第二章 最初の恋愛イベント①

『大変だわ! あの人、正気を失っている!』

 いきなり講堂で暴れだした生徒を見ながら、リーンは顔を青白くさせた。

 そんな彼女を支えるように、学院の保健医であるモードレッドがとなりに立つ。彼の手首には先ほど国王からの使者が持っていた宝具が巻き付いていた。彼は騎士に選ばれたのだ。

『あれは「さわり」ですね。私も見るのは初めてですが、人に取りもののようなものだと聞いています』

 さらにもう一人、リーンのそばに並び立つ者がいた。この国の王太子、オスカーである。

 彼の手にも同じように宝具が巻き付いていた。

『俺もぶんけんで読んだだけだが、「障り」は神子の力が弱まった時に現れるものらしい。以前の選定のの際にも現れ、その時は神子候補と騎士たちの手によって鎮められたと書いてあった』

『でも、神子候補ってだれが……』

 リーンは左右を見回す。先日まで平民だったリーンでも神子のことは聞きおよんでいる。この国をかげから守っている聖女のような存在なのだと、絵本で読んだことがあった。

 その神子候補が生徒たちの中にいる。しかし、生徒が暴れだしたのは使者が説明している最中だ。まだ誰が神子候補なのか、わかってはいなかった。

『君が神子候補なんだね』

『え?』

 明るい声が背後からかかり、いきなり手を取られた。その手には先日から不自然に浮かび上がってきたあざがある。まるでスノーフレークのようないびつな形をした痣だ。

 彼女の手を取ったのは、先ほどまでリーンのななめ後ろにいた青年だった。ふわふわとした短い茶色いかみの毛も相まって、まるで犬のように見える。並んでいた位置からいって、同じクラスなのだろう。

『ボクはジェイド。どうしてか、君を守る騎士に選ばれたみたいだ』

 そう言ってかかげた手首には、また銀色に光る宝具があった。

『えっと、ジェイド。どうして私が神子候補だって……』

『え、知らない? 神子候補には選定の儀が行われる前に、こういう花の模様の痣が浮かび上がるんだ。だから、ボクには君を守る義務があるってわけ』

『神子……』

 リーンは狼狽うろたえた声を出した。

 先日まで身寄りがなく救済院にいたのに、いきなりだんしやくらくいんだとわかり、貴族になった。そして、今度は神子候補である。狼狽えてしまうのも無理はない。

『それならば話は早い。私たちといつしよにあの「障り」をはらおう! 力を貸してくれないか?』

『君の力が必要なんだ』

 モードレッドもオスカーも強いまなしでリーンを見つめていた。

 彼らの熱い視線を受け、リーンの胸にも使命感がき上がってくる。

『私の力でよければ……』

 リーンは一歩前にみ出す。

 そうして見事、彼らは最初のお役目を果たしたのだ。


 ──と、いうのが本来のプロローグの在り方である。

「あああああああー!! 前世の私っ!! なんでプロローグをないがしろにしたんだぁ!! 覚えておけば! 覚えておけば、こんなことには……」

 れいなるリーンの神子候補デビューをかっさらい、更に騎士であるギルバートの宝具を一つ手に入れた、神子候補セシリアは頭をかかえながらうなっていた。

 その隣にはやはりあきれ顔のギルバートがいる。

 時間は昼食時、二人はいつもの温室に昼食であるサンドイッチを持ち込み、作戦会議という名のだいこうかい大会をり広げていた。

「もう起こったことだし、後悔しても仕方ないでしょ。それより、早く食べないと次の授業におくれるよ」

 いつも以上に冷静なこわいろでそう言うギルバートを、セシリアはなみだにらむ。

「ギルは事の重大さをわかってない!」

「と、いうと?」

「選定の儀は神子候補同士の票取り合戦って言ったでしょ。私にギルの一票が渡ったということは、私がリーンよりも一歩先んじてしまったということなのよ! このままリーンが誰ともくっつかなかったら、私が神子に選ばれちゃうの!!」

 その場合、セシリアは教会に洗礼を受けに行く道中、とうぞくおそわれて死んでしまう。そして、この国から神子はいなくなり、国自体が『障り』におかされすい退たいし、ほろんでしまうのだ。

