第四章 言葉は消えても契約は残る ⑥
つまりこの偉そうな将軍は、貴族連中の護衛を理由に大軍を率いて、守るべきメリディエスを捨てて、この街に逃げてきたのだ。そしてそんな醜態を、「仕事の範疇ではない」という尤もらしい詭弁で言い繕っているに過ぎないのだ。
「恥ずかしくないのか、お前ら?」
威圧的な態度のまま押し黙る将軍に、ルンは抑えきれず、侮蔑に満ちた言葉を吐き出す。
「クラウ達に全部押しつけて、自分達だけ逃げてきて……何が帝国軍だ。ただの腰抜けじゃねぇか!」
「貴様、誰に向かって口を利いている⁉ 私は将軍だぞ⁉」
「将軍だろうが腰抜けは腰抜けだろ! だったらどういうつもりで逃げてきたんだ? 言ってみろよ!」
「ルンさん落ち着いて!」
今にも掴みかかりそうなルン。護衛の二人が柄に手をかけると、事態を見守っていたトーナも慌てて仲裁に入る。
「腰抜けは貴様らの方ではないか。我々の要請に応じる気がないばかりか、大半はとっくに逃げ出したぞ」
「は? どういうこと?」
聞き咎めたトーナは、しかしすぐに将軍の物言いの意味するところを察した。
この時間になると、事務所に屯する団員は少なくとも数十人はいるはずだ。それが今は、二等団員の中で比較的実力のある者が一〇人しかいない。
他の団員はどこに行ったのかといえば、想像に難くない。逃げたのだ。依頼を受けて出かけた可能性など、この状況下では考えるだけ無駄だろう。
「クラウ達が勝てない魔族を、俺らがどうこうできるわけねぇよ」
そんな弱音を吐いたのは、無精ひげの二等団員だ。ルンと同じロングソードの使い手だが、腰の得物は本人のへっぴり腰も相俟って情けなく見える。
「クラウさん達が負けるわけないでしょ。何で決めつけるの⁉」
声を荒げるトーナに、一同は押し黙る。
「貴様らが職務を果たさないというなら結構。我々は帝都へ向かい、討伐隊の派遣を要請する。貴様らはもう用済みだ。ここで勝手に死ぬが良い」
「ま、待ってください将軍さん! オルガンティノさん達がお昼過ぎには来ますから!」
「どうせその二等団員もここにいる腰抜けどもと変わるまい。時間の無駄だ!」
引き留めようとする受付嬢に吐き捨てて、将軍は護衛とともに事務所を出ていった。
「帝都の自衛団に任せよう。どのみち俺らじゃどうしようもないんだから……」
二等団員の一人のそんな呟きに、他の団員も無言のまま同調する。
一等団員の四人と比べれば、彼らの実力は大きく劣る。理性的な判断なのは間違いない。
それでも、負け犬根性の滲んだその態度が、ルンには受け入れられなかった。
「偉そうに言って、結局逃げてるだけじゃん」
玄関から出ていく将軍の後ろ姿に、トーナが吐き捨てる。帝国軍に向けられたその軽蔑の言葉は、その場にいる団員達に刺さり、俯かせた。
6
事務所から自宅に戻ると、学校に行っていたはずのセリアルが帰ってきていた。
「あ、二人ともお帰りなさい」
「あれ、学校は?」
「それが、臨時休校だそうでして……」
ばつが悪そうに、セリアルが続ける。
「登校してるのも東の街の人ばかりで、西の生徒は家族と一緒に街を出るみたいです」
「それ、メリディエスが魔族に落とされたのと関係してる?」
「そうみたいです」
貴族は帝国軍を連れて、帝都まで逃げるつもりだろう。東の街や外円の街の庶民は、このままでは置いてきぼりを食うことになる。
「どいつもこいつも……」
ルンは憤り、舌打ちを漏らしてソファに座る。庶民を守るのが貴族の役割であるべきなのだが、この世界にはノブレス・オブリージュという考えは根づいていないらしい。それなら一体、貴族は何のために存在するのかと、問い質してやりたい。
「何かあったんですか?」
「色々とね~」
