第二章 『港町の事件』7-2
──熱風が、ラミの真横を通り抜けた。
ラミがそれを回避できたのは、ひとえに距離を取っていたから。
防ぐなんてとんでもない。エイネはともかく、ラミ
「とんでも、ねえな……」
冷や汗を流すラミ。
その目の前で、爆風に
「……ここまでだとは、思ってなかったぜ。見くびってたよ」
「お互い様、と言うべきだろうか。騎士如きに見くびられるとは思っていなかった」
晴れた視界の向こう。そこに、リィは立っていた。
いつの間にかその右腕を覆うように、巨大な筒状の何かが具現化している。
──魂源命装。
ラミの鋼糸と同じもの。戦闘系の命数術師としては、ひとつの到達点とされる術。
鋼騎など命数機械の材料に使われる《希鋼》は、命数術で作り出すこの世に存在しない物質だ。それを流用し、自身の魂のカタチそのものを武器として表現する術がこれだ。
最大の特徴は、術者によってその形も効果もまるで違うということ。
その習得が守護十三騎の資格のひとつともされており、こと戦闘において最強と言っていい固有の武装──それを創り出す命数術。
ラミの場合は、自在に操ることのできる鋼の糸を創り出すことが可能だ。希鋼を素材とするだけあり、その硬度はどんな金属にも負けず、にもかかわらずしなやかで、さらには命火を
そして、リィという男の魂源命装のカタチは──砲。
単純な武装だ。おそらく命火を込めて撃ち出すだけの大砲でしかない。だがその威力は直撃すれば地形さえ変えかねないほど過剰なもの。対人より対集団向きと言えよう。
辺りに飛び散った銀の命火が、地面に残り火として燃えている。それほど、込められた命数値が高いということ。
「しかし、不可解だな。今の一撃、確かに直撃したものだと思ったが」
「……さてな? これでも勘がいいもんで」
軽く肩を竦めるラミに対し、あくまでも理性的にリィは答える。
「なるほど。そういえば、お前の魂源命装は糸だったか」
「…………」
「空間に固定した糸を自分に結びつけ、無理やり体を動かしたな? 予想より応用の利く能力だ。厄介……そう、厄介と言うのが正しかろう」
その通り。ラミが創り出す鋼糸は、自在に操作できる上にどこにでも結びつけることができる。たとえ空中であっても、片側を空間に引っかけて固定することが可能だ。
ラミはそれを用いて、逆の先端を自分と結び強引に
「そういうそっちは、ずいぶんと燃費の悪そうな能力だ。息が上がってるぞ?」
次に打つ策を思案しながら、会話に答えてラミは言った。
事実さきほどの一発を発射したあと、リィは目に見えて疲労していた。体力、精神力、そして命数値。神の奇跡を代行する術であるからこそ、消費もまた相応のものになる。
特に命数値の減少は厄介だ。それは運命の前借り、先払いと言うべき行為になる。一時的に命数値が下がるせいで、生物は例外なく死に近づく──運命的に死にやすくなる。
命数術の濫用は、寿命を縮める可能性があった。
「いいのかよ。俺はそう簡単に、そんな大技には当たってやらねえぞ」
挑発するようにラミは言う。見るからに冷静なリィが、それに乗ってくるとは思わないが、布石として置いておく分にはタダだ。
「ほう。
「今の見てなかったのかよ? 初見でも余裕だったっつの」
「いいや。それは当たれば死ぬ──防ぐことができないと言っているも同然の言葉だ」
「挑発のつもりなら的を外してるな。あんなもん当たったら誰でも死ぬっつの」
お互いに次の手を打つまでの、いわば間を埋めるための応酬。
あれを放つため、リィが相応のタメを必要とすることは見て取った。その一撃でリィも決めるつもりだったのだろうが、生き残った分だけ情報も増える。
もちろん、それは隙というほどの猶予ではない。命数術師であるという前提で、初めて回避の手段がいくつか思いつける。そういう類いのものだ。
躱すか、当てるか。
勝負の焦点はその場所に集約していた。
「──ならば」
躱してみせるがいい──。
瞳だけで、リィはラミへと告げる。それと同時に砲を起動していた。
「……!」
さきほどより高速の一撃。火力こそ下がっているが、代わりに溜めが減っており、また火炎自体の速度も向上している。
明らかに巨大な砲身から、大火力で攻撃してみせたからこそ成立する不意打ちだ。
それを、読んでいたとばかりにラミは回避した。上にだ。
ただの兵器ではない。魂源命装なのだ。
命数術によって創られた武装。術者の精神性を反映した特殊な能力を持つことが多く、ラミも当然、リィの大砲がただ火炎を放つだけのものだとは思っていない。
伸縮自在の鋼糸。それがあらかじめラミの頭上の空中に固定してあったらしい。まるで
当然、リィはそれを追うように砲を撃つ。
だが当たらない。ラミは空中で自在に身体の向かう先を変える。
「まるで、木から木へ飛び移る野生の猿だな……」
悔しがるでもなく呟くリィ。その言葉がラミに届かなかったのは、お互いにとって幸運か。少なくとも、リィは感心を込めてその言葉を発していたが。
あえて街の中では使わなかった周到さを鑑みれば、ラミのミスも期待はできない。
このまま続けて、命中させられる気がしない。
