と紙の値段の低下が結果的に書物の低価格化を推し進めたものの、いまだ子どもが気軽に買っていけるものではなかった。

 そんな店にしれっと入っている時点で、アウリの目的も知れている。

「あはは。おにいちゃん、いるんじゃないかと思ったから」

「大当たりだけどな。エイネは? いっしょに来たんじゃないのか?」

「うーん……それがおねえちゃん、来ないんだって」

「ん? そうなのか……体調でも悪いのかな」

「……おにいちゃん、それ、デリカシーなさすぎだから」

「え、なんで?」

 責められた理由がわからず困惑するラミに、アウリはそっとためいきをついた。

 今日、ふたりがこの街まで出てきた理由は共通している。

 書店巡りはあくまで暇潰し。本題は、街で行われるある祭典の見学にこそあった。

「誘ってはみたんだけどさ。興味ないって言われちゃったよ」

「……そっか」

 きっといつものように、穏やかに微笑ほほえみながら断ったのだろう。

「こういうときのエイネは、頑として譲らないからな。もう絶対来ないだろうなー……」

「おにいちゃん、おねえちゃんになんかしたんじゃないの?」

「なんかってなんだよ。なんもしてねえよ」

「えー? そう言って、気づかないうちに女の子を傷つけてるんじゃない?」

 アウリは、ラミとエイネのふたつ下だ。

 自分たちが同じ年の頃より、今のアウリのほうがませてるな──とラミは思う。

「それもないよ。仮にそうなら、怒らせた理由がわかんなくても、エイネが怒ってること自体はわかる」

「……だね。おねえちゃん、その辺は隠さないし。やー、てっきりおにいちゃんが誘ってあげないから、おねえちゃん、ねちゃったのかと思ったよ」

「誘わなくても来ると思うだろ。今回は神子様がいらっしゃるんだぞ?」

「やっぱ誘ってないじゃん。わたしも誘われてないし!」

「そんなことで拗ねないと思うけど、エイネ」

「わたしは拗ねますー! ……まあ実際、言われなくても来るけどさ」

 ぷくっと頬を膨らませ、けれどすぐ力を抜いて微笑むアウリ。エイネとは違って、ころころ変わる多彩な表情に年相応の幼さが表れていた。

 肝心な感情を態度に示さないだけで、ラミにとってはエイネも結構わかりやすいけれど。

「お、もうすぐだよね」

「ああ。混むだろうなあ」

 リスリアの街には大教会がある。

 通常の教会と違う部分は、言葉通り大きいこと──と、言ってしまえばそれまでだが。

 もうひとつの大きな違いとして、教会の聖人である《神子》のとうりゆう地に選ばれることが挙げられる。そして、もしやって来ることがあれば、それだけで街は大騒ぎだ。

 リスリア大教会に神子が逗留するのは、実に十数年振りのことである。

「……こっちのほう、怪しいのかな」

 アウリは、ごえでそうつぶやいた。

 周りには誰もいない。せいぜいカウンターの奥にいる馴染みの書店主くらいだったが、間違っても聞きとがめられるわけにはいかない発言だ。不敬と断じられかねない。

「どうだろうな。単なる慰安目的の顔見せってこともあるだろ」

「……最近、増えてるよね」

「だとしたらより安心って話だな。神子様がいらっしゃる以上は、教会騎士クロスガードも随伴する」

「そう、だね」

「それより、鋼騎クルマが見られるかもしれないだろ? オレはそれが楽しみだなー。さすがにこの街でもまだ見たことないしさ!」

 アウリが感じ取っている不安の中身を、ラミもまた知っている。

 あえて能天気に振る舞ってみせたのはそれが理由だ。実際、この辺りで増え始めた不安要素を取り除く、最も期待できる要素が教会騎士であることには間違いがない。

「まあ心配すんなよ、アウリ。片獣フリツカーの一体や二体、オレが倒してやるって!」

「……うん、そうだよね。命数術の練習、がんばってるもんね、おにいちゃん!」

「おう、任せろ任せろ。そろそろ実戦に出てもいいかな、って思ってるところなんだ」

「そうやってすぐ調子に乗るー。あんま危ないことしちゃイヤだからね?」

 調子を取り戻したように、アウリは笑みを作ってラミにくぎを刺す。

 ──逆に、気遣われちゃったかね。

