第二章 最初の恋愛イベント③

 セシリアはげていた。

 差し入れを持ってくるこうはいから。

 しつようにボディタッチをしてくる同級生から。

 すきあらばベッドにさそい込もうとする先輩から。

「もー、無理! マジ無理!!」

 彼女は逃げていた。


 セシリアが講堂でやらかしてから二週間。

 彼女たちの『騎士に選ばれた王子様(?)』への熱は最高潮に達していた。常に追いかけ回されるセシリアにプライベートな時間なんてものは一切なく、どこに行くのにも、何をするのにも、いつもそばにだれかがいた。

 当然そんな状態なので、ギルバートとの作戦会議もあれ以来行われていない。

 プライベートな時間がなくても、常に気を張った状態でも、セシリアだって最初のうちはまんができた。彼女らの熱は一過性のものだとわかっていたし、時期が過ぎればまた以前のような状態に戻ると思っていたからだ。しかしそれが、一日、また一日と積み重なっていくうちにセシリアにも我慢の限界がおとずれ、このたび逃げるような事態におちいってしまったのだ。

「セシル様、待ってくださいませ!」

「今ちょっと急いでるからごめんね!」

 追いかけてくる女生徒をり切り、セシリアは中庭に逃げ込む。植え込みのかげかくれれば、セシリアを追いかけまわしていた女生徒が「どこに行かれたのかしら……」となやましげな声を出しながら目の前を通り過ぎた。

「やっと一人になれた……」

 植えてある木に背中を預けながら、そうこぼす。

「リーンを誰かとくっつけないといけないのに、この状態じゃ動けないよー」

 セシリアがギルバートの一票をもらってしまったので、リーンにはなんとしても誰かとこいなかになっていただき、宝具を受け取ってもらわないといけなくなった。幸いなことにリーンとセシリアは同じクラスで、行動も起こしやすいと思っていたのだが、今のこの状況では動きたくても動けない。彼女が自ら動いてくれるのが一番だが、今のところその兆候は見られなかった。むしろ……

『移動教室ですね。一緒に行きませんか、セシル様』

『セシル様、おとなり良いですか?』

『この問題はどうやって解くのか、教えてくださいませんか。セシル様』

 セシル様、セシル様、セシル様、セシル様……

 リーンはなぜかこうりやく対象のキャラクターよりもセシルにかまってくるのだ。確かに彼女から見れば、セシルは騎士なので攻略対象なのかもしれないのだが、現実にはセシルルートどころかセシル自体存在しないのである。

「リーンに冷たくしたいけど、それはそれでセシリアの人生をセシルでなぞるだけのような気がするしなぁ……」

 それではせっかく男装した意味もなくなってしまう。

「ま、れんあいイベントの三つ目までは好感度関係なしで確実に起こるし、それが終わってから考えても……」

「にゃぁん!」

「『にゃぁん』?」

 背後から聞こえてきた鳴き声に、セシリアは思考を中断し、振り返った。そこにはいつぴきの小さなねこがいた。短足で、茶色と黒の入り混じった毛。まだ足取りもおぼつかないような可愛かわいらしい子猫だ。

「わっ! かわいい!! マンチカンかな。ふわふわねぇ!」

「にゃぁ」

 人になついているのか、セシリアがき上げても子猫は少しもいやがらなかった。

 白いおなかを顔にくっつけると、太陽のかおりがしてくる。

「あら、あなた。足のところちょっとしてるのね。どこかで切ったのかしら……」

 ちょっと待ってね、とセシリアはポケットをさぐり、うすピンクのハンカチを取り出した。

 そして、血がにじんでいる猫の足に、そのハンカチを巻き付ける。

「これでよしっと! 後で保健室に寄ってみようか。もしかしたら消毒薬ぐらいならあるかもしれないし! あ、でも、人用の消毒薬って使ってもいいんだっけ?」

「にゃぁん?」

「モードレッド先生に聞いてみようね。あの人博学キャラだから、大体何でも聞いたら答えられると思うし!」

「うにゃ!」

 鼻の頭を撫でれば、まるですり寄るように猫は頭を押し付けてきた。かわいい。

 その時だった。セシリアが隠れている生けがきの向こうで誰かの話し声がした。一人は可愛らしいすずをころがすような声、もう一人はあつ的なバリトンボイス。どちらの声にも聞き覚えがあった。

 セシリアは生け垣のすきから声の主をのぞき見る。

 すると、そこには二人で薔薇ばらの花を見る、オスカーとリーンの姿があった。


 オスカー・アベル・プロスペレ。

 彼はこの国の王太子であり、こうしやくれいじようセシリア・シルビィのこんやく者だ。深いくれない色のかみに、ナイフのようにするどい目。顔の作りはたんせいだが、その分冷たい印象を受けるそうぼう。手足は長く、王族特有のオーラが彼の身をおおっていた。

(うわぁ。ヤバい場面に出くわしちゃった……)

 セシリアは二人に見つからないように、身体からだを小さくさせた。これはリーンとオスカーの最初の恋愛イベントだ。

 候補という大変な運命を背負いこんでしまい、こんわくするリーンと、王太子であるオスカーが中庭で出会うシーンである。


『苦しい役目を背負っているとは思うが、共にがんっていこう。少なくとも俺は、セシリアより君の方が神子に向いていると思う。苦しい現実に背を向けることなく、悩み苦しむ君の姿はとてもれんだ』


