第二章 『港町の事件』8

 8


「──とんでもねえことになったもんだな、おい」

 七日後。ラミとエイネは、以前にロックの案内で来た店を再び訪れていた。

 再び、彼に連れられて。

「まあまあ。とりあえず事件そのものは終息したんだし、それでいいじゃない。ね?」

「そりゃ確かに、あんたたちには助けられたけどよ」

 星を通う命数いのちの流れ──星命流。

 そこから意図的に片獣を発生させる命数術。

 それを知ったエイネの調査によって、ティルア市にこれ以上の片獣が発生しないことは調べがついた。この街の安全は、ほぼ保障されたと言っていい。

 星命流を意図的に滞らせ、火山の噴火のように噴出させ、操作する。

 思いつくこと自体が恐ろしい行いではあるが、それには長い期間をかけて仕込みを行う必要がある。片獣を発生させるにも、大本のエネルギーとなる命数が必要だからだ。

 巨大すぎる本流である星命を、意図的に吸い出すことは不可能だ。いや、仮に可能だとしても、どこにどんな影響が出るのかわからない。ほんの少しずつ流れを滞らせ、それを流用することくらいが関の山だろう。

 今回ほどの量を再び溜めるには、年単位の時間が必要だというのがエイネの結論だ。

「要するに、これは連中にとって仕込みだったんだと思う」

 エイネは語った。奴らは、この街にいつでも片獣を発生させられるよう、布石を置いていたということ。

 被害が増えていたのは、その実験だったと思われる。いくら片獣が出没したところで、誰もそれが人為的な災禍だとは考えない。自然発生だと信じ込み、疑いもするまい。

 だがそこにラミとエイネ──守護十三騎が二名、しかも片方は神子──が疑いを持って調査を開始した。められれば問題はなかっただろうが、結果として逃亡を成功させる代わりに、これまでの仕込み全てを無駄にした。

「それだけでも私たちが出張った意味はあったと思うよ」

「……相手は神子だからな」とラミは呟く。「神子の直感はバカにできない。当たり外れの問題じゃなく、神子は何かあるという自分の直感を信じて従う。自分の命数を信じて疑わない。奴らにとっちゃ、そこが計算外だったんだろう」