 ラミは頭をいた。姉に劣らず賢い少女だから、ラミが気を遣っていると察した上で、こうして慰められてくれたのかもしれない。

「さ、そろそろ行こうよ、おにいちゃん。早くしないと、前のほう取れないよ?」

「それはもうとっくに無理だと思うけどな……」

「えぇっ!? どうしてなのさっ!?」

「そりゃそうだろ。信心深い老人連中なら、とっくに大教会前の広場に陣取ってるっつーの。間近で神子様のご尊顔を拝めれば幸せー、って人たちには勝てないよ」

「そ……そんな。おにいちゃんのことだから、てっきり場所くらい確保してるものと!」

「……さてはお前、それ目当てでここ来たな?」

「そんなこともはやどうでもいいよ、おにいちゃん! 何ゆっくりしてるの!!」

 ぷりぷりと怒って唇をとがらせるアウリ。

 としの若い人間は、その信仰心から神子様をひと目見たいというより、単に珍しい大きなイベントだから絡みたい、というほうが多い。アウリもその例に漏れないだろう。

 一方、ラミとしては、確かに演説は聞きに行きたいが、そこまで最前列に行って神子の顔をわざわざ見たいかと訊かれれば、何もそこまでではなかった。

 なかったが──きっとアウリがそう言い出すだろうということは知っていたのだ。

「甘いぜ、アウリ。オレがそこを、何も考えてないと思ったか?」

「思ってなかったのに妙なこと言うから驚いたんだよ、もう。……何かあるんでしょ?」

「広間の端の豪邸に住んでるファレルご夫妻、知ってるか?」

「知らないけど、もう読めたよ。コネ作ってきたんだね、あくどいなー」

「いや、ちゃんと友達だよ。そこにお招きあずかってるのは本当だけど」

「わー」

「てわけで、テラスから見放題だ。お茶くらいなら出してもらえると思うぜー?」

「んふふ。さすがおにいちゃん、頼りになるー」

 そう言って、アウリはラミのかたうでに抱きついて笑った。

 まったく、現金なものだ。そう思うラミだったが、彼も懐いてくれるかわいらしい妹分には甘い。いいように使われたとは思うものの、決して悪い気はしなかった。

「えへへー。おにいちゃんとふたりっきりでデートだー」

「……や、ファレルさんとこのご夫妻、ちゃんといらっしゃるからね?」

「おにいちゃんのばかっ。とうへんぼくっ! そういうことは関係ないのー」

「はいはい悪かったよ。エスコートさせていただきます」

 ころころと機嫌の変わる、ませた妹分を引き連れてラミは書店を後にした。その足で、約束のあるファレル夫妻の邸宅へ向かう。

 ファレル家の老夫妻とは街で仕事をこなす中で知り合っていた。

 夫妻の孫が教会騎士の職務に就いており、立地のいい豪邸もその稼ぎで贈られたのだという。広いのはいいけれど、少しだけ寂しくてね──とは夫婦の談。

 ラミ自身は、それならと話し相手に立候補しただけのこと。

 人のい老夫婦がラミは好きだったし、ファレル夫妻もまたラミを実の孫と同じようにかわいがってくれていた。こうして素晴らしい観覧席に招待されたのはその縁だ。

「かわいらしいお客さんもいっしょで嬉しいねえ。せっかくのにぎやかなお祭りだから」

「ありがとう、おばあちゃん! おじいちゃんも!」

「こちらこそありがとうさ、アウリちゃん。ジジイも賑やかなのは好きだからね」

 ファレル夫妻に、すっかり気に入られているアウリ。

 幼く人懐こい少女は、さっそく上手い甘え方を覚えたようだ。計算でやっているのではなく、きっと突然やってきた彼女を受け入れてくれた老夫婦への、彼女なりのお礼の仕方なのだろう。

 ラミたち四人は、しばらくして始まった神子の演説を、テラスから眺める。

 とはいえラミの興味は、演説をする神子よりも、その周囲に向いた。

「……結界、か。すごいな……これ、もしかしてひとりで維持してるのか……?」

「おにいちゃん?」

 ぶつぶつと独り言を呟くラミは、アウリがかけた声も聞いていない。

「防御は完璧。さすがは教会騎士……だけど、その割に護衛の数が少ないよな。まあ神子自身が強いからってのもあるんだろうけど、にしたってほとんどが会場の警備はしてても神子は守ってない──あそこにいる人だけで充分だって考えてるのか?」