いくら連射しようと、やはり取り回しの悪い大砲であることは事実なのだ。高速で宙を飛び回るラミに、正確な照準を定めることができない。想像以上に厄介だった。
自在に動かせる鋼糸──その自在の度合いを見誤ったと認めざるを得ないだろう。もし本当にこの動きを糸で行っていたら、普通なら自分の体のほうが千切れかねない。
「──おらっ!」
「っ……、まったく
加えてラミは、ときおり隙を突いて糸をこちらに飛ばしてくる。
いや。もはや糸などという
どんな効果かわからないが、まともに当たれば肉を貫通する程度の威力はあろう。仮にダメージがないとしても、自分自身が鋼糸に繋がれることだけは絶対に避けたかった。
「……、」
リィは攻撃を火炎で迎撃しつつ、もう一方の戦場へと意識を向ける。
神子を相手にして、シェルナはなんとか時間を稼いでいるようだ。倒すことを考えず、逃げに徹していることが功を奏していたが、何よりエイネのほうも全力ではない。
相手が時間を稼いでいると、理解していてなお対応しない。
ラミが負けるとは考えていないのだ。
「なるほど」
リィは小声で呟く。
──やはりこの方法を選んで正解だったようだ、と。
次の瞬間、ふたつのことが起こった。
ひとつはエイネの声だ。その場の全員に届く声量で、彼女は叫んだ。
「──っ、まずい! 今すぐ砲撃をやめさせて、ラミ! 奴の狙いは違う!!」
シェルナは、いきなり攻撃の手を止めたエイネに驚いた。
ラミは驚きさえ見せず、即座に言われた通りの行動へと移った。
リィはその、ふたりの強固な信頼関係に驚愕し──、
──そしてエイネは、それでもラミが間に合わないのだと理解した。
「星命流具現。──片獣喚起」
起きたふたつ目のこと。
それは、リィの砲撃が外れたことによって散らばっていた飛び火が、突如として巨大な火柱に変わったことだ。
地面を無為に焼いているだけだったはずのそれは、けれどリィが置いた文字通りの布石だった。精密に描かれていた紋様が、意味を成して聖句として紡がれる。
それは命火だ。
ゆえに命数術の燃料だ。
地面に散っていた命火が呼び水、いや呼び火となり、惑星そのものに働きかける。
──片獣を生んだのだ。
「術ひとつで、生身で片獣を呼び出したってのかよ! 嘘だろ……っ!?」
地面に降り立ったラミが、驚きを伴って呟く。
わずかながら
地面に飛び散ったリィの銀の命火が、そのまま呑み込まれる形で無色の炎、星の命火に変わる。文字通りの怪物へと変貌している。
そして、それら片獣は──その場にいる四人を一切無視して街の方向へと向かい出す。
「な、」
「まずい、ラミ! 今すぐ止めないと、街が!」
判断が早かったのはエイネだ。そして、リィはその一切をきちんと見ていた。
だからこそ彼は追撃を選ばない。これはあくまで、逃亡のための一手だったのだ。
「く──、おい……っ!」
ラミはそれを呼び止めようとするが、意味はないし、そんな余裕もない。この状況で、それでも逃げを選んでくれたことは幸運なのだ。だから途中で叫ぶのをやめた。
同時、こちらも逃げの一手を打っていたシェルナがリィに並ぶ。
ラミもエイネも、それを見送る以外に手立てはなかった。
「くそ……悪い、エイネ!」
「いいよ、予想できるわけない。そしてそんなことを言ってる場合でもない!」
ふたりの命数術師が逃げ出した方向に背を向け、神子と騎士は元の方角へと駆け出す。
──少なくとも今のふたりに比べれば、なんてことのない敵ではあった。
※
逃亡したリィとシェルナは、隠してあった四輪鋼騎の下まで辿り着いた。
今はとにかく距離を稼ぐことが肝要だ。
敵は転移術すら扱う神子。その成功率を下げ、行方を
「悪いが、運転は任せる」
自ら助手席に乗り込んで、リィが言った。
シェルナはそれにはあえて答えず、代わりに問いを投げた。
「……いいの? 完全に無駄になっちゃったけど」
「構わん。いや構うが、ほかに採れる選択肢がない以上は仕方がない」
「……片獣が街を狙う以上、あのふたりはそれを止めなきゃいけないでしょう。あのときなら狙えたんじゃない?」
「俺に、そんな余裕があると思うか……?」
「……ああ、なるほど。無理したわね、リィ。らしくもない」
リィの命数量は今、もうほとんど残っていない。運命的に死にやすい状況だ。
下手をすれば転倒するだけで、打ちどころが悪かったで死にかねない。術を連発した副作用である。
「本当、見事な逃げ足ね」
半ば皮肉げに、半ば本心から感心してのシェルナの言葉。
行動を共にしてまだ日は浅いが、彼の実力には一定の信頼を置いているつもりだ。
「……あの神子」
そのリィが、どこか重苦しい響きで、零すように呟く。
「ああ。本当……恐ろしい
「……あいつ、寸前に……気づいた」
「気づいた……?」
「俺が、術を発動するよりも早く、何かを……悟った様子だった。何が起きるか、わからないのに……何かが起きることはわかる。そんな、感じだった……」
「──じゃあ、もう始まっていると?」
シェルナの問いの意味を、リィは正確に把握している。
だからこそ、彼は何も答えず。だから、シェルナはわずか呟くように。
「……そう。アタシは、神子なんて嫌いだけど。それでも同情するわ──
やがて四輪は闇夜の中へ消えていき、その行き先を知る者はいなくなった。