 あるいは。

 そもそも神子であるエイネだからこそ、その運命を引き寄せたのか。

「ノウハウを知っている自分たちが捕まるよりは、仕込みと引き換えにしてでも逃げ出すほうを選んだってことだろうね。時間さえかければ、同じことはできるんだろうし」

「ま、一応はオレたちの勝ちってことでいいと思うけどな」

「あの男と、同じことができる術者がそう何人もいるとは思えないしね」

 ティルア市が今後、狙われることはないだろう。この街自体を標的としたのではなく、あくまで《片獣を発生させる》技術そのもののほうが重要と思われるからだ。

 ただ一方、それができる男を取り逃がしたことも事実。

 すでに教会への報告は済ませてある。人相も伝えてあるため、連中の活動を大きく牽制することはできただろう。戦果としては充分、としておくのがいい。

「……あんたら、もう出発するのか?」

 ロックがそう切り出したのは、食事を終えてしばらくってからのことだった。それは疑問というより確認で、エイネもあっさりと肯定した。

「うん。この街でやるべきことは、ひと通り済ませたと思うから」

 ラミもそれに追従する。

「この街の料理も食べ納めってことか。飯の美味い、いい街だったんだが」

「……ああ。そうだね」

 一瞬、返答までに間があったと、このときラミはしっかり気づいた。

 エイネが微妙に、ラミから視線をらしたことにもだ。

 けれどそれらの違和感に、ラミは理由まで見つけることはできなかった。それより早くエイネが言う。

「しかし、ラミが海鮮好きだってのは私も知らなかったな」

「……そりゃ嫌いじゃないが。そもそもほとんど食べられなかったからな。田舎でも修行でも、基本的に山のもんばっかだった」

「ま、ラミが気に入ってくれたならよかったよ、海沿いを目指した甲斐はある」

 にこりと微笑むエイネ。普段の様子と、もうまったく変わらない。

「……まさか、そんな理由で海側に行こうって言ったのか?」

「そうじゃないけどね。そうじゃないけど、大した理由もないよ。なんとなくかな」

 それでも神子の《なんとなく》ならば、何かしらの意味はあったのだろう。

 実際、こうして厄介な事件に巻き込まれる羽目になったわけなのだ。

「──悪かったな。大した礼もできなくて」

 と、ふたりの様子を苦笑いで眺めていたロックが言う。ラミは軽く肩を竦め、

「いいよ。礼なんか求めてない。実際、これも仕事みたいなもんだ」

 その言葉を、茶化すようにエイネも笑った。

「悪者と戦うことが?」

「神子様のわがままを聞くことが、だ」

「あ、ひどい」

 気に病むことでも、気を揉むことでもない。ふたりは態度でそう告げている。

 仮にロックから話を聞いていなかったとしても、どうせどこかで首は突っ込んだ。そうすること自体が、神子の宿命と言ってもいいくらいだ。

 むしろ情報を早く提供してもらった分、助けられたとさえ言えるだろう。

「それでも感謝はするさ。そうだな……もし旅が終わったら、またこの街に来てくれよ。そのときはまた案内するさ。今度は、無料でな」

「そうだね」と、エイネは頷いて。「そのときは、君の本当の名前も聞かせてくれ」

「ああ、なんだ……やっぱり、それにも気づいてたか」

 偽名であることを言い当てられたロック──ではない少年は、それでも笑って。

 だからこそエイネは、最後の最後にその笑みを壊すつもりでこう訊ねた。

「──自分でやらなかった理由は、いつか教えてもらえるのかな?」

 それはまるで、ロックならば自分ひとりでもこの事態に対応できた、と言わんばかりの言葉。ロックはそれでも余裕を崩すことなく、よっ、とひと声、椅子から飛び降りると。

「さてな? また会えたら言うかもしれねえけど。──ま、俺はもう行くぜ?」

 意味深なエイネの言葉を、ロックは否定しなかった。やり取りの意味を正確には捉えていないラミは、だが特に口を挟もうとしない。

 それが必要なことなら、いつかエイネが教えてくれるだろう。それで充分だ。

「じゃあな、ラミ、エイネ。──旅が上手くいくことを祈ってるよ」

「ああ。ぜひ祈っていてほしい。君のそれならなおさらね」

「……また会おうぜ、ロック。今度は本当に、観光しにこの街まで来るよ」

 ロックは何も答えない。

 別れの言葉はもう重ねないとばかりに、軽く手を振って、この場所を後にした。

 ──それからふたりも店を出る。

 会計を済ませ、泊めてあった鋼騎に支度を済ませて乗り込んだ。次は北を目指して移動する予定だ。ティルアの直前で出会った片獣研究家──ワーツにも会えるだろうか。

「出発するぜ」

 ラミが言って、エイネが答える。

「うん。運転よろしく」

 鋼騎が起動し、前へと進む。

 景色は瞬く間に移り、数分とせず街は見えなくなった。の光を反射して、きらきらと輝く海沿いを、しばらく無言でふたりは走る。

 エイネはしばらく、そんな景色を楽しんでいたが、やがてラミにこう切り出した。

「さて。ラミはロックの正体、わかったかな?」

「……何? もしかして考える時間をくれてたってことか? わかんないけど」

「彼はあの街で、親を失った子どもたちを取り纏めていたね。だが本来、それらは教会の仕事だ。彼がすることじゃない。そして実際、子どもたちの管理は教会がやっていた」

「……そうなのか?」

「あれほど大きな街で、子どもだけがスリで食べているわけもない。街のどこを歩いても誰も警戒していなかったんだ。ならそもそも、スリは行われていなかったんだろうね」

「それは外から来た商人や観光客を狙ってたからじゃ……ああいや違う、か。だとしても被害の報告は街に広まる。それがない時点で、そもそも目立つ被害はなかったわけだ」

「片獣の被害に遭った子どもがいたことは事実だと思うよ? でも孤児になったら教会が面倒を見てくれるし、そもそも全員に身寄りがなかったとは思えない。ってか、そこまで大きな被害が出てるんなら、いくらなんでも教会騎士が動くって」