 広間の奥。そこで語る神子から、少し離れたところに、ひとりの女性が立っている。

 命数術による防御が神子の周囲にされていることからも、おそらく術者はその女性と見るのが妥当だろう。

 すさまじいまでの信頼だ。いや、そうでもなければ、こんな場所で演説もできないが。

「──ああ。アレがウチの孫だよ」

 と、それでファレルの奥様がラミに言った。

「え!? あの方がそうなんですか!?」

「そうさ。あとで寄ってくれると手紙が来たけれど、いや、まさか神子様のこんなに近くでお守りできる栄誉に与っているなんてねえ。驚いたよ」

「まさか……」

 ラミは再びその女性を見る。

 すると──瞬間、彼女もまたラミのほうへ視線を投げた。

 ──き、気づかれた!? この距離で!? い、いや、この家を見ただけか……?

 いずれにせよラミは確信した。

 彼女こそが、自分の目指す先に立っている人間なのだと。

「……守護十三騎ラウンドキヤンドル

 教会騎士における最上位。たった十三人だけの、最強と呼ばれる命数術師。

 神子の旅に随伴し、それを見届けることが許された唯一の存在。

 よもや馴染みの老夫婦の《孫》が、自分の目指す先にいる者だとは想像できなかった。これが巡り合わせだというのなら、自分の命数うんめいも捨てたものではないのかもしれない。

 ──だけど……遠い。

 ラミは思う。目指す道のりの険しさを、初めてその目で確認した。エイネという天才を知っているからこそ、王国で頂点に立つ術者の力量がよく理解できたのだ。

 けれど覚悟は盤石だ。憧れは揺らがず、一層の強固さをもって少年に強く根差す。

 いつか、必ずその地位ばしよへ──。

 幼き日にラミが夢見た英雄へのきざはし

 それをラミは、この日、確かに目の当たりにしたのだった。

「──というわけで、皆様は安心して、どうか日々の生活に励んでくださいませ。その先で私が、あるいはほかの神子が、必ずや天命を成し遂げ惑星ほしを救うでしょう。たとえその先に待つものが身の破滅であったとしても、私の覚悟は揺らがないのですから──」

 神子の演説の結びに、広間は盛大な拍手と喝采に包まれた。

 けれど、それが本当に喜ぶべきことか。かつてエイネがそう疑問したのを覚えている。

「……神子様、今、おいくつだっけ」

 ふと、アウリが呟いた。

 小さな声だ。おそらくラミにしか届いていない。だからラミも小声で答える。

「正確にはわからないけど。神子シシュー様は確か十五……だったかな」

「わたしの五つ上、かあ……想像できないよ」

 ラミは想像してみる。アウリより近いとはいえ、それでも三つ上。

 あるいは、たった三つしか離れていない、と言うべきなのか。

 いずれにせよ想像はできなかった。聖人として認定され、様々な特権と引き換えに強要される天命成就の義務。人類に課された試練を、代表して行う聖なるひと。

「シシュー様……どうなるのかな」

 アウリの小さな呟きに、ラミは答える言葉を持たなかった。

 神子は不老だ。ある段階で成長が止まり、普通に生きれば常人よりはるかに長命である。現在、存命最高齢の神子である第十九代などは、もう人間の寿命をとうに超えていた。

 神の子と、人の身でありながら呼ばれるのは伊達だてではない。

 だが一方で──歴代の神子の中には若くして命を落とす者が少なくなかった。

 神子は決して不死ではないのだ。外見は老いずとも限界は訪れるし、そもそもかつての神子は、大半が真っ当に生涯を送っていない。

 天命のためである。その凶悪な難易度が、これまで多くの神子を、志半ばにして殺している。

 必ず死ぬと決まっているわけではない。けれど死地に送り込まれるということは、それ自体が死の宣告となんら変わりがないだろう。天命を達成した神子も、達成することなく挫折した神子も──結局はどちらも寿命より早くその命を散らしている。

「……ならなくちゃ。騎士に」

 それだけが、神子を守って戦える、ただひとつの手段なのだから。

 自分ごときの命数でも、この惑星のために使えるのなら悪くないとラミは考えていた。


 第二十二代神子シシュー=シルバーの落命が報じられる、およそ半年前の話である。

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