第二章 『港町の事件』7-1

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 夜に潜んで進むことなど、命数術師にはそう難しくない。

 元より、光なき闇夜を照らすために命数術がある、とする者もいるくらいだ。火を扱うという性質上、光源に困るようなことはないし、そもそも暗視も術としてある。

「……ち。戦い損ねたな」

 小さな声に応じる声。

「アンタは本当に……天才と名高いあのエイネ=カタイストを、わざわざ敵に回すなんて馬鹿げてると思わないわけ?」

「さて。術の才と戦闘結果は直結しない。そんなことはシェルナ、お前もよく知っていることだろう」

「相手の精神性に賭けるなんて馬鹿らしいって言ってんの。それに……どうせ神子なんて全員、例外なくバケモノよ。人間じゃない。それくらい知ってんでしょ?」

 吐き捨てるようなひと声は、シェルナと呼ばれた女性のもの。紫紺色の命火を瞳に宿す彼女は今、男に先行する形で海沿いを南に走っている。

 後ろを走る、しやべる割には感情の色が薄い男は、シェルナの言葉にこう答える。

「どうだろうな。確かに神子は人間を辞めるものだが、奴の状態がそこまで進行しているようには思えなかったが。まだ、神子に選ばれて年月も浅い」

「……そういう意味で言ってるんじゃないっつの。それは……アンタにはわからないか」

 感情を殺した男と比べ、女のほうには色濃い負のそれが滲んでいる。

 それは嫌悪であり、憎悪であり、隔意であり──そして恐怖であった。女はそれを振り払うように、小さく息をついてから背後へ言う。

「第一、んなもん見ただけじゃわかんないでしょうが」

「変質はまず不調として表れる。エイネ=カタイストが体調不良だったとは、少なくとも俺には思えない。まあ万全の神子と戦うのは、確かにまだ早いがな」

「ふうん。珍しくあっさり逃げると思ったけど」

「神子の殺害は会の至上命題だが、最優先すべきは今ではない、というだけの話だ。この地で得るべき結果は、もう全て得ている。ならば優先するべきは成果を持ち帰ることだ」

「アンタと話してると頭痛くなってくるわ……」

 軽く首を振るシェルナ。

 この先には移動用の鋼騎クルマが隠されている。確かに戦闘は本意ではない以上、帰還を優先するという目標は彼女の意思にもそぐう。とはいえ──なら顔を見せる意味もなかった。