 思いがけない結末を聞き、さすがのギルも頰を引きつらせる。

「姉さんが死んで、国が滅ぶとか……」

「なに、その反応」

つうにひいてるんだよ。まさか、そんな大ごとになるとは思わないでしょ」

 セシリアは今まで、ギルバートに自分の未来を『お先真っ暗』や『めつ』や『さん』という言葉で表現してきており、具体的な説明はしてこなかった。なので、今回聞かされた未来の話をギルバートはおどろきとともに受け止めているようだった。

 逆に、どうして具体的なことをいつさい聞いていないのに、協力してくれたのかはなぞである。

「それなら、宝具渡さない方がよかった?」

「そんなことない! あのとつの判断は本当にありがたかった! あれがなかったら、正直、あの時点でんでたからね!」

 あの場でギルバートから宝具を受け取らなかったら、周りからは『障り』を祓える謎の人物としてにんしきされ、ひいては身体検査の後、女だとばれてしまっていただろう。そうなれば、セシリアはもう候補になるしかなくなり、そしてどうがんっても逃れられない破滅ルートに直行していたと思うのだ。

 なので、あそこでのギルバートの判断は正しかったし、何度感謝してもしきれない。

 今こんな事態におちいっているのは、ひとえにセシリアの前世──神崎ひよのがプロローグを章ごとすっ飛ばしていたせいである。

「ギルこそ、宝具、私に渡してもよかったの? 一世一代のチャンスだったのに……」

 セシリアは首をかしげる。

 神子直々のせいに選ばれるのは、この国で最もめいなことだ。聖騎士の身分はほかの貴族より上、国王より下という位置づけになるからである。

 しかし、神子になる意思のないセシリアに宝具を渡したということは、ギルバートはその権利を丸ごとほうしたことと同意だった。

「別に。そういう権力とかあんまり興味ないし。……それに、元々姉さんにしかわたす気がなかったから」

 そう言いながらサンドイッチをほおるギルバートは、なぜか少しブスッとしていた。まるでずかしいのをかくしているかのような表情にも見える。

(そういえば、ギルは少し人見知りなところがあるのよね。リーンにはまだ出会ったばかりだし、ちょっと近寄りがたいのかも……)

 しきにいたころもそうだ。セシリアに毎回花を持ってきてくれる庭師のエルにも、けんじゆつや体術を教えてくれていた兵士のハンスにも、家令のむすで、セシリアのめんどうをよく見てくれたドニーにも、彼はとても冷たかった。近づこうともしなかったし、話しているところもあまり見かけたことはない。義姉あねであるセシリアが近づくのもすごくいやがった。

 ゲームの中でもそういうシーンはあった。

 根暗でひきこもり青年のギルバートは、最初、リーンに全くと言っていいほど心を開かない。授業にもあまりちゃんと出ない彼を世話することになった彼女は、彼の心を解きほぐそうと試行さくを繰り返す。そうして、何度追い返してもあきらめない彼女に根負けした形でギルバートはだんだんほだされていくのだ。


『きっと、俺は出会った時から君のことが好きだった。ひとれだったと思う。俺をあの暗い部屋から連れ出してくれてありがとう。世界を広げてくれてありがとう』


 そう愛を告白するシーンは、涙なしでは見られないほどだ。

 ちなみに、別のこうりやく対象のれんあいルートに進むと、彼の性格ゆえか全くストーリーにからんでこなくなってしまう。最初からいなかったかのように存在が消えてしまうので、ギルバートしのプレイヤーたちはSNSでなげいていたほどだ。

 セシリアはギルバートのかたはげますようにたたく。

「この学院生活で、ギルも少しは人見知りを直さないとね!」

「人見知り? なんの話?」

「ほら、本当はリーンとも仲良くなりたいんでしょ! 一目惚れだもんね! 好きな人には声をかけられないその気持ち、よくわかるよ!」

「俺は姉さんが何を言ってるのか、ちょっとわからない……」

 げんな表情をかべる彼に、セシリアは満面のみを向けた。

だいじよう、お姉ちゃんに任せなさい! でも、リーンとは極力かかわりたくないから、後方からのえんしやげきだけにはなると思うけど、相談にはいくらでも乗ってあげるからね! いつでもたよってきてね!」

 ギルバートは義姉の言葉に何も答えない。ただ半眼になって『こいつもうだ』というようなあきれた表情を顔に張り付けていた。

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