心配するセリアルにトーナがはぐらかすと、玄関が落ち着いた調子でノックされた。
「はい?」
トーナが声を張って、玄関へ駆けていく。ドアを開けると、黒地のメイド服を着たマナリアが、黒のコートを着込んだゴブリンのクロアと二人、軒先に立っていた。
「クロアさん……どうしたんですか?」
ソファに座ったまま玄関の方を見守っていたルンが、来客に立ち上がる。クロアはマナリアとともに、家主の許しを得る前に敷居を跨ぎ、居間へ入ってきた。
「メリディエスの件は、もう知っているな?」
挨拶もなしに切り出された本題に、ルンは不穏な気配を察知した。
「貴族と金持ち達は、帝都へ避難するつもりだ。私も北へ逃げようと考えているが、君達も来るかね?」
「護衛として雇いたいってことですか?」
街の外は魔獣に魔族に盗賊と、危険で溢れている。メイドのマナリアだけを連れて逃げるのは、心許ないのだろう。
「要するにそういうことだ。それに、君の保険にも魅力は感じている」
「それはどうも……」
ありがたいことだと頷きつつ、
「でも、帝都から討伐隊が来るんでしょ? それを待つのは?」
「ここから帝都まではどんなに急いでも三日はかかる。それをあの大所帯で移動するんだぞ? 討伐隊が編成されたとして、到着する頃には、この街は魔族に落とされている。ここに残れば死ぬだけだ」
淡々と告げるクロアには、事務所の団員のような迷いや怯えは感じられない。
「でも、この街の人と保険契約してるんだよ」
異議を唱えたのはトーナだった。
「自分達のことを優先して、契約してくれた人を置いていくなんてできないよ」
「保険の契約は身辺警護のためにあるのではないだろう?」
「そうだよ? でも、あたしは自衛団でもあるからね。討伐隊がそんなに遅いんだったら、あたしが倒すよ」
自信満々に言い切ったトーナに、クロアは首を振る。
「そんな危険を冒して何になる? ここは逃げるのが冷静な判断というものだ」
「そんなことしたら契約違反になるでしょ! 契約者が死んだら、その遺族にお金を払うのがあたし達の仕事なの。だったらやられる前にやる! これが一番手堅いよ!」
「それなら訊くが、街が壊滅した場合の保険の支払いはどうするつもりだね?」
強硬論を崩さないトーナに、クロアはため息を吐いて問いかけた。
「仮に君が勝てず、この街が壊滅して、契約者が全員死んだとしよう。死亡保険の契約件数は六九九件。一件当たり五〇〇〇万だから、合計で三四九億五〇〇〇万バルクの保険金が必要になる。君達に支払えるのかね?」
「あたしは負けないもん!」
「何を根拠にそう言っている? 神にでも守ってもらえるのかね?」
皮肉めいたその物言いに、トーナは怯む。
「君達の素性は彼から聞いている。それで、君達をこの世界に寄越した神は、常に君を勝たせてくれるのかね?」
「そんなことはないけど、あたしは負けないよ!」
「その根拠を答えられないなら、君はまだ子供だな。話にならん」
バッサリと切り捨て、それ以上問答をするつもりはないとばかり、クロアはルンの方へ向き直る。
「すぐに全額支払うだけの大金は、私にも用意することはできない。今ここで馬鹿正直に対応すれば、破滅以外の未来はない。君なら分かるな?」
「えぇ、そうかもしれませんね」
他の街で再起を図り、そこで保険をやり直せば良い。つまりはそういうことだ。一等団員にどうすることもできなかった魔族など、災害も同然。契約に拘っても犬死にだし、そもそも支払う余力もない。
さすが、人類が多数派の世界で魔族の端くれとして、迫害される職業で生き続けてきただけはある。悪名は無名に勝るとばかりの開き直りがないと、この世界では生きていけないのだろう。
「あたしは一人でも行くよ、ルンさん」
トーナはルンを睨み、啖呵を切る。