 この先、再び相まみえることがあるとも思わないが、余計な情報を教会側に与えるべきではないことも事実。彼女はあくまで、男の指示に従ってあの場に顔を出したのだ。

「──シェルナ」

 と、そのとき男が鋭く言った。

 シェルナは足を止めずにその声に答えようとして──、

「何よ──きゃっ!?」

 その行動を、男に後ろから襟首を掴まれる形で強制的に止められた。

 当然、喉が絞まって呼吸に影響が出た。せ込む形になったシェルナは、何をする、と男に不満を注げようとして──寸前、止まった。

「危なかったな。──場合によっては首が飛んでいたかもしれん」

「これ、は……リィ」

「命数術による糸、だろうな。色は鈍。そこにいるな、──ラミ=シーカヴィルタ?」

 ふたりの目の前に、横に一本、ちょうど首の高さに糸があった。

 空中に張られたそれは、物質として具現化された鋼糸だ。《灯視》の術を使って目を凝らして、ようやく気づけるかというほど細い。

 男──リィが気づかなければ、シェルナの首は糸によって断たれていたかもしれない。

「《魂源命装オリジナルアート》……そうか。十三騎ともなれば、使えて当然だったな」

 リィの言葉に、闇から答える声が響く。

「すまん、エイネ。気づかれた」

「いや。あれで気づくようならもう無理でしょ。仕方ない、正攻法で行こう」

 同時に現れる姿がふたつ。

 リィにも、シェルナでさえ、それを見る前から正体には気づいていた。

「……嘘でしょ。どうして、ここに……」

 きようがくに、思わず目を見開くシェルナ。

 ないであろう尾行は当然、術の気配にも警戒していた。にもかかわらず、こうして追いついて来られるとは。

 だがリィのほうは特に気にもせず、静かに言う。やはり感情の炎は見えない。

「相手には神子がいる。ならばこの程度のことはしてくるだろう」

「だからバケモノって嫌いなのよ……」

 そんなふたりの言葉は、離れた位置にいるラミとエイネに届いていない。

 ラミは未知の先を塞ぐようにふたりの前へ立つ。その横に立つエイネをいちべつしてから、彼は叫んだ。

「悪いが逃がすわけにはいかない。お前らが、このところ頻発している片獣事件にんでいることはわかってるんだ!」

 それはハッタリ、というより根拠のない言葉だったが、この状況で無関係だというほうがおかしい。構わなかった。

 そして当然、リィもシェルナも、そんな言葉には答えを返さない。

「シェルナ。こうなった以上は仕方がない。戦闘で突破するぞ」

「あの坊やはともかく、神子のほうに勝てると思う?」

「さて。だがどちらにしろ決まっている。そしてこうなった以上は──」

「……わかってる。だからそれ以上、言わないで」

「ならば──やるぞ」

 次の瞬間。

 リィが地面を蹴り、ひと息でラミへと肉薄した。

「──ふっ!」

「っと──!!」

 振るわれたのはこぶしだ。《強化炎ブースター》を纏い、底上げした腕力による一撃。

 強襲にして、不意打ちだった。どちらかといえば細身で、いかにも術者然としたリィの外見からは想像しづらい戦闘者としての動き。

 だが。

 それはこと、ラミ=シーカヴィルタを相手にしては悪手だろう。

 ラミは一切狼狽えることなく、当たり前のようにリィの拳の一撃を流した。自分の右手を、相手が繰り出す右手にそっと横から当てるだけで、軌道から逃れて身を翻す。

 そのまま、半ば体を回す形で振るわれたのは左の裏拳。リィもまたそれを左手でガードし、そして予想より強い威力にわずか押された。

「む──!」

「この程度で驚かれる辺り、やっぱエイネしか敵として認識してねえな?」

 やり取りの間、エイネはラミを助ける素振りを見せていない。

 どころか視線さえ向けることなく、あくまで自分の相手であるシェルナを見ていた。

「……十三騎の称号は伊達ではなかったか。だが、この身体能力……!」

あいにくと、術者としての才能は大してなかったもんでな。落第ギリギリの成績を埋めるには、こっちの道しかなかったんだ」

 言葉ほどに、それは容易たやすい道ではなかった。

 だが事実でもある。

 ラミ=シーカヴィルタの命数は、単に数値だけを見るならおよそ《守護十三騎》という頂点の位置に君臨できるものではない。ゆえに、術の技量で及ばない領域へ手を伸ばす、その助けとなるものがあった。

 それが、彼の戦闘者としての才覚だ。術者としては二流でも、戦う者として一流以上だからこその地位。血の滲む命懸けの訓練が花開かせた、ラミにとっての生きるすべ。

 もし術を使わないという前提があれば、ラミは騎士でも最強の一角に君臨するだろう。

「……」厄介だな、と。

 リィは言葉に出すことなく、けれど胸中で思う。

 術者としての技量が低いと言っても、それは平均と比較しての話。守護十三騎の資格のひとつであり、同時に命数術師としての終着のひとつ、すなわち《魂源命装》の術に至るレベルは当然に持っている。

 まして純粋な身体運用はリィより上。天賦の才と、としに似合わぬ経験に裏打ちされた、隙のない強者としての在り方だ。

 決してめていたわけではないが、それでも、新参とはいえ守護十三騎。まともに戦うなら、相応の犠牲を覚悟しなければならない、敵だった。

 ──まして、シェルナが戦っているのは神子。頂点の怪物……。

 少し離れたところでは今、エイネとシェルナが戦っている。

 自分より強いリィを、あえて神子エイネではなく騎士ラミにぶつけたのは作戦だ。それがシェルナの覚悟でもある。自分は時間稼ぎに徹し、先にラミを打倒したあとで二対一を作り出す。

 だが、どうやらそれは甘すぎる皮算用だったらしい。

 絶対に勝てないとは言わないまでも、本気で打倒するなら死闘となるだろう。

 ──リィはそこで決意した。

「悪いな、見くびった。ここからはこちらも捨て身で行く」

「……仮にも十三騎のひとりだってのに、見くびられてたとはね。泣けてくるぜ」

 そう答えつつも、ラミは相手にそれだけの実力があることに気づいていた。

 今のやり取りで決めきれなかったことは、ラミにとっても誤算だ。自分がガキであるということ、その上で騎士として最強の座にいること──このふたつを総合したとき、敵はラミを《術の才にかまけた子ども》だという先入観で捉える。

 実際には正反対だ。そして身体能力ではまさっていても、おそらく術者として見るなら、リィはラミより遥か格上。──それこそ、守護十三騎のレベルでもおかしくなかった。

「我々の狙いは知っているだろう。騎士程度に、敗北を覚悟するつもりはない」

 下ろした両腕を、交差させるような独特の構えをリィは取った。

 直後、リィの腕に灯るのは炎。闇を貫く命火の輝き。

 その色は──銀。

 ラミと非常によく似ているが、リィのほうがより鮮やかな色味をしている。

「《砲炎バースト》──ッ!!」

 無論、ラミも相手の行動を見ているだけではない。術名を叫び、ラミが放ったのは直射状の火炎の奔流。

 高威力を誇る戦闘用の命数術だ。鈍色に輝く火炎の流れが、振るわれた腕に指揮されるようリィへと向かう。

 同時にラミは駆け出した。

 直撃すれば人間ひとりは軽く戦闘不能に追い込めるが、こんな一撃が決まるほど容易い相手だとは考えていない。本命はあくまで、距離を詰めての接近戦。

 だが。

「──《魂源命装オリジナルアート》──」

 わずかに聞こえたその言葉と、それに先んじる形で訪れた全身の悪寒に、ラミは行動を百八十度変更した。突っ込んでいくのではなく、むしろ引いて身を守るほうに。

 遥か格上の師や、多くの片獣との戦闘経験がもたらした、それは経験的直感。

 次の瞬間、ラミの攻撃全てをみ込む形で、強大な熱量が放出された。

 鈍色の命火を、銀色の輝きが全て呑み込んでいく。直撃すれば大教会ひとつを破壊するだろう爆風と火炎、それに指向性を持たせてまっすぐ撃ち出したかのような一撃だった。

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