 オスカーはまどうリーンに、そんなはげましの言葉をおくる。

(オスカーは最初からリーンのことが大好きなのよね。それで、誰よりもセシリアのことがきらい、と……)

 意にそぐわぬ婚約者であり、自分とリーンの仲をじやする最大の敵であるセシリア。彼はセシリアの婚約者でありながら、誰よりも彼女のことをけんしている。

 一方のセシリアはオスカーのことをしたっており、そのしつゆえにリーンを傷つけてしまう。それがオスカーのげきりんれ、とうごくされ、しよけいされてしまうのだ。

 実は、この『リーンを傷つけ、投獄され、処刑される』という流れはオスカールートじゃなくてもひんぱんに出てくる。そのほとんどにおいて、セシリアを処刑台送りにするのはオスカーだ。

 リーンがほかの誰かとくっついても、彼はリーンのことをおもい続ける。なんという純愛なのだろうか。しかし、それ故にセシリアはどのルートでもオスカーに嫌われ続けるのである。

(オスカーだけにはかかわらないようにしないと。特に、このイベントはヤバい……)

 この恋愛イベントには続きがある。なんと、ちゆうでセシリアが乱入してくるのだ。

 いいふんになった二人の前に、セシリアはとつじよ現れる。そして、いきなりリーンのほおたたくとこう叫ぶ。

『人の婚約者になに色目を使ってるのよ、このぎつねめ!』

 オスカーはおこるセシリアをいさめ『君には心底失望した』とリーンのかたを持ち、その場を立ち去るのである。セシリアはこの出来事を機に、さらにリーンを敵視するのだ。

 この時の話は後々にも何回か出てきて、セシリアにあらぬ疑いが向いた時『ああいうことをする女だから、犯人にちがいない』とやってもいないことの犯人にされてしまう。

(よし! げよう!)

 このままここにいて、何かのひようにこのイベントを邪魔してしまったら、せっかく男装までしたのにセシルはゲームの中のセシリアと同じ道を辿たどってしまうかもしれない。

 セシリアは身体を低くしたままそっと立ち上がった。

 しかし、次のしゆんかんうでの中にいた猫が飛びあがる。

「ぎゃっ!」

 子猫はセシリアの頭をみ台にし、あろうことかリーンとオスカーの元へジャンプした。

 セシリアはその反動で後ろにたおれこんでしまう。

「なっ!」

「きゃぁ!」

 生け垣を支えにしてブリッジをするような形になったセシリアは、ひっくり返った視線で、おののく二人を見つめる。

(や、やってしまった……)

 子猫はリーンの腕に収まっており、「にゃぁ」とごげんに一鳴きした。

「……聞き耳でも立てていたのか?」

 冷たい目でオスカーに見下ろされ、全身がふるえる。きっとリーンとのおうを訳の分からない男に邪魔されて気分を害しているのだろう。

 そう、この時点でオスカーのリーンへの好感度は、八割方まっているのだ。

 そんなに好きなら宝具わたしてくれよ! とは思わないでもないが、その辺はゲームの仕様だろう。仕方がない。

「あはは……ちょっとそこの木のかげで転寝うたたねしてまして……」

「……ほぉ……」

 苦しまぎれの言い訳に、オスカーは目をすがめる。当然ながら信じてもらえていない。やばい。

「セシル様、だいじようですか?」

 天使のみをかべながら助け起こしてくれたのは、リーンだった。

 いつもなら絶対にかかわりたくないと思うのだが、絶対れいの息しかかない北風がそばにいるので、彼女の微笑ほほえみが温かい太陽のように思えてしまう。


「ありがとう」

「いつもかっこいいセシル様でも、こんな失敗をなさるのですね。なんだか親近感を覚えてしまいます」

「そ、そうかな?」

「…………」

(北風が! 北風からの視線がつらい!!)

 オスカーは穴が開くのかというぐらいに、じっとセシリアを見つめていた。

(な、なに!? 『俺のリーンに近づくやつはどんな奴だ!?』ってこと? 近づきませんから! もう退散しますから!!)

「あのー。俺、帰りますね。お邪魔して、すみ……」

「もしよかったら、セシル様もごいつしよに話していかれませんか? 実は私、以前よりセシル様のことをもっと知りたいと思っておりまして。オスカー様もよろしいでしょう?」

「……そうだな」

(全然よろしくなさそうな返事!!)

「そ、それはまたの機会にいたしましょう! ではっ!!」

 北風の視線から逃げるように、セシリアはその場をあとにした。


 セシリアが去って行ったあと、残された二人はたがいに顔を見合わせた。

「行ってしまわれましたね。もう少し話してみたかったですのに……」

「そうだな。それにしても、あの顔、どこかで……」

 オスカーはあごでながら何かを考えているようだった。

 その時、リーンの腕の中にいたねこが「にゃぁ」と可愛かわいらしく鳴く。そして、彼女の腕から飛び降りた。瞬間、足に巻き付いていたハンカチが外れ、ひらりと宙にう。

「この猫、先ほどセシル様が連れていた猫ですわよね。あれ? なんだかをして……」

「ハンカチで手当てをしていたんだな。このままでは取れてしまうから、ちゃんと包帯を巻くなり、消毒をするなりした方がいいだろう。……って、このハンカチ」

 オスカーは猫の足についていたハンカチを拾い上げると、顔をしかめた。そのハンカチに見覚えがあったのだ。

「アイツは、一体……」

 オスカーは苦々しい顔で、セシリアが去っていった方向をじっとにらみつけた。

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