第一章 選定の儀①

 ヴルーヘル学院には『王子様』がいる。

 き通る金糸のような髪に、サファイアのような瞳。

 長い手足に、だれをもりようする中性的な顔立ち。

 足音を立てずにろうを歩く様は、まるで一輪の白き薔薇ばらのよう。

 目の前で女性がつまずけば、彼はさっと手をばし、甘いマスクと甘美な声でこうささやくのだ。

はないかい、お姫様」

 その瞬間、どこからともなく黄色い声が上がる。


『王子様』の名は、セシル・アドミナ。

 十七歳になった公爵令嬢、セシリア・シルビィの仮の姿である。



「うーん。なんで、こうなっちゃったかな……」

 セシルもといセシリアは、学院にある温室のベンチで、ガラス張りのてんじようを見上げながらそうこぼした。となりには一歳年下の義弟、ギルバートがこしけている。

 校舎のはずれにある温室には二人以外の姿はなく、『王子様!』と女生徒から追いかけ回される彼女にとって、そこは学院内ゆいいつの安息の地となっていた。

「私はただ、目立たずひっそりと学院生活を過ごしていきたかっただけなのに、なんで『王子様』だなんて……」

「それは、姉さんが鹿だからでしょ」

「うぐっ!」

 バッサリと切り捨てるような言葉のやいばに、セシリアの胸はえぐられる。

 セシリアにいじめられていんで根暗な青年に育つはずだったギルバートだが、出会ってから十二年った現在は、どくぜつな上に生意気な青年に育っていた。ゲームの中のように虐めていないのだから当然と言えば当然なのだが、もう少し可愛かわいく育ってもよかったのに……と思ってしまうセシリアである。

 ギルバートはにらみつける義姉あねに全くひるむことなく、むしろあきれきったような視線を向けた。

「今朝だって『怪我はないかい、お姫様』って、何あれ。あんな歯のくような台詞せりふ、よくポンポンと出てくるよね」

「いやだって、私が本当は女だって気付かれるわけにはいかないでしょう。だったら、普通の男の人よりも男らしくうのは当然じゃない!」

「あれが『男らしい』……?」

「私の前世、十八年間のおとゲーム人生において、最も女性にウケが良い男キャラがあれよ!」

「……原因はそれだよ」

 ギルバートは再びぴしゃりとそう言い放った。

 セシリアの前世、かんざきひよのは乙女ゲームが大好きな高校生だった。

 彼女はおづかいのほとんどを乙女ゲームについやし、足りなかったらバイトをしてまでゲームを買いあさるような人間だった。暗かった夜空が白み始めるまでプレイするのなんて日常はんで、休日には部屋にこもって出てこないなんていうのはザラ。

 部活は演劇部に所属しており、仲間たちと日々せつたくしていたし、おしゃれもそれなりにこなしていたけれど、やっぱりしゆとしては乙女ゲームが一番好きだった。

『ヴルーヘル学院の神子姫3』も、ひよのが当時やっていた乙女ゲームの一つである。

「で、本当に姉さんが候補に選ばれるわけ? 確かに今代の神子様はもう長いし、力もおとろえ始めているって聞くけどさ。姉さんがせいれんけつぱくな乙女の代表である神子候補に選ばれるだなんて、天地がひっくり返ってもあり得ないと思うんだけど……」

「え、ギルって私のこときらい?」

「んーん、大好きだよ。ただ、姉さんみたいにぼうけている人間には、神子なんて大役、務まらないんじゃないかなぁって思っただけで」

義弟おとうとの評価がからくちっ!!」

 みを浮かべるギルバートに、セシリアは両手で顔をおおった。

『ヴルーヘル学院の神子姫3』というゲームは、その名の通り『ヴルーヘル学院の神子姫』シリーズの第三作目である。

 この世界には、人々を守り導く『神子』という存在がおり、彼女の発言は国王でさえも無視できないほどとされていた。

 平民として育った主人公リーン・ラザロアと、こうしやくれいじようセシリア・シルビィは、次代の神子の座をかけて、このヴルーヘル学院できそい合う──これが、このゲームの大まかなあらすじである。