「ああ、そうか。そもそも騎士を動員するほどの被害は出てなかったのか」

「あの反天会のふたり組にしたって、自分たちが街で動いていることを知られるわけにはいかなかっただろうしね。実験にしたってバレるほどやらないし、そもそも狙うなら私らみたいな旅人でしょ普通。こう表現するのもなんだけど、後腐れがないからね」

「……だな。実際、来るとき狙われたわけだし」

 あれも当然、リィとシェルナのふたり組の仕業だと見るべきだろう。

 通りすがりを偶然に襲撃された。鋼騎を運転している──つまり明らかに命数術師だとわかる──者を狙った辺り、生み出した片獣の能力を調べたかったのかもしれない。

 あるいはエイネが神子であるからこそ、必然として至った命数だったのか。

「つまり、ロックが浮浪児の振りをして私たちに接触する合理的な理由はないってこと。適当に身分を隠したかっただけなんだろうね」

「それだけ、で……?」

「私たちは片獣を退けて街に入ったでしょ。ロックはそれを見てたんだと思うよ。だから巻き込めると踏んだ。だけど自分のことは隠したかった」

「いや、見てたって……」

 不可能では、ない。むしろ当然の発想だろう。

 だがそれには相応の命数値が必要だ。

 ラミたちが襲われた地点から街までとなると、それなりに距離がある。どんな術であれ距離が離れれば離れるほど、命数術の難度は指数関数的に上がっていくものである。

 少なくともラミなら諦めるレベルだ。一時だけならまだしも、いつ現れるかわからない片獣を、ずっと警戒し続けるとなると無理がある。

 もしそれがロックに可能だったというなら、それは。

 ──ラミの隣にいる少女のように、ばくだいな命数を扱える存在であったからだ。

「……まさか」

「そのまさかだね。──ロックは神子だ。もしかしたら私よりも強い、ね」

 そう言われればに落ちるところがラミにもあった。

 それは、ロックの行動が一貫して場当たり的だったことである。自らの直感を天命だと疑わない神子は、時に論理的ではない行動を選んで、その上で結果を引き寄せる。

 適当にしているように見えるのに、なぜか最後には思っていた場所へと到達する──。

 エイネとも共通する、神子らしい特徴だったと言えよう。

「じゃあ、あいつは」

「今回はどうも、自分だけの命数で動いてる気がしなかったからさ」

「……意味がわからんのだが」

「なんか、どこか動かされてる感じがしたんだよ。私を巻き込めるレベルの命数を持った人がいるのかなって思ったんだ。それって、たぶんおんなじ神子くらいだと思うから」

「ああ……そう」

 その感覚は、説明されてもなお理解が及ばない。

 元より生きていく上で、思い通りにならないことのほうが普通だ。努力や行動で結果を変えようと働くことはあれ、運命そのものが自らの思い通りに動くなどとは考えない。

 ──エイネは、ラミにとって幼馴染みだ。

 だが一度、故郷で別れるときまで、ラミは彼女が神子だと知らなかった。それから再会してすぐ、ふたりは旅に出ている。神子としてのエイネを、ラミはほとんど知らない。

 そう少しだけ考えて、けれどラミは首を振る。

 昔から、思えばそういう奴だった。どこか自分たちとは違う、高い視点を持っていた。

「ちょっと飛ばすぞ。しっかり掴まってろよ」

 ラミは言う。

 伝える言葉なんて、それだけで充分なはずだったから。

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