第一章 『聖女と騎士』3
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「──いやよもやエイネ様とラミ様にお助けいただけるとは! いやはやラミ様の
片獣の討伐を終え、しばらくのち。
後部座席にワーツを迎え、ラミは再び鋼騎を走らせていた。
「そうだねー。ワーツさんのがんばりが、私たちを間に合わせたってコトだし。神様も、その辺りはきちんと見ててくれてるみたいだよ。うん、本当によかった」
ワーツの言葉に、エイネは笑みで答える。
初対面での印象よりも、ワーツは意外に気安い
一応、古くから《旅に出ている神子に対し過度な反応をしない》という慣習があることは事実だ。気づかない振りをして、基本的に普通の旅人として扱ったり、最敬礼は取らず最低限の儀礼で済ませたり。神子の命数に干渉しない──というしきたりだ。
だからといって、あっさりそれができる者は、今はそこまで多くはないだろうが。
「これでも命数術師の端くれではありますが、
エイネとしては、そんな彼の様子がむしろ好ましく思えるらしい。彼女も笑顔で。
「いえいえ。人の命数は、あくまでその個人のためのものです。きっと、ワーツさんにはまだまだやるべきことがあったんだと思いますよ」
「なるほど、さすがはエイネ様、素晴らしい見識です。このワーツ、感服致しました!」
調子のいい男であった。
「人生が生まれ持った命数だけで決まるんだったら、ラミはここにいないだろうし」
ラミは不服そうに目を細めて応じる。
「おい、オレを引き合いに出すなよ……」
「でもそうでしょ? ラミの命数、値で言ったらワーツさんと大差ないだろうし」
「──え、そうなのですか?」
驚いたように目を見開くワーツだが、それも当然。
そもそも《命数》とは、その人間の可能性──世界に対する影響力と認識されている。
命数が多い者ほど、将来的により多くの人間へ影響を与える可能性がある。
いわば数値化された運命の強さ、とでも言えばいいだろうか。
それは、たとえば多くの人間を救う兵士であったり、いくつもの素晴らしい作品を残す芸術家であったり。あるいは研究者、発明家、指導者──果ては犯罪者だとしても。その個人が、世界に、歴史に、この惑星に
いわんや教会騎士の頂点ならば、だ。
「基本的に、高い命数を持っていれば優れた功績を残すとは言われてるけど、あくまでも可能性の話だからね。すごい命数を持っていても、早くに亡くなってしまう人はいる」
その意味では、生まれ持った命数の量など、そこから得られる命火の総量くらいにしか影響しない、と
「ゆえに逆を言えば、低い命数値でも何かを成し遂げられる者もいる……と」
たとえばラミのように。
とでも言いたげなワーツに頷き、エイネは続けて。
「まあ、そう言われてるってだけの話だしね。結局のところわからないんだから、命数の量なんて命数術師にしか関係ない──もっと言えば、命数術師にだって関係ないのかも。命数が多ければたくさん術を使えるけど、そんなの訓練効率くらいにしか影響しないよ」
神子として無限に等しい命数を持つエイネに言われても、と思うラミだが。
とはいえ同じことは彼も考えていた。命数術師としては才能がないと言われながらも、こうしてその頂点にまで辿り着いたのだから。重ねた努力に一定の自負はあった。
「オレの目的は、あくまでエイネの手助けだからな。それができればいいさ」
結局、ラミはいつも通りの
それが騎士の役割だ。神子の旅に同行し、天命を達成するまで支え続ける。
エイネが神子だとわかってから、ラミの夢はその一点に集約された。
「神子の旅、ですか……
ここばかりは神妙な様子で、ワーツは言った。
当然ではあろう。滅びに向かうこの星を、そこに住まう人々を救うため、全ての神子はその命を懸けて天命に挑む。
「……祈ることしか、できない身ではありますが」
「いわゆる初代神子の時代──聖暦の始まりから数えて七百七十三年。歴代で二十四名の神子のうち、天命を達成した神子はわずか六名だけ。現役の神子が私を含め四名だから、十四人は天命を果たせずに星に
神子は聖人だ。ゆえにその死は直接には表現されず、《星に還る》と換言される。
そんなエイネの言葉に、ワーツが小さく頷く。
「天命を達成された六名の大灯師様も、偉業と引き換えに星へ還られたとされています。なんとなればひとつの天命とは、そのもの世界を救うに等しい難行だと言われておりますゆえ。──本来、人を超える寿命を持つ神子様は、けれど自ら死地へ赴かねばならない」
神子の旅とはそういうものだ。
天命を果たして死ぬか、果たせずして志半ばに死ぬか。その二択。もっとも、失敗ではなく挫折であれば、命だけは永らえるかもしれないが。
どうしてか、逃げ出した神子はいない、とされているのだ。
エイネとラミの道行きは、そのもの死出の旅だと言ってなんら過言ではなかった。
「にしても詳しいね、ワーツ? 神子の詳しい事情は、意外と知られてないものだけど」
というエイネの言葉通り、神子の一般的な認識など《各地を旅して世界を救う者》か、あるいは《教会で暮らす有事の最大戦力》程度がせいぜいだ。
民衆のために命を賭して戦ってくれる者だから、敬っているに過ぎない。
実際に神子が何をするのかなんて、当の神子本人ですら答えられないのだから、それも仕方ない話ではある。
「まあボクも、一応は命数術師ですからね」
恥じらうようにワーツは言う。
後部座席のシートに、彼は深く座り直して、それから。
「と言ってもはぐれの術師ですが、研究の中で王国史にも触れることがありますのでね。そこで得た知識というヤツです」
「研究? というと……ワーツさんは何を専門に?」
「ええと。ボクは、その……片獣の研究をしているんですよ」
「へえ! そいつは珍し──」
エイネがそう答えかけたときだった。
差し掛かっていた上り坂の峠を、鋼騎がちょうど乗り越えた。視界が開け、三人はその先に広がっている、広大な蒼を目の当たりにした。
「よし。……約束通りだ、見えたぞ、エイネ」
ラミのそんな言葉。後部座席のワーツが首を傾げて。
「約束ですか?」
「ええ。旅に出るときのちょっとした約束です。まず最初に海を見よう、っていう」
ラミが答えて、エイネも笑う。
「私たちの故郷は内陸のほうだったからね! 見たことなかったんだ。だから、まず海を見に行きたいっていう私のわがままを、ラミが聞いてくれたんだ。ね?」
「……ま、そういう旅だからな。我が神子様が行きたいってところに行くだけだよ」
悪戯っぽく笑う少女に、ぶっきらぼうに答える青年。
釣られてワーツも微笑ましい気分になった。
なるほど、と口の中で呟く。
このふたりが同郷の幼馴染みだということは有名な話だ。ふたりが揃って守護十三騎となったことで、新聞にも載せられている。
確かに、この強固な結びつきを持つふたりならば、あるいは──。
そう思えることもまた、ひとつの祈りであるのだろう、とワーツは考える。