「私も選ばれないなら、選ばれない方がいいって思っていたんだけど……」

「なに、そのもうおくれな感じ」

一昨日おとといの夜、胸のあたりに薔薇のあざが浮かび上がってきたんだよねー」

 セシリアが言わんとしていることがわかったのか、ギルバートはほおを引きつらせながら「あー……」とらした。

 神子候補になった人間にはあるとくちようが現れるとされている。それが花の模様の痣だった。

 ゲームでは主人公であるリーンが、自分の手のこうにスノーフレークの痣が浮き出ているのを見つけるところから始まる。そして翌日、転入先のヴルーヘル学院で自分が神子候補に選ばれたことを知るのだ。

 リーンが転入してくるのは、おそらく今日だ。ゲームでは『高等部の入学式から一週間後』とあった。なので、リーンの手の甲には、昨日の夜に痣が浮かび上がっているはずである。

「じゃ、姉さんが神子候補なのは、もう確定なわけだ」

「そうなの! ──ということで、フォローお願いします!! もう本当に、ギルだけがたよりなの!! おねぇちゃんに平和な未来をっ!」

「あぁ、もう、わかったから! ちょっ、きつこうとしないで!!」

 子供のころのように安易にれ合おうとしたセシリアを、ギルバートは頭をつかんで止める。ずかしかったのか、彼のじりはほんのりと赤い。

 主人公の敵役となるセシリア・シルビィの末路は悲惨なものだ。基本的にどのルートでも死ぬことになる。ノーマルルートでも、れんあいエンドでも、バッドエンドでも、それは変わらない。変わるのは死に方だけである。

 だから、セシリアは男になることにしたのだ。基本的に男は神子になれないし、男になることでセシリアはモブキャラにてつすることができる。──といっても、本当に男としてこれから生きていこうというわけではなく、ゲームのたいであるぜんりようせいの貴族学院で男子生徒として目立たず、ひっそりと過ごしていこうということなのだが……

 しかし、セシリア一人でできることには限界があった。

 あらかじめ学院に手を回したり、病弱なふりをして社交界に出なかったり、父親の仕事を手伝い、いざというときに使えるお金をめたり、に大きな胸をさらしでばやかくす練習をしたり、自らのかみひそかにカツラを作ったり……。

 おくを取りもどしてからの十二年間でそういう準備はできたが、学院の男物の制服をあやしまれずに手に入れることや、男爵子息という仮の身分を用意することは彼女にはできなかった。

 なので、セシリアは義弟のギルバートに協力をあおいだのだ。

 いきなり『前世』とか『ゲーム』とか言い出した義姉を笑うことなく、『じゃ、俺は何をすればいい?』と切り返してくれた彼には、いくら感謝してもしきれない。

 口は悪いが、本当に義姉おもいの義弟だ。

 抱きついてきた義姉を押し返し、ギルバートはせきばらいをして表情を整えた。

「それよりも、リーンが姉さんのクラスに転入してくるのは今日なんでしょ? じゃあ、早く教室に戻っておいた方がよくない? おくれて入って目立つのはけた方がいいでしょ?」

「あ、うん。それはそうなんだけど。でも、そろそろ……」

 セシリアがそう言って顔を上げたしゆんかん、学院の至る所に設置されているスピーカーから放送がかかる。それは、学生は至急全員講堂に集まるようにとのお達しだった。

 予定がきっちり決まっている学院内で、こんな風に放送を使い、全生徒を集めようとするのはめずらしい。つうならば、前日に何かお触れがあるものである。

「これってもしかして始まった感じ?」

「うん。多分ね」

 ギルバートは、頰を引きつらせるセシリアをはげますように、かたたたく。

「ま、行ってみよう。隠れていても何も始まらないし」

「そうね」

 二人はベンチから立ち上がり、そのまま温室を出るのだった。


 そんな彼らの後ろ姿を見つめる一つのかげ──

「ふふふ、ギルバート様みぃつけた」

 可愛らしい声をねさせながら、彼女は二人の後ろ姿に熱い視線をぶつけていた。

 うすくちびるは楽しそうにえがいており、その手元には何を書き記しているのか分厚いノートとペンがある。

「あぁ、やっとこの日が来たのね。すごく、すごく、待ち遠しかったわ」

 えつに入るようにそう言って、彼女は自身をきしめる。

 その頰はももいろに染まっており、興奮のためかひとみにはうっすらとなみだまくが張っていた。

 少しくせのあるピンク色の髪の毛に、長いまつふちどられたルビーのような大きな瞳。リップなどっていなくとも自然と赤みを帯びている小さな唇に、男性のよくさそうようなきやしやたい

 彼女の名は、だんしやくれいじようリーン・ラザロア。

 ゲーム『ヴルーヘル学院の神子姫3』のヒロインである。

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